標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

原子力開発機構施設の内部被ばく事故。ずさんな対応。組織の甘さ、リスク管理不足?

2017-10-26 19:16:06 | 日記
テレビや新聞報道によると、
日本原子力研究開発機構(以下、「原子力機構」)の大洗研究開発センターで作業員5人が内部被ばくした事故で、原子力規制委員会(以下、「規制委員会」)は25日、原子力機構が9月に提出した事故の報告書について、「組織的な原因の分析が不十分」として再提出を求めた。

原子力機構は事故を想定せず、汚染は起きないと最初から思っていたのではないかと問題視。組織的な原因の分析や線量評価、再発防止に向けたマニュアルの改善が不十分だと判断して再提出を求めることにしたとのこと。
除染用シャワーの水の出方が悪く長時間使えなかったことや、除染が不十分のまま作業員を退出させたことなど5件を保安規定違反にあたると認定した。

これについて、報告書の概要は次のとおりだ。
保安違反と判断される5点(詳細は規制委員会のホームページに掲載の報告書を参照)。
 1. 作業計画立案(規定や要綱に基づく「非定常作業計画書」を作成しなかった)
 2. 核燃料物質の貯蔵について(規定の「放射線分解によるガス圧の上昇に十分注意する。」があるにもかかわらず、現在に至るまでこれが考慮されていなかった。)
 3.線量限度を超える被ばく(線量限度50mSv/年を超えないように管理すると規定されているが、作業員1名が線量限度を超える被ばくをした)
 4. 除染用シャワーの不備(除染用シャワーの点検では、一定時間使用できるかどうかの確認が行われていなかったこと、水の出方が悪いことに気づいたものの、原因である減圧弁を交換せず、除染用シャワーが長時間利用できなかったことから、適切な管理が行われていなかった)
 5. 身体汚染検査の管理不備(退出するときは、手、足、衣服等に汚染のないことを確認すると規定されているが、除染が不十分のまま作業員を管理区域から退出させたために、放医研における身体汚染検査において汚染が検出された)

また、保安規定違反ではないが改善が必要な事項(詳細は報告書を参照)
 1. 技術情報等の過去の知見が活かされなかったことについて
 2. 身体汚染等を想定した教育訓練の不備

また、規制委員会は、原子力機構が作業員の被曝線量を「プライバシーにあたる」として詳細に報告していないことも問題だという。規制委員会幹部は「被曝線量は事故評価に必要な情報で、報告しないのはおかしい」と話している。


市民活動レベルの「脱原子力政策大綱」と日本列島は地質学的に原発が不可能という主旨の本。

原発ゼロを目指すのなら本来は規制委員会の存在そのものも疑問視される。しかし、今回の、原子力機構に対して違反に該当する等の指摘をしたことは評価できる。規制委員会の存在の可否はともかく、報告された内容には驚かされる。日産や神戸製鋼の不正以上にひどい。作業員の被ばくという事故が起きてしまったのだ。原子力を扱う要領が規定されているにもかかわらず、違反項目に該当するのが5件もあった。それも人の健康・生命にかかる事項なのに、実施されていなかった。リスク管理の甘さだ。モノづくりの技術は優秀でも、リスクや組織の管理の甘さを露呈している。

何故、このような事態に陥っているのだろうか。その根の一つは、わが国の行政・政治のあり方に課題があるように思う。一般のサラリーマンや年金生活者からは、所得税や健康保険・介護保険税は、待ったなしに給与・年金から天引きされる。おまけに生活に必要な品物を買えば消費税がかかる。国民の一人ひとりからは細部に至るまで厳格に管理されている。しかし、日産・神戸製鋼の不正や原子力機構の事故が起こる。不正は10年単位でだいぶ前から行われていた。原子力機構では、安全に対する基準や規定があるにもかかわらず、履行されていなかった。規定はしっかり運用しなければ、まったく意味がない。組織に対しては甘い。

いずれの問題も、基準や規定を作成した時点で、「良し。終了」として気が緩んでしまったのではないか。わが国特有の「甘えの構造」にあるように思える。上層部は、「ちゃんとした安全基準があるので、作業員はそれに従ってやっているだろう」と思う。しかし、現場では中間層(中間管理職)からの指示で作業するが、実際は現場での経験が主体となる。中間層は現場からの報告を他の中間層へまたは上層部へ、報告する。このときも、歪められることもあろう。こうして、現場から中間層へ、中間層から別の中間層へ、中間層から上層部へと流れるいくつかのレベルで、いわゆる忖度も働き、つじつま合わせだけの報告、または報告書の作成が行われている場合があると思える。報告が流れているうちに、真実とは異なった内容で、書類で事務処理される。そして、どこかで書類の破棄、さらなる書き換えなども起こりうる。

このように組織として、上層部は現場の実情は分からない仕組みになっているところに問題があるのだろう。真実とは異なっていても書類に書かれていることが、事実として認知される可能性がある。こうした流れや、事務処理は国の行政や国会でも見られる気がしてならない。否、私の記憶違いでなければ、つい最近の国会審議でも展開されていたと思う。

特別国会が来月1日に召集されるようだ。しかし、今のところ総理の所信表明演説は行われないし、臨時国会は開催されそうもない。森友・加計問題などはやがて忘れ去られていくのを待っているのだろうか? またまた、謙虚、真摯、丁寧さは実行の伴わない、空しい言葉になってしまうのだろうか?
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ビデオ映画を見て、再び、キリスト教文化に親しむ。

2017-10-25 19:21:59 | 日記
先日台風が来るということで、前日から雨だった。外作業もできないので、録画しておいたシャーロック・ホームズを見た。シャーロック・ホームズは小学校時代からの愛読書の一つだ。

ビデオを見ているうちに、前にも見たような気がして来た。ストーリーも忘れている。とぎれとぎれのシーンが思い出と一致する。暫くしてから「そうだ劇場で見たんだ」と、妻と私で顔を見合わせた。思い出でに残るラストシーンは、画面の動きも含めてビデオのそれと同じだった。

吹き替え版であったので、英語では何というのか分からなかった。しかし、英米共同作品であるこの映画の中には、歴史としてのキリスト教文化が色濃く流れていた。修道会のこと儀式などストーリーにも反映されているし、「修道会」、「テンプル修道会」など翻訳されたセリフにも表われていた。

私は無宗教で、クリスチャンではない。しかし、大学がミッション系であったので少しはキリスト教には関心がある。先生方はもちろん、級友もクリスチャンが多かった。外国人の教師も多く、中には戒律に厳しいイタリア人の教授がいた。教室はあたかも私自身がイギリスのベーカー街の古めかしい教会にいるようだった。そこで講義や説教を聞いているようなきがした。こんな授業風景をを密かに楽しんでいたのが懐かしい。

もう少し前にキリスト教に出会っていたら、クリスチャンになっていたかも知れない。30歳代中ごろ職場で、ある人から、クリスチャンですかと言われたことがある。私自身ではどこがそうなのかは、未だに分からない。しかし、キリスト教やその歴史、文化には未だに興味がある。



今回の映画は、ダビンチコードの内容を想起した。実際の修道会とは異なり、ミステリアスな修道会として描いているが、シャーロック・ホームズより、宗教色が濃い。


孫たちが大好きなスヌーピーのぬいぐるみ。


映画ではないが、スヌーピーやチャーリー・ブラウンが登場する「ピーナッツ」というマンガにも聖書のメッセージが込められている。聖書のたとえ話や、罪と罰、不安と恐れ、愛と信仰といったものが表現されている。マンガだが、信仰・思想が流れていて、聖書入門として親しまれているという。

このように映画に限らず欧米の文学、演劇、芸術などや日常生活にキリスト教の影響がある。英語の日常会話にも聖書の言葉が使われているという。例をあげると「愛(love)」「祈り(pray)」「祝福(blessing)」はもとより「感謝(I thank God for)」「驚き(My God!)」「励まし(Have faith)」「願い(wish to God)」などだ。

次回、欧米映画を見るときには、視線は字幕から離さず、一方では耳をそばだて、キリスト教文化に関する単語を拾ってみたい。従って画面はあまり見ることができないかもしれない。
宗教家になる必要はないが、ある程度旧約聖書や新約聖書の歴史文化的な面を理解して、欧米の映画や物語を読んだ方がよさそうだ。
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今日は休みます(まだ、外出先です)

2017-10-24 20:01:46 | 日記

今日は朝から、外出。会議があったりで、帰宅が遅くなります。休みます。悪しからず。
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選挙の勝敗を左右したもの。「排除」、「こんな人たち」という発言?

2017-10-23 19:04:58 | 日記
冒頭解散から3週間の選挙戦を経て衆議院選挙が終わった。「大儀」「国難」「憲法」「消費税の使い道」「凍結」「廃止」「森友・加計学園」「原子力」などのキーワーズがあった。しかし、今回の選挙はこれらの内容が際立たなかった。それより、「希望の党」、「民進党」、「立憲民主党」の盛衰に終始したのではないかと思う。

都議選の際には「こんな人たち」の発言が影響した。その言葉が忘れ去られる間もなく、「排除」「さらさらない」の発言が出た。これが流れを大きく変えた一因であろう。


10月23日付の朝刊:毎日新聞、朝日新聞。
他の新聞やテレビ放送の一部は、自民圧勝となっているが、果たして?

終わってみれば、与野党の構成比は選挙前とあまり変わりがない。国会が召集されるや否や冒頭解散後の空白の3週間に費やされた600億円あまり。この経費を国民の生活に役立てようという発想が湧かなかったのだろうか? 

さらに、国会議員一人の年間の年収はおよそ2200万円だ。世界で最も高い。2位のアメリカで約年収1300万円、ドイツは約900万円だ。これに加えて、日本の国会議員には給与の他、毎月文書通信費が毎月100万円支給され、おまけにこの手当は無税だ(このほかの手当等もある)。領収書も不要となっている。

年金受給者のモデル給付は夫婦二人で月額22万円だが、税金、健康保険・介護保険料が引かれる。およそ国会議員の十分の一だ。少なくとも一人当たり年間の給与を1000万円軽減できるのではないか。すると少なくとも年間700億円は節約できる。選挙費用の600万円とこの700万円をもっと有効に使うという英断をする政治家はいないのだろうか?

意味不明の国難という空論を大儀とした選挙戦と国会の空転の間、現実的な施策を立案できたのではないか。子育て支援、高齢者の生活など、国民にとって希求の課題を審議できたのではないか?

与野党ともに政争に明け暮れるのではなく、他者、他組織を排除するのではなく、自身の論を固持するだけでなく、国民の側に立った見識で政治を行ってほしいと願う。

もし、次の選挙を行うのなら、与党にあっては選挙のための大義でなく、国民のための大義を立て、野党にあっては大同小異ということで団結して欲しい。

結びとして。超大型の秋台風21号はあっという間に過ぎ去りました。各地に爪痕を残しました。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
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脳死後の臓器移植について、そして死について思う

2017-10-22 19:09:23 | 日記
昨日の午前中、何気なくテレビをつけていたのだが、フト目に留まった臓器移植に関する番組を見た。1週間ほど前の孫の発言を思い浮かべた。

孫が、突然「ジジはいつ死ぬの」と言った。一瞬躊躇してから「それは分からないよ」と言ったものの、しばらく孫との会話の流れが途絶えた。分からないというのは、正解なのかもしれない。しかし、その後も、自分自身(の戸惑い?)がうまく表明されていなかった気がして、割り切れない思いが後を引いている。

死が怖いというレベルでなく、死について「いつ」という問いかけをされたこと。死について期限を確定した捉え方をしたことが無かったからだ。それまでは「いつか」死ぬだろうという漠然とした思いしかなかった。
また、孫の雑念のない純粋な発言が、うらやましかった。死を畏れたり、疎んじたりする大人は、もう子供にはなれないということを改めて認識した。

そして、テレビ番組で臓器移植、脳死について考えるというので、孫の「いつ死ぬの」という発言を思い出しながら、見入った。NHKテレビ番組の「週間ニュース深読み」で脳死について考えることをテーマとした討論だ。


運転免許証の裏面の下半分に「臓器提供に関する意思表示」の欄があり可否を署名できるようになっている。


マイナンバーカードの表面下に臓器提供意思を表示する欄がある。しかし、ルーペがないと読みにくいし、署名欄も狭い。


マイナンバーカードの臓器提供意思に関する記載内容。

脳死からの「臓器移植法」が施行されてから今月で20年たった。運転免許証や保険証などの裏面に提供の意思を表示する方法などがあり、記入は自由だ。法の改正で、本人の意思表示が不明でも、家族の承諾で臓器提供が可能になり、多少は提供するケースが増えてきた。でも、世界各国と比べまだ少なく、対応の遅れも指摘されているとのこと。

ヨーロッパなどでは、法律で原則臓器提供を義務づけていて、反対する時だけ意思表示することになっている国もあるという。
しかし、番組とは異なる情報だが、それらの国でも最終的には家族が決めるので拒否することがある。ある国では家族の拒否が多く、臓器提供がされる場合の方が少ないとのことだ。

番組の中で「臓器移植法20年。あなたは意思表示できますか?」という問いに対して、視聴者からの意見が紹介されていた。

(以下はNHKホームページより抜粋)
提供したくないという意見:「身体から切り離される違和感」「たとえ死んでも体は本人のもの」「死後であっても傷つけたくない」「心肺停止しない限り死ではない」など。

もやもやしているというジャンルに入る意見。
「親からもらった体を傷つけてはいけないと言われる」「体が温かいうちに提供は難しい」「家族の誰か一人でも反対なら提供できない」「助けたい気持ちはあるけどやっぱり怖い」「冷静な判断ができそうにない」「提供の意思を話したら家族に反対された」「夫のは提供できるが、子供のは考えられない」

提供したいという意見(少なかった)。
「家族もあの世で喜ぶと思う」「最後に人のためになるようなことをして死にたい」「アメリカ」では考える授業がある」「火葬されて灰になるなら欲しい人に提供したい」「家族が誰かの中で生き続けるように感じられる」「誰かの役にたつことは残された者の救いになる」「人生最後のボランティア」

提供された人の意見。
「移植を受けました!毎日元気に過ごせるようになりました」「下さった方に感謝です」

その他。「心臓病の友人がいました。海外へ、募金集めて・・・でも、間に合わず亡くなりました。悔しいです」

視聴者の意見はどの意見も理解できる。私の中にもいろいろな立場が混在している。

妻は思い切りがよく、だいぶ前から保険証の裏面に臓器提供の意思を示している。私は孫の言葉を聞く前だったが、今年から提供の意思にサインし、個人情報保護用のシールを貼った。

自分の死よりも、自分以外の者が死ぬのが悲しいし怖いと思う。自身の死が「いつ」か、分からないが、「いつか」来るという認識が静かにかつほつほつと湧きたっているようだ。
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