標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

目立つ大企業の不正、隠ぺいは嘆かわしいわが国の体質か?

2017-10-11 19:04:56 | 日記
9月28日の衆議院解散の直後から今日までに、企業の不正やミス、それを隠していたというニュースが立て続けに流れている。


朝日新聞(2017.10.7)より
日産自動車は、納車前の新車約6万台の販売を一時停止したと発表した。国内の日産グループ全6工場で製造した21車種で、完成検査の一部を、正規の検査員以外が実施していたという。昨年、三菱自動車の燃費データ不正が発覚し、日産が三菱を傘下に入れたばかりなのに・・・。おまけにわが家のマイカーも日産車だ。情けないの一言に尽きる。


朝日新聞(2017.10.11)より
次に、神戸製鋼がことし8月末までの1年間に出荷したアルミや銅製品の一部で、各メーカーに事前に約束した強度などを満たしていないにもかかわらず、検査証明書のデータを書き換えるなどして出荷していたもの。
さらに新たに自動車や家電の部品の材料になる「鉄粉」についてもデータを改ざんして出荷した疑いがあることが社内調査でわかったとのこと。

経団連の榊原会長も10日の記者会見で、「日本の製造業にとってゆゆしき事態だ」と述べ、原因の究明と再発防止を徹底するよう求めたとのこと。

そして、今日のニュースは、青森県にある使用済み核燃料の再処理工場で、建屋に雨水が流入していた問題について、原子力規制委員会は、長年、必要な点検を行っていなかったとして保安規定に違反していると判断したとのこと。これにより本格運転の前提となる審査も当面、中断されることになり、日本原燃が目指す来年度上期の再処理工場の完成は、難しい状況となったという。
危険物を扱うのに行うべきことを怠っていたとは、怠慢でしかない。このような体質がある事業体には任すことができない。

再処理ができないのであれば、いっそのこと、即座に原発を廃炉にしたらどうだろうか?

データの不正とそれらの事案を長年隠すという体質が問われる。
これは企業にとどまらず、政治、行政にもある。国会でも森友・加計隠しと言われたのは、久しくない。というより、疑惑は現在進行形だということは忘れてはならない。

また、国会での答弁は、議員だけの問題ではない。大臣等が答弁する時、原稿を読んでいる。原稿を作っているのは、官僚強いては各省庁の役人と思われる。

これら大臣、官僚の答弁は語尾が「・・・でございます」という語尾の発言が耳につく。あたかも「丁寧」に説明しているようだが果たして真偽のほどは?

すべて真実を述べていると思いたいが・・・? 疑惑を抱かざるを得ない。たとえば、閉会中審査での審議が終わった時点で、国民の70%以上が、森友・加計学園問題について、疑惑は解消さてていないと思っている(共同通信社世論調査(9月2、3日調査)。

神戸製鋼の不正データによりつくられた部品は、車、新幹線、航空機など公共性の高いものをはじめ、ロケットや防衛装備品などに使用されているとのこと。今のところ安全性に問題は生じていないという。しかし、事故が起きていないからと、許されることではない。

日本の政治、行政、民間事業・・・いったいどこを信じ、何をもって「安全・安心」と言えるのだろうか?

今回の衆議院選挙に立候補した人たちこそ、偽りのない国民のための政治家を目指してほしいと願う。

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世界で活躍する日本のエネルギー技術を生かし原発ゼロを!

2017-10-10 18:51:10 | 日記
「体育の日」というと10月10日だと時代錯誤の思いがよぎる。朝は涼しいが、晴天で暑くなるという。
昨夜の報道ステーションで、「エネルギー問題」を考えるという特集で、世界で活躍する日本の企業が関係するプロジェクトをレポートしていた。


データは「エネルギー白書2017」を参照
2015年の発電供給量の発電源の割合は、天然ガス(44%)、石炭(32%)、水力(10%)、石油(9%)、新エネルギー(5%)、原子力(1%)となっている。ちなみに原発事故以前の2010年は原子力は29%となっていた。
 
今回の衆議院選挙でもエネルギー問題は争点の一つになっている。日本では再生可能エネルギーは高額だ。しかし、世界では、価格破壊と言われるほど格安なエネルギー事業が開発されているとのこと。それらのプロジェクトには、日本企業が関わっていて、活躍が紹介されていた。

モンゴルでの風力発電所の建設に、ソフトバンクグループのSBエナジー株式会社(社長:孫 正義氏)が関わっている。偏西風の通り道である砂漠の広大な土地に、世界最大規模の風力発電所建設にむけて事業を推進している。将来、孫氏はモンゴルで作られた電力を日本に送電したいという壮大な夢を描いている。できれば2020年の東京オリンピックには何らかのアイデアを提供したいという。

アブダビでは、丸紅が大規模太陽光発電事業に着手している。特徴は100万キロワットを超える巨大な出力と、1キロワット時あたり3円(日本は21円)を切る発電コストの安さだ。東京ドーム166個に相当する土地に太陽光パネル約300万枚を敷きつめるという事業規模が低コストを生み出しているという。

株式会社ジェイ・パワーシステムズ(JPS)は、英国とベルギーを結ぶ高圧直流送電ケーブルシステムを手がけている。

総合すると、ゴビ砂漠で生み出された安い再生可能エネルギーを海底ケーブルでアジアの送電網に繋ぎ、日本に供給するという壮大な計画だ。しかし、この計画には大きなリスクも存在する。モンゴルから電力を送電する場合、技術的には可能でも、中国やロシアを経由しなければならない。その場合、日本の電力のスイッチを中国やロシアが握ってしまうことになる。安全保障上、困難な課題だとコメントしていた。

世界のエネルギー革命を担える技術を持ち、すでに海外で活用しているにも関わらず、日本で活かせないのは口惜しい。残念ながら安心して各国との協調がなされないならば、海外活かしている技術をもってして、国内でも活用できるようにしなければならない。

「原発ゼロ」を目標とするなら、選挙公約だけの絵空事であってはならない。選挙とは別の課題として、官民を挙げて計画を立て事業の実践に邁進して欲しいと思う。
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息子の家の庭作り(私の好きなレンガ敷き作業)

2017-10-09 19:19:07 | 日記
今日は、昨日に引き続き暑い。そんな中、妻と自動車で山を下り、20分ほど走ったところにある息子の家に来ている。息子宅の庭にレンガを敷く作業を行った。家の周囲は土が露出していたので、雑草が生えていた。建築後6年経っているが、近年は草むしりが追い付かなくなり、雑草が生い茂るようになっていた。

土木業者に発注し、隣地との境に50cmの高さでブロックを設置して、除草シートを敷設してもらった。除草シートの上に砂をいれ、レンガを敷く庭造りを自作することになった。息子の嫁の発案なので、彼女と相談しながら作業をすることとした。

以前も我が家の周囲にレンガを敷いたことがあった。レンガ敷き作業は重労働だ。そのときは、すべて一人で行ったので、数週間かけてゆっくり行った。しかし、レンガは1個約2kgの重さだ。作業終了後しばらくは、指の付け根が痛かった覚えがある。

さて、作業開始だ。


このように黒い除草シートを敷いている。右の壁はコンクリートブロックを3段積の高さだ。シートの上に砂を入れる予定。


雨水桝や下水ますなどが不規則に出っ張っている。円形の周りにレンガを敷くのは悩みだ。レンガを切断するか?空いたところに砂利を摘めるか? 後で考えよう。


砂やま。しばらくは孫たちの遊び場になりそう。


手押し一輪車のことを「ネコ」と呼ぶ。語源はいくつか説があるようだ。私は次の説が大好きだ。「一輪車を収納する際に逆さに伏せたところ、その様子が猫の背中に似ているというところからきたという」。手前には30cm四方の大型ブロック。このブロックは、西側と北側に敷く予定。


敷設場所に積んだブロックでサイズは「230mm×115mm×40mm」だ。100個ほど積んである。南側にある和室の掃き出し窓の下から敷くことにした。


砂を入れたところ。


どのように敷くか、試しに並べてみたところ。


和室の前に敷いた。まだ、未完成だが、今日はこれで終了。

途中で追加のレンガ(幅230mm)を2回に分けて100個ずつ買いにホームセンターに行った。一度は嫁だけが行ったが、2度目は私と孫も同乗した。以前から買ってあったので、合計で300個。南側と東側はこのサイズを使う予定。

久しぶりのレンガ敷き。重労働だが、私はこのようなDIY作業は好きだ。汗をかき、疲れるが、作業中は作業工程のことや出来具合を近くで見る。または、後ずさりしながら遠くから眺めたり。すでに敷いたレンガとの段差などを見る。段差があれば砂を加減して調整する。不出来の場合は、すべてはがしてやり直す場合もある。

他のことは怠け者の私だが、作業に関してはやり直すことも楽しみの部類に入る。

今日は、晴れていて27度まで上がったので、暑かった。しかし、汗だくになったが、その分夕方の微風を涼しく感じた。

追伸:息子宅の庭に咲いていた、ダリアがきれいだった。

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ノーベル平和賞が意味する平和を考える

2017-10-08 19:31:56 | 日記
連日、日本人・日本に関するノーベル賞受賞で報じられている。ICANがノーベル平和賞を受賞した。喜ばしい評価だ。被爆者の強い平和への願いを評価されているといえる。でも、現実の世界を見ればこれは平和な世界への出発点に過ぎない。


10月7日付 朝日新聞より

1888年、アルフレッド・ノーベル氏の兄リュドビック氏がカンヌにて死去した。新聞がアルフレッドの死去と取り違え、「死の商人、死す」と報道。爆薬や兵器で富を築いたノーベル氏には批判の声も上がっていた。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベル氏は困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになったとのこと。ノーベル氏の遺言に従って、遺産を「過去 1年間に人類に対して最大の貢献をした者」に毎年、物理学、化学、生理学・医学、文学と平和の5分野に授与されることになった。最初の授与は1901年12月10日のノーベル氏の命日に行われた。経済学賞は後にスウェーデン国立銀行によって設けられたものとのこと。

ノーベル氏の真意はともかく、毎年この時期になると、それぞれの分野のノーベル賞が発表される。他の分野は個人が対象だが、平和賞は団体にも授与される。世界中でノーベル賞は誰が、授与されるかと話題になっている。発表前に実名を挙げて期待を込める。決定後は予想外だったなどの声が漏れる。期待が外れた場合は、次年度にまた期待が繰り越される。しかし、誰になるのかは発表当日にならないと分からない。平和賞以外の分野は、業績に対する評価となっているが、平和賞は必ずしも過去の業績だけでなく、現在の活動、理念等も対象となっているようだ。

従って平和賞は、歴史の流れ、現在の活動などに左右されそうだ。選考基準等の矛盾やブレの良否は別の機会にゆずるが、平和を推進する現在の理念を評価するのは、重要であると思う。

ノーベル氏は、晩年、心臓病が悪化した際、医師によりニトログリセリンの使用を勧められたが、拒否したという。ニトログリセリンによって人の命を奪ってしまった。それによる延命を躊躇したのかもしれないとのことだ。

私は長年次のように理解して来た。「ノーベルという人は、危険なダイナマイトを発明し、戦争に使われ多くの人命を奪っていた。この反省から平和を願って自分の財産をノーベル賞として託した」。これは小学校の頃、得た知識だ。この通りだったか、私のフィルターがそうさせたのか、定かでない。しかし、少なくとも「平和を願うという理念」と「過去の過ちを反省する」という二つは、ノーベル平和賞に限らず何人も実践すべきことではないだろうか。

私論として飛躍するかもしれないが、平和を希求するには、ノーベル氏の“反省”というキーワードが重要だと思われる。人は意図しないで過ちを犯す可能性がある。人は謙虚に“反省”し、修正する力も持っている。修正することができるので、戦争から平和に方向転換できるのではないだろうか。修正後を評価する寛容さも必要だ


わが国の憲法の前文に、次のように述べられている。
「・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、・・・(中略)・・・われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とある。

日本は、戦前の政府(明記していないが読み取れる)の行為によってもたらされた戦争を反省し惨禍を起こさないと述べている。そして、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去するとなっている。

残念ながら、現在のアメリカや日本は、単語は違うが圧迫とほぼ同義語の「圧力」を持って、北朝鮮に立ち向かおうとしている。これも憲法の趣旨に反する。憲法では圧力を地上から永遠に除去しなければなら旨が主張されている。つまり、前文や条文に述べられている国民主権、平和、幸福を求める理念は大切にしたいものだ。

ノーベル氏がどの程度平和を願っていたかは、今になっては分からない。ノーベル平和賞の意味付けは、時代の流れにそって変わるかもしれない。しかし、ぶれてならないのは、平和の希求だと思う。自国の主張を押し通すことや他国との対立でなく、平和的解決を全世界は求めているのだと思う。このような意味で、今回のノーベル平和賞は、ノーベル氏の願いだけでなく、戦後の歴史の流れを汲んで授与されたと思える。しかし、世界は未だに激動している。それ故に真摯に反省をしつつ平和を希求する理念はぶれてはならないと思う。

今こそ、時には”反省”ということを謙虚に捉え、未来志向で平和を実践する時ではないだろうか? 空論かもしれないが、アメリカ、ロシア、中国などの核保有国はもとより、北朝鮮やイランも含めて、核を開発したことを反省し核を放棄したら、ノーベル平和賞を授与するという新たなルールを設けたらどうだろうか? 
果たして各国は、賛同するだろうか? 
恒久平和とは夢なのだろうか?
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アケビの採取と果皮の味噌炒めに満足

2017-10-07 18:52:35 | 日記


息子とアケビの収穫に行った。登り坂をしばらく歩くと、谷から伸びる林のコナラに他の蔓と一緒にまとわりついたアケビの果実が、葉影から見えた。谷から7~8mほどの高さにぶら下がっている。道路からは水平よりやや高い位置だが、手で取るには距離があるので取れない。

家に戻り3mほど伸びる高枝切ばさみを持ってきた。息子は高枝切ばさみを使ったことがないというので、私が操作した。蔓を挟んでそのまま道路まで引き寄せようとした。重さ故か途中で鋏の先から外れ、谷に落ちてしまった。谷といっても谷底でなく谷に向かう緩やかな斜面だ。息子が2m半くらいの擁壁をずり落ちるように降り、アケビを手にした。

そして、息子は道路にいた私に、3個ほど実のついた蔓を投げた後、擁壁を登ろうとしたが、ブロックに足がかからず、ずれ落ちてしまう。しかたなく道路に沿って斜面を10mほど進んで道路との段差が低くなったところで、やっと道路に上がった。


これだけの労力で取れたアケビは、色は淡い薄紫で良いのだが、粒は小さい。皮が割れていないので食べるのには不向きだ。

息子は次を目指し、三叉路の一方をさらに登った。一昨年、大きな食べごろの実が取れた所に行ったが、まったく見つけられなかった。先人が採取したのだろう、下草が刈り取られた後があった。つるも採取したのかもしれない、アケビの葉や蔓も見当たらなかった。


3か所目の場所は、登ってきた道をやや下り、三叉路の別な方向に向かった。5mほど歩いたところで、また、息子が見つけた。ここは谷ではないが、下りの斜面になっている。大きな桜の木の枝をベースに様々な蔓や葉に混じっていた。高さ3mほどのところに、たわわに実をつけたアケビがあった。


申し合わせたように、私が高枝切ばさみではさみ、蔓を引き寄せた。息子はアケビが落ちてきそうなところまで下り、両手でつかむ態勢でスタンバイした。私が鋏で蔓を切った。

残念ながらキャッチしそこなった。別な低木の葉の上に載ってしまった。降りるには藪林で入れない。息子が回り道をして、斜面の下の平らな場所まで降り、私が高枝切ばさみで突いて落とすことにした。今度は守備通りにうまくいった。




大きく果皮が割れていた。白い実が見えている。色は薄い茶色で程よく熟した大きな実だった。満足した。



早速、実を食べた。トロっとした甘みを感じた。食べるというよりクリームを飲み込むような感じだ。甘さが舌や口内を周回した。処理に困るのは種だ。息子は先日作った、グリーンカーテンの支柱のそばに種を吹き飛ばしていた。


家に入るや否や妻と息子が調理した。レシピには皮も食べられるとのことだったので、スライスして油で揚げた。苦みが強く、ニガウリのようだ。苦みが取れるかもしれないと、少しゆでた後、味噌を加えフライパンで炒めた。少し苦みが残るが美味だ。さらに、先日挽いた山椒の粉を少々かけて、味わった。何と苦みが消えまろやかな味になった。採取した時の満足とは別な満足感を味わった。

今日は、アケビのお蔭で採取とみそ炒めの2度、満足できた。
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