大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

伏見稲荷大社 in 京都

2023-03-05 05:32:00 | 神社仏閣

写真ではよくみる伏見稲荷大社。凄い人でした。着物を着た女性も多く、海外の方も着物を着ていました。さすが、インスタ映えの名所ですね。

外国人も多かったですね。色んな言語が飛び交います。




伏見稲荷大社は、今まで参拝した神社と全く趣きが違う神社でした。何がちがうか、それは、日本が八百万の神々を祀る国であることを体感できる神社でした。


朱い鳥居は素敵です。

創建は秦氏。秦氏は、道教と深く繋がっているように私は思っています。また、ルーツはユダヤにもあり、道の教えをさまざまな形ある方法、例えば、巨大な磐座や木、水が湧き出るエネルギーの高い磁場が侵されないようにと朱塗りの神社の鳥居を建て守ったり、森羅万象に神を感じたのかもしれません。


縄文時代は、磐座や巨木、滝や川に神をみて祈っていたのだと思いますが、秦氏は渡来して、各地に緻密に結界をはったりしたのかもしれません。

兎に角、京都には秦氏に縁の地が多くありました。今回散策して、秦氏が基盤を築いたとさえ感じました。


重要な地は分かりやすく祀ったり、自然の薬草から身体の気の乱れにより生じる心身の不調を整えたり、また、養蚕をして機織りを伝えたり、温泉を掘って心身の疲れを癒したり、また、月や星をよんで占卜をしたのだと思います。安倍晴明の陰陽道にものちに繋がるのかもと思いました。


日本の地に、京の都に、平安な都を、神々と繋がって神人和樂の地、神国をつくろうとしたように思います。


それは、神話では出雲で代表される、大国主命とともに国造りを頑張ったスクナヒコナ神の働きに代表されるように感じます。

午前中に鞍馬山を登ったあとで、伏見稲荷の山に登りました。暫くいくと脇道に神宝神社がありました。






そちらにむかいました。こちらからも山頂にいけますが、ひとりだし、午後だったため、竹の道を少し行ったあと、今日はやめようと観光客の多いルートに引き返しました。

朱い鳥居をくぐり、中腹で一旦休憩です。沢山の人がいます。景色が綺麗です。気力で頂上を目指しました。




山の頂上は末広神社でした。

神道では、人も亡くなったあと神上がりするようですから、神々の世界の末広がりを表すのでしょうか。




華やかな雰囲気は参拝客の多さゆえでしょうか。この沢山の石に刻まれた神々の名前は誰かが何かを感じて彫ったのか、

名前が沢山あるあたり、とても人間のような感じもあり、太古のお墓を朱塗りの鳥居で結界を張ってお護りしているのかもしれないと感じる不思議な光景が連なります。朱い鳥居があるからこそ神社ですが、ここは、塚なのかもとも思う反面、白龍や金龍などの祠もあり、龍神信仰も感じました。

調べてみると、稲荷山は神々が宿る山として平安時代に「稲荷山詣で」が大人気で、清少納言の『枕草子』にも登場しています。
しかし、1467年から11年続いた応仁の乱で全て焼失してしまいます。麓にあった大社は再建されましたが、峰や山中の社は再建されませんでした。
その後、明治になってから、7ヶ所の神蹟↓が確定されて親塚が建てられました。

①荒神峰(田中社神蹟)権太夫大神、   命婦社~熊鷹社~四ツ辻を含む

②三ノ峰(下之社神蹟)白菊大神

③間ノ峰(荷田社神蹟)伊勢大神

④二ノ峰(中之社神蹟)青木大神

⑤一ノ峰(上之社神蹟)末広大神

⑥釼石(長者社神蹟)(御劔社)釼石(つるぎいし)は古くは雷石といわれたようです。

⑦御膳谷奉拝所


これら7神蹟を中心に、その後、個人や団体が自分の信仰する神や人物を祀る小さな祠や塚をつくる風習が生まれた

とのこと。。 


お墓かな、、と感じたのはあながち、間違いではなかったようです。


頂上から下り、途中異風景の像が。
近寄ってみてみると、道教の神様でした。太上老君(老子)の像もあるとは、伏見稲荷神社は本当に八百万の神々をお祀りしていますね。
老子のTAO。道の教え。無為自然。


像を作る時点で自然ではないのかも😅


沢山の朱塗りの鳥居の中に、石の古い鳥居がポツポツとあります。昔はそれだけだったのでしょうか。鳥居がないもっと昔はこの山、木々、磐座、滝が信仰の対象だったということでしょうか。




荒木大神をお祀りしていました。稲荷大神の荒御魂を祭祀しており、稲荷山に木が繁っているところから、荒木となったと説明されていました。太陽神、ニギハヤヒ(饒速日命)の父は天忍穂耳尊(=荒木臣命)。


稲荷神社は狐が御眷属です。そして、豊受大御神、伊勢の外宮の神、国常立神に縁が深いです。 

伏見稲荷大社は、後日もう一度参拝しました。その時は観光客から離れて、ひとりで神宝神社の脇道の竹の道をいきます。ほとんど誰もいませんでした。


ところで、「神宝」社は、九州の隼人と関係がある気がします。神宝神社の背後の稲荷社の鳥居の紙垂に注目します。




↑これは、
隼人のマーク↓でもあり、

隼人は、呉越同舟の呉からの渡来人説もあります。をトーテムにしていた縄文時代の渡来系の一族です。海幸彦とも言われています。神宝社の裏手にはひっそり八大龍王社もありました。

また、アイヌのマークにも似てるなと思いました。



古来縄文人は、ハレの日には赤や黒(紅と玄)を身につけていたと言われます。赤や黒であらわされるうねり、渦は魔除けなのか?縄文人の隼人にとっては大切な意味がありそうです。

まっぷる より


ところで、「神宝」社の神宝とは十種の神宝のことです。


⭐️沖津鏡

⭐️辺津鏡 

⭐️八握剣

⭐️生玉

⭐️死反玉

⭐️足玉

⭐️道反玉

⭐️蛇比礼

⭐️蜂比礼

⭐️品物比礼


これらは、物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされているようです。


古代渡来人からの神宝については、以前書いています。


後日訪れた神宝社脇道からのぼる観光客ほぼゼロの伏見稲荷山は、水の音を感じる場(滝)も多く、天気も良く、午前中だったからか、キラキラして美しかったです。


そして、頂上には饒速日命をお祀りしている神社がありました。


後日、記したいと思います。