娘が、よく私に怒ったり、口ごたえをすると、その時に思い出す言葉があります。
「自分がして来た事を、自分が親になった時、子供から同じことを受ける」という言葉です。
私は、親に反発したことも、文句を言ったこともありません。
私は、どちらかというと、勇気がなく、何事も引っ込み思案で、行動や、言葉に出すことが出来ない人間でした。つまり、うちにこもるタイプの存在でした。
なのに、今の娘からは、言葉も行動もやり込められるタイプです。
なんか、納得いかない部分があります。
私のすぐ下の妹が、今の私の娘とよく似ています。
母は、この妹が、一番成績もよく、体育も音楽も何でもよく出来る子でしたので、母の一番自慢の子でした。
しかし、この妹は、母が自慢するのもなんとも思わず、母の言うことは何も聞かず、好き勝手なことばかりしていました。
私たち、三姉妹が、それぞれ結婚してからも、この妹だけが舞鶴に住んでいましたので、母は、何か頼みたいことがあった時、地元にいるこの妹に頼むのですが、この妹が言うことを聞いてくれないのでと、私のほうへSOSを電話で言ってきたことも何度かありました。
自分が思うように生きられる人間て、幸せなのかなと思う時もありますが、私はそうは思わないし、私自身そこまで自分の思うがままにということが出来ません。
すぐ近くにいる娘からは、子供の面倒を見させられたり、自分たちの好都合になるように母を使うのに、母の頼み事はあまり聞くことは無かったようです。
そんな母を思うと、やはり親は子供のために、いつも使われるのかなと思ってしまいます。
そんな母を思い出していたら、よく母が口ずさんでいた「青い山脈」の曲を思い出しましたので、探してみました。
大正琴合奏 「青い山脈」(カバー) 音夢の会
「自分がして来た事を、自分が親になった時、子供から同じことを受ける」という言葉です。
私は、親に反発したことも、文句を言ったこともありません。
私は、どちらかというと、勇気がなく、何事も引っ込み思案で、行動や、言葉に出すことが出来ない人間でした。つまり、うちにこもるタイプの存在でした。
なのに、今の娘からは、言葉も行動もやり込められるタイプです。
なんか、納得いかない部分があります。
私のすぐ下の妹が、今の私の娘とよく似ています。
母は、この妹が、一番成績もよく、体育も音楽も何でもよく出来る子でしたので、母の一番自慢の子でした。
しかし、この妹は、母が自慢するのもなんとも思わず、母の言うことは何も聞かず、好き勝手なことばかりしていました。
私たち、三姉妹が、それぞれ結婚してからも、この妹だけが舞鶴に住んでいましたので、母は、何か頼みたいことがあった時、地元にいるこの妹に頼むのですが、この妹が言うことを聞いてくれないのでと、私のほうへSOSを電話で言ってきたことも何度かありました。
自分が思うように生きられる人間て、幸せなのかなと思う時もありますが、私はそうは思わないし、私自身そこまで自分の思うがままにということが出来ません。
すぐ近くにいる娘からは、子供の面倒を見させられたり、自分たちの好都合になるように母を使うのに、母の頼み事はあまり聞くことは無かったようです。
そんな母を思うと、やはり親は子供のために、いつも使われるのかなと思ってしまいます。
そんな母を思い出していたら、よく母が口ずさんでいた「青い山脈」の曲を思い出しましたので、探してみました。
大正琴合奏 「青い山脈」(カバー) 音夢の会
コメントありがとうございました。
グライセン様が書いて下さっていた文章の中に、いつも心の中には希望を捨てない志がありました。幸せは自分でつかむもの!諦めたらそこで終わり!
この文章が、私の心にスッと入ってきました。
この言葉を、これからの私の教訓にして残りの人生を有意義に生きていこうと思いました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございました。
たぼちゃん様も、今大変な時ですのに、まさかコメント入れて下さるなんて、棚からぼた餅でした。
感謝・感謝です。
コメント入れて下さった時間を見ると、03:30になっているのでビックリしました。
たぼちゃん様も、お疲れが出ませんように、早く休んで下さいね。
娘とのもめごとは、親子のイベントと受け止め、これからは、気にせず、おおらかに接していくように頑張ります。
ありがとうございました。
昨日のコメ、ありがとうございました。
私の経験上から書かせてもらいましたので・・・
辛いですよね・・・私もまだまだ出歩けませんから。
今日の記事を読んで感想を書かせて頂きますね。
気にさわったら、ごめんなさい。
娘さんと別居されてはいかがですか?
子供もある程度の年になったら、離れるべきだと思っています。子離れ、親離れが必要です。
困った時はSOSで良いと思います。
我が家では最悪、30歳まで家に置いてやる・・・と言って育ててきました。幸い大学1年で外へ出し、そのまま
本人は自立してゆきました。
こちらもそうですが、ちょっとやそっとで子供に頼りませんから、娘もインフルエンザで高熱を出しても頼ってきません。それで良いと思っています。
親はいつまでも生きてはいません。
親の人生は親のものです。
ある程度の社会人になってまで、つかわれる・・・という考え方はどうなのかな?と疑問を持ちました。
本当に子供のことを考えたら、親のすることは一つです。親が無くても生きていける人生を与えてあげることだと思いますよ。
里の子さんももっと自分の人生を楽しんで下さい。
これからですよ。諦めないで!
幸せは自分で選択しなければ・・・と思います。
偉そうにごめんなさいね。私とかぶる所があってね・・・
(勝手に私がそう思ったのかもしれないですが)
私は親の無償の愛を知らないから・・・
それでもまともに育ったと思う・・・
勉学が出来、親にとっては自慢の子供でした。
ですが、愛情を感じたことは一度も無かった・・・
今も時たまそれに引き戻される・・・辛いです。
差別の中で育つ・・・辛い10代でした。
家族がバラバラですべてのはけ口が私に来る・・・
利口になって生きて行くすべを小さい時から身につけさせられました。
どんなに酷い扱いされても私は今も兄弟姉の中で親の墓参りを欠かせたことは無いですし、兄弟姉とも仲良く付き合っています。(うわべだけ)ある意味マインドコントロールなのかもしれないですね。
昨年弟が旅立ち、今姉も闘病中です。一番差別された相手ですが、私にとっては姉です。支えて行きたいと思っています。どんな酷い扱いをされても血のつながりは濃いですね。比べない・・・これ大事です。
こんな私ですが、いつも心の中には希望を捨てない志がありました。幸せは自分でつかむもの!諦めたらそこで終わり!
頑張りましょう!里の子さん・・・
これからもブログ友でいてください。
娘様が親にきつく言ったりするのは、きっとどれだけ母親が自分の事を愛しているかを確認されたいのだと思いますよ。
娘様の心を里の子様の温かい心で「ギュッ」と抱きしめてあげてくださいまし。
きっと娘様は寂しいんだと思いますよ。 私が言うのも何ですが