印象に残った一枚の年賀状。
それは、小学校の3年生の時に担任だった女の先生からの年賀状です。
かなり達筆な字で書かれていますので、何回か読み直してやっと読めたと言う年賀状です。
新しき年 今年こそ良き年であります様 祈念いたします
早々にお優しい賀状ありがとう御座いました。私 腰が二つ折れになりましたが、気持ちは若く惜歳(82才)の日々を大切に生きています。
S・Sさんが定期的にお便りを下さって、文通をしています。その文中にK子(私のこと)さんとデートしたとありました。いいなあ・・・
あたたかいおつきあい、Sさんのお人柄、貴方のお人柄が偲ばれます。
友交を暖めて下さい。Sさんにいろいろ教えてもらっています。
と書かれた年賀状です。
今でも私はこのSさんのことをSちゃんと呼んでいます。
同じ村での幼馴染です。
小学校は、勿論一緒でしたが、中学・高校は私が私学へ行ったため別でしたが、高校卒業するまでよく私の家に遊びに来てくれました。
高校卒業後は、Sちゃんは静岡の大学へ行かれたので、その後3回ほど手紙をもらいましたが、それ以来音信は途絶えました。
2007年3月に舞鶴で、小学校卒業以来初めてのクラス会がありました。
田舎ですのでどの学年も1クラスしかありませんでした。
私たちの学年は44名でした。
この初めてのクラス会の時、参加者は確か26名だったと思います。
この時すでに8名の方が亡くなっておられました。
この時のクラス会で、偶然Sちゃんの隣の席になりました。
その時、お久しぶりと言う事で名刺交換して、それ以来、月に1回くらいメール
のやり取りはしています。
昨年Sちゃんが、夫婦で京都観光に来られ、一日目は夫婦で京都の観光地を巡り、二日目は奥さんが大学時代の友達と会われる事になっているので、私に会えないかと京都に来られる前の晩に電話があり、
主人にOKを貰って、「いいよ」と返事して会う事になりました。
Sちゃんたちが宿泊されていたホテルに10時くらいにお迎えに行き、そのホテルのすぐ近くのホテルの喫茶へ行って、Sちゃんの奥さんと私が紹介されて、三人でコーヒー
を飲んでから、奥さんは友達のところへ向かわれました。
私はSちゃんを車に乗せて、「何処へ行きたい?」と聞けば、
「昨日、何処へ行っても、人人それに車の渋滞でうんざりしたので、人も車も混まなくて、ゆっくり話が出来るところがいいな」と言う事でした。
それで市の中心部へ向かえば、観光シーズンは何処も混むから、逆を向いて山科、伏見など、私がよく通っているところで教室に通っている会館の場所を教えたり、伏見では次第にわが家に近づいて、ここは有名なお寺の歓修寺(かじゅうじ)やでと案内しました。
このあたりの地名は、歓修寺(かんしゅうじ)やけど、お寺そのものは、
かじゅうじと言う事になっていることやこの境内に氷室の池があり、お正月の2日にこの池にはった氷を宮中に献上したことから氷室の池と言われているなどの説明をしました。
又、この池にシラサギかなんかの鳥の巣があると言う事で、よくわが家のベランダから見える川にそれらしき鳥が来るよと言う事も言いました。
そして今私たちが住んでいるところや、以前住んでいたところなどを案内して、「お昼は何を食べたい?」と聞けば、
「中華とイタリアン以外やったら何でもいいよ」との返事。
それなら近鉄の中にある名店街で、和食を食べる事にしました。
駐車場も無料で留めておく時間も制限はないし、そこでもいいですかと聞いて、決定。
ゆっくり食事に時間をかけて、一杯お話が出来ました。
でもあまり長い時間お店にいるのは気がひけましたので出ました。
そして、買い物などに来た人が、ちょっと休憩するような感じに、テーブルや椅子が置いてある広場へ移り、又そこで休憩する事にしました。
この時Sちゃんが、ソフトクリームを買って来てくれましたので、又それを食べながら話し込んでいました。
いい年したおじさんとおばさんが、ソフトクリームを食べながら話し込んでいる姿は、見る人にはどんな風に写ったでしょうか?
4時に奥さんと京都駅で待ち合わせと言う事でしたので、3時10分位に近鉄を出て京都駅へ送りました。
こうして多少の後ろめたさやときめきもあったデートは終わりました。