里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

今日はし・あ・わ・せ

2012年01月27日 | 日々のつぶやき
今日は、嬉しい頂き物3点


その1


手作りのチーズケーキを頂きました。




チーズの味がよく効いていて、なめらかなしっとりとした美味しいケーキでした。

夕食後にコーヒーと共に家族みんなで美味しく頂きました。


その2

これも手作りで、フェルトで作られた、今年の干支のタツノオトシゴです。



家の鍵につけました。


その3

節分用の豆



これは毎年湯豆腐のお店“順正”から節分が近づくと送って下さいます。

順正さんが自家製の豆腐を作る豆を、節分用の豆にされて、節分のいわれを書いたお手紙に包んで、封筒に入れて送って下さいます。


今日頂いた3点は、それぞれの手作りで、作って下さった方の心の温かさを身にしみて感じます。

嬉しく、感謝!感謝!です。

久しぶりの教室

2012年01月24日 | 日々のつぶやき
今年になって初めての、個人のお宅でのパソコン教室に行きました。

今朝は寒く、雪は降らなくて良かったですが、行く途中の桃山御陵参道のところで、通った時間は、車の時計で9時15分に3℃の表示でした。

ガレージから車を出す時は、フロントガラスに、雪のような霜が凍りついていて、大変でした。


いつものお宅に飾られていたものです。

  

   

あと一枚沢山実をつけた千両が花瓶に挿してあったのを写しましたが、サイズ変更などをしている時に、誤って消してしまいました。


12時20分頃までパソコンの学習をして、あとはみんなが楽しみにしているお食事とおしゃべりタイムです。

  

       
     
美味しく頂いたお食事とデザートです。


今年から、一番みんなの雰囲気を盛りたてて下さる頼りになる人が、ご主人の病状が思わしくなく、参加出来なくなられて寂しくなりました。

この方の分も残った5人で頑張ります。

そしてみんなの様子をメールでお知らせしてあげます。


天は二物を与えず・・・?

2012年01月23日 | 日々のつぶやき
天は二物を与えずという言葉を聞きますが、美男・美女で、頭はよく、技術優れ、健康、家族、経済等など・・何もかも恵まれている人たちは、この世の中にいっぱいおられます。

このような人が多い中、何重にも人生の重荷を背負わされている人たちも多くおられるのも事実です。

今日届いた一通の寒中見舞いの葉書から

舞鶴で勤めていた同じ職場の先輩からの葉書です。  

今年はお正月に年賀状がなく、何かあったのかなと気になっていた人からでした。

細かい活字で書かれた文面からの抜粋です。


肺がんで入院していた妹の容態が日ごとに悪くなり、去る12月20日より枚方病院で付き添っておりました。

一年前に手術をしてから抗がん剤治療を受けていたものの あちこちに転移して思うように回復せず、12月の初めに三度目の入院をしてから肺炎・脳梗塞・肺血症にもなり病気に勝てず28日に永眠いたしましたので 新年のご挨拶を失礼させていただきました。

私が一番必要としていた たった一人の妹でしたから大きな支えを失い深い悲しみをどうする事も出来ません。

けれど人知症の夫や重い障害を持つ娘のためにも頑張らねばと思いますので今後共よろしくお願い申し上げます。



同じ職場で働いていた頃から、この先輩は、いつも穏やかで、優しい、誰にも怒ったりされたことはない、とてもいい人でした。

その頃から、ボケられたお姑さんと、障害のある娘さんのお世話が大変だと聞いておりました。

そんな事情があったため、この方はパート勤務のようで、他の人より毎日勤務は短かい時間でした。

ずっと長い年月、苦労の連続で気の毒です。


神様は、どうして同じ人ばかりに次から次へと人生の重荷を課せられるのでしょうか?

          

二物よりもいっぱい、いいことに恵まれている人たちとは、反対の人もいっぱいいる事を心にとめて下さいと願わずにはおられない気持ちになります。


新春の集い

2012年01月22日 | 日々のつぶやき
今日は、洛Pcクラブの新春のつどいに参加しました。

いつも教室に行っている会館で待ち合わせて、友達に車に乗せて行って貰いました。

京都駅近くのルネサンスビルの地下1Fのパーティールームでのつどいでした。

美味しいご馳走を頂きながら、参加者一人一人が、現況や、今年の抱負を述べました。




最初は、飲み物にあうようなおつまみのようなメニューが出されました。




続いて、お弁当とみそ汁が出ました。




最後にコーヒーがついていました。


1時から始まって、3時少し過ぎに終わりました。


みんなで記念撮影をして終わりました。

その後、別のところへコーヒーを飲みにとかカラオケに行きませんかという事でしたが、私たちは、もう二次会には行かず、帰って来ました。

楽しく有意義な集いでした。

料理も美味しき頂きました。

大震災

2012年01月17日 | 日々のつぶやき
東日本大震災から10カ月、そして阪神大震災から17年が経ちました。

17年前の記憶が鮮明に蘇って来ます。 

17年前の1月17日の午前3時ごろ、熟睡してなくて、うつらうつらしていた時、「カタン」と何か大きな音がしたように感じ、その時とっさに何だろうと窓の方を見ると、レースのカーテンともう一枚のカーテンを通して赤い閃光のような光を見ました。

ますます何か不気味さを感じ、寝られなくなりました。

しかし、未だ起きるのには早すぎると、お布団の中でゴロゴロしていました。

5時40分ごろ、かつて経験したことのない、大きな揺れを感じ、物が落ちる音がして怖くなり、頭からお布団をかぶり、息をひそめていました。

揺れがおさまり、起きて見ると、押入れの上の天窓の小さなふすまが落ちていたり、パソコン台の上の段にのせていたプリンターが落ちていたり、冷蔵庫や電子レンジが前進していました。

あの時、京都は震度5弱でした。

東日本大震災は、阪神大震災より、もっともっと大きな地震で、しかも地震だけでなく、津波、原発事故が加わり、想像を絶する被害になってしまいました。      

まだまだ傷が癒えぬまま、完全復興に向けて頑張っておられると思います。

寒さも厳しい中、お体を大切にいたわりながら、少しづつ前進して下さい。

今年こそは、このような大きな災害が起こらない、佳き年になりますようにと祈っています。

とても無理

2012年01月16日 | 日々のつぶやき
今日の新聞で、センター入試の問題と答えを見ました。

今の私には、とてもとても正解は出ません。

もう問題を読むことさえ、「こんなの読んでも解らんわ」と考える気も起らないのが殆んどでした。

やはりなんでも続けていなければ、忘れますし、ひらめきも、応用力も、何もかも衰えてダメになってしまっています。


問題や、解答が出ていた紙面を無力感で見て、さらに新聞のページをめくって行くと、ある塾の広告のページが目に止まりました。

自分の夢まで、自己採点しないでください。

そしてその下に

センター試験が、終わりました。

受験生の皆さん、お疲れさまでした。今は少しでも、ゆっくり休んでください。

本当なら、そう声をかけてあげたいところです。

しかし、まだしばらくの間、出願、二次試験と息の抜けない日々が続いていきますね。

決断を迫られるとき。考えることもあるでしょう。悩むこともあるでしょう。

そんなとき、どうか忘れないでいてください。

今日という日は、明日の、そして未来の自分に向って、

だいじな一歩目を踏み出すためにあるということを。

○○塾は、信じています。あなたの、夢へと進もうとする力を。



広告とは言え、なかなかいい文だなと思いながら読みました。

現役の皆さん、どうかもうしばらくの間、じっくり自分を見つめ、苦悩の度重ねが続くかもしれませんが、自分の明るい未来を信じて一歩・一歩踏み出して下さい。

受験シーズン

2012年01月14日 | 日々のつぶやき
今日と明日センター入試ですね。

受験生の皆さん、頑張って下さい。 

テレビの画面で、大勢の受験生の皆さんを見て、大変だけど、羨ましいなと言う思いで見ていました。



私も中学生の時から、父に大学へ行くように言われ、そのつもりで高校の時は、進学コースで理数系を目指して頑張っていました。

私には、文系は全く向いていませんでしたし、嫌いでした。

はっきりと手ごたえのある答えや結果が出る科目でないとやる気がしませんでした。

国語などは、いつも成績が悪く、学期末に通知簿を貰う時などに、担任の先生から、「どうして国語がこんなに悪いのですか?宿題をやって来ないとか、提出物を出さなければならないのを出していないとかがあるのと違いますか?」と、よく説教されました。

そんな事は決してなかったのですが、何故か国語系は嫌いでしたし、試験も確かに悪い点数しかとれませんでした。

数学はその反対で、予習も復習も全くしないけど、好きだったし、試験の点もそこそこ取れました。

私にとっては、楽して点数稼げる科目だったのです。

高校の時は、よく旺文社の模擬試験があり、その時、時々全国で100番以内に入り、数学を受け持って下さっていた先生が喜んで下さった。

父も喜んでくれました。

父は、試験があるたび、「今日の試験は出来たか?」と聞き、またテストなどを返して貰った時は、「何点だった?とか、何番だった?」と良く聴きました。

とにかく父は、私に「勉強しなさい、大学へは必ず行くんだよ」と、口酸っぱく言っていました。

私自身も父の勧めや期待には答えたいと絶えず思っていました。

しかし・・・

その父が、私が高校2年の10月に、脳溢血で突然倒れ、倒れてからわずか5時間で息を引き取りました。

それ以来、私の大学進学は、あきらめざるを得なくなりました。

母は、働いていませんでしたし、父も定年退職ではなく、途中での退職状態ですので、退職金も多くはありませんでした。

もし、母が無理して私を大学へ行かせてくれたとしたら、私の下に二人の妹がいましたので、その妹たちも私と同じように大学へ行かせなければならなくなりますから、私は到底無理と解りましたので、父の期待に添う事は出来なくなりますが、やはりあきらめました。

父が亡くなった直後に、高校の校長であったシスターと、副校長のシスターが、わが家に来て下さり、「特待生として、今後の授業料は免除しますので、退学しないでどうか卒業までは来て下さい。又大学も奨学金制度で入るように」と言われました。

しかし、私は、高校卒業までは、シスターの言葉に甘えさせて貰って通学はしましたが、大学進学はやはりあきらめました。

私の気持ちとして、奨学金で行くのは、気が進みませんでした。

今でもそうですが、何事もローンを組むのが嫌です。

もし、途中で何か払えない状態になったらどうしようと思うと、どうも奨学金を受けることや、ローンを組む勇気が出ません。

そんな訳で大学進学への夢は消えました。

でも、決して我が人生で、夢をあきらめねばならなかったことを恨んだり、悔しがったりはしていません。

その時、その時の現実を受け止めて、自分が一番いいだろうと思う判断で生きて来ました。

これからもそのように残った人生を生きて行くつもりです。

どうか受験生の皆さん、出来る時に力を出しきって頑張って下さい。 

合格をお祈り申し上げます。



久しぶりの音

2012年01月10日 | 日々のつぶやき
先月21日にお琴教室を最後に明日の教室まで、3週間のお休みがありました。

明日のお琴教室に備えて、今日久しぶりにお琴を出して明日から取り組む曲を弾いてみました。

弾くまではお正月の間、邪魔になるからと仕舞い込んでいたお琴を出すのがめんどくさくて、そろそろ練習しておかなくてはと思いながら、とうとう今日になって重い腰を上げたと言う状態です。

学校時代の試験前日の一夜漬けみたいな感じです。

ついに義務感みたいに今日やっと練習してみましたが、やはり弾いてみると、何となく落ち着きました。

やはりいいなぁという気持ちも少し湧いて来ました。

久しぶりに自分で弾いた音に、あぁもう少し弾いてみようと、最初予定した時間より多めに練習出来ました。

New Year 筝・三弦 Salon Concert

2012年01月09日 | 日々のつぶやき
昨日、御所の近くのザ・パレス サイド ホテル2Fで行われた、お琴のK先生の社中による新年のお弾き初め演奏会に行きました。

どの曲もとてもいい演奏でした。

その中から中学生が出演されている曲、2曲を録画して来ました。

ホテルの大広間で、舞台は高くなっておらず、お客さんと同じ高さのため、客席の3列目にいた私は、前2列のお客様の隙間からしか撮れず、演奏者の手がはっきり写っていませんので、音だけお聞き下さい。

春の姿


この曲は、Ⅰ筝を中学生4人で、そしてⅡ筝を大人2人で合奏されています。


祭花二番


この曲も、上記の中学生4人でⅠ筝を、大人3人でⅡ筝を、そして十七弦も大人1人とそれに胡弓も大人1人の計9人で演奏され、華やかで迫力ある曲でした。

普段尺八で演奏されるパートを胡弓で演奏されました。

新春にふさわしい、いい演奏会でした。


年賀状・・・3

2012年01月08日 | 日々のつぶやき
印象に残った一枚の年賀状。

それは、小学校の3年生の時に担任だった女の先生からの年賀状です。

かなり達筆な字で書かれていますので、何回か読み直してやっと読めたと言う年賀状です。


新しき年 今年こそ良き年であります様 祈念いたします

早々にお優しい賀状ありがとう御座いました。私 腰が二つ折れになりましたが、気持ちは若く惜歳(82才)の日々を大切に生きています。

S・Sさんが定期的にお便りを下さって、文通をしています。その文中にK子(私のこと)さんとデートしたとありました。いいなあ・・・

あたたかいおつきあい、Sさんのお人柄、貴方のお人柄が偲ばれます。

友交を暖めて下さい。Sさんにいろいろ教えてもらっています。



と書かれた年賀状です。

今でも私はこのSさんのことをSちゃんと呼んでいます。

同じ村での幼馴染です。

小学校は、勿論一緒でしたが、中学・高校は私が私学へ行ったため別でしたが、高校卒業するまでよく私の家に遊びに来てくれました。

高校卒業後は、Sちゃんは静岡の大学へ行かれたので、その後3回ほど手紙をもらいましたが、それ以来音信は途絶えました。

2007年3月に舞鶴で、小学校卒業以来初めてのクラス会がありました。

田舎ですのでどの学年も1クラスしかありませんでした。

私たちの学年は44名でした。

この初めてのクラス会の時、参加者は確か26名だったと思います。

この時すでに8名の方が亡くなっておられました。

この時のクラス会で、偶然Sちゃんの隣の席になりました。

その時、お久しぶりと言う事で名刺交換して、それ以来、月に1回くらいメールのやり取りはしています。

昨年Sちゃんが、夫婦で京都観光に来られ、一日目は夫婦で京都の観光地を巡り、二日目は奥さんが大学時代の友達と会われる事になっているので、私に会えないかと京都に来られる前の晩に電話があり、
主人にOKを貰って、「いいよ」と返事して会う事になりました。

Sちゃんたちが宿泊されていたホテルに10時くらいにお迎えに行き、そのホテルのすぐ近くのホテルの喫茶へ行って、Sちゃんの奥さんと私が紹介されて、三人でコーヒーを飲んでから、奥さんは友達のところへ向かわれました。

私はSちゃんを車に乗せて、「何処へ行きたい?」と聞けば、

「昨日、何処へ行っても、人人それに車の渋滞でうんざりしたので、人も車も混まなくて、ゆっくり話が出来るところがいいな」と言う事でした。

それで市の中心部へ向かえば、観光シーズンは何処も混むから、逆を向いて山科、伏見など、私がよく通っているところで教室に通っている会館の場所を教えたり、伏見では次第にわが家に近づいて、ここは有名なお寺の歓修寺(かじゅうじ)やでと案内しました。

このあたりの地名は、歓修寺(かんしゅうじ)やけど、お寺そのものは、かじゅうじと言う事になっていることやこの境内に氷室の池があり、お正月の2日にこの池にはった氷を宮中に献上したことから氷室の池と言われているなどの説明をしました。

又、この池にシラサギかなんかの鳥の巣があると言う事で、よくわが家のベランダから見える川にそれらしき鳥が来るよと言う事も言いました。

そして今私たちが住んでいるところや、以前住んでいたところなどを案内して、「お昼は何を食べたい?」と聞けば、

「中華とイタリアン以外やったら何でもいいよ」との返事。

それなら近鉄の中にある名店街で、和食を食べる事にしました。

駐車場も無料で留めておく時間も制限はないし、そこでもいいですかと聞いて、決定。

ゆっくり食事に時間をかけて、一杯お話が出来ました。

でもあまり長い時間お店にいるのは気がひけましたので出ました。

そして、買い物などに来た人が、ちょっと休憩するような感じに、テーブルや椅子が置いてある広場へ移り、又そこで休憩する事にしました。

この時Sちゃんが、ソフトクリームを買って来てくれましたので、又それを食べながら話し込んでいました。

いい年したおじさんとおばさんが、ソフトクリームを食べながら話し込んでいる姿は、見る人にはどんな風に写ったでしょうか?

4時に奥さんと京都駅で待ち合わせと言う事でしたので、3時10分位に近鉄を出て京都駅へ送りました。

こうして多少の後ろめたさやときめきもあったデートは終わりました。