先日母の三回忌法要も終わり、ちょっと一段落したと言うところです。
母の遺産分割で3姉妹がもめた事など、もう過去の事で、何事もなかったように月日は過ぎ去ろうとしている。
一つの区切りである三回忌法要も終わり、来年の7月に母がかねてから掛けていた年払いで積み立て式満期受け取り型の火災保険の満期が30年と言う時を終了して他の姉妹を騙した妹が受け取る事になる。
村やお寺の付き合いは自分がするからとか、後継者になるからとか、家の管理はするからとか言って、皆には隠していた財産を含めると私ともう一人の妹に分け与えてくれた8倍以上の遺産を自分の物にした妹。
その妹が、私には未だ直接何も言って来ないが、実家の本家のお嫁さんや、一部の人たちには「お寺の付き合いがしんどいとか、家をいつまでも空き家のままで置いておくのは良くないし、姉ちゃん達が住んでくれたらいいのにとか、姉ちゃんとこには男の子が二人いるからどちらかがあの家を継いでくれたらいいのに」等と言っているのが私の耳に入って来ました。
私は又か。と思いました。取るものだけとったら、今度は母が倒れてから今まで約5年間空き家になっていた家は、古い上に誰も住んでいない家の老朽化は激しく、あのままではかなりあちこち直さなければ家としての価値はない。空き家のままずっと置いておくのも近所の人には不気味な存在ではないでしょうか?
私たちの家族が、あの家を継いで欲しいと言われても、皆それぞれに仕事やかかっている病院など、いろんな都合や条件で、今からあの山奥の田舎に住むことは到底無理なことです。
妹はもう今になったらあの家にお金を掛けて管理することも(実際には約束を守らず、何も管理していませんでした)、取り壊すのにお金を掛けることも逃れたい爲こちらに押し付けようと考えているのだと思います。
母が亡くなってから時々思うことは、私の上に兄がいたと言う事です。私が生まれた時にはすでにいませんでしたので、勿論顔などは知りませんが、親から聞いたのかどうかも定かではありませんが、いさむちゃんとか、おさむちゃんと言う名前だったように記憶に残っています。
クリーム色というかアイボリーというような色の布団で、♪まさかりかついだ金太郎 熊にまたがりお馬の稽古♪と言う歌の歌詞どおりの男の子用の紺色の絵柄のついたベビー布団があった事は今でもはっきりと覚えています。
その兄がいてくれたら、もしかしたら家を継いでいてくれたかも知れないし、家を継いでいなかったとしても、今いる3姉妹に対して、喧嘩することのないように、皆が納得する方法でビシッとしきってくれたのではと思えてならない・・・
母の遺産分割で3姉妹がもめた事など、もう過去の事で、何事もなかったように月日は過ぎ去ろうとしている。
一つの区切りである三回忌法要も終わり、来年の7月に母がかねてから掛けていた年払いで積み立て式満期受け取り型の火災保険の満期が30年と言う時を終了して他の姉妹を騙した妹が受け取る事になる。
村やお寺の付き合いは自分がするからとか、後継者になるからとか、家の管理はするからとか言って、皆には隠していた財産を含めると私ともう一人の妹に分け与えてくれた8倍以上の遺産を自分の物にした妹。
その妹が、私には未だ直接何も言って来ないが、実家の本家のお嫁さんや、一部の人たちには「お寺の付き合いがしんどいとか、家をいつまでも空き家のままで置いておくのは良くないし、姉ちゃん達が住んでくれたらいいのにとか、姉ちゃんとこには男の子が二人いるからどちらかがあの家を継いでくれたらいいのに」等と言っているのが私の耳に入って来ました。
私は又か。と思いました。取るものだけとったら、今度は母が倒れてから今まで約5年間空き家になっていた家は、古い上に誰も住んでいない家の老朽化は激しく、あのままではかなりあちこち直さなければ家としての価値はない。空き家のままずっと置いておくのも近所の人には不気味な存在ではないでしょうか?
私たちの家族が、あの家を継いで欲しいと言われても、皆それぞれに仕事やかかっている病院など、いろんな都合や条件で、今からあの山奥の田舎に住むことは到底無理なことです。
妹はもう今になったらあの家にお金を掛けて管理することも(実際には約束を守らず、何も管理していませんでした)、取り壊すのにお金を掛けることも逃れたい爲こちらに押し付けようと考えているのだと思います。
母が亡くなってから時々思うことは、私の上に兄がいたと言う事です。私が生まれた時にはすでにいませんでしたので、勿論顔などは知りませんが、親から聞いたのかどうかも定かではありませんが、いさむちゃんとか、おさむちゃんと言う名前だったように記憶に残っています。
クリーム色というかアイボリーというような色の布団で、♪まさかりかついだ金太郎 熊にまたがりお馬の稽古♪と言う歌の歌詞どおりの男の子用の紺色の絵柄のついたベビー布団があった事は今でもはっきりと覚えています。
その兄がいてくれたら、もしかしたら家を継いでいてくれたかも知れないし、家を継いでいなかったとしても、今いる3姉妹に対して、喧嘩することのないように、皆が納得する方法でビシッとしきってくれたのではと思えてならない・・・