里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

兄が生きていてくれたら

2008年05月31日 | 日々のつぶやき
先日母の三回忌法要も終わり、ちょっと一段落したと言うところです。

母の遺産分割で3姉妹がもめた事など、もう過去の事で、何事もなかったように月日は過ぎ去ろうとしている。

一つの区切りである三回忌法要も終わり、来年の7月に母がかねてから掛けていた年払いで積み立て式満期受け取り型の火災保険の満期が30年と言う時を終了して他の姉妹を騙した妹が受け取る事になる。

村やお寺の付き合いは自分がするからとか、後継者になるからとか、家の管理はするからとか言って、皆には隠していた財産を含めると私ともう一人の妹に分け与えてくれた8倍以上の遺産を自分の物にした妹。

その妹が、私には未だ直接何も言って来ないが、実家の本家のお嫁さんや、一部の人たちには「お寺の付き合いがしんどいとか、家をいつまでも空き家のままで置いておくのは良くないし、姉ちゃん達が住んでくれたらいいのにとか、姉ちゃんとこには男の子が二人いるからどちらかがあの家を継いでくれたらいいのに」等と言っているのが私の耳に入って来ました。

私は又か。と思いました。取るものだけとったら、今度は母が倒れてから今まで約5年間空き家になっていた家は、古い上に誰も住んでいない家の老朽化は激しく、あのままではかなりあちこち直さなければ家としての価値はない。空き家のままずっと置いておくのも近所の人には不気味な存在ではないでしょうか?

私たちの家族が、あの家を継いで欲しいと言われても、皆それぞれに仕事やかかっている病院など、いろんな都合や条件で、今からあの山奥の田舎に住むことは到底無理なことです。

妹はもう今になったらあの家にお金を掛けて管理することも(実際には約束を守らず、何も管理していませんでした)、取り壊すのにお金を掛けることも逃れたい爲こちらに押し付けようと考えているのだと思います。

母が亡くなってから時々思うことは、私の上に兄がいたと言う事です。私が生まれた時にはすでにいませんでしたので、勿論顔などは知りませんが、親から聞いたのかどうかも定かではありませんが、いさむちゃんとか、おさむちゃんと言う名前だったように記憶に残っています。

クリーム色というかアイボリーというような色の布団で、♪まさかりかついだ金太郎 熊にまたがりお馬の稽古♪と言う歌の歌詞どおりの男の子用の紺色の絵柄のついたベビー布団があった事は今でもはっきりと覚えています。

その兄がいてくれたら、もしかしたら家を継いでいてくれたかも知れないし、家を継いでいなかったとしても、今いる3姉妹に対して、喧嘩することのないように、皆が納得する方法でビシッとしきってくれたのではと思えてならない・・・

三回忌法要ー3

2008年05月26日 | 日々のつぶやき
お経は、昨年の一周忌の時よりは長く唱えて下さっていました。そしてその後にお坊さんが母の在りし日の思い出話をして下さり、奥様が参加している私たち皆にお茶を入れて下さった。

それからお墓へお参りして、一旦皆実家により、着替えをする者は着替え、赤ちゃんにミルクを飲ませる者、それぞれに思い思いの事をして、12時半に食事の予約がしてある舞鶴グランドホテルへ向かいました。

このホテルは、昨夜宿泊したプラザホテル舞鶴と目と鼻の先にあり、どちらのホテルからもそれぞれのホテルが見えます。

皆食べる事と飲む事、そしてそれぞれ好き勝手な事や自慢話のような事ばかりしゃべっていて、昨年同様誰一人母のことを口にする者はいませんでした。

2時半にお開きにして、西舞鶴の駅から電車で帰る者、車で来た者はすぐ自宅へ帰る者もいましたが、未だ時間も早いし、お天気も良いのでと思い思いのところへ散って行きました。

私たちは丹後由良へ車を走らせました。


丹後由良海岸です。


KBS京都(京都テレビ)に良く出てくる由良川鉄橋の景色です。もっとこの鉄橋の近くではっきりとこの由良川鉄橋を写したかったのですが、場所が取れなくて残念でした。


安寿と厨子王伝説のロマン街道の案内板です。


森鴎外の「山椒太夫」で有名な安寿姫と厨子王丸の悲しい物語。
筑紫の国に流された父を尋ねて、母と共に越後を旅立った姉弟「安寿と厨子王」。旅の途中、人買いにとられ母は佐渡へ、姉弟は丹後由良の山椒太夫の所へと売られた。
姉は命と引き換えに弟を逃がし、都に出た厨子王は丹後の国守となり悪人を成敗し盲目となった母と再会したという。
山椒太夫伝説の里「丹後由良」にはこの伝説に因んだ遺跡が点在しています。

舞鶴に引き返し、西舞鶴の象徴である田辺城へ。




田辺城の正門です。5月の下旬にまいづる田辺城祭りがありますので、そのためののぼり(旗)がずらっと立ち並んでいました。
城下町の歴史と文化にスポットを当てた祭りで、武者行列、芸屋台、伝統芸能などが繰り広げられます。
田辺城は細川、京極、牧野氏の居城となっていました。しかしこのお城も明治の時代に廃城とされ、本丸付近は現在舞鶴公園となっています。「舞鶴」の地名は、田辺城の別称「舞鶴城」に由来しています。

三回忌法要ー2

2008年05月25日 | 日々のつぶやき
泊まったホテルの朝の食事は・・・ 宿泊予約を取るとき、朝食付きとなっていましたので、ついホテルの朝食と言えば、バイキングと思い込んでしまい、期待していました。

ところが、チェックインした時、受付で朝食は「コーヒー、お茶、おにぎり、サンドイッチになっています。6時半からお渡しすることが出来ますので、ロビーで食べて貰うか、お部屋で食べて頂いてもいいですし、お持ち帰りして頂いてもいいですよ」と言われました。

朝の7時に主人が下のフロントへ朝食を貰いに行き、部屋へ持って帰って来ました。スーパーで貰うようなナイロン袋の小さいのに、一人分づつ中身がセットされて入っていました。

おにぎり1個、サンドイッチ1個、缶コーヒー1本、同じく缶入りのお茶1本、それにお手拭ようの紙ナプキンが入っていました。

ちょっと期待はずれでしたが、このホテルはビジネスホテルだから仕方がないですね。

部屋で食べて、8時10分頃にチェックアウトして、法要の時間は11時からでしたので、時間は未だたっぷりあるし、お天気も最高にいい天気でしたので、東舞鶴までドライブして、舞鶴商工観光センターの1Fにある喫茶店に入りました。

ビジネスホテルの部屋で、生ぬるい缶コーヒーを飲みましたので、もう一度本格的なコーヒーが飲みたくなって入りました。ここでホッと一息つきましたので、外に出て、目の前の東舞鶴の海岸をカメラに収めようと思いました。


見にくいですが、前方に白い橋がかかっています。この橋は、この近くにある舞鶴工業高等専門学校の建設システム工学科の設計と聞いております。

又この橋の左のほうに写したつもりが入っていませんでしたが、新日本海フェリーの発着場があります。舞鶴小樽間を約26時間で就航しています。以前は西舞鶴の埠頭にこのフェリーの発着場がありましたが、数年前から東舞鶴に変りました。


太公望たちがのどかに釣り糸をたれている光景があちこちに見受けられました。

10時40分くらいに実家に着き、黒い服に着替えてお寺へ行きました。お寺では、私たちの前に法要をされている団体さんが未だ終わっておられませんでしたが、間もなく終わり、入れ替えに私たちが本堂に入りました。

お坊さんがお経をあげて下さるまでに10分ほど時間がありましたので、見えていた隣の部屋の掛け軸に書かれていたことを読んでいたら、いいことが書いてありましたのでメモして来ました。

生活信条

◆一日一度は静かに座って身(からだ)と呼吸と心を調えましょう
◆人間の尊さにめざめ自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
◆生かされている自分を感謝し報恩の行(ぎょう)を積みましょう
                       大本山妙心寺
と書かれていました。

この村のお寺は京都の妙心寺派の臨済宗です。

この続きは又後ほどという事にします。


三回忌法要

2008年05月23日 | 日々のつぶやき
17日の土曜日に4時半に家を出て、母の三回忌法要のため舞鶴へ行きました。家を出て約1時間で高速道路の京都縦貫道へ入りました。


走る車の中から窓越しに写した京都縦貫道


夕陽がまぶしかったです。

高速を下りてから和知の道の駅「和(なごみ)」で少し休憩をしました。


カメラを構えた途端、運よく特急「あさしお」が通りました。

ここから約1時間で宿泊予定の西舞鶴にあるプラザホテル舞鶴に着きました。

このプラザホテル舞鶴は、数年前オープン寸前で、姉歯事件が発覚して、しばらくそのままの状態でしたが、最近やっとオープンしました。

実家も西舞鶴ですが、母が亡くなってからは誰も住んでいませんので、山奥の田舎ですし、夜になるとあたりは真っ暗になり、今住んでいるところは住宅密集地で、コンビニやガソリンスタンドなど近辺に数多くあり、24時間どこかに灯りがついていて眠らない町と言った環境に慣れてしまったせいか、母がいる時は勿論実家に泊まりましたが、誰もいなくなった家に泊まる勇気がなくなりました。それでホテルに泊まることにしました。

(続きは又後日書くことにします)

虫の知らせ?

2008年05月16日 | 日々のつぶやき
2年前の5月18日、それまで髪が伸びて早くカットに行きたいなぁと思っていましたが、なかなか時間とお小遣いが同時にある時がなく、うっとうしいなぁと思いつつ我慢していました。

とうとう早く切りたくて、今日切らなくては又ず~っと先にならないと切りに行く時がないような気がして、午後は教室があるので、とりあえず午前中に無理して美容院にカットに行きました。

その日の夜、手の爪切りをしました。子供の頃、親に「夜爪を切ると、親の死に目に会えないからやめとき」とよく言われていました。

大人になってからはそんな言葉は忘れていたかのようにお構いなしに夜に爪切りをしていました。ところが、2年前の5月18日の夜に爪を切っている時、「夜爪を切ると親の死に目に会えないよ」と言う言葉がよみがえって来ました。

翌日の朝9時過ぎた頃、実家の近くにいる妹の家から電話があり「さっき母が亡くなった」と言って来た。

昨夜、夜爪を切っている時、子供の頃に聞きなれた「夜爪を切ると親の死に目に会えないよ」との言葉を思い出したのに・・・結局切り終えてしまった。

前の日にどうしても髪を切りに行かなければ又当分行くことが出来なくなると感じた事や、夜爪を切った時に親に言われた言葉を思い出した事など、後から思えば虫の知らせだったのかなと思いました。

怖い

2008年05月15日 | 日々のつぶやき
ミャンマーのサイクロン、中国の地震、日本各地の殺人事件など、最近暗いニュースが多すぎる感じです。

災害のニュースを見聞きする度に、規模が大きくなって来ている。人間が地球をもっと大切に優しくしないと、次第に災害が大きな牙をむいて襲い掛かって来るのでは・・・ あまりにも人間のかってさが地球をいじめ続けているのでは・・・

これらの災害がわが身に降りかかって来た事を想像したら、怖くてたまらなくなりました。

一昨日夜遅く12時近くにお風呂に入っていたら、地響きがするような大きな雷と共に土砂降りの雨の音も聞こえ出しました。

その雷が怖くてあわててお風呂から出て来ました。又3日前には娘が、自分の部屋で「テレビを見ていたら、テレビはついたままなのに急に電気が消えた。」と言って蒼ざめた顔をして私たちがいる部屋に来ました。

「電気の寿命と違うか」と私が言うと、娘は「暮れに買いかえたばかりやし、消えた電気をつけて見たらちゃんとついたし、寿命ではない」との事。

娘の言葉を聞いた時、つまらない想像かも知れませんが、18日に母の3回忌法要を実家のお寺でして貰う事になっているので、母が何か伝えたくてサインを出したのかなと思いました。

2年前、母が亡くなる1ヶ月前くらいから娘の部屋のエアコンをつけて5~10分位するとブレーカーが落ちるので、関西電力に連絡して漏電していないか見てもらいました。

漏電はしていないし、エアコンそのものにも今は異常はないと言われました。あえて言うならエアコンが古いようなことを言われました。

漏電はないと言われたすぐ後で、今度は私たちの部屋のエアコンも異常なサインを出すようになりました。こちらは未だ買いかえて3年ほどのエアコンですが、これもつけてから10分ほどすると、メッセージを出す画面が、真っ赤な画面になり、取扱店に連絡して下さいと出て、自然にエアコンが切れてしまうようになりました。

結局、私たちの部屋のエアコンは内蔵されているガスが漏れていたらしく、それを新しいのに取り替えて貰い、娘の部屋のは新しいエアコンに買い換えました。

それでも娘はエアコンの異常はなくなった後も、寝るのに電気を消すと、天井に猫と人間の影が出ると言って怖がっていました。怖いから電気を消したら天井を見ないようにお布団をかぶって寝るんやとも言っていた。

そんなことを言い出して1週間位してから、所沢にいる妹から「りりちゃんが死んだ」と言って来た。

りりちゃんとは、母が飼っていた猫のことです。母が倒れてから妹がリリを預かって面倒を見てくれていました。リリが亡くなったのを見届けたかのように母もその一週間後にこの世に別れを告げました。

娘が天井に猫と人間の影が出ると言っていたのはりりちゃんと母が別れを告げに来ていたサインだったのかなと後で思いました。

ここ2~3日私は自然災害、事件、異常に雷におびえたこと、娘の言ったことや、電気関係のことなど、怖くてこれらのことが頭の中で堂々巡りして、寝るときに怖い怖いと思いながら眠りについたら、朝の5時ごろにうなされていたらしく、主人が大きな声で「オイ、オ~イ、どうしたんや、大丈夫か?」という声で目が覚めビックリしました。

多分夢を見ていたように思うのですが、どんな夢を見ていたのかは全く覚えていません。

殺人事件

2008年05月09日 | 日々のつぶやき
テレビや新聞で、私の出身地で女子高生が殺されていたと報道されました。

実家からは10キロ以上離れたところでの出来事ですが、一応○○市と言うことには変りありません。

いいニュースであれば、自分の育った土地のことが報道されるのは嬉しいですが、やはりこんなニュースは残念に思います。

松尾大社と山吹

2008年05月05日 | 日々のつぶやき
カメラを持って松尾大社へ山吹の花を写しに行かれた友人が、メールで送って下さった。

「使って貰っていいよ」と言って下さったので、私の好みのを数枚使わせて貰いました。


松尾大社・本殿


八重咲を中心に約3000株が群生しています。


燈籠と山吹


満開の山吹


新緑の葉を背に咲いた花は、黄金色に輝き、鮮やかでひときわ人目を引きます。


花の匂いはバラ科特有の高貴な香りがし、その優雅な姿と共に、つけられた花言葉は崇高、気高いとされている。


山吹はバラ科の低木で、桜が散る晩春に開花を迎えます。


日本と中国に原生分布。今でも旧家の庭にはよく山吹を見かけます。
かっては枝の中心部分を占める隋が行灯・灯心に利用されるなど重宝な植物であったそうです。


現在「一重」「八重」「菊咲」の三種類があり、八重咲きタイプが観賞用に好まれている。


「七重八重 花は咲けども山吹の実のひとつだに なきぞかなしき」
兼明親王 後拾遺和歌集
山道の一軒家に雨宿りを願った武将の太田道潅(おおたどうかん)に貸す蓑(みの)すらない、その家の女性は八重山吹を差し出して短歌を詠んだ。
八重山吹は実をつけないことから、”みのひとつだになき”をかけている。

山吹「ヤマブキ」は山の谷間で枝が風に揺れ動く様から「山振」と呼ばれたのが『万葉集』に記されたのが語源と言われています。






子供たちに

2008年05月01日 | 日々のつぶやき
ゴールデンウィーク中ですが、我が家の子供たちは、カレンダー通りに祝日でない日は出勤しています。

静岡の掛川に赴任している二男も4月27日の夜帰って来て、ゴールデンウィーク中の休みで無い日は、京都の本社に出勤しています。

世間では休みでない日に有給を取って、連休にしている人が多い中、我が家の3人の子供たちは、カレンダーどおり仕事に行っていますので、何か手作りおやつでも作ってあげようと思い、又我流の簡単なお菓子を作ることにしました。

特に、めったに帰って来ない二男に食べさせたくて作る気になりました。以前、二男が家に帰って来た時、アップルパイを作ったら「兄ちゃんたちは何時もこんなのを食べているんか」と、ボソッと言った言葉が私の心の中に残っていましたので・・・

ホットケーキミックス200グラム、卵1個、牛乳大さじ5杯、砂糖50グラム、小袋入り甘納豆4袋、バター60グラムを溶かして、これらの材料を全部混ぜ合わす。



ターンテーブルにオーブンペーパーを敷いて、薄くバターを塗り、混ぜ合わせた材料を流す。



180度で30分焼きました。



いつもは4人ですので、8個に切り分けるのは簡単ですが、今日は5人分ですので、10個に切るのが難しく、12個に切り分けました。子供たちには3個づつ、主人に2個、私が1個にしました。



前に作った時、レーズンを入れて作りましたが、レーズンを嫌がった子がいましたので、今日は甘納豆を入れました。

帰ってきた子供が「いい匂いやなぁ、何か作ったん」と言いました。食べた時、又別の子が「グー おいしい」 (ああ良かった)