里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

原因が解りません

2008年06月30日 | 日々のつぶやき
位牌の記事で、改行した行の次に1行空けたところが何故か行が空いておらず、もう一度記事一覧から改行した後に空き行があるか確かめてみました。

空き行になっているのに、投稿した画面では、ほんの一部分だけ気まぐれに空き行が入っているだけです。

読みにくい記事になってしまい残念です。

位牌

2008年06月30日 | 日々のつぶやき

昨日舞鶴の実家の所属するお寺に、以前から相談していた父母の位牌を作ってもらうために、住職さんに午前10時の予約でしたので、朝6時半に家を出て行って来ました。

 あいにく朝から雨でしたが、天気予報によれば昨日は全国的に雨模様でしたので、京都や舞鶴だけが天気が悪いのではなさそうでしたから、まあ仕方がないことと思いながら行って来ました。

 実家には母が2年前に亡くなったときに、先祖の位牌として、その中に父と母の戒名も刻まれた位牌を貰っていますが、現在実家は空き家になっており、誰もいないところに位牌を置いておくのも良くないと思いますので、それは近くの妹の家に持って行って貰っています。

 我が家では、母が亡くなって間もなくの頃に、母から貰ったお金で、仏壇を買いましたが、位牌はなく、写真をおいて花を供え、朝晩の供え物をして、ろうそく、線香を灯したりはしていました。でも位牌がないのが物足りませんでしたので、もう一つ別に位牌を作って頂けるかどうかを相談していました。

 住職さんから「可能ですが、説明して守って頂かなければならないことがありますので、一度お越し願えますか」と言う事でした。

住職さんの都合のいい日と時間をお聞きして、昨日の約束を頂いて、行って来ました。 お話によると、分家された方、又遠くに行かれた方などで、年とともになかなかお寺やお墓参りに来られない人たちが、自分たちの家で位牌を守りたいと言う例が増えてきています。皆さんの心の問題ですので、ありがたいことであり、否定することはありません。

 この住職さんのお父さん〈勿論住職さんでした〉も昨年亡くなられたのですが、このお寺にも祭っていますが、叔父や叔母のところにも位牌を作って守って貰っています。と話して下さいました。

 ただ守って頂きたいことは、次の3つの中から、もし私たち夫婦が亡くなった場合、今回作っていただく父母の位牌を、私たちの次の代、つまり息子に、私たちが生きている間にどの方法をとるのか決めてそれを必ず守って貰いたいと言う事でした。

 ① 私たちが亡き後もずっとこの位牌を守っていくこと。

 ② 私が亡くなった時、お棺の中に一緒に持っていくこと。

 ③ 位牌をお寺にかえすこと。

 この3つの中でどれを選ぶのか、相談の上決めて、その決めたことを息子が実行してくれることが条件でした。

息子は、母が亡くなった時から「私に遺産なんか貰わなくてもいい、お金は人から貰うものと違う、自分たちで稼ぐものや、おばあちゃんちの位牌だけ貰えばいいやん」と言ってくれていました。「おばあちゃんから貰ったお金はおばあちゃんのために使いや」とも言っていました。

 それで仏壇だけは、主人が近くの近鉄で探してくれて、注文して来てくれましたので、早くに気に入ったのを買うことが出来ました。

 主人は二男ですので、こちらの先祖様のお守りはお兄さんの家でして下さっていますので、仏壇や、仏様が我が家で喧嘩するということはないと思います。

 息子が私たちが亡き後もずっと位牌は守ってくれると言うことになっています。 それで昨日住職さんに、父母の戒名と、亡くなった日を書いてもらい、その紙を持って、お寺の指定の仏壇やさんに位牌の注文に行きました。

 仏壇やさんに行って、好みの位牌を選んで、それにこの紙に書いた文字を入れてもらって下さいと言われました。

 好みの位牌を選ぶというのは、位牌の大きさ、形、色、デザイン、それに値段などを決めて、好みに合うのを決めて下さいと言う事でした。 数ある中から一つ決めて、それに文字を入れてもらい、それがだいたい7月の10日頃にできますので、それをお寺さんに納品させて貰います。納品しましたら、私の家に、お寺に納品しましたという電話を入れますと言って下さいました。

 お寺に納品されましたら、今度はお寺さんからこちらに電話下さる事になっており、住職さんと我が家の都合のいい日を決めて、お寺にもう一度行って位牌に魂を入れて貰い、それをこちらに持って帰り、やっと我が家の仏壇に納まって貰うことになります。

 仏壇そのものにもやはり、お経をあげて貰わなければならないそうなので、それは、住職さんが京都、大阪、名古屋などへ時々行かれるそうで、京都へ行った時、時間のゆとりがある時に我が家に来て下さることになりました。

 ずっと気になっていた事が、間もなく落着くことになりそうで、やっと肩の荷をおろす事が出来そうです。

 昨日家を出てから夕方帰るまでの間に、1188と言うナンバーの車によく出会いました。

私は何の意味もないようなことをよく思いついたり考えたりする癖があります。

 この1188と言う数字を、いい母と読んだり、いいパパと、このナンバーを見るたびに読んでいました。

 帰りに高速道路をもうすぐおり、京都市内に入るという所で、後ろから追い越して私たちの前に着いた車のナンバーを見たとき、思わず、「あっ、又1188や」と言ってしまいました。

 そして、私は主人に「母が、お父さん〈わたしの主人〉の事を、今日お寺まで来てくれてありがとう、そして私に主人のことをいいパパやと言っているんだわ」と、主人に対して母とわたしの感謝の気持ちを伝えました。

 自分勝手なこじつけに過ぎませんが、何か父母の位牌を作って貰いに行くのにふさわしい数字だと思い、内心何となく喜んでおりました。


断水

2008年06月26日 | 日々のつぶやき
昨日私の団地で、午前9時から午後5時まで断水しました。

この団地は、築30年を越えましたので、団地内給水管〈共用〉修繕工事に伴い床下横引き主管及びパイプシャフト内給水管取替えのための断水でした。

朝9時までに洗濯や朝食後の洗い物などは済ませましたが、昼食後の洗い物は、やはり水道の蛇口からの流れる水でないと、汲み置きしておいた水ではどうも洗いにくく、何となく気持ちがすっきりしませんので、夕方水が出るようになってから洗うことにして、汲み置きの水につけて置いておきました。

一番不便に感じたのは、トイレの水でした。仕事に出かける者は、当然9時になるまでに済ませて出かけてしまっていますので影響はありませんが、私はいつもの教室は午後1時半からですので、出かけるのは12時半から1時の間です。

9時前にトイレを使っておいて、後は教室に行ってからそこでトイレに行こうと思っていたのですが、いつもなら何も断水とか言うような制限がなければ、特別トイレに行きたくはならないのですが、不便だからなるべく行かないほうがいいと思うと、やはり行っとかないと落着かなく、前の晩のお風呂の残り湯をバケツに汲んで、トイレのタンクに入れて使用しなければなりませんでした。

水が出ないだけでも、こんなに不便を感じたり、精神的に落着かなかったりしますのに、地震などの災害で、水だけでなく、電気、ガスなどのライフラインが全部止まってしまったらどんなに大変なことだろうと、頭では解っていたつもりでも、実際に身に浸みて事の大変さを実感しました。

ねこ

2008年06月22日 | 日々のつぶやき
6月7日〈土〉の夕方、主人が帰って来たら「団地の入り口近くにガムテープで封をした段ボール箱があり、中から子猫の泣き声がしている。誰かがあんな所に猫を捨てたのだろうか、それともいたずらで猫が箱に閉じ込められているのだろうか」と、えらい気にして帰って来た。

それから10分後くらいに長男が帰って来て、我が家に入る階段の下まで来て「子猫がついて来て足にまとわりついて困るので、まり〈我が家の猫〉の餌を持って来て」と電話して来ました。

手のひらに乗るような生まれて間もない小さな猫でした。未だ小さいのでまりのレトルトパックに入った猫の餌の水分だけをなめるように食べ、餌や水を与えても一向にその猫は、離れず、離れた所に置いて急いで帰って来てもついて来ます。

息子が、大阪にある犬・猫の保護団体施設を知っていると言う友人に電話して、そこで預かってもらえないか聞いて貰ったが、あまりにも小さすぎる猫で、人手が足りないから無理と言われたそうです。

困り果てた長男が、とりあえず家につれて帰り、まりを病院へ連れて行くときに使うケースに入れて、時々ケースから出して相手してやったりしていました。

まりは高齢の上、心臓、腎臓、乳腺腫瘍の病気を持っているので、なるべくまりに接触させないように気をつけて、結局土曜・日曜の2晩我が家で預かりました。
(まりがやきもちをやいたり、何らかの精神的な打撃を受けて寿命がちじまると困りますので・・・〉

預かっている間、家族全員で、それぞれが何とか猫を飼ってくれそうな人のところへ、電話作戦を試みましたが、みなそれぞれ何らかの事情で飼ってもらえるところは見つかりませんでした。

月曜の朝、もう一度長男が、今度は直接自分で土曜日に友達を通して聞いて貰った大阪の犬・猫の保護団体施設へ電話したところ、預かって頂ける事になり、大喜びで、仕事は休み、早速この猫を近くの動物病院へ連れて行って「里親に出しますので猫エイズや白血病等がないか調べて下さい」と頼み、検査して貰いました。

幸い何も病気はなく、診断結果と猫、それに施設から2万円をお願いしたいと言われたそうで、息子は2万円では申し訳ないからとだいぶ奮発し、タオルや猫の餌なども買って、午後にその施設まで届けに行きました。

この施設は大阪と言っても随分山の中で、対向車が来たらすれ違うことは出来ず、どちらかが2~3キロバックしなければならないような所にあるそうです。

犬・猫の泣き声や匂いなどの関係で、やはり民家の近くではダメなのでこんな山奥にあるのでしょう。

この施設では、目が見えないとか、事故などで手や足のない犬や猫は天寿を全うするまで面倒を見て、検査の結果何の病気もない犬・猫は虚勢手術や避妊手術をしてから里親を募り、引き取りたいとの申し出があったところには、結構厳しい審査をされてから、特に奥さんの審査が厳しいらしいです。と言うのはご主人や子供さんが飼うと言われても最終的には奥様が面倒を見る事になるからだそうです。この家なら最後まで面倒を見てもらえると言うところへ里親に出されるそうです。




とても人なつっこく、愛嬌たっぷりの猫でした。

近くの動物病院へ検査に連れて行った時も、施設に預けに行った時も「この猫だったらすぐ里親が見つかりますわ」と言われたそうですが、本当にそうであればいいなと願っておりました。

先週の金曜日に施設から息子に連絡が入り、里親が見つかったと言うこと。何と九州の福岡の家庭に引き取って貰えるそうです。

でも未だすぐではなく、この猫の体重が1キロになっていないので、1キロを超えてから虚勢手術をして、それから引渡しと言う事になるのだそうです。

どう言うふうにネットで紹介して貰ったのかは解りませんが、何と福岡まで行く事になったのかと、嬉しさは勿論ですが、2晩我が家にいて、かわいいなと言う感じを持った猫であるため未練があり、寂しさや別れの悲しさも感じ少しウルルと来ました。

どうかこの猫をこれから面倒を見て下さるご家族の方たちは、この猫から何か心にプラスになるものを感じ取って頂きたいと思いますし、猫も楽しく充実した日々を送り、長生きして欲しいと願っています。




ガス漏れ警報器

2008年06月17日 | 日々のつぶやき
数日前からガス漏れ警報器ピコピコが、昼となく夜となく、ガスを使っている時も、使っていない時も、時々緑色のランプと黄色のランプが、交互に点滅を始めます。

5分以内に緑のランプだけに戻る時もあるのですが、緑と黄色の点滅が始まると、3時間くらい続くこともあり、寝る前にこの点滅が始まると、気になって眠れません。

大阪ガスに電話しようと思いながら、もし電話して見に来て貰った時には点滅していなかったらどうしようと思うと、なかなか電話する決心がつかず、それでも毎日、1日に何回かは点滅するので、気持ちが悪く、落着きませんので、今日思い切って、午前11時少し前に電話しました。

電話したときは、点滅していましたので「今、緑と黄色のランプが交互に点滅していますので、見に来て下さいませんか」と頼みました。

「ガス器具の元栓を全部止めて置いて下さい」と言って、11時半くらいに2人来て下さった。

使っているガスコンロ、お風呂や湯沸かし器等の給湯器関係、すべてガス漏れなし、不完全燃焼もなし、それでは近辺の漏れが入って来ているかどうか調べますと言われ、我が家の中、そして外へ出られて、近くにガス漏れがないか、点検されましたが、それもないと言う事でした。

見に来て頂いた時は、私が気にしていたように点滅はおさまっていたのですが、「度々点滅するんです」と言いましたら「音楽がなりますか?」「いいえ」、「それではガスが漏れていませんか?とか空気が汚れています。換気して下さいとか窓を開けて下さい、等としゃべりますか?」「いいえ、何もしゃべりません」

するとガス会社の方は、「ガス漏れ警報器の誤作動ですわ、今年の12月がこの機器の更新になっていますが、今新しいのと取り替えておきますので、又12月に更新して下さい」と言って、新しいのと取り替えて下さった。

「これで様子見てもらって、未だ点滅するようでしたら、夜中でも24時間待機していますので、連絡して下さい」と言われました。

取り替えて貰ってからは、緑のランプがついているだけで、黄色との交互の点滅はなくなりました。

今晩から安心して眠れます。こんな事ならもっと早く連絡すれば良かったと思います。

八橋検校(やつはしけんぎょう)

2008年06月15日 | 日々のつぶやき
去る6月12日は筝曲八橋流の創始者八橋検校が京都で72歳の生涯を終えた日にあたります。

検校は1614年、福島県いわき市に生まれ、1636年に京都に移り住み、作曲の日々を送りました。

検校は筝曲「六段の調べ」「八段の調べ」「みだれ」等の現在にも伝えられている名曲を作曲しました。

1685年6月12日に72歳の生涯を終え、京都の黒谷の墓地に葬られました。

祇園の茶店の主人が、八橋検校の遺徳を偲んで、琴の形に仕立てた堅焼き煎餅を「八ツ橋」と名付け、売り出したところ、それが大流行したと伝えられています。

京名物の八ツ橋は、筝曲八橋流の創始者八橋検校に由来しています。

1805年、初代津田佐兵衛さんもまた検校を偲び、八ツ橋を世に広めるべく井筒八ツ橋本舗を創業されました。

井筒八ツ橋本舗では、昭和24年以来、毎年検校の命日である6月12日を感謝の日として「八ツ橋祭り」を挙行されております。

金戒光明寺〈こんかいこうみょうじ〉の山門で、雨天の場合は本堂で検校の曲がお琴で演奏されます。

井筒八ツ橋本舗は、2005年に創業200年を迎えられたのを記念し、お客様へのご愛顧の感謝として、井筒八ツ橋の由来を知って頂くために、検校の代表曲「六段の調べ」「八段の調べ」「みだれ」を琴の演奏でCDを制作されました。

このCDの曲を演奏されている先生からCDと、そして6月12日の金戒光明寺での演奏の案内を頂きました。

しかし残念な事に、この日はあいにく2つの教室にサポートに入る事になっていましたので、行くことが出来ませんでした。

折角CDや演奏会の案内を頂きましたので、せめて少しでもお琴をたしなむ者として、先祖の供養と言うような気持ちで、この記事を書かせて頂きました。


CDジャケットの表


CDジャケットの裏

しそジュース

2008年06月08日 | 日々のつぶやき
今年も今日から我が家のしそジュース作りが始まりました。

赤しそが出るようになったら毎年しそジュースを作っています。主人がしそジュースと柿があるときは肝臓の調子がいいといいますので、6月になると作るのが恒例になりました。

主人の体内にはC型肝炎ウイルスが20年ほど前から主人と共存していますので、そのウイルスを暴れさせないために、主人が肝臓にいいというものは、出来る限り作るように心がけています。

昨年買い物に行って初めてしその葉を見かけたのが6月2日でしたので、そ日から6月末までに10回作りました。

今年は昨年より1週間ほど遅く、今日初めて見かけましたので今日から6月の終わりまで2~3日に1回づつ作ります。


赤しその葉1袋(約300グラム)、三温糖500グラム、クエン酸小さじ4杯、水2リットルで作りました。

作り方は、いろいろ書いてあり、しその葉300グラムに対して、砂糖やクエン酸、水の量が、書いてあるものによって微妙に量が違っていますが、我が家の味として毎年定着しています。

水2リットルを沸騰させて、洗って水を切ったしその葉を入れ、もう一度沸騰したら火を止め、しその葉を引き上げてこし、砂糖を入れて、もう一度火にかけて砂糖を煮とかす。火を止めクエン酸を入れれば出来上がりです。

冷めてから、空容器に入れて冷蔵庫へ。


2リットルと、200ccくらい余分に出来ました。

2,3日おきに今月の終わりまで(しその葉が売っている間)これを作って、当分冷蔵庫の中は、しそジュースに占領されます。

家族のものはそれぞれ、このジュースを水または炭酸水で割って飲みますが、私は牛乳で割って飲みます。

10回ほど作りますが、だいたい8月の終わりか9月の初め頃に飲み終わります。

和服

2008年06月06日 | 日々のつぶやき
先日(5月30日)にいつも行っている教室のある会館から、春のレクリェーションとして、各教室から希望者を募り、抽選でバスに乗れる人数に絞り、大阪の天満天神繁昌亭へ落語を聞きに行きました。

1時から4時までの3時間落語を聴きました。途中15分の小休憩を挟んでプログラムは10番までありました。

4番目は落語ではなく、若い、華やかな女性2人による津軽三味線の演奏でした。とても力強く、迫力のある演奏で、途中何度も拍手が入りました。

8番目の方も落語ではなく、口やおでこに傘を乗せ、その傘の上にいろんな物を乗せて回す芸を披露されました。

そのほかの方は落語で、話の題材は兄弟、親子、夫婦など家族が主流でした。この日の落語家は、テレビ等でお名前やお顔を知っている人は1人しかおられませんでしたが、みんなとても上手で笑って・笑ってお腹が変になりそうでした。

笑いの中にも涙・涙と言う話もありました。

一緒に行っていた人の中には「笑いすぎて顔にしわが残りそう」なんて言っている人もいました。

最初3時間も落語とは長いなぁと思っていましたが、あっという間の3時間でした。

会場に来られていた人の中に和服姿の人がかなり目に止まりました。落語家が和服で舞台に上がられますので、合わせて和服で来られているのかなと思いました。

小休憩のとき、アナウンスがあり「ご来場ありがとうございますで始まって、お着物でご来場のお客様には後ほど大入り袋を進呈させて頂きます」と案内があり、あぁなるほどと思いました。

京都では、何処のタクシー会社だったか名前は覚えていないのですが、和服のお客様がタクシーに乗られると、料金の割引があるそうです。

これらは、廃れ行く伝統を守り、ずっと受け継いで行くための企画なのではと思います。

ランチ

2008年06月03日 | 日々のつぶやき
昨日教室の友達3人でランチに行きました。

雨降りでしたので、傘なしで車の乗り降りが出来るところがいいねと言う事で、ホテルのレストランヘ行く事にしました。

以前この3人のメンバーで行った事のある京都ホテルオークラへ行く事になりました。

ホテルの駐車場の入り口付近まで着いたとき、駐車場へ入るための車が道路まで並んでいました。

月曜日だし、雨も降っているし、何故こんなにいっぱいなのだろうと思いました。
係りの人が、並んでいる車1台1台に声をかけに来られ、「30分ほど待って頂く事になりますがよろしいですか?」と聞かれました。

待つのがいやと思った車は何処か別のところへ行きましたが、私たちは並んで待つことにしました。30分待ったとして丁度12時だからまぁいいねと言う事で気長に少しづつ進んで行きました。

やっと駐車場に入る順番が来て「地下3階へどうぞ」と言われ入って行きました。
地下3階でゆっくりとぐるぐる回って見ても空いた所が見つからない。区画外の進行する通路にも車が何台も止めてある。

本当に空いている所があるのかなぁと思いながら、回り続けて、やっと1台空いている所が見つかりました。そこへ入れるのに片方に柱があり、入れようとしている区画の両サイドは外車、区画の前の通路には車が止めてあるし、入れにくくて緊張の一瞬でした。
何度も何度も小刻みに切り返し、やっと入りました。

この3人のメンバーは皆少食タイプなので、ボリュームのあるのやこってり味の料理は避けて今日は和食に決め、地下2階の和食のお店に入りました。

昨年の秋にこのメンバーで、同じくこのホテルに行った時は17階の見晴らしの良いバイキングのお店に入りましたが、昨日は地下2階ですので外は見えません。

和食は薄味で量も少ないことを期待していましたが、味は濃くなくて良かったのですが、量が期待に反してかなり沢山ありました。

食べ切れなくて、どうしても残る品があり、3人できつい言葉が出て来ました。
「手をつけずに残すと船場吉兆みたいに、又他のお客様に出されると困るので、一応どれも箸をつけて少しでも食べておこうね」

そんな訳でどの種類もみんな手をつけて、全部または少しいただいて来ました。