空き行になっているのに、投稿した画面では、ほんの一部分だけ気まぐれに空き行が入っているだけです。
読みにくい記事になってしまい残念です。
昨日舞鶴の実家の所属するお寺に、以前から相談していた父母の位牌を作ってもらうために、住職さんに午前10時の予約でしたので、朝6時半に家を出て行って来ました。
あいにく朝から雨でしたが、天気予報によれば昨日は全国的に雨模様でしたので、京都や舞鶴だけが天気が悪いのではなさそうでしたから、まあ仕方がないことと思いながら行って来ました。
実家には母が2年前に亡くなったときに、先祖の位牌として、その中に父と母の戒名も刻まれた位牌を貰っていますが、現在実家は空き家になっており、誰もいないところに位牌を置いておくのも良くないと思いますので、それは近くの妹の家に持って行って貰っています。
我が家では、母が亡くなって間もなくの頃に、母から貰ったお金で、仏壇を買いましたが、位牌はなく、写真をおいて花を供え、朝晩の供え物をして、ろうそく、線香を灯したりはしていました。でも位牌がないのが物足りませんでしたので、もう一つ別に位牌を作って頂けるかどうかを相談していました。
住職さんから「可能ですが、説明して守って頂かなければならないことがありますので、一度お越し願えますか」と言う事でした。
住職さんの都合のいい日と時間をお聞きして、昨日の約束を頂いて、行って来ました。 お話によると、分家された方、又遠くに行かれた方などで、年とともになかなかお寺やお墓参りに来られない人たちが、自分たちの家で位牌を守りたいと言う例が増えてきています。皆さんの心の問題ですので、ありがたいことであり、否定することはありません。
この住職さんのお父さん〈勿論住職さんでした〉も昨年亡くなられたのですが、このお寺にも祭っていますが、叔父や叔母のところにも位牌を作って守って貰っています。と話して下さいました。
ただ守って頂きたいことは、次の3つの中から、もし私たち夫婦が亡くなった場合、今回作っていただく父母の位牌を、私たちの次の代、つまり息子に、私たちが生きている間にどの方法をとるのか決めてそれを必ず守って貰いたいと言う事でした。
① 私たちが亡き後もずっとこの位牌を守っていくこと。
② 私が亡くなった時、お棺の中に一緒に持っていくこと。
③ 位牌をお寺にかえすこと。
この3つの中でどれを選ぶのか、相談の上決めて、その決めたことを息子が実行してくれることが条件でした。
息子は、母が亡くなった時から「私に遺産なんか貰わなくてもいい、お金は人から貰うものと違う、自分たちで稼ぐものや、おばあちゃんちの位牌だけ貰えばいいやん」と言ってくれていました。「おばあちゃんから貰ったお金はおばあちゃんのために使いや」とも言っていました。
それで仏壇だけは、主人が近くの近鉄で探してくれて、注文して来てくれましたので、早くに気に入ったのを買うことが出来ました。
主人は二男ですので、こちらの先祖様のお守りはお兄さんの家でして下さっていますので、仏壇や、仏様が我が家で喧嘩するということはないと思います。
息子が私たちが亡き後もずっと位牌は守ってくれると言うことになっています。 それで昨日住職さんに、父母の戒名と、亡くなった日を書いてもらい、その紙を持って、お寺の指定の仏壇やさんに位牌の注文に行きました。
仏壇やさんに行って、好みの位牌を選んで、それにこの紙に書いた文字を入れてもらって下さいと言われました。
好みの位牌を選ぶというのは、位牌の大きさ、形、色、デザイン、それに値段などを決めて、好みに合うのを決めて下さいと言う事でした。 数ある中から一つ決めて、それに文字を入れてもらい、それがだいたい7月の10日頃にできますので、それをお寺さんに納品させて貰います。納品しましたら、私の家に、お寺に納品しましたという電話を入れますと言って下さいました。
お寺に納品されましたら、今度はお寺さんからこちらに電話下さる事になっており、住職さんと我が家の都合のいい日を決めて、お寺にもう一度行って位牌に魂を入れて貰い、それをこちらに持って帰り、やっと我が家の仏壇に納まって貰うことになります。
仏壇そのものにもやはり、お経をあげて貰わなければならないそうなので、それは、住職さんが京都、大阪、名古屋などへ時々行かれるそうで、京都へ行った時、時間のゆとりがある時に我が家に来て下さることになりました。
ずっと気になっていた事が、間もなく落着くことになりそうで、やっと肩の荷をおろす事が出来そうです。
昨日家を出てから夕方帰るまでの間に、1188と言うナンバーの車によく出会いました。
私は何の意味もないようなことをよく思いついたり考えたりする癖があります。
この1188と言う数字を、いい母と読んだり、いいパパと、このナンバーを見るたびに読んでいました。
帰りに高速道路をもうすぐおり、京都市内に入るという所で、後ろから追い越して私たちの前に着いた車のナンバーを見たとき、思わず、「あっ、又1188や」と言ってしまいました。
そして、私は主人に「母が、お父さん〈わたしの主人〉の事を、今日お寺まで来てくれてありがとう、そして私に主人のことをいいパパやと言っているんだわ」と、主人に対して母とわたしの感謝の気持ちを伝えました。
自分勝手なこじつけに過ぎませんが、何か父母の位牌を作って貰いに行くのにふさわしい数字だと思い、内心何となく喜んでおりました。