今日、お墓参りに行った帰りに、買い物に行きました。
そのスーパーで、2人の子供を連れたお母さんが、2,3歳の男の子が、泣きながら、お母さんの後を追って来て、お母さんの手をひっぱりながら泣いていました。
お母さんが、「○○は、男の子やろ、泣かないの」と、やや、ヒステリックに言われた。
小さいほうの女の子は、バギーに乗せられて、お母さんが押していました。
上の男の子は、何か自分の要求を聞いて貰えなかったのか、あるいは、下の子にお母さんをとられて、寂しいのか、やきもち的な気持ちで、自分にも、もっと眼を向けて欲しいと言う感じで、泣いていたように見えました。
このお母さんが、「男の子やろ、泣かないの」といった言葉が、私の耳に聞こえた時、つい最近の“市民新聞”か“府民だより”の、2月号か3月号の、人権シリーズで、「男の子は泣いちゃだめ?」と言う記事があった事を思い出しました。
それには、「男の子は泣いちゃだめ」という言葉を、多くの人が、無意識のうちに言っています。
「女の子なのに泣いちゃだめ」とは、誰も言いません。
それは、男の子は、こうあるべきだと言う期待が、男の子に向けられているからです。
だから、男の子は、赤ちゃんの時から「男の子なのに泣いちゃだめ」と言って育てられるようです。
男は、弱みを見せてはならない。又、男は、自分の感情を表に出してはならない。と言うような、男らしさの縛りを受けているのです。
このように、性別による“らしさ”を、家庭や学校など、さまざまなところで作り上げていくようです。
男子は、強く・たくましく、女子は、おしゃれで・優しいと言うような考え方が、一般的なイメージのようです。
しかし、今は、男女平等と言われる中で、今まで抑圧されてきた女性の権利や、暴力の被害者として見られがちですが、男性も、男らしさと言う縛りの中で無理をしている被害者ではないのか。
感情を抑えなければならない時は、誰にでもありますが、男性だって、嬉しい時、悔しい時、悲しい時、泣いたり、弱音を吐いたりしてもいいのでは。
男らしくではなく、自然に、自分らしくを表に出してもいいと言うような記事だったように記憶しています。
今日、お母さんに叱られて泣いていた幼い男の子も、男の子に生まれた事に縛られないで、自然に自分らしく、のびのびと育ってほしいと思いました。
男性の泣かれた涙を見た時は、特に後ろ姿の首筋には、見た者に、哀れと言うか、悲しみの涙を誘う何かがありました。
結婚前に、会社の裏庭で、お昼休みに、しゃがんで泣いていた若い男性を見つけた時、思わず、「どうしたの?」と声をかけました。
泣きながら、返ってきた返事は、「何年か付き合っていた彼女に振られた」と言う事でした。
私が、15年前に骨折して入院していた時、我が家の上の階のおばあさんが、私と同じ時に、同じ病院に入院されていて、「今日・明日が山や」とドクターから言われたと、40代の息子さんが、私の病室へ来られて、「親父が、死ぬ時は、こんなに悲しいとは思わなかったけど、お袋は、どう言う訳か、ずしっとくる」と言って見せられた涙に、私も思わずもらい泣きしました。
娘が、大学の時、病気で、入院しました。
入院する娘を病院へ送って行って、帰って来た時、駐車場まで帰って来て、私が先に降りて、家に向かっていたが、主人が、いつもなら私を先に降ろしても、すぐ後から私に追い付くのに、なかなか来ないので、振り返って駐車場をみたら、主人は、車から降りて、ドアのそばに立って、ハンカチで、顔を拭いていた。
あっ、主人が泣いていると解り、私も、歩きながら涙があふれて止まりませんでした。