103歳の祖母が、あまりよくないとは聞いていたけれど「1月7日から食事をとらず、いよいよ点滴も入らなくなった」と母から電話で聞き、
気になって仕方なくて。
何回スケジュールノートを閉じたり開けたりしても、やはり気になるので。
そんなに気になるんだったら、行っちゃえ!!と思い、
祖母の自宅のある兵庫県中ノ郷にある自宅に駆けつけた。(今週金曜日)
朝9時に出たら、昼前にはつくだろう。
朝の天気予報で「3月中旬の陽気です」と告げられているとおり、春のような陽気。それさえも奇跡のような一日だった。
特急電車に乗り、江原駅についたらタクシーで行こうとしたが、
駅前にも関わらずタクシー0台。
10分待ったが来る気配がない。
やっと来た!と思ったら後から来た5人組を名前で呼び、その方々を乗せていってしまった。それでやっと!
タクシー乗り場に書いてある予約電話が目に入り、ダイヤルをまわしてみた。
すると、「20分ほど待ってもらえますか?」とごく普通の調子で返されたので、それにビックリ。
結局、市内バスを30分待って自宅に向かうことにした。
バスは私ひとりの乗車である。
バスを降りたら、小学校の頃に見た記憶のある(私が)大きな石碑のある停留所で。
目前にそれは大きな畑の平野が広がっていた。
なぜだか約8年前に(取材)で、ロサンゼルスからメンフィスに向かう途中の、車(レンタカー)からみた
雄大なカリフォルニアの大平原を思い起こす。
乾いたアメリカ大地と、湿度の多い日本海側の畑なのだから全く違うのだけど。
堤防の上にあがったら、山のむこうまでずっーと畑が続いているからそう思ったんだろうか。
春のような大地を呼吸する。祖母が小さい頃から親しんだ大地と空気。
祖母は、100歳まで毎日丹精こめてここで田畑を耕して、朝に夕に草取りをして、
大地に、ペタンとはいつくばって背中をまるめて
キャベツやブロッコリー、そのほかいろいろな虫とりや手入れをして、野菜を育てていた
その後ろ姿を衝撃的なほどに、思い出した。
もんぺをはいていた腰から下の小さく曲がった脚のかたちまで思い出した。
小さな苺が沢山できたといって、娘のNに摘ませるのだといつまでも摘まないで残してくれていたっけ。
あの時、祖母の小さな背中が大地を崇拝しているように(その時)思えたのだけど、
あれは祖母の「無心」をみたのだと、そんなことも気付く。
それから、田んぼと山をみながら家まで歩いた。
何度も車で通った道であるのに、はじめてみるような気分。
シーンとして、静かで。
夜になったら山からキツネか熊でも出るだろうなーと。
大地と動物と人が共存している日本の田舎の、のんびりとした時間の流れに感心しながら、歩いた。
祖母の体を流れている土地の空気を肺の中まで吸い込み、
しっかりと歩いて祖母の家へ行けたことは私にとっては、ありがたいことなのだった。
奥にある部屋で祖母は荒い息をして、しっかりと生きていた。
1日1回の点滴だけで、暮れから命を繋いで、今度は食べないから血管が細くなって、それさえもう入らなくなったというのに、顔は穏やかだった。
ただ息だけはしんどそうだった。
しっかりと祖母の顔をみよう。絶対忘れちゃあいけないと誓う。
強い人だ。
人間の強さを祖母は教えるために、生きていてくれている。(そう思うほど)
目は細くしか開かなくて、頷くくらいしか出来ないけれど、
頭には毛糸の帽子を被らされ、そこにまた白いマフラーでアタマの周囲をくるんと巻かれて(花のように)。
小さなお人形さんのように、祖母はいた。
それでも、そんななかにあっても。
私達に強い信号をビシビシと送り続けてくれているような気がした。
もうダメだと、心臓発作で倒れて寝たきりになって親戚中が集まってから、もう2年。
今年1月から食事をしなくなってお茶も飲まなくて、水も飲む気力がなくて、点滴さえも入らないのに。
祖母はまだ戦っていられるのだ。こんな穏やかな顔で。
私の顔(輪郭)をぼんやりとしか見えないのだろう。
私がいるのか、どうかを何度も確かめるように手をのばしてきた。
のばした手を私が握ると、しばらくして振り払って自分の布団の中に入れ、また手をのばしてきた。
何度も目をみて頷いて。
目を閉じそうになっては
また開いて、輪郭を探してくれた。
ありがとう。強いねー。ホントにやさしいね。としか言葉は出なかったが、ホントに行ってよかった。祖母のためというよりは自分のために行ってよかったのだと思った。
じっと側にいると、
側にいる義理のおばさんが、変なことをいった。
「2週間くらい前ね。おばあちゃんがまだ話しよんなった時に喉の奥から振り絞るようにいいんなった言葉がね」
「藤原くん、藤原くんに会いたい」だったのよーと。
年をとっても男友達を家に呼ぶようなお母さんだったから、やはり違うわ!
そんなおしゃべりもまた心を慰めてくれた。
祖母は、大塚のウイダーインエネルギーを口を濡らすために時々もらうそうだが、
実の息子さん(叔父さん)じゃないと口を細くして受け付けないそうだ。
「彼氏じぁないとあかんのよ…。やけちゃうわーほんまに」(叔母)
おばあちゃん…。おばあちゃんったら…。
祖母はまだ生きている。
その悦びをかみしめながら。
祖母の前に、私はいた。
昔の人は芯のある強い人が多い気がしますね。
2?歳の頃自分が年をとるなんて
あまり考えられなかった。
まわりの先輩を眺めて…あのくらいの
年になってくるとだんだん考え方も
かわるんだろうなぁ~と自然にそうなって行く
ものだと思っていたけれど…
あれから幾年、知識や経験は増えて
考えに幅のようなものはできてくるけど…
意外に本質は変わらものなのだなと思う今日このごろ…
おばあさんも心はずっと
昔のままなのでしょう。
そうですね、本質はいくつになっても、あまり変わらないのですよね~。そこがよいんですけどねー。