「6月半ばから暇になりそうやわ」。
そう宣言した途端、仕事もプライベートもポロリ、ポロリと予定が入ってきて、
気がつくと週のうち2~3日は仕事で外出。
その合間を縫って2~3日はプライベートで外出。
となり、全くありがたい充実ぶりなのだが、反面には余裕のない日々をおくっている。
うちにいる時間が少ないと、夜に仕事やら家の用事やらをこなさないといけないのだが、
最近これがどうもチャッチャッとこなせない。集中できない。
サッパリ進まないし、ついついその夜は課題を持ち越して眠ってしまい
翌日朝、もしくは夜に、と言うことになりかねないのだ。
ブログも面白いネタがたまっていく一方だが
自称・筆無精のライター(笑)なので、
こちらも、なかなかはかどらない、ということになっている。
それでも先週末は、どうにか時間を工面して、私の実家に帰ることができた。
娘のNは、大学のサークルで福井まで合宿に行っているので、今回の帰省は、私と夫のみ。
田舎の家に帰ると時間の流れ方が、だいぶ、ゆるやかになる。
例えば5分が20分ほどの。平成の流れが昭和50・60年ほどの。
そんな、緩やかさで時間が過ぎていくのが、ある意味リフレッシュにつながった。
夜、2階の和室にあがって和室の縁側の揺り椅子に座り、耳を澄ますと、
カエルの泣き声が当たり前のように聞こえてくる。(6月だものね)
アマガエルと食用ガエルの混じった合唱をBGMに、
学生時代の本棚から一冊(石井好子の、「パリの空の下オムレツの匂いは流れる」)を取り出して、
ぼう~と読み始める。やはり戸建てのくつろぎは、違うなあ、と当たり前のことに気付きながら。
網戸から入る、湿気のある風を心地よく感じながら。
田舎のカエルは面白い。
同じ調子で、ゲロゲロ、ゴーゴー♪と合唱しているかと思いきや、田んぼの横を車が過ぎると
全員一致でピタッと泣き止んで。しばしの静寂。
そして、再びまた合唱がはじまる。
都会のカエルは、こんな芸当はできないだろうな。だって車が往来しっぱなしだもの、
などと妙なコトに気付いたりして、
笑いたくなる余裕が、この日の、わたしにはあった。
さて、翌日は母の母。私の祖母のひなさんの元へ見舞いにいった。
102歳の祖母は、元気とはいえないがそれでも苦手な夏を乗り切ろうと、
一生懸命がんばって生きていらした。表情もどこか3月に見舞った時よりも頼りないが、
持っていったバナナやゼリーを、食べたい、という意気込みで咀嚼しようとするところをみて、
まだまだ、生(せい)の気力を感じた。
私は昨年9月に、祖母のことを書き綴らせてもらった「明治の人」の原稿を
高齢者ホーム(各週で訪れている)の部屋で朗読させてもらった。
http://www.yumephoto.com/ym/voice/voice28.html
(「明治の人」は、実は私の友人のライターさんが数年前から関わっている企画。
その趣旨は、現代に「明治の人」の言葉や生き方を伝授していきたいという思いで
はじまった企画である。全員がボランティアで原稿をつくる。
私も数年前から、その企画に賛同し、今回はその友人のライターさんを通して自ら手をあげ、
参画させてもらっていた)
耳がよく聞こえないようなので、出来るだけ大きな声で朗読させてもらった。
NHKの朗読アナウンサーの口調などを思い出しながら。耳元に唇をあてるようにして。
朗読させてもらっている途中、3回くらい涙があふれてきた。
しかし、ひなさんは私の声がよほど耳障りがいいのか、最初はうんうんと頷いているのに。
5分も経つと口がだんだんあいて、鼻から息が少しづつ漏れ出し、
やがてスースーと眠ってしまうのである。
「眠ってしまったわ。休憩、休憩」と母。
私は、そのたびに息を整え、原稿を置いて。
母と祖母の想い出話などをゆっくりとたどって、おしゃべりする。
すると、祖母は10分もしないうちに、目をパチッとあけるのである。
(聞いているよ、寝てないよ、何愉しそうに話しているの?と主張するように)。
それをみて、私は再び、その章の始めから朗読をする。
朗読しながら、私は幼い頃の母と祖母との時間の流れを思い出していた。
私のよく知っている祖母が登場するところは、またまた涙が出る。
それでも、私はお構いなしに続けて朗読した。
祖母が眠ったら一度そこで止めて、また再び朗読を。その繰り返し…。
そんな風にして、おそらく2時間半くらいかかったのだろうと思う。
読み聞かせをしては、眠ってしまう102歳の祖母をすぐ近くに感じながら。
私は娘のNにも、こうやって毎日のように読み聞かせをしていたなあ、と17年ほどの前の時間を
オーバーラップさせていた。
そう娘のNも、同じように私の声がよほど気持ちいいのか、安心するのか、
読み始めるとやはり5分ほどで、
スースーと気持ちいい寝息をたてていたのだ。
102歳と2歳がそれほど行動パターン違わないのが、おもしろい。
人というのは、最初の魂であった自分の姿に、もどっていくのかもしれないね。
いい時間だ。祖母のためというよりは自分の自己満足かもしれないが
生きておられる時に、ちゃんと目の前で朗読できてよかった、と胸をなでおろした。
ほんとうに静かで、とてもやさしい、愛おしい。
「祖母と、母とわたしとの時間」が流れていた…。
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