日曜日の日経新聞の一番最後の頁、文化面に沢木耕太郎氏のエッセイが載っていた。
タイトルは”ゴールはどこ?”
内容はざっくり言うと、仕事場から自宅に帰る道中の公園で、迷子になったらしい老婦人と遭遇した
時のことなのだが、不意にその老女に最初に掛けられた言葉が『ゴールはどこですか?』だったらしい。
サッカーのゴールか?はたまたランニングコースのゴールかと思いを巡らしていると、駐車場はどこか?
と聞き、息子さんと車で来て散歩しているうちにはぐれてしまったらしい。
いくぶん認知症気味なのかも知れないと思い駐車場まで案内し、その老女は最終的には息子さんに会えたと。
そこから沢木氏の思いが綴られている。
”ゴールはどこですか?”という不安げな口調に、聞いている方の胸を突き刺すようなものがあった。
それはあたかも、そのゴールが老女にとっての人生のゴールである様に聞こえた。
つまりその老女に、自分のゴールはどこかと訊ねられた気がしたと。
沢木氏は、自分を含め人生の折り返し点をとうに過ぎてしまった多くの人にとっても、状況は同じような
ものではないのか?と。
声に出さないだけで、誰かに『ゴールはどこですか?』と聞きたい人ばかりでは無いかという気がしたらしい。
人生のゴール=死だ。
死に辿り着くまでの道筋が霧に霞んだように曖昧模糊として分からないと、沢木氏は言う。
かつては歳を取ればそこまで行くのは簡単なことだと思われていたのに、今や容易に辿り着けなくなっていると。
だから途方に暮れながら訊ねなければならない。
あの老女の2番目の問いのように、”ゴールには・・・どう行けばいいんですか?”と。
これを読んで、私は違うなと思った。
ゴールはどこ?なんて思ったことも無い。人生の折り返し点とっくに過ぎているけど。
誰かに聞きたい?とんでもない。聞きたいなんて思わないよ。
ゴールへの行き方?そんなのも考えたこと無い。人に教えてもらうことか?
沢木氏は、昔と違って今の世の中は寿命が延びたけれど、それに伴う諸々のことが充分じゃないと
言うことも言いたいのだろうが、長生きするようになった分、長生きした人は困るってこと?
年寄りは生きにくい世の中になったということを言いたいのだろうか。
モノを書くことを生業としている人は、そんな私の様な大雑把な感覚じゃ生きて行けないのだろうな。
心の深淵?を覗かなければ気が済まないのだろうな。と思う。
働けるうちは働いて普通に生きて普通に暮らして寿命が来れば死ぬ。
そこに行くまでに病気になるかも知れない。
又は上手く病気に罹らずに”寿命”で大往生出来るかも知れない。
そんなもの分からない。自分がいつ死ぬかなんて。何で死ぬかなんて。
そりゃ死にたい年齢も死に方の希望も有りはする。でもそれもあくまでも希望であって、希望通り
上手く行くとは限らない。上手く行けば儲けもんだ。
私がまだ間近に死を意識する年齢ではないでは無いからかも知れない。
もっと歳をとれば、そんなことも考えるようになるのかも知れない。
でも正直、毎日の生活に追われて居れば、まだそんなこと考える余裕もない。
そんなこと意識せずに暮らして、気が付けば寿命でしたってことにならないかな。と思う。
沢木耕太郎さん、私は結構好きな作家さんだよ。
タイトルは”ゴールはどこ?”
内容はざっくり言うと、仕事場から自宅に帰る道中の公園で、迷子になったらしい老婦人と遭遇した
時のことなのだが、不意にその老女に最初に掛けられた言葉が『ゴールはどこですか?』だったらしい。
サッカーのゴールか?はたまたランニングコースのゴールかと思いを巡らしていると、駐車場はどこか?
と聞き、息子さんと車で来て散歩しているうちにはぐれてしまったらしい。
いくぶん認知症気味なのかも知れないと思い駐車場まで案内し、その老女は最終的には息子さんに会えたと。
そこから沢木氏の思いが綴られている。
”ゴールはどこですか?”という不安げな口調に、聞いている方の胸を突き刺すようなものがあった。
それはあたかも、そのゴールが老女にとっての人生のゴールである様に聞こえた。
つまりその老女に、自分のゴールはどこかと訊ねられた気がしたと。
沢木氏は、自分を含め人生の折り返し点をとうに過ぎてしまった多くの人にとっても、状況は同じような
ものではないのか?と。
声に出さないだけで、誰かに『ゴールはどこですか?』と聞きたい人ばかりでは無いかという気がしたらしい。
人生のゴール=死だ。
死に辿り着くまでの道筋が霧に霞んだように曖昧模糊として分からないと、沢木氏は言う。
かつては歳を取ればそこまで行くのは簡単なことだと思われていたのに、今や容易に辿り着けなくなっていると。
だから途方に暮れながら訊ねなければならない。
あの老女の2番目の問いのように、”ゴールには・・・どう行けばいいんですか?”と。
これを読んで、私は違うなと思った。
ゴールはどこ?なんて思ったことも無い。人生の折り返し点とっくに過ぎているけど。
誰かに聞きたい?とんでもない。聞きたいなんて思わないよ。
ゴールへの行き方?そんなのも考えたこと無い。人に教えてもらうことか?
沢木氏は、昔と違って今の世の中は寿命が延びたけれど、それに伴う諸々のことが充分じゃないと
言うことも言いたいのだろうが、長生きするようになった分、長生きした人は困るってこと?
年寄りは生きにくい世の中になったということを言いたいのだろうか。
モノを書くことを生業としている人は、そんな私の様な大雑把な感覚じゃ生きて行けないのだろうな。
心の深淵?を覗かなければ気が済まないのだろうな。と思う。
働けるうちは働いて普通に生きて普通に暮らして寿命が来れば死ぬ。
そこに行くまでに病気になるかも知れない。
又は上手く病気に罹らずに”寿命”で大往生出来るかも知れない。
そんなもの分からない。自分がいつ死ぬかなんて。何で死ぬかなんて。
そりゃ死にたい年齢も死に方の希望も有りはする。でもそれもあくまでも希望であって、希望通り
上手く行くとは限らない。上手く行けば儲けもんだ。
私がまだ間近に死を意識する年齢ではないでは無いからかも知れない。
もっと歳をとれば、そんなことも考えるようになるのかも知れない。
でも正直、毎日の生活に追われて居れば、まだそんなこと考える余裕もない。
そんなこと意識せずに暮らして、気が付けば寿命でしたってことにならないかな。と思う。
沢木耕太郎さん、私は結構好きな作家さんだよ。