瀬川を書いた絵というのは、本を読んでいる姿のものしか残されていないとか。
瀬川と蔦重が同じ時期に吉原にいたことだけはわかっている。それと残された瀬川の絵姿から、蔦重の瀬川が恋仲だったという物語を作り出した脚本家の想像力。
流石ですよね。
瀬川は吉原を去り。果たして幸せになったのか?その後の瀬川については資料が残っていないのでわからない。ただ、嫁いだ先の鳥山検校が……という史実がありますので、どういう物語を紡いでいくのやら。
松葉屋さんが粋でしたね。蔦重が瀬川に渡したい本を、松葉屋さんに託そうとすると
「忙しいから、お前が持っていきな」
陰険なやり方で二人の仲を裂いた松葉屋さんですが、こんな風にして、最後の別れを二人っきりでさせてやろうという「情」があるんですよ。
忘八はワル、非道な奴ら。なんだけど
悪人ではないんだよね。ホント、人間ってやつは
複雑だ。
風間俊介さん演じる鶴屋さん、底意地の悪そうな笑い顔を浮かべていましたね。鶴屋さんの心の中には吉原に対する拭い難い「差別意識」が存在するのでしょう。
江戸時代に差別は明らかにありました。巷間有名なのは穢多・非人ですが、実は吉原の周辺にはこれら被差別民が数多く暮らしていたといいます。
第1話で、亡くなったお女郎さんたちの遺体を裸に向いて無縁墓に埋葬するシーンがありますけど、それら処理を実際に行ったのは彼ら被差別民ですし、映像にもチラッとだけ映っていましたね。
蔦重は彼らのことを「バチあたりめ!」と言ってましたが、彼ら被差別民には遺体の衣服をはぎ取ることは特権として許されていたらしいので、必ずしもバチ当たりなどとは断言できないのですが、蔦重の中では、世話になったお女郎さんのあまりに変わり果てた姿に対する悲しみと怒りと、それプラス彼ら被差別民に対する意識されることのない差別意識とがないまぜになっての
「バチあたりめ!」
なのだと思う。
差別というのはほとんど意識されることがないんです。大概の人はそれを「当たり前」のこととして、意識することなく差別をするんです。
このドラマに被差別民は直接的には出てきませんが、蔦重の中にさえ差別意識はあるということを、第1話でさりげなく
本当にさりげなく
描いているんじゃないでしょうかね。
このドラマのテーマの根底の根底のさらに根底辺りには、「差別」というテーマが、ほんのりと香っているような
そんな気がします。
差別を断罪したがる方々の中にも根強い差別意識は確実にあるし、あなたの中にも私自身の中にも「差別意識」は確実に存在する。だから、だからこそ
この厄介な差別というものを、人は常に意識するべきなんじゃなかろうか、なんてことを考える。今日この頃。
良い写真だね。
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