その他近畿に残る源三位頼政史跡
平等院以外にも頼政の墓所あり。
そのひとつ兵庫県西脇市高松町 長明寺
この地がなぜ源三位頼政ゆかりの地であるかは調査不足にて不明。付近に、頼政墓や鵺の名がつく地等があり。
境内には、鵺退治のブロンズ像あり。昭和55年建立
なかなかの迫力。
寺院には、気になる彫刻はありませんが、創建651年の法道仙人の開基と伝わる古刹。
頼政は、歌人でもあるので歌集関係でのつながりですかね?
墓所(墓碑)
もうひとつの墓所
京都府亀岡市西つつじが丘 頼政塚
郎党・猪早太が領地であったこの地に亡骸を持ち帰り葬ったとさせれている。
この伝説は、頼政の叔父、山県国直の美濃の領地に首を持ち運び葬ったとの伝承が残る岐阜県関市の蓮華寺などがある。
この頼政塚の碑は、江戸時代・亀山藩家老松平新祐敏房による撰文
亀岡には、頼政の守本尊・古世地蔵堂もある。
鵺を退治した恩賞として名剣とともの丹波領地を与えられこの地を鵺退治にちなみ「丹波矢代の庄」(矢田庄)と称した。
古世地蔵堂も矢ノ根地蔵とも言われ通常地蔵菩薩は、錫杖を持つのが一般的であるが、矢ノ根地蔵は、頼政鵺退治功が弓矢によることから錫杖から矢に持ち替えている。
近くの寺院
つづく
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