彫刻師列伝
浪花彫刻司 草花平四郎
延亨5年(1748)発刊 難波丸綱目に堂社彫物師として中川利兵衛・美濃村松雲とともに記載あり、その存在が確認させていたが、現存する彫刻なく伝説化した彫刻師
浜松歌国の随筆「摂陽奇観」に草花平四郎とみょうが屋清七の彫刻対決の話があり、落語や漫談で今もなお語られている。
内容簡潔にまとめると
ある時彫刻の腕を競うべく2人は期日を設けて彫刻を作事、草花は、すぐに作業にかかり期日前に牡丹の彫物を作成。一方のみょうが屋元来酒好きにて作事せず、期日当日にやっとこさ作業、作りたるは、鼠・見物人には、この鼠、不興気(おもしろくない?)に見え、この勝負、草花の勝ちと思ったところに一匹の猫が現れ、鼠をくわえて逃げ去った。
心ない動物が見間違うとは!みょうが屋の勝ち。
しかし実はこの鼠、鰹節にて作った作品であったようで、そこに猫を登場させたという、彫刻の腕の甲乙より才智がすぐれたと皆が思ったというお話。
又、天明元年(1781)根付師としての記載あり。同一人物か?
草荏平四郎 (そうたか へいしろう) 博労町心斎橋筋
欄間師なり、此人草花を能彫を以て姓とす、間根附も彫れり、しかれども多からず
草花平四郎銘が残る社殿を播州にて確認
一部画像及び情報提供・多可町白石氏
伝説によると名のごとく草花彫刻にすぐれた彫物師であったようであるが、この社殿の彫を見る限りは、人物・霊獣にもすぐれたものを感じる
延亨4年(1747)再建本殿彫刻(一部拝殿彫刻画像)
脇障子 玉巵弾琴図 = 龍に乗った中国貴女・玉巵(ぎょくし)が一弦琴を持つ図
この時代の巨匠は必ずと言っていいほど彫ってますね!馬足龍(麒麟)
難波丸網目
改めて彫刻を見ると網が邪魔ですが・・・仙人の蟇股・木鼻・脇障子と新調当時の彫刻がさぞ立派な物だったと
想像出来ます。
また、播磨・丹波方面の彫刻師にとって参考になったと想います。
もっと草花師の彫刻を見てみたい物です。残ってないかなぁ?
新発見したいですね・・・・・網なし
またまた私を丹波、但馬、播州にひきつけるつもりですね!
大阪方面に目が向いているところなのに(笑)