大阪市中央区心斎橋・三津寺(みつてら)
ミナミのみってらさんです。
本堂は文化5年(1808年)建立され、内陣及び位牌堂は総漆塗りで柱や扉は金箔を張りめぐらせ、格天井には全て花柄の異なる絵が画かれているそうです。
明治12年当時の庫裏にて第1回の大阪府議会が開催されました。現在の庫裏は昭和8年竣工の鉄筋コンクリート3階建
彫物も文化5年作ですかね?
まず山門
菊?波 飛龍
本堂 向拝柱 龍 木鼻 獏
庫裏を施工した大林組寄贈 賽銭箱
おまけ 青銅製燈篭の獅子
もうひとつおまけ
隣西区 立花通り 旧仏壇店、現在服屋 極楽堂 懸魚・鳳凰 蟇又・力神
ミナミのみってらさんです。
本堂は文化5年(1808年)建立され、内陣及び位牌堂は総漆塗りで柱や扉は金箔を張りめぐらせ、格天井には全て花柄の異なる絵が画かれているそうです。
明治12年当時の庫裏にて第1回の大阪府議会が開催されました。現在の庫裏は昭和8年竣工の鉄筋コンクリート3階建
彫物も文化5年作ですかね?
まず山門
菊?波 飛龍
本堂 向拝柱 龍 木鼻 獏
庫裏を施工した大林組寄贈 賽銭箱
おまけ 青銅製燈篭の獅子
もうひとつおまけ
隣西区 立花通り 旧仏壇店、現在服屋 極楽堂 懸魚・鳳凰 蟇又・力神
そういえば、本尊の十一面観音さまの脇仏は薬師如来さまと弘法大師さまと本堂上の扁額にはありましたが実は本尊の脇待は「地蔵菩薩」と「毘沙門天」と言うのはご存知でしたでしょうか、よく見るとその御前立ちとなる仏さまがガラス越しに見えられたとおもうのですが意外にこの三尊(恐らく薬師さまと弘法大師さまは左右の別の壇にまつられているのでは・・・)は御津八幡の三神の本地仏と相応しているのではないかと思うのです(十一面観音は神功皇后(応神天皇の母君・地蔵菩薩は応神天皇(誉田別命・「胎中天皇」とも呼ばれる所以に地蔵菩薩では(羽曳野市の「誉田八幡宮の社寶で「八幡本地像」にて地蔵菩薩の来迎図として表されている事をご存知でしたか(「八幡大神」の本に所収))・毘沙門天は仲哀天皇(応神天皇の父君))。
また「七宝山 大福院 三津寺」の「七(八?)と」「三」は「三韓」と「七(八?)島」を意味し神功皇后の朝鮮征伐に関連するのと「三津」は伝教大師さまの父君「三津首(みつのおひと・要するに朝鮮渡来の氏族)」にも関連があり八幡神が「秦氏」のよって宇佐の地に伝播させた事が重なり後に「行教(南都・大安寺の僧で「紀氏」の末裔、後に石清水八幡の開祖となった)」によって御津八幡から石清水八幡への伝播の途中で三津寺との草創の関連した歴史を共有している事も考えられなくはないでしょうか、いずれにしても[3][7(8)]のキーワードはこの社寺の謎を解き明かす暗号になるかもしれないと私の個人のブログで記事を執筆し近日中に公開する予定です(十一面観音はインドの「十一面荒神」を元に中国や朝鮮半島を渡って「妙見」や「八幡比売神」の本地とされているようです)、ご期待ください。
ご訪問ならびにコメント投稿まことにありがとうございます。
私は、社寺の歴史や祭られている神、仏に関して知識乏しく又、浅学であります。
ただ言われている事柄や言葉が外国語のように聞こえることなく理解するまでにはいきませんがなんとなくではありますが解ります。
私の場合必ずお参りはしておりますが、本堂に入り仏様を拝まずに失礼することも多々あります。その為ここ三津寺さんでは本堂には上がっておりません。
もっぱら私の場合このブログの内容通り社寺仏閣建築彫刻を調査研究させていただいております。
やつつのお(八筒之男)様のブログお気に入りに入れさせていただきましたのでこれからもご教授いただきますようお願い申し上げます。
研究の発表楽しみにしております。