室町時代、時の将軍足利義満によって、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺これら京都五山の上にある(別格)とされた。
応仁の乱で境内は荒廃したが、西国の拠点を求めていた徳川家康によって再興される。それゆえ明治維新の廃仏毀釈の時は
政府や京都府によって廃寺寸前まで追い込まれた。僧侶の抵抗をよそに境内に水道橋が架けられたのもこの頃である。
三門は東本願寺、知恩院と並ぶ京都三大門の一つである。
この三門は歌舞伎で有名です。この三門に潜んでいた盗賊・石川五右衛門が欄干に足をかけ、キセルをくわえて
「絶景かな、絶景かな」と見得をきる名場面があります。
明治14年、琵琶湖の水を京都市街に運ぼうという計画が持ち上がった。東京への遷都で威信を失っていた京都市民に勇気と活力を
与えるため、水道や舟運、灌漑等に活用できる疎水の建設を考えだした。こうして生まれたのが全長93.17メートルの南禅寺境内の
水道閣である。
水路の巾は4m、今も琵琶湖の水を運んでいる。