スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

高校野球 残念。。。

2008年08月02日 | インチョの酒
桐生第一。
昨日の酒の席でも あ~でもない こ~でもないと話していました。

私の見解、、
「辞退するべき」ではないのかという事。

まず、高校野球はただの運動会の勝ち負けではなく
健全で健やかな精神的教育の 祭典という意味があったと思っていた。
高校球児が、一瞬のきらめきの青春の中で 一生懸命努力する。
そして、その姿に感動して、野球を目指したり、
精神的な支えの役割が大きかったように思う。

校長の「一人のせいで、、、」とか「できれば出してほしい」とか

お前がいい加減にせ~よ。と思うような発言。

まずはTVの中から 被害者の方に「ゆるしてもらえれば・・」と言ってる時点で
アウト。日参し、許しを請うてからでしょ。まずは。
本人にアプローチも中途半端にしてから
高校野球出場 おめでとう!とは行かないでしょ。普通。

一人のために。。って切捨てな言い方も、なんだかなあと感じました。
連帯責任は時代的に違う。。。って。会社での不祥事と、高校野球の不祥事を一緒くたにしてる人たちがいるが、
高校野球はスポーツと、健全な精神という教育的意味が大きい。
ただの運動大会とは訳が違う。精神面が非常に大切にされる行事なのに、
こういうことがあり、そしてあの校長のブサイクな言いっぷり。
人間の品格という意味で すでに地に落ちている。

甲子園に出たい出たい!と
駄々こねる子供のいいわけみたいな行為をTVで放映して、
その姿に 教育者としての誇りや尊敬など見えるわけが無い。

高校野球の 精神を 汚してしまうからという理由で
潔く みずから 辞退するくらいの姿を見れば、
それを見た青少年も、 「悪い事をすれば、自分だけでなくみんなにも迷惑を
かけてしまうのだ」と 解らせるための 教育だったのではないかと思う。

もう、この事態を素通りしてしまう高校野球に
美しさも、 感動も 感じない。

被害者の方も、「自分が被害にあっても、世間っていうのは力や数があるほうに
良い様になって何事もなかったようにしてしまうんだな。・・・」と
思って、感じてしまったら、それを大人の誰が声を大きくして
「違うよ!」っていえるでしょうか。

3年間がんばってきたのに、、出場停止だと可哀想。。。って

薄っぺらい 同情や なあなあのご判断で、 
この国が失った精神的なものって沢山あるように思います。

物事って、楽な方、まあまあいいじゃないですか!的、場あたり的な
選択って、その場的にはなんとか物事が過ぎたりするのかもしれないけれど、
今回の高校野球だけでなく、今の日本では、殆どの行為が
その場当たり的な精神で「後はよろしく」と 問題を本質から問う人間が
少なくなってきていると思う。

自分にとって難しい選択、苦しい選択をするからこそ
崇高に 研ぎ澄まされる事ってがあると思います。
そして、その 難しい事に向き合った人間を人は美しいと感じるのだと思います。

高校生というまだピュアな時期に、
「ゆるい選択をしても、大きな力があれば 許されるんだ。。」や、
「たった一人がしたことでどうしてギャーギャー言うんだよ。」
という感覚を少しでも 世間の青少年に植え付けてしまったとしたら
それこそ、 精神的な害だと思う。

今回の姿は それを典型的に 示してしまったと思う。