昨日、カウンセリングを終えて 助手さん達と話してる時に出たお題から。
医療関係者がこういう事を言ってはいけないのかも知れませんが、色々と。
悪意があるわけではありません。
小さい子が大きな病気を持って生まれた時の意味、
大病を患うというときの意味とはという事になりました。
人間は死ぬ事から切り離される事は出来ません。生まれたからにはどの時点、年齢か関わらず死が来ます。
震災で亡くなった方々、不運な事故で亡くなった方々、
逆に、物凄い確率で生存した方々、
人間の持つ寿命としてのタイミングがあります。これは自分で設定してくることもあります。
小さい子が大きな病気によりお亡くなりになる。親からすれば物凄く辛い事だと思います。
けれど、自分で、この病気というお題を持って来る子もいるのです。
子供はあちらの世界からやってきてまだ日が浅いですから、あちらのルールをスグに理解できます。
大人は常識として言われている事にさらされ続けているので、あちらのルールを忘れてしまいます。
あちらの常識の中には 魂は経験により勉強すると言う事がとても重要で大切なルールとして存在します。
人間は 何もなく、平凡に日々が過ぎれば良いと
生まれ出てしまい、世間の常識にさらされ続けるとこのような考えに
どっぷり浸かってしまいます。
本当は様々な経験を生きてる事により体験し、魂の記録に刻み込み、あちらへ帰る事が生まれて生きる事の意味でもあるのに、
そうしたい!と思って 赤ちゃんという肉体を借りてこの世に生れ出てくるのに、
出て来て数年経つと、肉体のルールを優先してしまうようになります。 車を選んで運転しようとしたのに車が勝手に動いてしまうようなもの。
死ぬという事もとても大きな経験です。 生まれなければ死ねないからです。
その死ぬ経験を、長寿で死ぬのか、中年で死ぬのか 子供で死ぬのか 赤ちゃんで死ぬのか。様々なパターンを経験することも
大きな目で考えれば その人の蓄積する経験なのです。
では、死ぬという事を登山で考えると、 裾野のハイキングコースは長寿で死ぬ人でしょう。中年はその上、子供はさらにその上 赤ちゃんでは頂上近くの
覚悟がいります。
生まれる時、自分に課すお題で、どの様なテーマで生きようかと考えた時、
魂の経験の少ない人は 健康で長寿で幸せに死にたいです。とイージーモードを選ぶでしょう。良い悪いではありません。
大多数の人がそうなので裾野のハイキングコースと言います。
ちょっと登山に慣れてくると、もう少しハードルを高く設定し始めます。
人生のイベントも様々なものを織り込んで行くでしょう。
この様に、自分に課す事がどんどん慣れてくると一つの人生でする事をてんこ盛りにしてどんどん進んで行こうとするようになります。
生きている人間の身で考えると、「もっとイージーモードでいきたいよ~::」と当初の目的を忘れてしまうでしょう。
けれど、このルールを思い出すことによって、または 少し頭に入れておくことによって
チャレンジすること、体験すること 経験することの素晴らしさが 様々な状況においても気づきをくれると言う事が
理解できてくると思います。
誰かのチャレンジ、体験を 親でも親類でも親友でも 分かち合うことはできても 代わりをしてあげる事はできません。
その人のチャレンジを嘆き悲しむより、やさしく見守る事、手放してあげる事が
自分の中の経験にもなります。
がんばったね。えらいね。。。って 病を患うという大変な苦境を選んでいる人には 何言ってるんだ!と言われそうですが
ひとつ こういう事もエッセンスであるということらしいです。
パート2 へ行きます。 (業による大病について)
医療関係者がこういう事を言ってはいけないのかも知れませんが、色々と。
悪意があるわけではありません。
小さい子が大きな病気を持って生まれた時の意味、
大病を患うというときの意味とはという事になりました。
人間は死ぬ事から切り離される事は出来ません。生まれたからにはどの時点、年齢か関わらず死が来ます。
震災で亡くなった方々、不運な事故で亡くなった方々、
逆に、物凄い確率で生存した方々、
人間の持つ寿命としてのタイミングがあります。これは自分で設定してくることもあります。
小さい子が大きな病気によりお亡くなりになる。親からすれば物凄く辛い事だと思います。
けれど、自分で、この病気というお題を持って来る子もいるのです。
子供はあちらの世界からやってきてまだ日が浅いですから、あちらのルールをスグに理解できます。
大人は常識として言われている事にさらされ続けているので、あちらのルールを忘れてしまいます。
あちらの常識の中には 魂は経験により勉強すると言う事がとても重要で大切なルールとして存在します。
人間は 何もなく、平凡に日々が過ぎれば良いと
生まれ出てしまい、世間の常識にさらされ続けるとこのような考えに
どっぷり浸かってしまいます。
本当は様々な経験を生きてる事により体験し、魂の記録に刻み込み、あちらへ帰る事が生まれて生きる事の意味でもあるのに、
そうしたい!と思って 赤ちゃんという肉体を借りてこの世に生れ出てくるのに、
出て来て数年経つと、肉体のルールを優先してしまうようになります。 車を選んで運転しようとしたのに車が勝手に動いてしまうようなもの。
死ぬという事もとても大きな経験です。 生まれなければ死ねないからです。
その死ぬ経験を、長寿で死ぬのか、中年で死ぬのか 子供で死ぬのか 赤ちゃんで死ぬのか。様々なパターンを経験することも
大きな目で考えれば その人の蓄積する経験なのです。
では、死ぬという事を登山で考えると、 裾野のハイキングコースは長寿で死ぬ人でしょう。中年はその上、子供はさらにその上 赤ちゃんでは頂上近くの
覚悟がいります。
生まれる時、自分に課すお題で、どの様なテーマで生きようかと考えた時、
魂の経験の少ない人は 健康で長寿で幸せに死にたいです。とイージーモードを選ぶでしょう。良い悪いではありません。
大多数の人がそうなので裾野のハイキングコースと言います。
ちょっと登山に慣れてくると、もう少しハードルを高く設定し始めます。
人生のイベントも様々なものを織り込んで行くでしょう。
この様に、自分に課す事がどんどん慣れてくると一つの人生でする事をてんこ盛りにしてどんどん進んで行こうとするようになります。
生きている人間の身で考えると、「もっとイージーモードでいきたいよ~::」と当初の目的を忘れてしまうでしょう。
けれど、このルールを思い出すことによって、または 少し頭に入れておくことによって
チャレンジすること、体験すること 経験することの素晴らしさが 様々な状況においても気づきをくれると言う事が
理解できてくると思います。
誰かのチャレンジ、体験を 親でも親類でも親友でも 分かち合うことはできても 代わりをしてあげる事はできません。
その人のチャレンジを嘆き悲しむより、やさしく見守る事、手放してあげる事が
自分の中の経験にもなります。
がんばったね。えらいね。。。って 病を患うという大変な苦境を選んでいる人には 何言ってるんだ!と言われそうですが
ひとつ こういう事もエッセンスであるということらしいです。
パート2 へ行きます。 (業による大病について)
会う度に私の事、思い出すのに時間がかかるようになって、最後は「?」状態。
姉の名前を呼んでも叫んでも「誰?」状態。
そしてふっと、意識?魂?(死んでるけど・・・)
が抜けて体がガクッと崩れ落ちて
死んだみたいに(死んでるけど・・・)
ってなった時、
あぁ~、、次のステージに行ったのだなぁ~
生まれ変わる準備をしているのだなぁ。
寂しいけれど、いつかの来世で会えるかもしんない。
だから、寂しくなんかないんだからね!
って思ったのを記事を読んで思い出しました。
>その人のチャレンジを嘆き悲しむより、やさしく見守る事、手放してあげる事が
自分の中の経験にもなります。
やさしく見守るのも、手放すのも
なかなか時間がかかりましたが
(今も手放せていないかもしれませんが)
経験が財産であるとするならば、
姉から大きな財産もらっちまったなぁ。おい。
ってカンジです。
身近な人の死ってやはり残された人にとってはとても辛い事だと思います。行かれた人たちも辛いんですよね。
またね!って。。なかなか切り替えは難しいですが
生まれるのも一人、行くのも一人なんですよね。
49日ってよく言ったもので、
そのあたりまでは結構うろうろしてる人多いです。
というか、意識に働きかけると答えてくれる。
それ以降は通常なら遠のきます。。。