スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

スピリチュアルな体験談をしていてよかったこと

2017年04月06日 | インチョの酒
このブログもほぼほぼ10年になりました。

当初は パソコンの扱いに慣れる。文字を打つスピードの訓練

文章を書く練習、 ブログやHP作成の練習

のつもりで始めてみました。

おかげさまで 一つのタイトルを書くのに5分かからず

文字を打つスピードも速くなってきました。

気分が乗っていると ビュンビュン書けるようになってきましたが

見直さないので おそらく誤字脱字だらけ、てにをはが 壊滅的、

同じ言葉の繰り返しで見苦しいなどが

あると思います。



この、文字を打つスピードというのは  トレーニングで

例えば ○○がしたい! と思ったとき、 ブログでもHPでも文章を書くときには

必ず タイピングが必要になります。 その時に タイピングで躓いてしまうと

はーしんど。 になってしまうので

スピを使った 日常の工夫の中でもそうなのですが

できる事 と やれることが 少々違っていたりすることには

やはり トレーニングをしなければ 進まないことは ちゃんと日々トレーニングしておくこと

に、尽きます。


ココナラでの 鑑定。 鑑定はできるけれど タイピングができないPCの設定ができない

となってしまうと、 鑑定を始めることすらできません。

私は今は 自動書記状態で書いているので、去年の8月の数日で40件くらいの

鑑定わんこそば の時、 鑑定のスピードというよりも タイピングのスピードに

自ら 驚いた! のですw


また、何か別のお題でブログを立ち上げたいなと思ったときの 心のハードルも下がりましたし

(根気がないのがテヘペロ)

楽しみながら 練習になっていたことが 本当に助かりました。


タイピング練習!と思ったら おそらくくじけていたと思います。

あれ? ブログしていたら タイピングが早くなっていた! という

これも引き寄せの一つなのかもしれません。 強制引き寄せ。


やはり何か 続けると いろいろな事が勉強できますね。 まる。












こころがつかれたら いらっしゃいませ♪お越しくださってありがとう!

2017年04月06日 | 動画
昨日立ち上げたブログ、

こころがつかれたら いらっしゃいませ♪

おかげさまで初日から100人以上の方が来てくださって

みてくださり ありがとうございます。

スピリチュアルな体験談は インチョのスピ変態ブログですが

自分の内面のごちゃごちゃ、実体験でのびっくらしたこと

なるほど!とひらめいたことなどを書いておりますが

ここつか は  さらにそれを日常に転用し、運用していく上でのコツのようなもの、

スピだけというよりも 人の心というものを根底に

こうするともっと楽かもねと 友達にアドバイスするときと同じ、

もし子供が育っていくうちに 悩んだり困ったりしたときのかあさんの知恵袋のようなつくりに

なっています。

毒舌は はかないように(普段だって 吐いてないですよw ストレートなだけ。)

ブログのテンプレートも ゆるめな感じで作っています。



どうぞよかったら。 左横の ブックマークをクリックしてみてください。


思いつきでまたブログ作ってみました。

2017年04月05日 | インチョの酒
http://kokohoko.hatenadiary.jp/


こころがつかれたら いらっしゃいませ♪



生きていると は~~~っとしたくなる時や 悶々とする時があります。


そんな時に ちょっと視点をずらすと楽になる事もあります。


人生折り返し地点なので ちょっくら 書こうかなと始めて見ました。 冷やし中華始めました。


ここみたいに 毒舌吐かないので よかったら どうぞ。 お茶。

くるぞくるぞ!の波を感じる時

2017年04月04日 | 引き寄せの法則
来るぞ! ビッグウェーブ!! というわけではございません。


ニュアンス ニュアンスで。


引きよせをしてみようと色々と試行錯誤してみると

上手く行くときは必ず?。。。 ほぼ高い確率で 揺り返しのような事態が起こる事があります。


上手く行かないなあ。 なんでこんなんなちゃったんだろう。。。とか。


その時に 「あ。これって動き始めた合図だわ」 となりますと スルっと。


お腹痛いよ~~~   で、 スルッと。  とは違いますが そんな感じ。

解決や改善、劇的変化をもたらす前には 少々予期しない出来事が起きたりしますし

普段なら失敗しないはずの事でさえ、足止めをくらうような 事がおきたりします。


まるでこれから起こる変化を前もってドラマチックに演出しようとしているかのようです。


そうすると、 「来た来た。」とホクホクするのが良いかなと思っております。

引き寄せとは 「行動を伴った」 が抜けてるからおかしくなる。

2017年04月04日 | スピリチュアル
再発見の旅 なんちゃって。

引き寄せの法則が一般的な話題になってきましたね。


以前なら 「胡散くさ~~」と思われていたものが現実であるという事ですが

利用できる人とできない人、 うまく使いこなす事が出来る人できない人。


結論


行動しないと始まらないw


です。


何もせず 祈って祈って祈り倒して 家の中で 郵便屋さんが何かを運んできてくれるのを待つ というスタンスだと

永遠に来てくれないかもしれませんし、余程以前に何かの行動を起こして(種を撒いておく)ことをしていなければ

刈り取る事はでき無いんじゃないかと思います。


大体 引き寄せの法則等での体験談を見てみると

忘れていた○○が きっかけで〇が来た! とか 手に入ったとか。

気になって〇〇したら ぱんぱんぱんと流れに乗った。 というような類の事が多く書かれています。


そこで ワクワクっ! ファンタジー! な感じで 「自分もあやかりたい!」とワクワクして

お願いしてみても。。。 あれ? う~~ん。上手く行かないなあ。 結果を受け取れないなあ~~~~。と。


確かに不思議なご縁で 物事がパンパンパ^^^ンと進むので面白い出来事ではありますが、


何も行動していなかったら、閃いた事を実行していなかったら 無いだろうな。 とも強く感じるのです。


仕事をしていたから 仕事で良い話が来た。 とか

旅行先で思いがけない事があり、そこから話がとんとん拍子に進んだとか。 (引き寄せより とんとん拍子の方が良いですね!可愛い♪)

ピンチっと思っていたら以前にお世話していた人から 良い話をもらったとか。


ぐるっと考えると これが 因果応報 なのではないかと思っております。



怖いネガティブなイメージではなく、 自分で撒いておいた種が知らない間に別のタイムラインで育っていて利息つけて来てくれたみたいな感じで。


だから 私が一番信用できるのは(というと行動を狭めてしまうかもしれないけれど)

何か願い事をしたときに それが叶う方法を教えてください。 と言って、 閃いたアイデアを兎に角実行すること。


これに尽きると思います。


一番の敵は 「めんどくさい。やっても無駄 できるなら楽したい 後ででいいや」の

足引っ張り軍団の攻撃です。時には実際の人間となって現れて 「遊ぼうよ」とか「そんな危ない事やめなさいよ」という。


それが出てくるという事も 納得済みで、 「だけど やっちゃうよ」とえいや~~でするとパンパンパン。です。

閃いたってことは 何もない所からは 出てこないですから。


その閃きは実際ハードルが少々高かったりします。 でも めげずにやってみると 産みの苦しみで

後は なんてミラクル♪という事が起これば  さらに楽しめる。



胡散臭く思う派と 信じる派の大きな違いは  両者 引き寄せたいという願望があったとして

@石のように動かずに他力本願派  か  自力でなんとかする派  なのではないかと思っています。


英語がしゃべれるようになりたい! といって

祈っていたら明日から話せるようになるわけではありません。


トレーニングが必要な部類の願いはやはり トレーニングが必要です。 そのトレーニングが効率よく進むようになるとか

トレーニングをしようと思った動機の問題が 素早く解決に向かう事が 引き寄せなのかなと。



コツはあると思います。 根底に流れる信頼感というものをどう科学的に、道理として理解しているかの基礎知識によって

スピードが早くなったり、 使いこなしが上手くできたりということです。



100個集めて。と言われた時



1✕100=100 として、 

① 1が100個ある。と 100個数えていくか、

② 10が10個として集めるか

    


物凄く簡単で、少々変な例えですが、 根底に流れる物が理解できればスピードアップして数えることができますし精度も上がります。


なんだかよくわからなくなってきましたが、 これを使えるかということが便利機能みたいなものだろうと思っております。




子供と左脳と右脳と直観の育て方

2017年04月03日 | スピリチュアル

子育て子育てと 小さな赤子の面倒を”見てあげてる風”な意味合いに慣れてしまっているのではないかと思う昨今


色々と 瞑想したりして ダウンロードした事と現実とのすり合わせをしてみると。。。



人間は大人に成るとほぼ左脳で行動します。 右脳派といわれてもかなり左脳も使わないと頓珍漢と言われます。


赤子は右脳の塊です。 本能と本質です。社会ルールなどは後天的に身に着けるものなので 生まれたままの機能しかありません。


左脳右脳というのもざっくりかな。。 


大脳新皮質(言語や社会ルールをコントロール) 大脳辺縁系(人体の基本のコントロール)。と言われています(不勉強なのでざっくりです)


子供の頃に 言語、行動による表現、親との関係による社会との接触などを後天的に獲得していきます。

そしてそれと同時に 原初の部分は「いらないもの。おかしなもの」扱いになるにつれ だんだんと 引き出しの奥にしまわれて行きます。

子供が人形と独り言を言って話をしているのを見た事があると思います。可愛いですよね。


あれは現実と空想の世界がほぼ一緒になっている  大人がとても入り込みたい(特にスピ系の人)領域です。


脳は 空想と現実を区別できないので、その状態で本気で望めば 叶いやすいというまさに引き寄せの領域。

子供はそんな知識も欲もないですから 普通の事だとして特殊だとも知らないでしょう。親も知らない人が多いのですから。


ですが、だんだんと 「人形遊びは赤ちゃんだ」とか 「お化け観たというのは嘘だからいうんじゃありません」とか

後天的な 周囲の人間からのルールを刷り込まれて、否定されたことを 「不可」とし 肯定されたことを「良」として

自分を納得させるようにしていきます。


赤ちゃん~小学校位までは 社会のルールを学び取るのに精一杯です。 社会性を育てると言いますが

メインストリームに合わせる練習をするのです。その活動は並大抵ではないので 子供はよく寝ます。

寝て、オーバーヒートを安め、アチラの世界で魂を癒しにいきます。 大人も同じです。




だから大人がびっくりするような記憶力やら

想像力やらが 発現しているのですが、いかんせん 子供 なので その素晴らしい経験を言葉に表現したり

再現したり、大人のように意味づけをして理解して他者に伝える事は苦手です。


もし子供のうちから素晴らしい言語能力と表現力と自己理解能力、分析能力があれば 

どれほど素晴らしい詩やら文学作品を作り出すか想像するだけで

楽しそうです。文字と文章と文章構成能力と語彙がつたないので 絵や音楽 で表現している子たちも沢山いますね。

子供はそういう世界に居ない、理解できないのではなく、 内蔵しているのにこちらのルールにのっとった方式で表現していないだけなのです。



そのうち右脳優位だったのが 左脳を鍛えるコントロールをされ、そのうちに左脳優位になり

直観で物事を判断していたのに、 過去の集積である他者の経験や常識、一般的なと言われる 誰かの経験からくる

行動様式を真似て その通りに行動できる子が 良い子。 出来ない子は ダメな子。という 優位、劣等を植え付けられてしまいます。



大人自体が 心と体の成り立ち、仕組みを良く観察していないから

一律で 同じような発達でないと異常であると判断してしまいがちになります。

または 大人が自分の知っている世界だけで判断する事しか知らない世界に新しい知識が入ると

大人自体が 異物を拒否すること(辛く当たったり 無視したり 矯正、強制しようとする)世界が蔓延しています。


仕組みを観察し、理解し、表現し 拙い生き物を受け入れて愛おしく育てることが

子育てなのじゃないかと思います。動物を愛でる事も同じ。




だから 子育ては 子に 親が育てられる(知識と知恵をわけてもらう)という事だと思っています。

それには親がもっと「自分は何もしらない」 という 無知の知を理解する必要があると思っています。まる。









愛情は与えるだけ与えても自分から失われない

2017年04月03日 | スピリチュアル
愛情は与えるだけあたえても自分から愛情やエネルギーは奪われない  です。


モノ、カネ ではありません。 愛情です。

心配は愛情ではありません。 呪いです。

愛情は 心がほっこりします。 むしろ 愛したいというのが生き物の本質なのではないか、エネルギー発生装置なのじゃないかと

思うくらいに 愛することは 素晴らしいです。



愛情を 物 金で解決しようとするとそれは 欲になります。

欲は 何かの原動力になりますが、行き過ぎると美しくありません。


愛情は ただ ニコっとした笑顔だけでも表現できます。

だから人を騙すことができることもありますが、一緒にしばらくいると嘘か本当かがわかります。 


私がひとを見る時、仕事で成功していると言われる人を見る時に 目の奥を観ます。


愛がないひとも結構います。 目の奥が 獲物を狙うような感じなのです(カモとかね)あと、おどおどしている感じとか。

何かを与えると何かを奪われるという強迫観念なのかしら?と感じることがあります。




それを見極めるには なんでも鑑定団の鑑定士の人達が 贋作、本物を見極めるのに様々な作品を見て雰囲気を感じ取ることを

ずっと訓練して来ることくらいに 経験が必要かもしれません。


でも注意ぶかく見ていれば わかります。 ぶっきらぼうな人の目の奥の優しさとか。


愛情が無い人、飢えているひとは いくら与えてもずっと飢えているので


付き合っている時間がもったいないと感じたら そっとサヨナラするのも 自分への愛情。

自分が自分を愛さない人、愛しすぎる行動がオカシイひとは ボリュームがおかしいラジオのような感じです。

適量であれば 心地よく音楽が聴けます。




少なくとも 適量での循環の愛情があれば もっと世の中 住みやすくなるんじゃないかと思っております。

















子育てと間合いと挨拶と。

2017年04月03日 | スピリチュアル
お子さんの子育ての事についてご相談を受けました。(また 子育て、子供との関係。ご相談の傾向は不思議なくらい集まります。)

私もまだまだ人の事は言えないですが、

子供の頃から近所の子供を集めて遊んだり、親戚に子供ができたら面倒見に行ったりと(親戚一同手に職持つ系なので)

子供が大好きですので、 自分の子供が出来た時には嬉しかったですし、今でもチュッチュしちゃいます。

保母さんになりたかったです。(いつか機会があれば老人ホームと保育園と養護施設を一緒にした施設を作ってみたいと思っています 籠〇談)


子育てと言いますが、 子供の年齢=親としての年齢。 ですし

こどもに対して しつけと称して暴力をふるったり 攻撃的になったりするということは

子供と同じ精神年齢に 下がってしまっていて、伊達に年齢を重ね身体は大人になっている分 質がよろしくなくなってしまいます。

子供も納得がいかないことには反発します。 大人だから、年上だから尊敬しろ!いう事を聞け! という理由はあまりありません。

肉体のルールは大人は身に着けていきますが、魂のルールは子供の方が遥かに洗練されていたりもします。




子供同士の遊びでも、昔は 年齢層バラバラで 兄弟がいなくても近所の子が お兄さんだったりお姉さんだったり

自分の下に 近所の子供が生まれれば 自分がお姉さんになったりと

自然と年下の生き物を可愛がる、面倒見るという練習になっていたように思います。


最近では 公園に行っても、同じ年齢だけで固まったり、異質なものとして避けたりされる事が多々あります。知らない子だからと。

それは 大人がしているからでもあると思います。 大人が距離、間合いの取り方を知らない。挨拶しない。または礼儀を欠く。


私もまだまだだなあ。と思って気を付けているのですが、

知らない人同士でも 「こんにちは」とただ言えばいいのに、 

エレベーターの中で おじさんがいきなりこちらに「 寒くていやになっちゃうよ。そとは雨かな これじゃあ嫌だなあ」とか

独り言の延長に乗って欲しいような人が 本当に多いです。大体ネガティブな言い方が多いのでさらに こっちが嫌です。

おじさんが独り言を言うのを許す自由があるように、こちらもスルーする自由がありますので

スルーしていると 「あ~あ。ジジイは損だよな。女の子が相手にしてくれないよ」と言われると はあ。。。と。



失礼な人だと「 上から胸が見えちゃうよw」とか。 本気で気持ち悪いです。 都市伝説じゃないですよ。

本当に 迷惑をかけられているんですから。 

そんな時は スルーするか、余程「この人言われた事ないんだろうな」と思ったら

「失礼ですよ」とはっきり言います。 今まで自分の発言を注意された事が少ないから良いんだと思っている可哀想な人なんじゃないかという

温情でです。 


(ただ、この後に暴力という訳の分からない行動をとるアホもいますから 必ず自分の身の安全を確保できる状態から

してくださいね。 コイツだったら 倒せるわ。 という見極めですw)



いきなり個室でしゃべりかけられると男性からだと気持ち悪いです 社会性のなさそうな人だと尚更面倒。




こんにちは。 とか アイコンタクトがあってニコっとして普通に頭を下げてからならわかります。 

それでも 「俺、私、の相手をするべき」という雰囲気で押されると 魂が半分ぬけかかります。


相手をするとは相手をさせられるという事ですから お互いの同意の有無があるかどうかを探るには 挨拶でしょう。


子供だって 「いっしょにあ~そぼ~」と言って 「い~よ~」 とか 「もう帰るからまたね~」とかのやり取りがありました。


子育て=人間関係構築 だと思っています。


たとえ自分の子供であっても 一人の独立した魂です。 こちらのルールがよくわかっていなくて むき卵みたいな状態なだけです。

だからこそ 愛おしいですし、愛おしかったら 「可愛いね」とか 「愛してるよ」とかどんどん言って

愛情を注いであげると 殆どの子育ての苦労は 手間がかかる楽しみ くらいに変化するんじゃないかと思います。


苦労苦労と ネガティブな言葉をつかいすぎ。 言霊ってありますから 苦役(仕事) 苦労 苦行、


スルメをアタリメと言ったように  楽役 楽労 楽業(行)だと変換してみたらいかがでしょう?と思います。


子供の世情は 大人の縮図です。 悪い、悪くないという言い方はジャッジするようであまり好きではないですが


大人が悪い。  これは 先んじている人がそのお手本の姿を間違えているから という意味です。


自分も常に心がけないといけないとおもっています。  


こども、生き物は可愛いです。