Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

Reader感想記

2011-11-07 18:47:22 | 日記
今日、家電店に行ったら、Readerのコーナーが消えていた。なぜだぁ~!
パナも出すとか出さないとか言っているのに。最近、雑誌類も購入できるように
なって個人的には結構イイと思うんだけれどな。

この前読み終えたのは


「日本人はなぜ震災にへこたれないか」「関 裕二 著」

今回の東日本大震災の被災者のいろいろな心情のルポかと思いきや、日本人のルーツとなる天変地異と信仰の歴史を探ったものであった。「雷神は雷鳴を轟かせ、雨を降らせ・・・・」のくだりが印象的であった。確かに人間の命を奪う反面、恵みを人間にもたらす。そして「稲妻」という字は、稲の妻(夫かも)で稲の精でその稲の精と結びつかなければ稲は実をつけない、と信じられたらしい。確かに、落雷することで窒素、リンを土に染み込ませる作用はある、たしか、宮沢賢治が言っていたことを思いだした。
日本人にとって「神」は大自然と考えれば良いのかもしれない。その大自然は恵みをもたらすが私たちを苦しめたりする時は「鬼」の面を出す。
鬼は人智を超えた力をもっているので、人間は畏敬の念を表さなければいけない。うーん、古代からの流れなのだと関心しながら読み進んだ。
「一寸法師もヤマトタケルも聖徳太子もみんな鬼だった」の章もなかなか面白かったが、聖徳太子は決して鬼のような気はしないがなぁ。「鬼退治をするものは鬼のように恐ろしい童である」というくだりから、天皇に繋がる流れは?という気持ちにもなった。
「なぜ日本人は宗教に節操がないか」の章もなかなか興味深いものがあった。
他の国は一神教が殆どであり、それを口実に他国に攻め入ったりする国もあるくらいだからなぁ。
蘇我氏と物部氏が仏教導入で対立した時点で、「いろいろな教えを、日本的な習俗に合わせていく」
という作業が始まっていたらしい。そう、日本は自然という「神」と「鬼」と共存し、畏敬の念を
もち過ごしてきたのだから。
最近は便利ではなくても、時がゆっくり流れ人同士の絆が深く強くなり、豊かな自然に感謝しながら生きる
ことを忘れていたのかも知れない。
最後の方は、「日本的なものを二度捨てた日本人」の章でかなり考えさせられることが多かった。
というか、学校の授業では近代史を深く教えない。やはり、そんな授業を受けてしまえば「神」も「鬼」も
怒ってしまうだろう。日本は本当に大事なものをゴミをすてるようにしてきた報いだったのかな?とも解釈できた書籍であった。
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