蓮の花だより・・・不定期便

季節のうつり変わりと花の香りを求めて、筑後地方を中心に紹介して行きたいと思います。

山鹿灯籠民芸館 ①

2014-03-21 11:19:18 | 日記










山鹿灯篭は、室町時代の“金灯籠”に始まり、その後長い歴史のなかで神殿造り・座敷造り・城造りなどと多様化します。その作法には一貫した鉄則があります。
第1に、木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで作られること。第2に、柱や障子の桟にいたるまで中が空洞であること。第3に独自のスケール(規矩)で作られ、単なるミニチュアではないことです。
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八千代座(熊本県山鹿市)

2014-03-19 15:07:17 | 日記










3/15に山鹿市に行って来ました。
八千代座(やちよざ)は、明治43年に旦那衆と呼ばれる山鹿の実業家たちの手によって作られた芝居小屋です。江戸時代の古典的洋式の中にドイツ製のレールを使った廻り舞台など、充実した機能を持っていました。その頃の山鹿は交通の要衝として物流の拠点であり隆盛を極めていました。八千代座は当時の豊かさの象徴であり、レベルの高い文化・芸能を楽しむ場として建てられたものです。明治44年に「こけら落とし」が行われ、各地より多くの有名な芸能人たちが来援し、大正・昭和にかけて観客を楽しませてくれました。
昭和63年に国指定重要文化財に指定され、全国にその名が知られるようになりました。
公演日以外の日は見学することも可能です。
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懐かしい農機具・・・・・神代小路

2014-03-17 19:27:36 | 日記












前回の続きです。
神代小路に行った日は物産展があっていると聞いていたので、物産展が催されていた場所に行って見たら既に終わっていました。そこは古い国見町の中学が建っていた場所だったので、物産展の関係者から「国見中学を見て行かないか。」と誘われたので学校の方の見学が出来ました。また「校内の写真も撮っても良い。」との許可が出ましたけど教室の方の写真は遠慮しました。写真を撮ったのは廊下に所狭しと陳列してある展示品で戦後、農家で見た事のある農機具です。とても懐かしい品々でした。
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神代小路(こうじろこうじ)の小京都・・・・雲仙市国見町

2014-03-15 19:30:05 | 日記
















3/8に長崎県雲仙市国見町の小京都と呼ばれている神代小路に行って来ました。
神代小路は古来から、島原半島と佐賀方面を結ぶ海上交通の要衝であり、神代氏が治めていました。16世紀後半、神代氏は歴史から姿を消し、以後明治に至るまで佐賀鍋島藩の神代領となりました。4代目領主・鍋島崇就(なべしまたかなり)が17世紀後期に城跡の周囲の川や田を埋め立てて築造しました。
現在も江戸時代の地区割りがそのまま残されており、水路・生垣・石垣など多くの遺構が調和と整然の美しさを保っています。
平成18年に美しいまちなみ大賞(国土交通省)を受賞しました。

鍋島邸には庭園にヒカンサクラの大木があり、2月頃の開花時期には各地から沢山の人々が訪れて賑わいます。
私が神代小路を訪れた時にはヒカンサクラが満開状態でとてもきれいでした。


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肥後椿

2014-03-13 14:21:43 | 日記










熊本城内に肥後椿の庭園がありました。肥後椿は、約200年前の藩政時代から肥後で盛んに栽培されてきた肥後六花(菖蒲、椿、菊、芍薬、朝顔、山茶花)の一つです。
肥後六花に共通する特徴は、大輪の一重咲きで、花の形がよく、花の色が美しい事です。肥後椿も花の形が大きく、気品があります。見頃は3月頃です。
熊本で園芸が盛んになったのは、肥後細川6代藩主・重賢(しげかた)公が藩政振興策として「蕃慈園(ばんじえん)」を開き、内外の薬草を奨励したことがきっかけになっています。
今回の熊本城の見学ではとても有意義な時間を過ごせたと思います。この梅園を最後に熊本城をあとにして家路に着きました。
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