蓮の花だより・・・不定期便

季節のうつり変わりと花の香りを求めて、筑後地方を中心に紹介して行きたいと思います。

三池山へハイキング

2015-05-16 15:46:44 | 日記




















5月の連休中に三池山へハイキングに行きました。ハイキングコースは普光寺の方から登る方法と
乙宮から登る方法とがあります。三池山には学生時代に一度普光寺の方から亡き父と一緒に登った事があるので約半世紀ぶりです。今回は乙宮の登山口から登りました。乙宮から登った方がなだらかな林道が続くので幼稚園児もこの道を通って三池山へハイキングへ行くそうです。林道のあちこちにタケノコを採った跡があり、その近くからは細い形をしたタケノコが生えていました。
山頂が近づくと坂が急になっているので運動靴を履いていてもスルット下へ滑りましたが、山頂に辿り着くとアザミを始め色んな花が咲いていたので山登りの疲れもなくなりました。

三池山は標高388m、大牟田市内で一番高い山です。山頂からは東(阿蘇山)、西(有明海・雲仙・島原・多良岳)、南(小袋山)への眺望が良く、元旦には初日の出を拝む人も多い所です。
また山頂近くにはツガニ伝説が残る三つの池があります。お姫様を襲う大蛇をツガニ(サワガニ)がハサミで三つに切り、その血が三つになったというもので三池の地名の由来にもなっています。
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大牟田川の河口

2015-05-13 00:08:55 | 日記














約1年ぶりに大牟田川の周辺を歩いてみました。河口近くには三井関連の工場が建っていて炭鉱の全盛期が偲ばれました。河口の近くに大黒様を祀ってあったのには驚かされました。大牟田川は二級河川です。

<今日は出かけますのでコメント欄はお休みします。>
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ビルの上から見た大牟田市

2015-05-10 00:28:52 | 日記














4月の下旬の夕方、街の中心に当たるビルの上から撮った大牟田市内です。
大牟田市は九州の中部に位置し、西は有明海に面しています。かっては三井三池炭鉱の石炭資源を背景とした石炭工業で栄え、昭和34年には最大人口は約21万人を誇りましたが、現在の人口は約12万人になっています。
炭鉱が閉山してからは環境リサイクル産業などの新興産業(エコタウン)や立地条件をを生かした大牟田テクノパーク(工業団地)への企業誘致などに力を入れています。
現在の市の公式キャッチフレーズは『やさしさとエネルギーあふれるまち・おおむた』です。

南隣にある荒尾市とは、ともに「三池炭鉱の街」として栄えてきたこともあり現在でも経済的な繋がりが大変強いです。荒尾市と共同でゴミ処理を行っていたり、水道局の井戸・配水施設が荒尾市にあったりするなど自治体間の関係も深いので、越境合併を望む声も少なくはありません。

ユネスコの諮問機関、イコモスは「明治日本の産業革命遺産」を世界遺産に登録することがふさわしいと勧告し、ユネスコ側が5\4、日本に通知しました。勧告で認められた23の資産の一部である大牟田市の三池炭鉱宮原抗と三池炭鉱専用鉄道敷跡や三池港に観光客が訪れているそうです。
 
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石橋文化センターに咲いていた春の花々

2015-05-07 09:03:00 | 日記


















久留米の方に用事があったので石橋文化センターに行ってきました。そこには春の花々がたくさん咲いていて目の保養になりました。チューリップも咲いていると聞いていましたが、殆ど終わっていて少しだけ他の花々の中に咲いていました。水辺にはたくさんのシランの花が咲いていましたし、暖かな日差しの中で見たカモは気持ち良さそうに生簀の中で寛いでいました。
今、石橋文化センターは5/2より春のバラフェスタがあっていますが、その前にバラの花を見る事が出来て幸運でした。
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新緑の秋月

2015-05-04 10:13:59 | 日記














4/25に新緑の秋月へ行きました。秋月は「筑前の小京都」と呼ばれている城下町です。

秋月は標高約860m古処山の麓の町で三方を山で囲まれ、南に開けた町です。地理的に攻めにくく、守りやすい盆地にあります。中世に秋月氏が古処山に山城を築き、秋月氏16代、近世になって黒田氏が12代と歴史は大変古く、現在の街並みは黒田氏によってつくられました。
明治までは城下町として賑わっていたのですが、秋月の乱で武家の没落と主要幹線から離れた立地が近代化や開発から取り残され、結果として、城下町の姿は残りました。
国の重要伝統的建造物群保存地区として、町全体が指定されているのが秋月の特徴です。
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