先日放送の川本三郎さんが、荷風著『日和下駄』を称して「散歩エッセイ」と仰っていた。
まさしくその通り。
『日和下駄』の下に小さく 「一名 東京散策記」と記してある。
荷風さんが下駄に蝙蝠傘を手にし、父の形見の(夏)袴を履いた出で立ちで、街中を闊歩している様子が想像できる。
街を細かく歩いており、裏道・細道・横道、路地、裏町・横町を丹念に観測している。
河、寺院神社、樹、崖、坂などを江戸地図を持参して、江戸時代この周囲がどんな状況だったか思いを馳せ、現在の様子と比較しながら、昔を懐かしむ。
日和下駄で、てくてくぶらぶら歩きながら、楽しんでいる様子が目に浮かぶ。
今で言うなら、古地図を片手に街歩き。
『ブラタモリ』を想起させる。
現在、まさに街歩きブームだと聞いているが、既にそれを実践している。
街歩きの先駆者だ。
貴重な記述が随所に見られる。
街歩きをして、細かく観察し、しっかりと考察している。
時には感情が激して、「世の中はどうでも勝手に棕櫚箒(しゅろぼうき)」つまり「世の中はどうでも勝手にしろ」と言って、「議論はよそう。」とも書いている。
またはこんな記述もある。
『崖』の項目で、森鴎外さんの観潮楼二階からの眺望と聞こえてくる鐘の音、また6畳と8畳二間で花瓶の他は何もない、机以外には本も硯も筆も何も見えないなど、鴎外さんの部屋の一部が描写されていてとても興味深かった。
『日和下駄』は小品エッセイ、気軽に読める佳品なり。
まさしくその通り。
『日和下駄』の下に小さく 「一名 東京散策記」と記してある。
荷風さんが下駄に蝙蝠傘を手にし、父の形見の(夏)袴を履いた出で立ちで、街中を闊歩している様子が想像できる。
街を細かく歩いており、裏道・細道・横道、路地、裏町・横町を丹念に観測している。
河、寺院神社、樹、崖、坂などを江戸地図を持参して、江戸時代この周囲がどんな状況だったか思いを馳せ、現在の様子と比較しながら、昔を懐かしむ。
日和下駄で、てくてくぶらぶら歩きながら、楽しんでいる様子が目に浮かぶ。
今で言うなら、古地図を片手に街歩き。
『ブラタモリ』を想起させる。
現在、まさに街歩きブームだと聞いているが、既にそれを実践している。
街歩きの先駆者だ。
貴重な記述が随所に見られる。
街歩きをして、細かく観察し、しっかりと考察している。
時には感情が激して、「世の中はどうでも勝手に棕櫚箒(しゅろぼうき)」つまり「世の中はどうでも勝手にしろ」と言って、「議論はよそう。」とも書いている。
またはこんな記述もある。
『崖』の項目で、森鴎外さんの観潮楼二階からの眺望と聞こえてくる鐘の音、また6畳と8畳二間で花瓶の他は何もない、机以外には本も硯も筆も何も見えないなど、鴎外さんの部屋の一部が描写されていてとても興味深かった。
『日和下駄』は小品エッセイ、気軽に読める佳品なり。