次に巡ってきた考えは、我ながら突拍子のないものだった。
憎き愛人J をせめて架空の世界でコテンパンに侮辱してやろうと、私はハゲ社長と愛人J の肉の絡み合いを妄想し始めたのだ。
あの威圧的なハゲ社長だったら、きっと夜の要求も相当なものに違いない。
いや待てよ、逆に愛人J がS譲に化けることも想定できるかも。そういえば顔がSM漫画に出てきそうだし。
いずれにしても接吻は確実…だとして、それはどんな光景なのか…。
妄想が進むにつれ、たとえば社長の顔の脂の乗り具合や、いつもジト~っとした目つきで他人を見るその視線の先、満員電車でありがちな鼻にツンとくるオヤジ臭なんかが、実にリアルに私の脳内に広がった。
そして思った。
これは大変だ…。
具体的に想像するそのどれもが、フツウ、まだ若い女にとっては堪え難い苦痛に他ならなかった。
同じ初老でもダンディなオジサンなら話は別だ。つまり年齢が問題なのでもなければ、毛があるかどうかが問題なのでもない。
問題は「その社長」。
私は一目見た時から「なんか気持ち悪い」と感じていた、それくらい何やら独特のオーラを発しているのである。(女に一瞬で「気持ち悪い」と感じさせる男性なんて、そう多くいるもんじゃありません)
にも関わらず、それができてしまう J って、…何?
一体何に困っているの…?
私はハッとした。
これかぁ! これが校長先生の言っていた「同和教育の延長上」ってやつなんだ!
何か不可解な人や現象に出くわした時、その人自体を責めるのではなく、そうなった背景や経緯をまず考えること。
私はフィリピンの街に立ちすくんでいる J を想像した。
路上で物乞いする裸足のこどもたち、甘い声を出して白人を勧誘する水商売のギャル、青白いドブに溜まったプラスティック袋の山、そうしたドブの真横に座って飴やタバコをバラ売りする老人たち…。
フィリピンという国の大変さは、重々承知していた。
そんな状況を変えようと奮闘している人たちがいる一方で、事実、何も変わらない現実が重く大きく横たわっている。
そもそも日本で働いている日系フィリピーノには、大きく分けて2種類の人がいる。
ひとつは日本が貧しかった戦前にフィリピンに移住した日本人の家族および子孫。
もうひとつは、80年代以降エンターテイナーとして日本へ来たフィリピン人女性が、日本人男性との間に子供をつくったケース。
いずれも彼・彼女たちは「日系フィリピン人」として日本で働いている。
前者の旧日系人は、2世までは日本人(ほとんどは父親)の教育をしっかり受け、教養も高かったらしい。
けれどそうした父親たちはこぞって戦争に駆り出され、戦後は日本に強制帰還させられて家族だけがフィリピンに残された。そうなると、もはや日本は元敵国であるから、日本人の血が混じっているなどとは口外できなくなり、中には自分のルーツを知らないまま成長した人もいるという。
そうした人たちの身元証明作業は、今も細々と続けられている。
では現在日本で働いている日系フィリピン人に何か差があるか?というと、どちらも似たり寄ったりだ。
旧日系人会の学校でボランティア教員をしているY先生(日本人)によると、3世以降の旧日系人にはこんな問題があるらしい。
・両親が日本で働き、祖父母がこどもを育てているため、多くのこどもはほとんど学校に来ずに遊んでいる。祖父母は食事を与えるだけで、しつけはほとんどしない。
・大人になったら親と同じように日本へ働きに行けるため、勉強しなくてもいいと思っている。
・両親が毎月お金を送ってくれるので暮らしは裕福。しかし働く厳しさは教えられないし、親の背中を見ることもできていない。
後者の新日系人についてはちゃんと取材したことはないけれど、こどもが産まれた後、日本人男性とは別れて(中にはこどもも認知されずに)母子家庭として暮らす人が多いと聞いた。
もちろんそうでないケースもあるとは思うけれど。
そんなこんなで、フィリピンは自国が大変な上に、そこから飛び出してくる人たちも独特の背景を持っている場合が多い。
愛人J の場合は一体どうなのか。
その日の作業が終わり、タイムカードを押しに行く途中で J と鉢合わせになった。
私は、まだ何と聞いていいか分からないままだったのに、気づけば声をかけていた。
「ねえ、フィリピンに仕送りってしてるの?」
「してるよ」と J はあっけらかんと答える。口元には真っ赤な紅が塗り直されていた。
「仕送りって、だいたいいくらくらいなの?」
「いろいろ」
「20万とか?」
「そんなにしない! 20万は大きいよ!」
「じゃあ10万くらい?」
「そんなにしない! 3万とか、5万とか。家族が多い人は5万くらい」
「へぇ。でも(日本で働いてる人は)フィリピンに家とか建てるじゃん」
「うん」
「あれは3万とか5万のうち幾らかを貯金して建てるわけ?」
「そう」
「ふーん。そうなんだ」
なんとも取り留めのない会話だったけれど、私の気分は随分ラクになった。
J は普通に話してくれたし、話している時の私のキモチも、至って自然だった。
妄想ではもっと深刻な送金事情があるだろうと踏んでいたので、それが的外れだったのは肩すかしな感もあったけれど、そんなことはもはや二の次になっていた。
同和教育的思考は、硬くなった人の心を、考え方ひとつで柔らかくしてくれるものなんだな。
すげー。
とはいえ、私が本当の意味でこの件を乗り越えるには、あと一悶着せねばならないのです。
(さらにつづく)