アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

出会いに感謝

2015-02-01 | 2015年たわごと

昨日、東急ハンズの化粧品売り場で、ステキな売り子さんに出会った。

48歳という彼女は、40歳を過ぎてから肌の手入れを始めたという。

それでも、薄化粧の彼女の肌には瑞々しさがあって、何より、笑顔がとってもチャーミングだった。

 

彼女が私の10年先の目標になった。

 

 

今日はNHKラジオのディレクターさんからひょんなメッセージをいただき、フォトジャーナリストの安田奈津紀さんを紹介された。

お名前は知っていたけれど、もう長らくテレビを見ていないせいで彼女の活躍ぶりは存じ上げず、はじめて公式ウェブサイトを見て衝撃を受けた。彼女は国内外の写真だけでなく、写真ワークショップやスタディツアーを精力的に行っている。

しかも27歳というから私より8歳も若い…。

なんだか頭をガツーンと打たれた思いだったけれど、同時に、今というタイミングで出会えたことに感謝した。

 

 

これまで数えきれないほど多くの人に出会い、わたしの人生はカタチづくられきた。

出会いこそ宝であり、人は人と出会うことでしか前に進めないのだろうとさえ思う。

 

でも同時に、具体的な目標にできる人や、私も負けられないと思える人の存在がいかに大切かを、昨日と今日は身にしみて感じています。

恐らく今までにもそういう人たちに出会ってきたんだろうけど、見逃してたんだろうなぁ。

あぁもったいない。

 

 

自分が歩むべき道を模索するのは簡単ではないけれど、自分の能力的限界にガンガンぶち当たってツライ時もあるけれど、それでも愚直に、ご縁に感謝しながらやり続けるしかないんだな。

 

今月も学び多き日々が過ごせますように。

 


「世界とこどもの写真展」プレ開催

2015-01-31 | 2015年たわごと

連載気分だった工場日和がすっかり中断状態になってしまい、これではただの愚痴&怒りブログじゃないか…と心から反省中。

ですが、とにかく目の回る忙しさだったことは確かで、今日ようやく、それが一段落しました。

 

何に駆けずり回っていたかというと、例の写真展。大阪の某小学校で、一昨日からはじまりました。

 

 

展示したのは、A1サイズ8枚と、A4サイズ約100枚。

なんせ学校の廊下(しかも靴箱の上!)なので、悩みに悩んだ結果、白い段ボールで一面を覆い、壁をつくることにしました。

パネルは途中で落ちてこないように、強力な両面テープでガッツリ貼り付け。

これで再使用できないことが決定。。。したわけであります。^^;
(A1パネルはさすがに再使用しないとお金が続かないので、ピン留めorイーゼルにしました)

 

この制作過程で、考えたこと数知れず。

 

そもそも私はなぜここまでガンバルのか…、ということについて。

それは、時間的資金的支出を考えると、とても今の自分が敢行すべきことではないからです。

 

深層心理的な理由は幾つかあるものの、恐らくメインの原動力は2つなのかな、と考え至りました。

ひとつは危機感。

こども(あるいは若者)の殺人事件や自死が頻発していたり、ヘイトスピーチ等で信じられない言葉が公然と発せられていたりする昨今、なんだか日本中がストレスに覆われて、こどもや外国人や障がい者など弱い立場の人たちが真っ先に“やられて”いるような気が(私は)しています。

それは温暖化問題に似ていて、比較的条件の良い地域ではその影響の深刻さは感じられにくい。大きな被害が出るのは大抵、もともと気候条件が厳しい乾燥地帯や洪水地帯、つまり途上国です。 
それがどんどん進んでいって後戻りできなくなった頃に、 他人事だった問題が自分事となって日本でもニュースに取り上げられるようになる。そしてそれまでひっそりと苦しんできた人たちは、その根本的原因が議論されることもなく単なる過去の災いとなってしまう。

すっごく漠然としてますが、そんなイメージです。

それが当たっているかどうかは分からないけれど、自分がそう感じてしまっている以上は何かアクションを起こさなければ気が済まず、その努力なしにただ暗いニュースを読んで未来を嘆くほど無責任なことってないんじゃないか、と思ってしまっているの。

…なんてクソマジメな愛国精神なんでしょう。

 

もうひとつは、ご縁です。

この小学校の校長先生が掲げる教育方針にあまりに激しく共感して、つまるところ、惚れてしまったというわけ。
…そうなると、ミツグ君になってしまうのです。私。

展示作業中に校長先生は何度も様子を見にきてくださり、その度に「うわっ!すごいなぁ~」と感嘆の声を上げてくれました。その大阪人らしい反応がまた嬉しくて、本当にやってよかったなぁ…としみじみ。

教育方針とは一般に「多文化教育」と呼ばれるもので、特に外国ルーツのこどもが多い地域や学校では欠かせない「異文化コミュニケーション」や「相互理解」の土台となるものです。

易しい言葉でいえば、「自分に自信をもって、かつ自分と同じように他人も大事にできるようになること」…かな。

そのためには自分の地域のこと(自文化)と、その他の地域のこと(他文化)を知る機会が必要なのだと校長先生は言うのです。まさにそう、そうなんですよ。自分を知るためには外を見ることが大切で、外を知るためには自分を見ることが大切ということ。
私が何百万円もかけて世界を駆けずり回り、ようやく気づいた核心です。

 

だから、その一助となるなら何でもします!…というのが正直な心境。

同じポリシーをもつ人たちの協力で、最も素直で多感な時期のこどもたちに向けて自分の思いを表現できるなんて、それほど有り難く、かつ効果的なアクションは他にないっすよ。。。と思うわけです。

 

 

展示写真に囲まれた保健室の先生がおっしゃいました。

「写真に囲まれてると、なんだかすっごく気分がいいわ。もうずーっと置いといてくださいって感じです」

 

それぞれの国に、私たちと同じように笑ったり泣いたりしている人たちがいるということ。

ただそれだけのことを私は伝えたいんだろうなぁと、展示した写真群を眺めながら思いました。

 

これは人間讃歌。

 

この愛が、いろいろな思いを抱えて生きているこどもたちに、少しでも届きますように。

 


今日も工場日和-4 + 同和教育的思考

2015-01-11 | 2015年たわごと
次に巡ってきた考えは、我ながら突拍子のないものだった。
 
憎き愛人J をせめて架空の世界でコテンパンに侮辱してやろうと、私はハゲ社長と愛人J の肉の絡み合いを妄想し始めたのだ。
 
 
あの威圧的なハゲ社長だったら、きっと夜の要求も相当なものに違いない。
 
いや待てよ、逆に愛人J がS譲に化けることも想定できるかも。そういえば顔がSM漫画に出てきそうだし。
 
いずれにしても接吻は確実…だとして、それはどんな光景なのか…。


妄想が進むにつれ、たとえば社長の顔の脂の乗り具合や、いつもジト~っとした目つきで他人を見るその視線の先、満員電車でありがちな鼻にツンとくるオヤジ臭なんかが、実にリアルに私の脳内に広がった。
 
そして思った。
 
 
 
これは大変だ…。
 
 
 
具体的に想像するそのどれもが、フツウ、まだ若い女にとっては堪え難い苦痛に他ならなかった。
 
同じ初老でもダンディなオジサンなら話は別だ。つまり年齢が問題なのでもなければ、毛があるかどうかが問題なのでもない。
 
問題は「その社長」。
私は一目見た時から「なんか気持ち悪い」と感じていた、それくらい何やら独特のオーラを発しているのである。(女に一瞬で「気持ち悪い」と感じさせる男性なんて、そう多くいるもんじゃありません)
 
 
 
にも関わらず、それができてしまう J って、…何?
 
一体何に困っているの…?
 
 
 
私はハッとした。
 
これかぁ! これが校長先生の言っていた「同和教育の延長上」ってやつなんだ!
 
何か不可解な人や現象に出くわした時、その人自体を責めるのではなく、そうなった背景や経緯をまず考えること。
 
 
 
私はフィリピンの街に立ちすくんでいる J を想像した。
 
路上で物乞いする裸足のこどもたち、甘い声を出して白人を勧誘する水商売のギャル、青白いドブに溜まったプラスティック袋の山、そうしたドブの真横に座って飴やタバコをバラ売りする老人たち…。
 
フィリピンという国の大変さは、重々承知していた。
 
そんな状況を変えようと奮闘している人たちがいる一方で、事実、何も変わらない現実が重く大きく横たわっている。
 
 
 
そもそも日本で働いている日系フィリピーノには、大きく分けて2種類の人がいる。
 
ひとつは日本が貧しかった戦前にフィリピンに移住した日本人の家族および子孫。
もうひとつは、80年代以降エンターテイナーとして日本へ来たフィリピン人女性が、日本人男性との間に子供をつくったケース。
 
いずれも彼・彼女たちは「日系フィリピン人」として日本で働いている。
 
 
前者の旧日系人は、2世までは日本人(ほとんどは父親)の教育をしっかり受け、教養も高かったらしい。
けれどそうした父親たちはこぞって戦争に駆り出され、戦後は日本に強制帰還させられて家族だけがフィリピンに残された。そうなると、もはや日本は元敵国であるから、日本人の血が混じっているなどとは口外できなくなり、中には自分のルーツを知らないまま成長した人もいるという。
そうした人たちの身元証明作業は、今も細々と続けられている。
 
 
では現在日本で働いている日系フィリピン人に何か差があるか?というと、どちらも似たり寄ったりだ。
 
旧日系人会の学校でボランティア教員をしているY先生(日本人)によると、3世以降の旧日系人にはこんな問題があるらしい。
 
・両親が日本で働き、祖父母がこどもを育てているため、多くのこどもはほとんど学校に来ずに遊んでいる。祖父母は食事を与えるだけで、しつけはほとんどしない。
 
・大人になったら親と同じように日本へ働きに行けるため、勉強しなくてもいいと思っている。
 
・両親が毎月お金を送ってくれるので暮らしは裕福。しかし働く厳しさは教えられないし、親の背中を見ることもできていない。
 

後者の新日系人についてはちゃんと取材したことはないけれど、こどもが産まれた後、日本人男性とは別れて(中にはこどもも認知されずに)母子家庭として暮らす人が多いと聞いた。
もちろんそうでないケースもあるとは思うけれど。
 
 
 
そんなこんなで、フィリピンは自国が大変な上に、そこから飛び出してくる人たちも独特の背景を持っている場合が多い。
 
愛人J の場合は一体どうなのか。
 
 
 
その日の作業が終わり、タイムカードを押しに行く途中で J と鉢合わせになった。
 
私は、まだ何と聞いていいか分からないままだったのに、気づけば声をかけていた。
 
「ねえ、フィリピンに仕送りってしてるの?」
 
「してるよ」と J はあっけらかんと答える。口元には真っ赤な紅が塗り直されていた。
 
「仕送りって、だいたいいくらくらいなの?」
 
「いろいろ」
 
「20万とか?」
 
「そんなにしない! 20万は大きいよ!」
 
「じゃあ10万くらい?」
 
「そんなにしない! 3万とか、5万とか。家族が多い人は5万くらい」
 
「へぇ。でも(日本で働いてる人は)フィリピンに家とか建てるじゃん」
 
「うん」
 
「あれは3万とか5万のうち幾らかを貯金して建てるわけ?」
 
「そう」
 
「ふーん。そうなんだ」
 
 
 
なんとも取り留めのない会話だったけれど、私の気分は随分ラクになった。
 
J は普通に話してくれたし、話している時の私のキモチも、至って自然だった。
 
妄想ではもっと深刻な送金事情があるだろうと踏んでいたので、それが的外れだったのは肩すかしな感もあったけれど、そんなことはもはや二の次になっていた。
 
 
同和教育的思考は、硬くなった人の心を、考え方ひとつで柔らかくしてくれるものなんだな。
 
すげー。
 
 
とはいえ、私が本当の意味でこの件を乗り越えるには、あと一悶着せねばならないのです。
 
(さらにつづく)

今日も工場日和-5 + カテゴライズに対する論考

2015-01-10 | 日本の旅

2時間、4時間、6時間…と同じ環境・同じ姿勢で単一作業を続けていると、頭の中は思考停止に陥るか、もしくは徐々に思考が移ろいで意外なアイデアがひらめいたりする。

 

私はまず、「◯◯人」とカテゴライズしてしまうことについて考えを巡らせた。

 

例のフィリピン人女子2人のお陰で、私はすっかり「フィリピン人」が嫌いになりつつあった。

フィリピンは私にとって最も身近な国であり、日本人に次いで最も多く尊敬する友人がいるにも関わらず、である。

 

そんな風に嫌ってしまうのは、私に問題があるんだろうか。

 

とりあえず自己正当化するために、過去のいろいろな記憶をたどってみた。

まず旅先で必ず聞かれるのは「何人?」であり、「日本人」と答えると、「オーゥ!HONDA!」とか「トヨタ イズ ナンバーワン!」とかいう反応が(相手が陽気な人なら)返ってくる。もしくは、「日本人は英語が下手なのに、あなたは出来るのね」と言われることも頻繁にある。それは私の英語がどうこうではなく、日本人=英語が下手、という図式が蔓延っている表れであり、それより少しでもマシな英語を喋る日本人は「例外」ということになるってこと。

逆に「何人だと思う?」と聞き返すと、韓国ビジネスが盛んな地域なら「韓国人?」と言われるし、中国企業が多く進出している所なら「中国人?」と言われる。

そこで「違う、日本人」と答えると大抵の場合は好意的に受け止められ、「いいねぇ、日本人は礼儀が正しい」とか「日本人はいい人たちだ」などと言われることもある。

「だったら韓国人はどうなの?」とか「中国人と何が違うと思う?」と更に聞いてみると、うすらぼんやり、その国における韓国人や中国人の振る舞いの一部が垣間みれたりする。

 

たとえばこんなことを言われたことがある。

「韓国人は上から目線でエラそう」@フィリピン

「中国人は自分が欲しいものに突進してきて、根こそぎ持っていく」@インド

「中国人は口うるさくて、韓国人はすぐカッとなる」@確かイギリス

(その他諸々は忘れてしまいました…)

 

日本人に対しても、たとえば日本で10年以上働いているブラジル人Kは「日本人は怖い、厳しい、悪い(威圧的)」と基本的に思っていて、そうでない友人などは「例外」ということになっているらしい。

それは彼が出会ってきた日本人の総合評価として、決して間違いとはいえないと思う。

ただ、それが全てではないことも確かであり、こんな人もいるあんな人もいると考えていけば、そもそも◯人は~と一括りになどできないことも当たり前の話。それを分かった上で、それでも◯人は~と思ってしまうのが人間心理というものではないかと思うのだ。

 

私は再びフィリピン人について考えを巡らせた。

 

最も鮮やかに蘇る記憶は、フィリピン・ミンダナオ島のダバオという街で、日本語教師のボランティアをしている元校長のY先生に聞いたことだった。

「こっちの生徒は、日本では当たり前のことが本当にできないんですよ」とY先生は何度も私に言った。

「日本では当たり前のこと」というのは、たとえば授業中にお喋りしない、先生の話をちゃんと聞く、勝手にトイレに行かない、といった類いのことで、日本なら小学校1~2年生でしっかり教え込まれる学びの基本姿勢である。

それを、フィリピンでは先生が誰も教えないためにY先生が1人躍起になって注意しているというのだった。

 

また、「フィリピンの方の多くは情報伝達ということをあまりせず、学校でも突然そのときになって言われることがとても多いです」とのこと。

日本人の会議があまりに長いのも問題だとは思うけれど、逆に計画をほとんど立てずに思いつきで言ったり、変更したりするのも問題過ぎる。
 
けれどこれはタイでも同じらしく、「たとえばイベントをやった後に日本だったら必ず反省会をするけど、タイではやりっ放しで何も振り返らない」と、タイの保育園で2年間働いた日本人の友人が言っていた。
 
 
つまり日本の常識はその国の人たちの常識ではない、というだけでなく、そうした常識がない環境で生まれ育った人たちにとって、私たちが私たちの常識に則って考える理屈もまた、「ピント外れ」の可能性が高いのである。
 
たとえば「お喋りしていたら仕事(や勉強)に集中できないから静かにしましょう」と言っても、彼らは「え…なんで…?お喋りしててもちゃんと仕事はできるよ」と心の中で思っているかもしれず、もしそうであれば、いくらこちらが「合理的理由で注意した」と思っていても、相手には「日本人は厳しい」というあまりに漠然としたものしか受け取られずに「支配ー被支配」の構図ができてしまう結果になり兼ねない。
 
それは少なくとも私にとっては不本意だった。
 
何か注意を促す時は、その理由も含めきちんと納得してもらわなければ意味がない。
私がいなくなったらまた同じ問題が発生するというのでは、注意した甲斐がないのである。
 
 
 
だったらどんな理由を付けたらいいんだろう…。
 
仕事中にお喋りしたらいけない理由…。
 
 
 
次第に頭がボーッとしてきて、私はまた次の論考に吸い込まれていくのだった。
 
 
(つづく)

今日も工場日和-4

2015-01-08 | 日本の旅

昨日と今日で、めまぐるしく続報が更新しました。

2人のフィリピン人女子について。

 

以下ご報告します。

 

  ♦   ♦   ♦

 

 社長の愛人Jと、いかにもパブ勤めのプリケツAは、朝から相変わらずお喋りが盛んだった。

私たちのラインは、最初の2人が小さなプラスティック部品を取り付け、次の2人がビスで板金を(別々に)固定し、それを私が総点検(工場では検査という)して、最後の1人が番号シールを貼って箱詰めするという流れ。

順番に、ブラジル人(女子)→フィリピン人(男子)→フィリピン人(プリケツA)→フィリピン人(愛人J)→日本人(私)→ブラジル人(女子) となっていた。

つまりそのお喋りは私のすぐ隣で展開されることになるため、いくら気にしないでおこうと思っても強制的に耳に入ってくる。それもオールタガログ語なので意味が分からない。

それならBGMみたいなものじゃないか、と思われるかもしれないが、素人が喋るただの雑談はラジオのようなわけにはいかず、しかも何言ってるか分からないことが余計に耳障りで私を苛立たせた。

一昨日からかろうじて改善されたことは声のボリュームで、「うるさい!」と言われないための配慮は感じられたけれど。

 

とにかく私はイライラを懸命に押さえて時間が過ぎるのを待った。

声を小さくされているからには、むやみに注意するわけにもいかないかなと思って。

 

また、もうひとつ私が我慢せざるを得なくなった理由(変化)があった。

愛人J が、「リーダー」と前後に書かれたビブスを着始めたのだ。蛍光黄色の。

それは、社長命令か何だか知らないが、日本人社員のライン担当者と愛人J が着用する、とても奇妙なものだった。
今さら一体誰にアピールしようというのか…。 

 

そしてハプニングは起きた。

 

総点検係の私が、パチンコ台(これもプラスティック製でパチンコ本体の裏側にあたる部分)を持ち上げ要所要所を黙視確認し、オッケーと思って次に引き渡そうとした時。

愛人Jが私のササッと後ろに回ってその台を取り上げ、日本人社員を呼びつけて言った。

J「ここ、ビスがちょっと斜めに入ってる」

社員「…あぁ、本とだねぇ」

J「ケンサで見落とした」

 

私は、はあ…?と心の中で大きく口をあんぐりさせて立ちすくんでいた。

 

「え… どこですか…?」とようやく声を出して指摘された場所を確認すると、それはものすごーく微妙にビスが傾き、ものすごーく微細に盛り上がっている、本当に0.5mmもない程の「ミス」なのだった。

私は白い布手袋をして言われた通りに触手確認をしていたのだけれど、手袋の上からでは全く感知できないほどの微細さだったのだ。

 

私「え…こんなの、触っても分かりませんけど…」

社員「でも一応、確認して」

私「あの、でも、どうしたらいいんですか? これ全部を黙視していたら今のスピードでできませんけど」

社員「スピード落としていいよ。30秒で1つ流れたらいいから」

 

そんなやりとりを横目に、J はすました顔して自分の作業に戻っていた。

 

こんのやろうぉぉ…わざとやりやがったな(怒りマーク×10000000)!!!!!!!!!!

私の全身は煮えくりたぎった。

ここが学校だったら絶対に玄関に飛んで行って靴に画鋲を入れてやるのに。

ここが女子トイレだったら絶対に上からホースで水をぶっかけてやるのに。

ここに誰もいなければ絶対に胸元つかんで尋問してやるのに!

 

頭からはまさにプシュー、プシューと湯気が漏れ出ていた。

2人は何事もなかったかのように再びお喋りを始めている。

…ありえない。

そもそもビス打ちをミスったのはプリケツ野郎だ。

それが全く非難されずに全て私のせいにされるというのはおかしくないか?

 

私は板金上のビス計8個を穴が空くほど凝視し、それまでの3倍ほど時間をかけて点検することにした。

そしてプリケツ女が打つビスのほとんどは、微妙に斜めに傾いていることを発見した。

「ちょっと、ビスが斜めになりやすいから自分でも確認してくれる?」

ぶっきらぼうに女に言うと、女は目を丸くして「はあ?」と訴えてきた。

A「なに? ビスが斜めだったら(社員に)言わなきゃダメじゃん」

私「言うほどじゃないの! 斜めになりがちだって言ってんのよ」

A「なに? 意味がわからない」

 

蒸気がマックスになって頭の毛が吹き飛びそうだ。

J が隣で「斜めになりやすいんだって」と捕捉するのが聞こえた。

私は大きく「バカじゃないの?」と書きなぐったような顔をつくって、ムスッとしたまま自分の作業に戻った。

 

頭の中では「ありえない、ありえない、ありえない」の連呼。

 

すると今度はプリケツ女が日本人社員を呼びつけ、「ビスがちょっと斜めになるのはダメ?」と甘い声を出して聞くではないか! なんだそれ?????????

日本人社員は「これねぇ~、そうなんだよね、どうしても斜めになるんだよねぇ」などと相づちを打ち、その横で女がこちらをチラと見ながら社員に何やら吹き込んでいるのである。

社員は「うんうん、うんうん」と頷くばかりで、女の真っ赤な口紅に接近されてはお手上げといった様子。

 

・・・・・・・・・。

 

私は言葉を失った。

 

こいつら、もしここに井戸があれば上から突き落としてやりたい…。

 

その後の私の葛藤たるや……… また明日書きます。

 

つづく。