アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

愛しの済州島

2014-12-31 | 韓国の旅

寄稿したフリーペーパーが発行されたので、こちらにも掲載しますー。
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「済州島は韓国で一番美しいよ」と絶賛する声に押され、ソウルから2泊3日の旅に出た。

金浦空港から約1時間、チェジュ航空で安い便を狙えば片道3千円以内で行けてしまう。

ひと昔前は「元流刑地」として韓国本土で差別的な見方もあったそうだが、今では国内外から多くの人がスローライフを求めて「韓国のハワイ」にやってくる。

 

 

アジア女子トーク

私がその地に降り立った日は、あいにくの雨だった。1泊1500円のドミトリー(安宿の相部屋)に泊まり、雨だから観光に出るのをやめたという中国人女性と話に花を咲かせた。彼女は数年前に米国に移住したらしく、英語が堪能だった。「中国を出てビックリしたわよ。私たちがいかに井の中の蛙だったか!」なんてことを笑いながら言う。つられて私も「日本だって似たようなもんよ。全く時代遅れの差別国家なんだから!」などと偉そうに言って、アジアの男はああだこうだと女子トークにもつれこむ。

ちなみに中国人観光客は、済州島の観光だけならノービザで30日間滞在できる。その影響で観光客数がすごい勢いで延び、良くも悪くも、中国資本がどんどん入っているらしい。

安宿には韓国の国内旅行者も数多い。夜はビール無料の交流タイムが人気みたいで、タダ飲み目当ての若者たちで大いに盛り上がる。学生、フリーター、主婦、転職中の人、中には安上がりのハネムーンカップルまでいる。私はその中で、日本のアニメが大好きだという女の子と仲良くなった。フリーランスで英語教師をしているという。会社勤めとフリーランスはどっちが幸せか?といった現実的な話から、日本のサブカルチャーまで話題が尽きることはない。

最近はろくなニュースを聞かない冷え冷えした日韓関係だけど、ここ済州島には、たとえば「日本人と同じ部屋」というだけで喜んでくれる人と出会える、あたたかさがある。島の別名「三多島」は、風と石と女が多いという意味。きっとその風は、旅人がもたらす新鮮で多様な温もりも意味するのかも。


(集落を散策途中で見つけた民家)

 

沖縄みたい? 石垣の伝統美

肝心の島観光は、空港でもらえる地図からスタート。広げてみると、「信じようが信じまいが博物館」「変な物の博物館」「無病長寿テーマパーク」「お化け公園」…。各施設にこんな大胆なネーミングができる島って、一体どんな文化が息づいているのか。妙な好奇心が沸き上がる。

しかし島は意外に大きく、2泊では到底足りそうにない。そこで今回は近場で無難な「済州海女博物館」を選び、市バスに乗った。

北部中心街から一周道路を時計回りに走ると、間もなく不思議な田園風景が見えてくる。段々畑が平地に広がっているような…と思ったら、丹念につくられた石垣が、畑と畑の間を縫うようにくねくねと延びていた。その合間には青や緑やピンクの低い屋根。バスを降りて集落を歩いてみると、それは瓦風に仕立てたトタン屋根の伝統家屋だった。

どことなく沖縄の民家に似ているのは、屋根の棟が石造りだからか、ごつごつした石塀のせいか。石がどれも黒いのは、世界遺産・漢拏山の噴火によるらしい。中世までは酖羅(たんら)という独立王国だったというから、琉球とも独自の外交があったのかもしれない。


(これから建てる家も伝統家屋。外壁はコンクリと石で二重にしてる…?

 

強く切ない“女の島” 

海女漁も日本との共通文化だ。しかも他には世界に例がないというから驚く。博物館には、その道具や祭りなどが日本語解説付きで展示されている他、1932年に起きた海女抗日運動、さらには1948年の四・三事件についても説明があった。四・三事件は、南北統一と独立国家樹立を訴えるデモが発端となり、米国を背景にした韓国軍によって6万人ともいわれる島民が虐殺された悲劇のこと。島からは多くの人が日本に逃れて、在日韓国人となった。

ちなみに済州島に女性が多いといわれるのは、男たちが遠洋漁業で多く命を失ったからだという。女手ひとつで家族を養うため、海女たちは過酷な労働に耐え、強く切ない民俗文化を築いていったそうだ。

 

 

島を一周、済州オルレ

今、平和が戻った島では「済州オルレ」と呼ばれるトレッキングが盛んだ。3~7時間で歩くコースが26ほどあり、各所には、島で有名な小型馬をモチーフにした標識が立っている。馬は高麗時代に攻めてきた元によって持ち込まれたらしいが、馬肉を食べる文化は韓国内で唯一無二というから、そんなところも日本と共通しているのは実に面白い。

オルレは全て網羅すると島を一周できる仕組みで、もちろん、城山日出峰などの自然美もバッチリ堪能できる。のだけれど、ここは済州島。あわてずゆったり散策するのが良さそう。沿道に点在しているお洒落なカフェでくつろぐもよし、手づくりの貝殻アクセサリーなど地元産雑貨を求めて歩くもよし。五感をフル活用して自然と文化を楽しむのが済州流といえそうだ。

嬉しいのは、3年前にこのトレッキングスタイルが九州に輸入され、「九州オルレ」として人気を呼んでいること。済州島発の平和街道が、もっともっと日本全土に浸透したらいいなぁと願わずにはいられない。


(閑散とした海岸沿いにもお洒落なカフェが。手づくりアクセは、女子なら「かわいぃ~」と飛びつくはず…)

 

そして私は早くも次回を夢想する。ドミトリーで韓国人の子がくれた「こっちは(値段が)高い方」の温州みかんが、ものすごく美味しくて忘れられないの。思わず「んまいっ!」と叫んだその味を求めて、次は市場巡りとみかん食べ比べは必須と決めている。 

海と山と人が織りなす魅惑の健康アイランドに、あなたも是非おいでください。成田からの直行便なら3時間弱。その際は東京時間を捨てて、まったり島の風に吹かれることをお忘れなく。


ふくしま01

2014-12-29 | 日本の旅

はじめて警戒区域の中に入った。

双葉郡、葛尾村。

かつて1500人ほどいた村民全てが車で1時間近くかかる三春町に避難しているため、今は誰も住んでいない。

 

正確にいうと「警戒区域」は既に解除されているのでもはや無く、「帰還困難区域」「移住制限区域」「避難指示解除準備区域」の大きく3つに分けられている。

漢字ばかりでややこしいので、それぞれA(帰還~)、B(移住~)、C(避難~)とすると、葛尾村は北東の一部地域がAとBで。その他75%ほどはCに指定されているらしい。

Cは年間20ミリシーベルト未満ということになっていて、除染が終われば順次帰ることが計画されている。大熊町、双葉町、浪江町はほとんどがAで、政府が不動産の買い上げを検討。飯館村や富岡町に多いBは、数年以内に20ミリシーベルトを下回ると考えられるので一時帰宅なら可能、らしい。

 

半年ほど前、東京の友人が「警戒区域の中、行けるなら行ってみたいよなぁ」と言った時、私は「行かない」と即答した。

率直に怖いと思ったし、行ったところでどうなの?という気がしていた。

だから今回も「うちさ行ってみっか?」と言われた時、「いいんですかぁ?」と誤摩化しながらも内心ではドキリとしていた。

 

でも、私が警戒していたその区域は、案外あっさりと道路の延長に現れ、何のへんてつもない普通の田舎町に続いていた。

検問があって白いビニールの服と帽子と長靴を装着させられるのかと思ったら、そんなの全然ない。

検問やバリケードがあるのはAの「帰還困難区域」で、そこまでに至らない村の中心部には、「特別警戒隊」と書かれたプレハブがあるだけだった。

 

案内してくれたMさんは元村議員で、本業は種牛の肥育だったという。立派な瓦屋根の家に、牛舎が2個3個と並ぶ 大きな敷地が小高い丘の上にあった。

 

村に入ってから線量計の値は0.2前後をさまよっていた。

Mさんに聞くと事故当初は2.0ほどあったというから、除染によって10分の1まで下がったことになる。

正直、除染なんて意味ないと思っていた私は、「ほぅ!」とビックリ。場所とやり方によってはかなりの効果が上がるらしい、と同行していたFさんが教えてくれた。

 

とはいえ、この辺りは、検問所はなくても自由な立ち入りは朝9時から夕方4時までと決められている。

驚くべきは、むしろ0.2という値は福島市内や郡山市内でもザラにあるということなんじゃないか?…と私は思った。

立ち入りを日中のみに制限するほどの線量下で、福島市や郡山市では何十万という人たちが日常生活を送っているんだから。(しかも市内のホットスポットと呼ばれるエリアでは、0.5~1.0の値が測定されるのももはや「日常」)

それって、どっちが危ないわけ…?

 

ところで葛尾村では、牛や馬の種付け業が盛んだったらしい。

繁殖用の牛や馬を育てて人工的にセックス(牛の場合は人工受精)をさせ、強くて丈夫なこどもを産ませて売る仕事。

村に行った日の前日、Mさんはその手腕を面白おかしく解説してくれ、酒を呑みながらひとしきり笑った。その後に原発事故後のことも話題となり、3月12日の爆発のニュースをどのように聞いたか、全村避難をどのようにしたか、4月中旬に一時帰宅した時の牛の様子、5月中旬に村中から270頭の牛を避難させた話など、まるでドラマを見ているかのようにパッパッと映像が思い描かれるほど生々しい話を聞かせてもらった。

ちなみに、避難させた牛を検査した結果は、牛舎飼いは汚染なし、牧場で放し飼いになっていた牛は全て白血病で殺処分になったそうだ。

 

 

葛尾村の人たちの帰還計画は、来年だったのが再来年に延期になったという。

線量は既に問題ないけれど、至る所に置き去りにされている除染土の撤去が進まないからだ。

Mさんは会話の中で、除染土のことを「魔物」と呼んでいた。

 

 

一度は警戒区域にまでなった土地に、戻るのが本当にいいのかどうか…と思っていたけれど、葛尾村に行って、Mさんの自宅に行って、そりゃ捨てきれんわなぁ…と率直に思うようになった。

 

いわき市の仲買人さんがおっしゃっていたことも、同時に頭をかすめた。

「最初は廃業しようという考えもあったんです。でも検査するうちに、これは大丈夫そうだぞと。親やおじいさんの代からずっとこの海のものを食べてきて、これだけの魚、無くしたくない。」

 

相馬で出会った若いママの言葉も思い出した。

「地元が嫌で県外に出て結婚したけど、今は故郷にいたくてしょうがないんよ。こういうのは、失いかけて初めて気づくのかも。」

 

だからといって帰還賛成!というわけではないけれど、なんとか帰って元の生活を取り戻そうとする人たちの気持ちや、帰還後の人口が減ってしまうことを心配する人たちの気持ちを、ないがしろにはできないなと思うようになったことは事実。

だってそこには以前と変わらない景色があって、手元の線量計も「大丈夫」と言ってるんだもの。

すっかりゴーストタウンと化しているのだろう「帰還困難区域」とは違う、心の揺らぎの苦しさを、私は車窓からぼんやり田畑を眺めながら想った。

 

私だったらどうしてるだろう…。

もしこれが30年後の自分に降り掛かってきた災難だとしたら。

 


ふくしま00

2014-12-29 | 日本の旅

福島のことを語るのは、とても難しい。

そもそも数回行ったくらいで何かを語ろうなんてこと自体、おこがましいのだけれど。

 

でも福島の原発に関するニュースが取沙汰される度に、福島全体のイメージはまたひとつ、またひとつと黒みを増し、それ以外に住む人たちとの間にどんどん深い溝ができていく。

だから、1度でも福島を取材した者の責任として、彼の地に行き続けることはマストだと思うし、また行き続けることしか今の私にはできない、と思って今回もとある活動に参加させてもらった。

 

その人は毎月大阪から福島に通い、トラックいっぱいの野菜を複数の仮設住宅に配っている。

震災の年から始めたので、もうすぐ50回に届きそうな勢い。

多くのボランティア団体が資金難を理由に撤退して以降も、その人は「これはボランティア活動ではなく自分がやりたいからやっているだけ」と言い張り、自腹を切って続けている。

私はそれにちゃっかり便乗し、大阪から向かう途中の名古屋で拾ってもらうというわけ。(もちろん交通費カンパはしますけど)

 

それで、これを機に福島のことをまとめたいと思うのだけど、そう思えば思うほど「まとめる」という作業が果てしなく感じられて、頭がボーッとしてしまう。

どうしよう…。今夜もギブアップ…かしら。

 

先日アップした「福島の水産の今」の動画に対し、いろいろなコメントが寄せられていた。

・海産物ならストロンチウム計測しないと意味はない。

・思いは理解しうるものの…検査の盤弱性(内蔵を外して測るなど)の上にある基準クリアの声では、感情論の安心の前に、信頼を得るには至れないのが本音。後は国民の自己責任と言われるのでしょう。

・福島の人達の姿や声だけを拾っても、この問題の答えは出てこないと思いますよ。

・福島産の食材を避ける人が悪意に基づいているかのような物言いには腹が立ちます。検査結果は事実。それをどう捉えどう行動するかは各自の自由のはず。

・福島だけではなく、青森から静岡ぐらいまでの食べ物は危険なので、「食べて農水産業者を応援」する必要は全くありません。

などなど。

 

誰かに、何かを、伝えるということ自体がそもそも難しいんだ。

福島に対して少しでも不安や疑問がある人は、全員が現地に行って直接福島の人たちと話をしたらいいと思う。けど、そんなことは不可能だし、福島の人たちだって、そんなことされたら疲れてしまう。またもしそのうち1割の人が実際に福島に行ったとしても、その先で出会う人が必ずしも腹を割って話してくれるとは限らないし、そもそも福島にもいろんな意見をもった人がいるから、出会った人の見解が福島全体を象徴しているなんてことはあり得ない。

だーかーら。

何か目的をもって福島を訪れた人が、もしくはたまたま訪れた先で何かを強く感じ得た人が、あの手この手で「福島の今」を発信するしかないんだ。
どんなに拙くても、どんなに難しくても。

 

ということで、明日以降、少しずつ、丁寧に、小出しに書いていくことにします。

そして海外の友達も福島のことを知りたがっているので、小出しの後には英訳が待っているのだ。

 

来年も、命をかけて誠実に生きようっと。。。

とりあえず、おやすみなさい~


ふくしまに向き合うということ

2014-12-27 | 日本の旅


(クリックするとYouTube画面にリンクします)

 

 

クリスマスイブの夜から今朝にかけて、福島再訪していました。

それは明日まとめるとして、まずは、その前日くらいに公開された動画をシェアします。

今年7月に「ジャーナルツーリズム」の中で取材したもの。 

 

ジャーナルツーリズムというのは、取材&発信活動に興味のある人たちが、取材旅行をしながらそのノウハウを学ぼうというイベントです。

今年2月に第1回「農業」をテーマに開催し、第2回は「福島」でやりました。

私のチームは2人の参加者+私で、水産業の現状を取材することに。

 

企画、情報収集、アポ取り、撮影、インタビュー、構成、編集…というステップを一つずつクリアして、ようやく完成できたのが上のリンク映像です。

 

これにかけた私個人の思いは、また後日。。。

 

ふくしま… あぁふくしま…。

と、今は感無量です。

 


写真展やります!!!

2014-12-24 | お知らせ

2015年、人生2度目の巡回写真展を開催することになりました。

タイトルは、「世界とこどものワークショップ型写真展」。

 

今回は、一番見てほしいターゲットを「多文化な地域に暮らすこどもたち」に絞ります。

つまり外国人住民が比較的多い市町村の、さらに学校の近く。

 

となると国籍はアジアにとどまらず、南米もアフリカもロシアも含まれますので、「世界と~」というタイトルになりました。

持ち写真はアジアが多いんですけどね…。

でもロシア(上の写真も)やアフリカもお気に入りがあるから、是非見てもらいたいナァ。。。と思って。

 

なぜ「多文化な地域に暮らすこどもたち」にターゲットを絞るかというと、彼/彼女たちには、日本社会の柔軟性を高める大きな可能性があると思うから。

既に幾つもの小学校では、10以上の国籍のこどもたちが一緒に学んでいます。言葉の壁や文化の壁など、大小様々な困難を抱えつつも、彼らは彼らの置かれた状況に適応しようと懸命なはず。それは外国籍の子も、日本人の子も同じく、です。

だから、彼らにこそ、世界は広くて面白いんだということを知ってほしいし、知ることによって、他人と違っているのは当たり前、という自信をつけてほしい。

そんなことを、強く、本当に強く願っています。

 

それで、5年前に開いた「アジアの力」写真展の時とは違い、今回はお金がカツカツなので、写真プリント代のカンパ金を募ることにしました。

目標35万円。

本来なら、これくらいは自分で何とかすべきなのですが、もし目標額を支援してもらえたなら、自分で用意する分のお金を追加撮影の渡航費に充てたいのです。

そう。ブラジルの写真が、まだないの。

 

特に名古屋で開催する場合は、ブラジルなしの写真展はあり得ません。それだけ人口が多いし、困難も大きいから。

なので資金的に難しければ、誰かブラジルの写真を貸してくださる人を探します。

どうしようもなければ、雑多なブラジル写真を組み合わせてコラージュするか…全体の展示方法を変えちゃうか…と思っていますが、いずれにせよ、ブラジルはマストなんだよね。

 

カンパはこちらのクラウドファンディングで行っています。今日から開始です。

https://readyfor.jp/projects/kids4peace

35万円以上集まれば支援金が受け取れて、集まらなければ受け取れるお金ゼロ(支援表明金は決済されない)、という仕組みです。

 

ワークショップの内容はリンク先に書いてありますので、ご一読いただけると嬉しいです。

 

さあ、新しい年明けに向けて。

皆さんの応援、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

 


今日も工場日和-3

2014-12-22 | 日本の旅

ずっと気になっていたブラジル人のカップルと、今日初めて同じ作業チームになった。

 

彼らはいつも無口無表情で、休憩時間の度にお弁当を食べる。

10:00、12:00、15:00の3回とも。

 

それで、どんだけ食いしん坊なんだろう、とか、どんだけ料理好きなんだろう、とか、いろいろ思ってみるのだがそれにしてもよく食べるので、すごーく気になっていたの。しかも彼の方は男前でガッツリ系、彼女の方はスラッとした才女系の容姿。とても食い意地張ってる感じではない。

 

作業がたまたま途中で中断した時、思い切って彼女に聞いてみた。

「ねえ、いつもお弁当、たくさんだね」

「そうそう。2時間で、いつも、食べる」

彼女は日本語があまり得意ではないらしく、知っている単語を探しながら一生懸命話してくれた。

「私、むす…ええっと何だっけ、むすこ? ここ、ええっと、マッス…」

「マッスル?」

「そう。マッスルにプロテインが必要ね」

「息子さんがいるの?」

「そう、2人。マッスルのために、2時間、いつも、食べる」

「2時間ごとに食べなきゃいけないの?」

「そうそう。息子は大きいからいっぱい、私はちょっとね」

「?」

「でも2時間」

「そっかー。息子じゃなくて、旦那さんね。旦那さんと、あなた、2人とも…」

「そうそう。卵8個、食べる」

「8個!?」

「白いところだけ。黄色いところ、コレステロールだから、ダメ」

「へ? 白いところを8個分食べて、黄色いところは捨てるの?」

「そう。毎日」

「毎日!? 2人とも?」

「そう」

「2人で16個!?」

「そうそう。たくさんね」

「それ…、病気?」

「そう、病気。ブラジル人は、日本人とちょっと違うね。日本人は体小さいから、きれい、けど、ブラジル人は、ここ(お尻を指して)とか、大きい」

「へえ~。卵8個… で、病院も行ってるの?」

「行ってる。チキンでもいい」

 

それにしても毎日卵白8個食べなきゃいけない筋肉の病気って何だろう…。

不思議でしょうがないけれど、また作業が再開してしまったので真面目モードに戻り、隙を見計らって再び聞いてみた。

 

「卵の白いところ、どうやって食べるの?」

「違うね、卵をこうやって、2つにして、白いところ、こっち、黄色いところ、捨てる」

「そうそう。その白いところ、どうするの?」

「水と一緒にして…」と彼女は懸命に説明してくれようとするのだけど、日本語がスムーズに出てこないためになかなか伝わらない。

そこでゴミ箱からさっき捨てたばかりの裏紙を取り出して、絵に描いて教えてくれた。

 

それによると、8個分の卵白は次のように調理される。

1、卵焼きの要領で卵白のみ焼く

2、ゆでたまごを作って、白身の部分だけ食べる

 

…シンプルの極みじゃないか。

 

「おいしいの?」

「大丈夫」

「塩は入れる?」

「ダメ。醤油もダメ」

「何もつけないの?」

「そう」

「…それって、おいしい?」

「おいしくない。でもしかたない」

 

そうだよね、と私は言って、卵白8個の生活を想像してみた。

…無理。…だよなぁ。

 

「お金かかるね」と言うと、「そう!」と大きく首を縦に振って、彼女はまたセカセカと作業を続けた。

 

いやぁ、びっくりしたなぁ。

そんな病気があるなんて。そんな闘病生活をしている人がいるなんて。

 

帰ってから「筋肉 病気 卵」でググってみたけれど、案の定、そんな情報はどこにも見当たらなかった。

ポルトガル語で検索したら、見つかるのかな。

 

そして夕飯のうどんに、今日は卵を2個入れた。

おいしいのは、やっぱり黄身だった。

 

 

追記:後日、別のブラジル人の友人に「卵8個病」の真相を聞いてみたところ、それは病気ではなく、筋力を上げるためにそう指導されることがあるのだということでした。
彼らはそれを病気と認識しているのか、もしくは日本語で上手く説明できないために手っ取り早く病気ということにしたのか分かりませんが、いずれにしても「毎日卵白8個」というのは大変だわね…^^;


おしり。

2014-12-22 | 2014年たわごと

「お尻 かゆい」で検索すると、いろいろ出てくる。

ぶっちゃけ、肛門がかゆくてどうしようもない時が、たまに(というかよく)ありまして。

 

以前検索した時は、「石鹸でごしごし洗っちゃダメ」という情報にぶち当たった。

原因は、腸液がもれて肛門周辺に付着することだという。

…本当か?と思ったけれど、そこだけ石鹸を使わなくなったら、不思議と治った。

 

なのにまた再発したのはどういうわけか。

 

再度検索すると、なんだか以前より関連サイトが増えているような気がする。(そんなわけないかもしれないけれど)

NAVERまで「ムズムズ…肛門が異常にかゆくなる原因とは」というまとめをつくっていて、「睡眠中、気づけば肛門を掻いていて寝不足」という声まで紹介している。それは大変だなぁ。

で、ザザザっと読んで自分なりに原因と改善策を理解した。

① 抵抗力の低下でカビ(カンジダ菌)に感染した場合 → 薬局で相談

② 便が出切らず残りやすい場合 → ウエットティッシュを使用

③ 汗がむれている場合 → 下着を変える or とりあえず軟膏で処置

④ 胃腸が炎症を起こしている場合 → 漢方で体質改善

 

ということで、本当に恥ずかしい場所ではあるけれど、かゆいもんはかゆいんだから仕方ない。

結構、つらいんですよ。

 

せめてインターネットがある時代に生まれてよかったなぁ。

仲間がいるというのはなんて心強いんだろう。

 

 


ツアコンデビューの2歩手前

2014-12-20 | 2014年たわごと

添乗員の資格取得研修が、やっと終わった。

今日、4教科の試験を受験。

旅行業約款、国内旅行業務、海外旅行業務、英語。

 

あとは1年以内に1回以上、または、3年以内に2回以上添乗業務を行えば「主任添乗員」になることができる。

添乗付きツアーにはこの「主任添乗員」が必要、ということなので、これが取れれば1人でツアーを任されることになるらしい。

 

それにしてもまぁ、添乗員という仕事は大変だ。

 

今まで沖縄やフィリピンや台湾に学生を連れていき薄々感じていた“大変さ”を、教科書にきちんとまとめて突きつけられた感じ。整理整頓できたのは有難いけれど、「本業にしたらこうなる」ってことがリアルに想像できてしまって、ちょっぴりつまんない気がしている。

 

研修後半の講師は現役ベテラン添乗員さんだったので、こっそり報酬なんかも聞いてみた。

 

まず添乗員には2種類あるらしい。

添乗業務だけで食べてる人は「プロテン」と呼ばれ、大手旅行会社や添乗員専門の派遣業者に所属して、いわゆるフリーランスとして仕事を依頼されるらしい。

もうひとつは旅行会社の社員が添乗員として同行する場合で、この人たちは普段は会社の雑多な仕事に追われている。国内の場合だとバス会社の運転手やバスガイド、通訳の人たちが添乗員資格をとって、兼務するケースも増えているらしい。

 

…だったらプロテンの仕事は減っているのでは?と思ったら、「そんなことはないわよー!先月とか、私むっちゃ忙しかったもん!」とのこと。

景気に左右はされるものの、それでもヨーロッパ旅行は添乗員同行が多いという。

「だってフランクフルト行ってパリ行ってジュネーブ行ってロンドン、とかだから、誰かいないとお客さんが不安なのよね」

 

なるほど。

 

それで添乗員の報酬はいくらくらいなのかというと、1日当たり8000円~25000円、ということでかなりランク付けがあるらしい。

講師の先生いわく、ベテランになってしまえば一般サラリーマンの給料くらいは優に稼げる、と。

 

しかしですね。

講義の中でヒシヒシと感じた“添乗員の大変さ”は、

①にお客さんアンケート
②にトラブル対応

で、この2つがもんんんんんんのっすごくストレスになることは「火を見るより明らか」なんですよ。

 

そもそも団体ツアーに参加しようという人の習性として、依存態勢が強いことは容易に想像できる。
しかも最近は年配者ばかりで、かつ、「どこでもいいから旅行したい」人が手頃な値段のツアーを見つけて年に何度も参加してくるのだという。

しーかーも、旅行が身近になった近年は、「全て順調にいって、安全に帰って来れた」だけではダメなんですと。

「お客さんは、チラシに書いてあること+アルファの何かがないと満足してくれません」。

その+アルファをいかに提供するかが添乗員の腕の見せ所で、お客さんのニーズをさりげなく探り、ベストなタイミングでさりげない情報提供やアシストを行い、常にさりげなく気遣うことができれば「満足」という評価がいただけるというわけだ。

 

いやぁぁぁぁぁぁ………… 私にはむりかも。

 

②のトラブル対処も半端な仕事ではない。

特に海外の場合は「飛行機が飛ばない」「ガイドが来ない」「スリに遭った」「腹を壊した」「迷子になった」等々、ひやりとする事態がいくらでも発生する。時には日本の会社に助けを求める暇もないくらい緊急な時もあるそうで、そうなるともう自分の勘と経験と度胸だけが頼り、ということになる。

何人も(もしくは何十人も)の命を預かっている立場で。

 

いやいやいやいやいや…………… 大変っすよ、それほんとに。

 

講師の先生がいろいろと経験談を教えてくれたのだけれど、どれも「うわぁ…」というものばかりだった。

それでいてお客様アンケートで酷評されるんだから、たまんないっすよねぇ…。

 

だけど。

4日間みっちり「ツアー」について学び、それを率いる自分を想像してみて、まぁ、慣れてしまえばできないことはないのかも、という気になってきた。大変は大変だけど、皆さんそうやって奮闘されてるわけだし。

あとは自分が「ツアー」というものを「ツアー」というものとして割り切れるかどうか。

1人1人の参加者を、「お客さん」というまとまりとして扱えるかどうか。

 

…うーん。なんと表現したらいいか分からないのだけど、とにかく添乗業務をこなすためには、参加してくれた1人1人に向き合ってなどいられないんだろうなぁと想像する。

そもそも団体嫌いの私にそれが可能なのか?というのも疑問だし、そうなりたいか?というのも微妙。

 

うーん…。情けなくも言葉足らずでスミマセン。

 

しかし何はともあれ、旅してないと死んでしまう私にとって、添乗員というフリーランスの道は、有力な候補には違いありません。
その資格があとちょっとでとれる(かもしれない)というのは、まぁ、将来的には安心だわね。

 

未だぐにゃぐにゃの人生が、一層やわらかくなった感覚です。

 


添乗員になります。

2014-12-18 | 2014年たわごと

どういうご縁か、添乗員の資格をとることになった。

ちょうど1年前に知り合った某旅行会社の社長さんが、フリーランスの添乗員をやってみないか?とお声掛けくださって。

 

旅行会社の内情的にはこういうことらしい。

添乗員を同行させられるかどうかは、集まったお客さんの人数による。
→ 想定よりもたくさん集まった場合は問題なく添乗員派遣可能。
→ 想定よりもお客さんが若干少ない場合に、日当等が交渉できる添乗員がいたら有難い(派遣会社の添乗員だと交渉できないから)。

ということで、フレキシブルが売りの私に、有難くもお目をつけてくださったのでした。

 

添乗員になるには、資格が要る。

観光庁規定の研修+試験+そのためのお金でまず修了証が発行され、試験をパスした後に補助添乗員の実務を1年以内に1回(もしくは3年以内に2回)行うことが資格取得の条件。

 

なんだけど、私は完全にナメていた。

今日からその研修は始まり、出席してみて、「これ、難しいじゃないかぁ~」と青ざめたのです。

研修は旅行業法からはじまり、約款、国内旅行実務、海外旅行実務、英語ヒアリングの授業がある。

私はたまたま半年前に旅行業法を自主勉強していたので助かったけれど、もししていなかったら絶対に付いていけていない。だって朝9時過ぎから夕6時前までぶっ続けの授業で、途中休憩2回+ランチタイムだけで、1コマ2時間くらいあるんっすよ、集中力続かんっつうの。

 

しかしそんな泣き言をいうのは私だけなのかもしれなかった。

なんせこの研修は旅行会社の社員しか受講できないので、本来は「旅行業務に従事している者のみ」が受けているんだもの。

つまり私は“もぐり”ってやつ。

某旅行会社の所属ということで、こっそり入れてもらってるのです。

 

研修は土曜まで。4日間。

 

猛スピードで授業が進んでいくので、毎晩復習しないといけない。…けどできていない。

…試験、大丈夫かな。

 

ちなみに添乗員という仕事が私に可能なのかどうかも、研修を受けてだんだん怪しくなってきている。

回りの受講生との空気の違いも明確だし。

私は一人、ただひたすら気配を消して、うつむき加減にメモをとっています。

 

でもとにかく試験だけは落ちられない。

学生に戻った気分で、がんばります。

 


今日も工場日和-2

2014-12-16 | 日本の旅

右脳と左脳の話が本当なら、工場内はきっととても良い脳トレの場かもしれないと思う。

先日のプレゼン研修会で習った。

ハッとするアイデアやひらめきは、トイレやお風呂や布団の中で起きやすいのだと。それは右脳を使っている時で、その時浮かんだことはその場でメモをとらないと、二度と出てこなくてもったいないことになりますよ、と。

工場の仕事中は、それが起きる。

もしくはそれを頻繁に起こすことができる。…ような気がするのです。

 

浮かんでは消えたコトは果てしない(そしてたわいなく、かつ はしたない)ので、いちいち紹介する価値はないのですが、一つだけ書いとこーと思ったことが…あったはず。…なんやったっけ。

…あぁ、やばい、忘れてもうたか?

うおっ…やっぱり書き留めんとあかんなぁ。。。 

 

と記憶と格闘すること5分。

 

そうそう。

この体を張った労働を将来にどう活かそうか、ということについていろいろ考えたんでした。

それで出てきたアイデア

1、外国人労働者が多い企業や工場を対象に、ダイバーシティ・マネージメント・ワークショップを開く

ダイバーシティ・マネージメントというのは、直訳すれば「多様性の管理」。様々な人種や性や年齢の人がいる職場を管理する方法またはスキルまたは役職で、既に大企業の中にはその専門部署があったりするらしい。

2、このまま工場労働者を数年続けてリポを書く

3、来春始める予定のインターネットテレビ局のチラシを、外国人のみんなにこっそり配って広報する

 

どれもできそうだけど、じゃあ具体的にどうするの?と考えると、途端に左脳が働き出す。

…そして、フリーズする。

どうやら身体的ルーチンワークと左脳回転とは、同時進行ができないみたいです。

 

それにしても、ここの工場の人はみんな優しい。

昨日(私が勝手に)激怒した波平上司は社長だと判明したのだが、その社長さんも、悪い人ではないことは充分伝わってくる。

私のチームの担当者さんなんて、「トイレ行きたい」と作業途中に何度も言うフィリピン人女子に、少しもキレることなくその都度作業を代わってあげ、自分の激務は残業に回すという寛容ぶり。
…いやぁ~、私だったら間違いなくキレてたっす、そこ。…と心の中で敬服する。 

 

気づいたことは他にもある。

フィリピン人とブラジル人の違いについて。

もちろん個人差があること前提に、フィリピン人はブラジル人よりも総じて陽気、かつ、社交的な感じがする。日本人社員とちょっとしたことで冗談言い合ったり、笑顔で会話しているのはフィリピン人。

あぁ~、だから男性はフィリピンのお姉ちゃんが好きなんだなぁ~、とつい思ってしまう。

ブラジル人は、日系が多いからかどうか分からないけれど、今の工場には真面目な人が多い。華やかさがないというか、質素というか。少なくともサンバのイメージとはかけ離れている。(そして私はそちらにより親近感を感じています)

 

恐らくそんなこと彼らにとっては当たり前(というかフツウ)なんだろうけれど、これだけ多国籍な職場に初めて来た日本人には新鮮なことが多すぎまして…。失礼承知でこっそり観察しているわけ。

 

そしてまた「コミュニケーション」のことをいろいろ思う。

上司と日本人派遣君との違い、とか。(←これはメモ)

あと右脳書きと左脳書きとか。(←これもメモ)

知性とセックスについてとか。(←これも)

 

また追々書きます。

工場効果でネタ溢れる幸せなり。

 


工場日和-1

2014-12-15 | 日本の旅

今週も始まりました、パチンコ工場。

今日のチームは7人。日本人2人、ブラジル人1人、ペルー人1人、フィリピン人3人の構成。

 

そして、その時はきたのでした。

部長か社長か工場長らしき、いつもウロウロしている波平さんみたいなオヤジ風上司が来て、作業中の私たちに向かって一言。

「ちょっと手を止めて!みんな、今の分だけやったら手を止めてください!」

私たちは、すぐに止めた方がいいのか、すぐでなくてもいいのか戸惑い、少々オロオロッと顔を見合わせていた…ら。

「こら、止めなさいと言っているじゃないか!」

とペルー人の女性に向かってペチッと叩く真似をして皆に正面を向かせ、説明し始めました。

 

「このカードをつくってきたから、休憩の前にはきちんとジコウテイを終わらせて、そうしてるでしょ? 休憩行く時には自分の分を済ませて、確認して、ってやっていると思うけど、それをやったらこのカードを上に乗せて、ここにちゃんと書いてあるから…ウンヌンカンヌン…」

 

…はあ? と思ったのは恐らく私だけではなく、皆がきょとんとして佇んでいました。

その「カード」に書かれてあったのは。

 

『作業終了済み

①休憩前は、自行程を必ず修了する

②休憩後は、自行程の確認をする』

 

…あの、これ、ここにいる全員が読めると思ってるんですか?

…しかも『自行程』って、何?

 

しらける私の前で、ペルー人の彼女はさらに眉をしかめ、首を突き出してカードを覗き込んでいました。

そうしたら!

 

「この人が一番分からんのだな、いつも! ペルーの、ミセスペルー!」

 

とまたもや彼女の肩を叩く真似をし、なぜか顔は私の方を向いて、わっはっはーという素振りを見せるのです。

 

私、怒り心頭…。

コノヤロウ…(怒)の思いを込めて、私はみんなに向かってゆっくりと言いました。

「休憩の前、終わったら、カード置く」

 

休憩時。

私は我慢し切れず、ペルー人の彼女に愚痴爆発。

「あのオトコ、ひどいね! あなたのこと、ミセスペルーだって! ちゃんと名前があるのに!」

「そうねぇ。でも私、分からなかった」

「私も分からなかったよ! 説明が下手なのよ!」

「なんで分からない、あなた日本人」

「日本人でも分からなかったよ、あなたのせいじゃない!」

「ほんとう!?」

 

そんなことをロッカールームでこそこそ話した後、昼食を食べに食堂に出ました。

そして彼女がお弁当を温めている間に、やかんの温かいお茶を注いでグビッと一杯。

「あなたも飲む?」と聞くと、

「それは多分、社員だけ」

「本当?大丈夫よ」

「あなたは日本人だから大丈夫。私は外国人だから怒られる」

「怒られたことあるの?」

「ないけど、怖い」

 

…そっか。

こんな風に壁っていうのは横たわっているんだな。

と私は納得しました。

 

きっと、その波平上司に悪意はなかっただろうし、差別しているなんても思っていないと思う。

もし自分が反対の立場で「ミスタージャパン!」と(同じ状況で)言われたら…なんて想像もできないんだろうし、想像してみたところで彼女たちの気持ちは分からないかもしれないとも思う。

実際その上司は、普段は外国人労働者の彼女たちに優しく接し、仕事がしやすいようにと細かい作業環境改善をしてくれているんだから。そう、あの『カード』みたいに。

 

ただ一つ、外国人とコミュニケーションする時のコツを、彼(もしくは多くの社員)は知らなさすぎるし、配慮してなさすぎて、実にもったいないなぁと思うのです。

せっかく皆さん優しい人たちなのに、喋る日本語が早すぎて(しかも無駄に多すぎて)分かりづらいんだもの。

 

それでも外国の人たちは、恐らく五感をフル活用して状況と命令を把握し、労働にいそしんでいる。朝礼も全く意味不明だと思うけれど、それはそれで朝礼らしくコトは済み、ノープロブレムなスタートを切る。

いやぁ~、これでよくトラブルや混乱なく回ってるなぁ~と、心底感心しているんです、私。

 

明日もまた、そのノープロブレムな職場を体験するために早起きします。

がんばっぺし。

 


選挙と防災

2014-12-14 | 2014年たわごと

選挙が、終わりました。

別に何の期待もしていなかったけれど、投票率が戦後最低かも、という速報には唖然。

今朝、知り合いの大学生一人一人にラインでアナウンスしようかと思ったのですが、「入れるなら◯党で!」というのは気が引けるし、だからといって「どこでもいいから入れに行って!」というのも危険な気がして、結局あきらめました。

 

そんでこのザマ。

 

あーあ。

 

で、今日は「防災の視点で多文化共生を考える」というような(タイトルは違うが)シンポ&ミーティングに参加してきた。名古屋市にある国際センターと名古屋市が主催したもの。

 

在住外国人にも防災訓練に参加してもらうにはどうしたらよいか。

団地内で日本人と外国人の交流を進めるにはどうしたらよいか。

行政のお知らせや緊急速報を外国人に伝えるにはどうしたらよいか。

 

シンポでは神戸・仙台・浜松の事例と名古屋港区の取り組みが紹介された。

「FMわぃわぃ」というコミュニティラジオがある神戸は、そうしたことに成功している唯一の事例だと思う。
(詳しくは今年リポ&寄稿した記事をご覧ください:http://cococolor.jp/801) 

が、阪神大震災後ものすごい苦労を経験&蓄積してきたFMわぃわぃのスタイルは、そう簡単に真似できるものではない。それにラジオ局を開設するには数百万の投資が必要で、しかもそれは数年に一度、機材メンテナンス時期になる度に訪れる出費だというんだもの。

たとえ行政ニーズで立ち上がっても、すぐに消え行くコミュニティラジオは数多い。

 

浜松は国際交流協会が中心となり、外国人コミュニティと地域自治体をつなげようと奮闘している最中…という印象だった。

その中で深く納得したのは、行政のお知らせを外国人コミュニティ内のメディアに載せてもらうことにした、という点。たとえばブラジル人向けに発行されているフリーペーパーに、ハザードマップを載せてもらう。それも行政側提供の地図データではなく、ブラジル人がつくった地図に避難所を書き足したもの。何が違うかというと、日本人にとってのランドマークと、ブラジル人にとってのランドマークは違うからだという。

たしかに…。

日本人だったら通りの名前や学校、病院、お寺などを目印に地図を眺めるけれど、ブラジル人も同じとは限らないんだよね。彼らにとってもより重要なのは、教会だったりブラジル人が集まるお店だったりするから。

 

そんなこんなで夕刻になり、関係諸団体の交流会が始まった。

そこであるオジサンが発言。

「僕は心理学の博士を持っていまして…(ウンヌン)…人間には動機が必要なんです。今日はちょうど選挙ですが、たとえば若者の投票率が悪いのは当たり前なんです。たとえば事前に1万円券を渡して、投票場で換金できるようにするとか、そういう動機付けがないと動かない。そうでしょ?」

あぁ、そうか、と思った。

外国人に「防災訓練に来て下さい」といっても来るはずはない。みんな忙しいんだから。

そこでどんな動機付けができるか。

 

だけどぶっちゃけ、私はどうしても違和感が拭えなかった。

地域の防災訓練なんて、私でさえ、一人暮らしをはじめてから一度も行ったことがない。
やってることも知らない。

もしお知らせが何度も来たとしても、はたして行くだろうか…。

 

多分、それって情報共有とか危機意識の問題じゃないんだよね。

コミュニケーションの問題なんじゃないかと思うのです。

近所の人や近くに住んでいる同世代の日本人と、会えば挨拶を交わすかどうか。

 

だから結局、「外国人と友達になるコミュニケーション術講座」みたいなことを地域リーダーを集めてやった方が効果的なんじゃないの?…と心の中でぼんやり思いながら、「まずはシステムづくり」に真剣になる皆さんを「日本的な光景だなぁ」と眺めていたのでした。(もちろん、それもすっっっっっごく大切なのは承知の助ですけれど)

 


(全然関係ないけど、今年10月に行った済州島の写真です)


営業に目覚めちゃえるかも。

2014-12-14 | こどもたちのアジア連合

今日は、NPOが企業とつながるためのプレゼンスキルを磨く研修に参加してきた。

愛知県や岐阜県から約20の団体が参加。研修費は無料で、企業人から手ほどきが受けられるというお得な研修。

 

最も納得したのは、マジックナンバーの「3」を常に意識するとよい、ということだった。

たとえば自己紹介は「過去」「現在」「未来」を端的にまとめて言う。

活動内容も3つに絞り込み、スクリーン1枚でパッと理解してもらえるようにする。

会費の設定も3段階、3の倍数がベター。実際、10万円より9万円の方が社内決裁でOK出る可能性が高まるのだという。

 

…なるほど。

 

そしてプレゼンのキモは、いかに共感と感動と呼べるか!であり、それには自分自身のマイストーリーを語ることが必要だという。自分はどんな動機で関わり、どんなことに感動して活動しているのか。

それは今までなんとなく本能に従ってやってきたことを、振り返り、言語化し、組み立てる作業なのだと理解した。

これ、結構難しいんですよ。

 

研修では他にもいろいろありましたが、それはフフフの話ということで。

 

営業は大の苦手だ…と今までずっと敬遠していたけれど、なんとなく、私にもできるような気がしてきた。

もしかしたら、営業というのは新しい出会いを自ら求めて動く、結構明るい仕事なんじゃないか?

 

本業でもボラ業でも、わくわくしながら営業できるようになれたらどんなにいいだろう…。

 

なんだか気分だけでもホクホクしてきた。

 

研修は年明けにあと3回。最後は企業の人3人の前でプレゼンすることになるらしい。

ちと、がんばりまっせ。

 


今年の漢字は「税」

2014-12-12 | 2014年たわごと

行ってきました。税務署。

経費を差し引いたら所得75万円台になり、もろもろ控除されて45万円台に。なので所得税は今年も免除ってことで、還付金が22万円も戻ってくることになりました。

やったー。

 

疑問だった「5年猶予の件」については、こういうことだそうです。

・還付申告については青色も白色も関係ない。

・納税義務が発生する場合にのみ、確定申告期間(毎年2~3月)を超えると延滞料が発生する。

・所得税免除の場合(所得が少ない場合)は、5年間さかのぼって確定申告が可能。

・申告内容の修正は3年間さかのぼって可能。

 

ということで、深く納得して職員さんに聞きました。

「来年は青色にした方がいいでしょうか?」

職員さんは「当然!」と即答し、青色申告承認申請書を持ってきてくれました。それを来年の確定申告時に提出すれば、再来年から青色に切り替えられるとのこと。青色になるには事業主だと認められなければいけないので、承認期間が必要なのだそうです。

ちなみに白色と青色の違いは、「今年からは実質ほとんどない」ということで、「だったら青色にした方が絶対に得」と、いろいろなサイトに書いてあったことと同じ結論を言い渡されました。
「今年から」というのは、白色でも記帳が義務づけられるようになったため。記帳というのは、レシート内容をいちいちデータ化&リスト化しなきゃいけないということです。

うおー…それは面倒すぎる。 

 

でも、そりゃそうよね、と今ならちょっと実感。

たとえば私の今回の所得75万円から、白色だったら基礎控除が38万円差し引かれるだけだけど、青色だったら最高65万円が控除されるんだもの。

今は所得が低いのでどちらにせよ納税ゼロだけど、もしもっと稼げるようになったら絶対に65万円の方が得!ということになる。…それは逆に、青色出して得するくらいの所得を目指しましょう、ってことなんですね。はい。

 

合点して、次に市税局に向かった。

6万円と宣告された住民税は、計算し直してもらった結果、年間3.8万円ということに。

「それでも高っ!」と思ったけれど、もともとの宣告額6万円というのは半年分で、年間にすると12万円だったのだという。それが3分の1に減ったということでした。

 

…そうかぁ。いずれにせよ、そんだけの税金をとられるのに一体どれだけの恩恵を受けられているんだろう…とちょっぴり切ない気分に。3.8万円っていったら、工場での労働5日分ですよ。

 

まぁ、それもこれも仕方ない。

社会人ですから。

 

帰り道、「Social」という名前の古びたキャバクラを発見した。

玄関には「フロアレディ募集中!」という大きな看板。

…この中で働いている人たちも、Social Labor=社会の労働者 なんだな。

 

お互いがんばりましょう、と心の中でつぶやいて自転車を走らせましたとさ。