アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

ロシアのこれから。

2015-01-04 | ロシアの旅

ようやくエッセイを書き始めた。

まずはロシアから。

 

それで、旅中の日記を読み返していて、そうか、と改めて思うこと多々あり。

そのうちのひとつ、ハバロフスクのゲストハウスで知り合った教会新聞の記者さんに聞いた内容が面白いなぁと(今ごろですが)思って、コピペすることにしました。

2013年10月のヒアリングです。

 

 

●ボランティアについて

洪水(2013年7月~アムール川で発生)の時は、政府が地方政府に物資支援を行った。飛行機などで、必要な食糧や子供用のミルクを無料配布。
マンパワーでは、3人のプロの人道支援家?(元赤十字の人など)が中心になって地元や周辺からのボランティアをコーディネイトした。もともと地域の人同士で助け合う文化があったため、問題なく皆が協力して作業できた。

市民活動の必要性が認識されてきたのは、7~8年前から。
特にモスクワで火災事故?があった時、政府をアテにしないで自分達でなんとかしないといけないという意識が広がった。

●市民活動について

国が崩壊して、まだ20年ちょっと。新しい世代が新しい感覚をもって育ってきているが、一方で国づくりはまだ始まったばかり。情報鎖国状態がいきなり解放されて、今はオープンになっている。でも外国から見たら分かりにくいイメージがまだあるかもね。これからは価値観の違いで争いが起きるかもしれない。

市民サイドから政府にボトムアップで政策を要求したり、社会を変えていく動きが始まっている。

僕らにとっては、強いリーダーがいて、国が安定していればOK。

ロシアは途上国。早く先進国に追いつきたいと思っている。経済レベルの面で追いつきたい。(だけど先進国も問題だらけだと聞いたらガッカリだな)

たとえば、以前は障害者や問題のある人達は郊外に人知れず暮らしていた。政府はそういう人達を支援するメリットが少ないため置き去りにしてきた。それを、市民(教会?)がキャンペーンを起こし、仕事の行き帰りに皆が車椅子を使用して街の不便さを実感し、政府に訴え、障害者が街に出てこられるよう支援を求めた。
今後は、そうした認識を一般に広げるための教育活動もしていかなきゃいけない。

●他民族との共生について

ソビエト時代に、農民(労働者)は皆同じという考え方が浸透した。開拓時代は別として、共存の歴史は100年以上ある。たくさん民族がいるから、共存しないとやっていけない。中国人に対しては、モスクワにはほとんどいないから分からない。この辺(ハバロフスク)ではいろいろ感情があるのかもしれないけれど。

モスクワでは、イスラム過激派や戦争をしている相手に対して嫌悪感が強い。ロシア南部でテロが毎月のようにあった。戦争も2回した。今は少し安定しているけれど。

アメリカに対しては、年寄りは多分、よい感情をもっていない。冷戦の時は敵国だったからね。

 
 
ということで、最後の写真はハバロフスクの市場で買ったロシアンサボテン君。
 
今も我が家ですくすく育っているなり。
 
 
ロシアの若い世代の意識はきっとどんどん変わっている。
社会主義体制での民主化というのは、もしかしたらアリなんじゃないかと彼の話を聞いて思ったのを思い出す。
 
ロシアは確かに「分かりにくい」イメージだけど、私個人的はかなり、もしかしたら1位2位を争うほど住みたい国にランクインしている。
 
それくらい、ラブリーな雰囲気なのです。
 
 
また行きたいなぁ~。
 
言葉は難しいけど。(それはどこの国でも一緒…)
 
国の強さを競うのではなく、ロシアならではの、ロシアにしかない幸せの形を追求してほしいなぁとつくづく思います。
 
 

サハリンの今

2013-10-10 | ロシアの旅

サハリンで1週間過ごし、残留日本人について取材した。
そのことは長いので後日に。 

82歳のおばあさんにインタビューさせていただいた後、午後から日本領事館を訪問。
2人の担当者が応対してくれた。

サハリン在住の日本人の数とその推移を知りたくて行ったのだけれど、応接間に通されて初めて場違いだったかも…と恥ずかしくなった。アポなしは勿論、「ジャーナリストです」と言うわりに手書きのなよなよした名刺1枚しか持ってこない奇妙な日本人を前に、2人はやや怪訝そうな顔。

けれどなんとか話が弾むまでに打ち解け、サハリン事情をいろいろと聞くことができた。

まず「サハリンは不思議な島」ということに2人の同感をゲット。

日本人はほとんどいないのに、日本領事館に北海道庁に稚内市役所までがある。
日本の何倍も在留人口が多い韓国は、在ウラジオストク領事館の分館に1人担当者がいるのみ。それに対して日本は、在サハリン領事館だけで12人の日本人職員がいるらしい。

役割は何かと問うと、ひとつは存在意義だという。日本の存在を示す必要があるということ。
つまり国防というのはこういうことなんだなぁと実感。あとは日本に対する理解を広める広報や日本のビザ発行など。それくらい1人でやれるんじゃ?と思うけれど、役所というのはそうはいかないらしい。

ユジノサハリンスクという街についても、不思議なことはたくさんある。

まず観光客はほとんどいないのにホテルがやたら多い。しかも見るからに古いわりに結構な高額。島だから競争原理が働かないのかと思っていたら、これについては違うらしい。
つまり客のほとんどは、オイル産業の建設労働者や外国企業の職員なのだそうだ。だからどんなに割高でも倒産せずにやっていけるというわけ。
そういえば、わたしが泊まっているゲストハウスのオーナー・キムさんが「日本人はホテル業いっぱいやってるよ」というようなことを言っていた。もしかしたら戦後残留せざるを得なかった日本人も、そういうところでビジネスを続けているのかもね。

オイル産業は、アメリカ・オランダ・日本などの多国籍企業が共同開発しているようだけれど、労働者は地元の人というより多国籍多人種みたいだ。
ただ、そこから得られる税収のおかげでサハリン州は随分潤い、公共施設などの給料も上がって人々は裕福になっている、という構造だという。どうりで物価が他の都市より高いわけだ。地元のチェーン店らしいハンバーガーショップに入ったら、バーガーセットが900円くらいするので仰天してしまった。それでも若者がそれなりにいたもんなぁ。

一方で、土地開発がやたら叫ばれている極東ロシアだけれど、その点に関しては領事館も(恐らく)ビジネス界もロシア政府の出方を静観しているところだそうだ。
ロシア誕生時に同じように開発が叫ばれたものの資本は流れてこず、いくつかの企業が痛い目をみたので今回は慎重になってるんじゃないですか?というのが領事館の見方。
ロシアという国は、プロジェクトの企画は大々的に打ち上げるけれど、具体策は棚上げ状態で放ったらかしにするのが常なのだと。だから今回もロシアがどこまで極東開発に本気なのか、その本気度の見極めがまだできていないというのが現状らしい。

「日本とサハリンの関係はどのようにつくっていく構想なんですか?」と聞くと、オイル産業に偏った発展を期待しているわけではなく、その他の産業や観光など「総合的に発展」していくことを目指しているという。
「ではそのビジョンや戦略は?」と聞くとそれはないということで、結局は「存在意義」なんですね、と思わざるを得ないようななんとも頼りない返答だった。

ちなみにサハリンの観光客は、「パイは小さいけど(日本人の)シェアは大きい」らしく、ロシア人の国内旅行者よりも日本人の観光ツアーの方が多いんだって。意外。

しかし日本人で旅行先をロシアに選ぶ人は、「だいたいどの国も行き終わったからロシアでも行くか」という年配の人がほとんどらしく、しかもそういう人がモスクワやサンクトペテルブルグを選ぶというからサハリンを選ぶ人はその中でも相当レアな部類に入るようだ。
「でもロシアは絶対にイイですよ!来なきゃ損だと思います!」と思わず熱く主張すると、「立場上どう返答してよいものか…」と苦笑されてしまった。
今でも「黒パンの配給に長い列ができる」イメージを抱いて来る日本人が多いというから、日本人=侍のイメージを未だに持ってるロシア人とどっこいどっこいの貧・情報関係なんだよね。

そんなこんなで2人に御礼を言って領事館を後にし、再び街に出た。

そして急遽やることにした街角意識調査を敢行。

「サハリンはアジアだと思いますか?それともヨーロッパだと思いますか?」
と書いた拙いロシア語を見せ、指さしてもらった。

老若男女、約60人。

結果は「アジア=39人」「どちらでもない(ロシア)=20人」「ヨーロッパ=5人」

手応えとしては、明らかなロシア系白人でも「アジア」と即答した人が意外にも多くてビックリ。
サハリンで生まれた人はアジアの意識を持つのかもしれないなぁ。

サハリンの州都・ユジノサハリンスクを歩くと、8割はロシア人で、1割ほどが韓国人。それも日本統治時代~戦時中に連れてこられて残留させられた人達と、その子孫だ。

差別も含め大変な時代を経て、今はお互いが共生していることを肌で感じる。
韓国語を話せない韓国人(韓国系ロシア人)が多い代わりに、流暢な(当たり前だけど)ロシア語でロシア人と優雅におしゃべりしていたり、颯爽と街を歩いている人をよく見かける。
それはそれでとても幸せそうだから、不思議だけど、なんとなくホッとする。 

結論。
サハリンは、ガイドブックに載っているような「日本の面影」を無理矢理探すよりも、そうした現実を垣間みる方が勉強になってずっと面白い。

これからどんな風に発展していくのか、もしくはしないのか…ちょっと楽しみな場所ですよ。

 


ゲストハウス事情 in ロシア

2013-09-30 | ロシアの旅

たとえば地球の歩き方を見ると、ロシアの安宿(ゲストハウス)はほどんと載っていない。

ゲストハウスというのは、ドミトリー(相部屋)がある1000~3000円の宿のこと。

ウラジオストクで出会ったイギリス人のベテランバックパッカーに聞いても、ロシアのゲストハウスは決して多くないという。Agodaなどの安宿情報サイトをみても、ほとんど出てこない。

こりゃ滞在費が高くなるなぁ~と思いながら英語で検索してみたら、一応、あった。
ウラジオストクで1件(ここは地球の歩き方にも載っている)、ハバロフスクで1件。

それらの実情をリポートします。

こちらがウラジオストクにあるゲストハウス「See you Hostel」。

パッと見、イイ感じでしょ?

ここの特徴は、まず宿の場所を探すのに一苦労すること。
宿のホームページに書かれてある通り、空港からバスに乗ってウラジオストク駅で降り、そこから次のバス停を探すのに一汗かく。(バス停があるはずのところにそれらしきものはなく、指示された番号のバスを追いかけて次のバス停まで歩く感じ)
そして無事バスに乗ったら、運転手に降りたい場所を告げて待つこと約15分。2つの大きなオレンジ色のマンションの前に降ろされる。その向かって左側のマンションなのだけれど、まず建物の裏側に回って、「garden」と呼んでいいのかどうか怪しい単に大き目の花壇を横目に真っすぐ進む。オレンジ色のマンション(手前)と白壁のマンション(奥)がつながっていて、白い方の一番奥の玄関が「See you Hostel」の第一玄関。…なのだけれど、これがまた分かりにくい。
「え…? これが玄関?」 というくらい粗雑な…といったらいいのだろうか。
あまりにオロオロしてしまって、写真撮るのも忘れてしまったよ。。。

つまりロシアのゲストハウスは、ハバロフスクもそうなのだけれど、普通のマンションの一室で運営しているのがフツウらしい。
台湾でもそのようなマンション型ゲストハウスに泊まったことがあるけれど、そこのオーナーさん(日本人)は「本とはダメなんですけどね…」と言っていた。 

それで、指示通り(ロシア式の)エレベーターに乗って4階に行き、番号通りの部屋をピンポーンする。
と、中からスタッフらしき人が現れて、チェックインも何もないままベッドに案内してくれる。
「…え? いいの?」と内心思いながら、とりあえず荷物を置き、トイレとシャワールームを教えてもらった。

(ロシア人サイズだからシャワーが高い…)

 

(簡素なトイレ。なぜか給湯器がこちらに付いている)

で、これまたハバロフスクでも同じだったのだけれど、宿に着いた時のオリエンテーションというか、受け付け&ホステル内の説明が驚くほど簡素でアンニュイ。
わたしはアジアしか知らないけれど、大抵どこの国でも、到着したらスタッフがパパパッとひととおりの流れで建物内を説明してくれる。少なくとも、「ではこちらに記名してください」から始まるのがフツウだと思っていた。

(キッチンと冷蔵庫は自由に使用可。ティーパックは無料。電子レンジは現在故障中)

(ここで知り合ったS氏がご飯を炊いてくれた。スーパーの総菜を載せて安飯できあがり♪)

ちなみにゲストハウスによって、ベッドの造りも様々。
海外のドミトリーはほとんどが2段ベッドで、日本のドミトリーには畳に布団式のところもある。

「See you Hostel」の2段ベッドは、驚くほど幅が狭くてビックリする。
下の段なら問題ないけれど、上の段だと寝返りするのが怖いくらい。
これはインド並みだなぁ~と面白がりつつ、「やっぱり怖いから変えて」とお願いして下の段にしてもらった。

そんな「See you Hostel」のウェブサイトはこちら。http://www.seeyouhostel.com/ 

すぐ近くに大きなスーパーマーケットがあるので、スーパー好きの人にはもってこいです。 

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次にハバロフスク。

ここも、高層マンションの一角にあるゲストハウス「Corona Hostel」。
http://www.hostelworld.com/hosteldetails.php/Corona-Hostel/Khabarovsk/72708?sc_sau=sfab&sc_pos=1 

やはりインターネットのアクセス情報を信用しすぎてはイケナイ。

荷物の量と到着時間によるけれど、駅からは結構遠いのでタクシーに乗った方が無難かも。
ツインタワーのようなオレンジ色の高層ビルの、向かって右側のマンション1階。わたしは夜中の零時頃に駅に着いたので、タクシーの運転手にアドレスを渡して向かったものの玄関がなかなか見つからず、そこら辺の人に聞いて回ってようやく発見した。
(でもこちらは外玄関がないので、一度分かってしまえばとっても出入りしやすい) 

ここがロビー兼、いこいの広間。

ゲストハウスに定義があるとすれば、「見知らぬ宿泊者同士が一緒にくつろげるリビングのような場所があること」というのも、ひとつの大事な要素だと思う。

慣れないうちはこうしたスペースに行くこと自体おっかないのだけれど、 なんとなくふらりと行ってみて、お茶を飲むなりテレビを見るなりパソコンをするなりしていると、勝手に話しかけてきてくれる人が必ずといっていいほど現れる。
もしそういう人に出会えなければ、自分一人でくつろいで立ち去ればいいだけのこと。
でももし出会えたら、一緒に街歩きをしたり、安いレストランを教えてもらったり、タクシーをシェアしたりとかなりお得な展開になる可能性が高い。もちろん、友達ができる、というのが一番うれしい展開なわけだけれど。

(部屋はこんな感じ。簡素な2段ベッドだけど寝心地は花マル)

(シャワー部屋。ゲストハウスは長期滞在者が多いので、洗濯機はあった方がいいみたい。)

(共同トイレは、もともときれいだと、汚した時に自分できれいにしなきゃいけない気分になる。もちろんそれが当然のマナーなのだけれど。)

 

そんなこんなで、ロシアでもゲストハウスは健在&快適ということが分かった。

これは嬉しい限り。

さらに、ロシア人は一見無愛想に見えるけれど、そんなことは決してないということも判明。
特にハバロフスクのCorona Hostelで出会ったロシアの人達は、一端話をすればとてもフレンドリーな人達が多かった。こういう発見や出会いがあるから、やっぱりゲストハウスはやめられないのです。

…と、そういえば大事な値段を記すの忘れてました。

See you Hostelが500ルーブル(約1500円)、Corona Hostelが600ルーブル(約1800円)。 
いずれも2013年10月現在です。

 

(マーケットで買ったロシアのサボテンを窓辺に置いて…)

 

それではまたぁ~

 


愛しのロシア

2013-09-27 | ロシアの旅

ロシアがステキすぎる。

ロシアが大好きになってしまった。どうしよう

10人中9.5人は英語を話してくれないけれど、だからといって外国人を嫌がるわけではなく無理矢理ロシア語で教えてくれようとする。それでなんとなく分かってしまうんだから、それで十分なんだと気づく。

今回の旅は極東ロシア。ウラジオストク~ハバロフスク。

そしてここは、人間観察天国だ。

髪の黒い人、黄色い人、赤い人、白い人、恐ろしくストレートの人、激しくカールしている人。体系も小枝のような人からお相撲さんのような人(女性ばっかり!)まで。顔だって、人形のように美しい人の隣にとんでもないおばちゃんが歩いていたりする。バス停でいちゃつくカップルも堂々とキスして人目をはばからなければ、ベンチで血を流している無愛想なおじさんや、その近くで安い弁当にかぶりついている中年カップルがいたりもする。そうそう、街の中には至るところにベンチがあって、少し疲れたらどこででも休めるようになっているのも嬉しい。水兵さんや駅員さん、警察官などカッコいい制服姿の若い男が街のあちこちを歩いているのも目の保養になる。

一昨日はこんなことがあった。

てくてく歩いてビーチに出たら、ベンチに座っていた男の人に呼び止められた。「フォト!」とかなんとか言われて、そっちを向いたら手招きしている。行ってみたら、丸顔の笑顔が愛らしい40代くらいのウズベキスタン人だった。アリさんという。

言葉が通じないなりにもなんとか会話したくて、鞄からロシア語の指差し手帳を取り出した。買ったばかりでまだ一度も開けてなかったことを少々悔やみつつ、何を話そうか考えながらページをめくった。
別に特別話したいことはない。とりあえず「私は独身です」というマスを指差して、しまったと思った。道ばたで初めて会った人に、なんで独身をアプローチするのか意味不明すぎる。

けれどなんだかんだ指差し、笑い合っているうちに仲良くなった。それは彼がたまに私の顔をペシッと叩く行為に表れていた。こっちは内心びっくりするけれど、ウズベキスタンでは「このやろう!」と冗談でからかうときに相手の顔を叩くらしい。まるで大阪みたいだなと思った。大阪人もさすがに初対面で頭をどついたりはしないけれど。

とにかく彼はそうやって笑顔で私をからかいながら、「君は目がきれいだ」と言った。「クラシーバ」という単語は、バイカルに行った時ルダが何度も言っていたから分かった。

写真を撮り合って、10月17日にまた会おうと約束した。電話をくれと彼は言ったけれど、それは無理でしょう、と私は心の中でつぶやいた。指さし手帳もジェスチャーも表情もなしに、用件のみ伝えられる自信はない。

 

遊園地の前の通りを、土産物の屋台を覗きながらぶらぶら歩いた。途中で空腹に堪えかねて肉まんを買う。
日本の中華マンの3倍の大きさに、キャベツと肉を炒めた総菜がつまっていた。
あまりの旨さに感動の写真をパチリ。

 

そろそろウラジオストク日本センターに行こうと腰を上げ、市役所の前を通ってポクロフスキー聖堂に向かった。大きな交差点を渡る地下道を出たところで、中東系の母子が物乞いをしていた。こどもは3人も4人もいる。ちょっと写真を1枚撮らせてもらっちゃおうかな、と思ってUターンしたとき、恰幅のいいおばさんと出合い頭に対面した。そして「ちょっと、あなた、写真撮ってくれない?」と、(多分)おばさんは言った。

ポクロフスキー聖堂の前に行って、写真セッションが始まった。
おばさんは写真にずいぶんこだわりがあるようで、足も全部写るように、と指示を出し、私はそれに忠実に従った。「あなたの写真も撮ってあげるわよ」とおばさんが言うのでカメラを渡すと、なんと大胆な斜めアングルでカメラを構える。さらに、私のカメラでおばさんのポートレートを撮らせてもらうと、おばさんも私のポートレートを撮ってあげると言う。再びカメラを渡すとおばさんは途端に足腰のバネを利かせて、カメラマンよろしく立ち位置を変えながら私を連写し始めた。まさかの展開に度肝を抜かれて動転する私。しかも連写がやたら長くて、一体この事態は何なのか、訳が分からなさすぎて笑い転げた。

おばさんは満足したようにカメラを私に返しながら言った。
「ドクター!」
なんとおばさんはお医者さんらしかった。

 

たった1日歩き回っただけで、こんなにチャーミングな人達に出会える街。

ウラジオストクは、信じ難いほど愛くるしい。

 

 
 
そしていよいよシベリア鉄道に乗車。
これまたステキ、かつ快適すぎて興奮してしまう。
 

ロシアンサイズのゆったりベッド座席で、ガタゴトとのんびり揺られながら車窓を眺めた。
景色もまた、ロシアならではの雄大な大地。

そしてふと思った。 

旅好きの人は、ハマったハマらないという問題ではなく、そういう人種なんだろうなぁ。
旅しているときが、自分の生活に最もフィットしているという感覚。
旅しているときが、最も自分らしくいれているという手応え。
もしかしたら浮気性な性格ともリンクするかもしれないけれど、逆に自律の鬼だともいえる。行く先々で愛に溺れることなく、刹那的に出会いと別れを繰り返せるという点において。 

心を自由に解放する行為は、定期的に必要らしい。
自分が自分であるために。

 


クスナっ!!!!!

2012-12-28 | ロシアの旅

最近めっきり寒くなってきたので、もっと寒いロシアの料理を紹介します。

去年の12月はじめに行った時、外気温はー20度でした。

そんな極寒の地でも、人々の表情は柔らかく、とても穏やかです。

その秘密が、ママのつくってくれるポカポカ料理なの。

たとえば上の写真2枚は、日本でもお馴染みのボルシチです。

もともとはウクライナの料理。

赤い色は、ビートという赤カブみたいな赤イモみたいな、寒冷地ならではの野菜の色。

シチューとは違って、ルーみたいなものは入れません。

野菜の旨味をコトコトコトコト煮出していく野菜スープです。

こちらもお馴染みの、ピロシキ。

生地も、強力粉を練って一晩寝かせた手づくり生地です。

ちなみに生地を手づくりするのは当たり前。

寝る前にサササッとやって、朝起きたらサササッと具を詰め込んで調理します。

そしてこちらが、お料理の達人、ルダママ。

なぜ半袖なのかというと、家の中はとても暖かいからなのですが…

編んでくれているのは、私の帽子です。

ロシアといっても、ここは東南部にあるブリアート共和国。

世界一美しいといわれるバイカル湖の東側に位置しています。

なので、アジア顔のブリアート人をメインに、白人と混血の人が共生しています。

だから料理もメインはブリアート料理。

見た目はモンゴル料理とロシア料理を足して2で割ったような…、だけど味はロシアンテイストなので実に食べやすく、乳製品をふんだんに使うため栄養価もバッチリの…、つまり一言でいえば頬がタダレ落ちそうになるほど最高に美味しい料理です。

私がこれまでに食べたことのある世界の料理で、…そうね、もしかしたら1位かも。

それで、上の写真は「ブリヤート・ラプシャ」。

ラプシャというのは、ロシア語でスープという意味。

こちらは「ミルク・ラプシャ」。

これがまた美味しくてたまらんのです。

あまりに美味しいので、材料をメモりました。

・湯:牛乳=1:1
・塩
・マカロニ(好きなだけ)
・バター(4分の1箱/2人分)
・卵(1個を割り入れてかき混ぜる)

 

これは「ラグー」という料理。

いわゆる、ロシアの肉じゃがです。

これもあまりの美味しさにレシピをメモ。

1)牛肉の角切り+タマネギみじん切り+キャベツざく切り+湯少々 → 炒める
2)ビート角切り+酢+砂糖 → 炒める
3)ビートを(1)に移し、同じ油でニンジン角切りを炒める
4)ニンジンを (1)に移し、同じ油でジャガイモ角切りを炒めて(1)に加える
5)タマネギみじん切り+強力粉 → 炒める
6)(5)が浸るくらいの水を入れて煮詰め、トマトチャツネ+葉野菜の塩漬けを加える
7)(6)を(1)に加えてかき混ぜる

…肉じゃがよりかなり手間がかかるんですね。

それで、ラグーのレシピに出てくる「トマトチャツネ」と「葉野菜の塩漬け(オクロップ)」というのは、こういうものです。

冬に備えて保存食をつくり、瓶詰めにして冷蔵庫に入れてるの。

もちろん手づくり。

これがどんな料理にも、味付けに便利なんですなぁ。

ピクルスも、必ずどの家庭にもある保存食。

日本人が漬け物をボリボリ食べるのと同じ感覚で、ロシアでは必ず食卓にピクルスが添えられます。

(写真真ん中はロシア風酢和え野菜)

 

さて、どうでしょ。

寒いからこそ、こうした料理で心を温めようとするのか、それともママ達の思いに関わらず、寒いからこそ、温かい料理が有り難く感じるのか…。

いずれにしても、寒い地域の家庭料理は、南国にはない独特のぬくもりを感じます。

そして私は唯一覚えたブリアート語「クスナ!(おいしい)」を連発し、毎日胃がはち切れんばかりに食べに食べて、至福の1週間を過ごしたのでした。

 

ちなみにルダママは英語が話せません。もちろん日本語も。

私は英語は少々話せるけれど、ロシア語は全くダメ。

その2人が1週間もの間どうやって会話していたかというと、それがまさに「クスナ」だったのです。

つまり料理が2人をつないでくれた。買い物に出かけ、料理を手伝い、皿を囲んで「クスナ!」と叫ぶ。

そうしてルダママは私の「ママ」になり、最後にはなんとも離れがたい寂しさに胸が締め付けられる思いを味わったのであります。

料理って、スゴいなぁ…。

 

だから寒い日もへっちゃら。

思い出すのは、あったかいスープが口に広がってその風味が鼻に抜けていった時の感覚。それが胃に落ちたときの温もり。そして「クスナ!」と叫んだ時の、ルダママの嬉しそうな微笑み。

寒いからこそ、心がほっこりすることもある。

 

ありがとう。

ENJOY☆WINTER