去年知り合った曹洞宗のお坊さんに「そぶみ観音がいいよ」と言われ、岡崎に向かった。
名鉄線・本宿駅から歩いて15分ほどの山間にある、渭信寺(いしんじ)。
加賀の前田利家の守り本尊だった御神体を、金沢大乗寺の住職が隠居する時に岡崎に持ってきたのが始まりだという。
そもそも厄払いというのは神社でやってもらうものだと思っていたけれど、お寺でもいいだって。
…へぇ、そうなんですか、と私は軽く答え、「じゃ、行ってきます」ということで初厄払いに出かけたというわけ。
元旦の昼間は人でごった返すというそのお寺には、若いカップルの姿もちらほら見られた。しかも夕方、しかも寒風とともに粉雪舞い散るこんな日に、正月祈願でお寺に来る習慣がある人々がたくさんいるなんて。
日本の年末年始を説明する時は「大晦日にはお寺で鐘つき、元旦は神社でお参り。寺と神社は似て非なるのよ」なんて知ったかぶって言っていたけれど、根本的に考えを改めなくてはいけないらしい。
本堂には正月飾りやお守り類が並べられていて、人々はその前をそろりそろりと歩きながら物色しているようだった。
私は内心ビクビクしていたせいか、そちらにはほとんど目もやらないで係の人を探して聞いた。
「あの、東京のKさんに紹介されて来たんですが、厄払い、していただけるんですか?」
若奥様らしいその女性は「あぁ、はい、いいですよ」と快く答えて私をカウンターに案内し、「とりあえずこれを書いてください」と祈祷届けのような紙を差し出した。
私はそれに名前や住所や年齢を書き、その後、テーブルの上にあった厄年表を覗き込んだ。
「あれ、私、もしかして厄年じゃない…ですか?」
女性は私の年齢を確認してから、「そう…ですねぇ」と少し戸惑った風に言葉を返し、「でも、厄除けというのはいつやられてもいいんですよ」とにっこり笑った。
おかしいなぁー。どこやらの神社で30代は2回くるって大きく書いてあったと思ったのに。
それで帰りの電車でググってみたら、やっぱり「女性の厄年は人生で4度ある」らしく、3度目の本厄が数え年で37歳(今年でいえば1979年生まれ)の人、と書いてある。
あれー、神社と寺では違うのか?
そこで他のサイトも見てみると、こんなことが書かれてあった。
(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n128583)
「なぜ年齢かといえば、科学的な根拠はありません」
「厄年を何歳とするかは神社仏閣などによって異なり、一概に厄年は何歳とは断言できません」
「すべての神社仏閣で共通して厄年とされる年齢というものはありません」
しかも元日に歳をとるとするか、立春(旧暦の正月)に歳をとるとするかも、神社仏閣によって違うのだという。だから「信じている神社仏閣があるならそこでいわれている厄年がその人の厄年であり、その信じている神社仏閣へ厄払いに行くのが本来の姿でしょう」ということで、結局は自分次第、みたいなオチなのだ。
がーん。
まぁしかし…。曹洞宗のお寺でご祈祷していただいたのは初めての経験で、それはとても興味深いものだった。
お経がぎっしり書かれてあるジャバラ構造の教本を、バラバラバラバラバラ…とまるでアコーディオンを奏でるように左右に揺らし、その後、まるでインド人がチャイを入れるかのように、1mほどの高低でザーーーーーーーーーーーッと上から下にジャバラを流すのだ。
ま~ぁそれはそれは見事な手さばきで、思わず見とれてしまうくらい。そしてトントントントンという乾いた音の太鼓が響き、途中で祈祷者の住所と名前と性別が読み上げられて(それもまた独特のイントネーションなので、自分の番になると恥ずかしさの余り吹き出しそうになりましたが…)、最後に一人ずつ前に出て頭に何やらを押当ててもらう、という流れだった。
加えて私だけ「厄除け」のために再度前に呼ばれ、オレンジと黄金色の袈裟に三角形の帽子をかぶった老僧に、厳粛なお祓いをしていただいた。
いやぁ。。。これだけしていただけば厄も吹っ飛んだでしょう。
と意気揚々となり、お礼を申し上げて帰路につこうとした時。ご住職がふと心配そうに声をかけてくださった。
「何か、疲れてますか?」
私「…そうですね、疲れてるかもしれません」
「いえ、なんとなく"気”が疲れてるような気がして。エネルギーが弱っているというか…」
私「そうですかぁ」
「何か楽しいことをして、リラックスされた方がいいですよ。すみません、ちょっと余計なことを申し上げましたが…」
私「そうですね。どうもありがとうございます」
ということで、すっかり暗くなった田舎道を、やっぱりそうかぁ~と思いながらトボトボ歩いて駅に向かった。
(つづく)
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