アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

いのち

2013-07-24 | 日本の旅

東北は、ヤマユリの季節。

南三陸から仙台に出て、さらに福島へ向かう高速道路沿いにも、ぼつりぼつりと白い花弁が開き誇っていた。

 

仙台でfacebookをチェックしたら、台湾の友達からメッセージが届いていた。

「陳(タン)くんが台南の海で溺れて行方不明らしいです。今も捜索中だって。」

そんなような内容。心臓がぎゅっと縮まった。

 

陳くんは、4月下旬に知人に紹介されて台湾の原発取材でお世話になった。日本語がペラペラで、わたしが今まで出会った外国人の中で最も、飛び抜けて日本人と日本のことを理解してくれている人だと思った。

台北の居酒屋で話を聞き、翌日には台南にある彼のシェアハウスにおじゃまして1晩泊めてもらった。
台南では、台北での姿とはうってかわって、スクーターに裸足姿で現れた。そのワイルドさにはさすがに驚いたけれど、都会の酸いも甘いも知った上で彼が選択した生き方に、イマドキといえばイマドキの、格好よさと力強さを感じた。

いつか、一緒に何か仕事ができたらいいな、とわたしは淡い期待を抱いた。

 

頭がぼーっとなったまま、バスから窓の外を眺めた。

ついさっき、南三陸で見送ってもらった佐藤区長のことを思い出した。

「無茶はすんなよ」と、別れ際に言われたな…。

昨日お世話になった寄木の高橋さんのことも思い出した。

電話をかけるたび、会うたびに、開口一番「変わりねえか?」と聞く。「はい、相変わらずです」と答えると、「そうかそうか、よかった」と嬉しそうに言う。

わたしは年に数回だけ彼らに会いに行くだけで、今はもう、震災のボランティアはしていない。彼らはそれぞれ、数百万、数千万の借金をして家業を再開している。その微々たるお手伝いをするという口実で、ただ会いに行くだけ。

そして結局、散々世話になった挙げ句にドタバタと慌ただしく帰ることになる。なのでわたしは、「逆に迷惑だっただろうなぁ…」とか「もっとお土産もっていけばよかったなぁ…」とか「せめて仕事の邪魔にはならなかったかなぁ…」とか、帰り際にはいつも反省する。

いくら「会いにきてくれるだけでいい」と言われていても、なかなかそうは割り切れない。 だって御飯をわんさか用意してくれたり、車であちこち連れていってくれたり、…わたしの想像以上に温かく迎えてくださるんだもの。今も今までも大した手伝いなどできていないのに。 しかも、(元)ボランティアの “お客さん” はわたし一人ではないだろうに。

 

そんなむずがゆさを感じながら、なんとなく甘えて今まできた。

 

そして今日。

ぼーっとしながら眺める風景に、2年半前の津波の映像が重なった。
ちょうど昨日の夕方、高台にある志津川高校のフェンス越しに、町とその奥に広がる海を眺めたばかりだった。

「そこに老人ホームがあって、高校生が助けに行っては何度も階段を上がったんだよな」
「そこから紐を投げたんやけどなぁ、届かんかったんだって」
佐藤区長からそんな話を改めて聞いた。

道ばたのあちこちには「波来の碑」がそっと建てられてあって、高橋さんも「ここまで来たっちゃ」「あの家も浸かったっちゃ」と、車を運転しながら何度も説明してくれた。
たった2年半前のことなのに、わたしはそうした事実を随分忘れてしまっていたことに気づいた。

知ったつもりになっていたけれど、事実、忘れていた。

 

目の前で人が、それも大事な人が死んでいくという体験の恐ろしさを想像した。

それは陳くんの姿と重ねて、想像された。

友達が、家族が、大事な人が、目の前でいなくなるということ。

波にのまれるということ。

手が届かないということ。

泣いても叫んでも、無駄だということ。

 

あの頃ボランティアに行ったたくさんの人が、そうした絶望感に想いをよせ現地に向かったはずだった。
わたしもその一人だったわけだけれど、根本的なことを、わたしは分かってなかったんだなぁと、今さらながら思い知る。

「無茶はすんな」「変わりはねえか?」「顔見せに来てくれるだけでいいから」
そうした言葉の意味と、重み。

自分が死ぬことよりも、他人が死ぬことの方がどれほど辛いか。

だから自分のいのちも、どれほど大切か。

 

だけど、そういうこと…つまり「いのちは大切だ」ということを、言葉で説明するのはとても難しい。伝えたと思っても伝わっていなかったり、分かったと思っても分かってなどいなかったり。

特に若い人に対しては、難しいなぁと思う。かつてのわたしがそうであったように、自分のいのちを大事だと思えない人は、とても、とてつもなく多いはずだから。
東京の友人がこの前、「普通の顔してんのに、リストカットの跡がある店員なんてザラにいるよ」と言っていた。 きっとそうなんだろうと思う。

どうしたらいいのか…。 じれったい。

被災地の風景が遅々として変わらないことに苛立ちを覚えるように、「いのちは大事だ」という当たり前のことをどうやって表現したらいいのか分からない自分にも、なんだか腹立たしさを感じる。

自分だって今日の今日まで腑に落ちて理解などしていなかったというのにね。

 

そういえば、こどもの教育とか、いじめ問題とか、この前の選挙でちゃんと争点になっていたんだっけ。

新しい問題にどんどん覆われて、その時々の問題はどんどん忘れ去られていく。
津波の被災地も、そうやって猛スピードで忘れられているんだよね。2年前からほとんど何も変わっていないのに。

その現実こそ、社会問題自体を消費している現代社会にこそ、ちゃんと違和感を持ち続けなきゃいけないなぁと思う。

 

佐藤区長たちの仮設住宅は、高台移転できるまであと3年もかかるらしい。

被災地に学ぶことは、きっと年々大きくなっていく。 

 

…そして東京に戻り、陳くんの無事を祈りながら引っ越しの準備に追われ、一段落ついたところで恐る恐るfacebookを開いた。やはり友人から続報が届いていた。

「さっき、遺体が見つかったそうです」

再び頭痛が襲ってきた。

なんで、こうなってしまうんだろう。
大事ないのちも、大事にしてきたいのちも、少しも粗末になどしていないいのちも、なんでみんな、突然ふっと消えてしまうのか…

 

重たい頭を引きずるように台所へ行って、そうめんをつくった。

美味しくなんかないけれど、とりあえず喉に流し込んだ。

ぼーっと放心して、言葉のない空間をさまよった。

 

ありきたりだけれど、こうやって、いま生きていることの方が、確かに不思議なことだ。生きている者と生きている者が、時間を共有する瞬間瞬間も、本当はとても貴重なはずだ。 

だからやっぱり、どんなに拙い表現しかできなくても、ちゃんと発信しつづけよう。

「自分のいのちも、生き方も、大事にしよう」ってこと。

今はそれしか、思い至る先が見当たらない。

 

陳くんのご冥福をお祈りいたします。
出会えたことに、心から感謝して。


これからのこと

2013-07-22 | 2013年たわごと

来月早々、名古屋に引っ越すことにしました。

なので今は部屋の中が段ボールだらけ。

テレビのリモコンもそのうちのどれかに入れてしまったので、昨日の選挙は中継見れず。デモクラTVというインターネット番組を見ていたけれど、マニアックすぎてイマイチ面白くない… やっぱりテレビにはテレビの、ここ数十年で培ってきた「わかりやすくするためのノウハウ」が詰まっているんだなと改めて思いました。

正しいことを言えば支持が集まる、という単純な世の中ではないから、やっぱり、たくさんの人に伝わりやすくするための努力は必須なんだろうな。

そんな中で山本太郎さんが当選したことは、ある意味、引き潮に遭遇したような快感だった。エンタメの随を知る人が真面目一本で勝負するというのは、反発する人も多いだろうけれど、わたしはとても素晴らしいと思う。
真面目な域とエンタメの域を行き来すること、そのバランスをとること、それによって社会に揺さぶりをかけること、…そういうのが、特に今の日本社会では必要な気がします。テレビにおける討論番組とお笑い番組、ということではなく、もっと社会全般的に、もっと様々な分野で、もっと激しく、もっと真剣に。

 

そして今は、仙台に向かうバスの中。

半年ぶりの南三陸です。 

 

引っ越し準備を一端終わらせ、慌ただしく家を飛び出てきたせいで、なんだかぼーっと間が抜けた感じになっている。

名古屋に引っ越して、結局、わたしは何をするんだろう。

そんな今さらのことを考えたりしています。

フリーランスで食べていくというのは、東京に住んでいれば、また自分1人が生活する分には、そんなに難しいことではないんじゃないかな。…それが関東生活3年半の大雑把な感想です。
もちろん仕事を紹介してくださった恩師や、仕事を与えてくださった方々、運、ご縁、その他精神的に支えてくれた人達のお陰で、なんとか餓えることなく過ごすことができたのだけれど。

しかし改めてフリーランスという仕事を振り返ってみて、ようやく分かったことがある。

最初の頃によく言われた「テーマは何ですか?」「自分の得意分野をもった方がいいよ」という類いのアドバイスの意味。

結論からいえば、恐らくそうしたものを持たなければ、フリーの取材人というのは単に都合よくメディア(社会)に消費されるだけの存在にしかならないということ。
職能や営業能力に長けていれば、マルチであってもそれなりの稼ぎと自由な働き方を実現できている人はいるかもしれない。けれど、圧倒的多数のフリーライターやフリーカメラマンは、その都度、売り先の媒体に合わせて企画を考えたり、“売れるような”ネタを探したりしていると思う。…それがどんなに体力と精神力を消耗するか。

自由という自己責任(および孤独)の中で、「これ!」というテーマを自分で設定し、取材費を自分で捻出し、なんとか売れるカタチにするまでの長い時間をやり過ごす忍耐力たるや… よほどの信念がなければ難しいんじゃないかなと改めて思うのです。
少なくともそれが心地よくなるまでには、それなりの時間(もしくは経験)が要りますからね。

 

結局、今の自分に必要なのは「自分のフィールドをもつ」ことなんだろうな。

そのためには、再び回り道するのも大事かもしれない。
あぁ…常に回り道、回り道の人生だけれど、もともと極度に不器用な性格なんだからしょうがないねぇ。

そこで、名古屋ではフリーランスの仕事は一端やめて、NPO-Kids'AUの新規事業づくりに専念しようと思います。
具体的には、アジアツアーの企画と運営、そしてそのためのワークショップなど。 

初めてのことばかり(しかも団体にはカネがない!)でいささか不安だけれど、ここまできたらやるしかない。
わたしももう今年で34だからね。最後の自由奔放期だと思って、起業するつもりで(というか本当に起業するようなものなので)コトを成し遂げてやるぞ!と思っています。

 

ちなみに、「それで結局何を伝えたいの?」と聞かれれば、3年半前よりは少しクリアに、少し自信をもって答えられるようになりました。

「世界は、多様性に満ちあふれているということ。そのことを大事にしなきゃいけないということ。社会のためにも、個人のためにも。」

それをどう伝えるか。どう表現するか。
正しい(と思う)ことほど伝わりにくいし、当たり前のことほど実感するのは難しい。
だからこそ、その試行錯誤の中に自分は相変わらず佇んでいるのです。 

ツールはいろいろ獲得した。カメラもビデオもペンも…(ある程度は)。だから今度は、それらをどうディレクトし、更にどうプロデュースするかを学ぶ時なんだ。
そこで何かひと掴みの手応えが得られれば、きっとまたその先に道は開けてくるんじゃないか。きっと… 恐らく…。

 

憲法改正が大議論され、原発政策がひっくり返り、民主国家だと思っていた国で“本当の”民主主義が叫ばれる時代。
(そういえば)ロスト世代と呼ばれてきたわたしの世代は、今がちょうど働き盛り。これからの10年、20年をつくっていく、主力にならなきゃいけない世代のはずです。

だからというわけではないけれど、わたしの回りには、妙な焦りとジレンマを抱えている人が多いような気がする。自分にできることを真剣に考え、変わらない現実と向き合って試行錯誤している人達が、わたしの回りにも、知らないところにも、意外なほどたくさんいる。

一方で、情報インフラが整ったお陰でそうしたことを実感できたり、励まし合えたり、離れていても一緒に何かをやれたりするのはスゴいことだな…と、この10年間の劇的なIT進化にも感謝できる最後の世代でしょ。なかなかユニークな時代に生まれたなぁと、こうして何時間もバスに揺られているとふと思ったりします。

 

だからまたがんばろう…。

せっかく今の時代に生きているんだからね。

今日より明日が、今世より来世が、よりステキになるように。

より多くの人が笑顔になるように。自分も含めて…ね。

 


原発の取材で思うこと

2013-07-09 | 2013年たわごと

最近ずっと原発に絡んだ取材をしていて、なんともやるせない毎日が続いている。

2月に始めてから、かれこれ5ヶ月。

当初考えていた方向性とは大きく変わって、随分、地に足がついてきたような気はしているんだけれど…。

 

5ヶ月という期間は、これまで原発と直接向き合ってきた人達からすれば、ほんの一瞬の時間にすぎない。けれど、何が大変って、「反対!」の人達の声を聞きながら、「単純に反対できない」人達に寄り添うという、その中間路線を模索しているということ。

当初考えていたように、反対運動だけを追っかける取材だったら、こんな風な悩み方はしてないんだろうなと思う。

 

前回、取材先の福井県小浜市に行った時、あまりにいろいろなことを感じすぎたせいか、まるでドラッグを打ったかのように、急に全身の感覚が鋭くなってワーッと涙があふれて止まらなくなった。

風の音、木の葉が揺れるざわめき、におい、光、空気の色… そういったものに身体がわしづかみにされて、特に心臓が、縮み上がって震えていた。

あれは何だったんだろう、と今でも思う。

いろんな人が、いろんな思いを抱えて、それぞれに生きているという当たり前の事実が、どうしようもなく切なかった。

 

この5ヶ月間に悶々と揺れ動いた心の軌跡は、なかなか簡単に文字化できない。だって今も、未整理のまま揺れ動いている気持ちの一片が、まだ心臓の辺りでぶるぶる震えているんだもの。

だけど、そろそろちゃんとアウトプットしなくては。

これを自己満足で終わらせるのは、あまりにもったいないと確信できるようになったから。

 

それにしても、どうして原発なんてややこしいことを取材するようになったのか。化学や物理の難しい話は大嫌いで、しかも経済オンチ・政治オンチの自分が原発問題に手を出すなんて、ほとんど無謀な試みだと自分でも心底思うのに。

原発問題は避けて通れないなと腹をくくった理由は、必ずしも原発自体への関心や問題意識からではない。原発は放射能を出すから、とか、エネルギー問題だからとか経済問題だからとか、安全か危険か、とか、そういうことが問題の核心ではないと思っている。

たとえば原発以外でも、国策に対して地元の人が反対してきた(している)問題はたくさんある。沖縄の米軍基地だってそう、ダム建設だってそう、空港拡張だってそう、障害者に対する生活保障政策も、多分同じなんじゃないかな。

それらを推進してきた国や大企業のやり方がどうだったのか。そこに楯突いた一部の人達がどんな仕打ちを受け、世間にどんな風に見られてきたか。その人達の言い分を、たとえ最終的には退けたとしても、少しでも耳を傾けてきたかどうか。

その過程と姿勢は、社会問題といわれる日本のいろいろな問題に、どれも共通するんじゃないかと思う。
原発は、それが最も顕著で分かりやすい問題だという点で、また最も深刻な影響を及ぼすという点で、避けて通れないだろうと思ったわけです。 

 

原発問題は民主主義の問題だ、とよく聞く。

民主主義って何かといえば、民意をいかに反映させるか?ということ。民意が一番大事ってこと。
それって、システムの話じゃなく、コミュニケーションの話なんじゃないの。
顔の見えにくい集団(政府や大企業)が、いかに市井の人とコミュニケーションをするか。そのためにはどんなシステムが必要か。

そこには、多分、ゴールというものはない。
選挙でも何でも、システムができればオッケーということではなく、コミュニケーションという面倒なプロセスは、その都度、それをやる人達のモラルや熱意にかかってくるんじゃないかと思う。

だってコミュニケーションというのは、相手の話を聞こうとする姿勢がないと絶対に成立しないものだから。姿勢というのは、機械やシステムが示すものではなく、人が示すものだもの。

営業交渉だって、いくら相手を打ち負かそうと腹の中で思っていたって、まずは相手の言い分を聞き、妥協点を探そうと(せめて表向きには)するじゃないの。
ところが自分が最初から頑に出たら、相手もどんどん頑になっていく。

それが原発の場合、国や企業側が先に頑だったのか、それとも反対住民側が先だったのか…?
この間わたしが観察している限りでいえば、反対している人達はコミュニケーションこそを求めているように見える。「再稼働反対!」と一方的な訴えをしているように聞こえるけれど、少なくとも交渉の場では(国と交渉している人達は)、双方向の意見交換と歩み寄りを大事にしようとしているように見受けられる。

 

一方で自分に置き換えて、考える。

たとえば電気屋さんで商品を安くしてもらおうとするとき。たとえば間違って乗ってしまった電車で引き返してきたのに「ホームで迷ってました」と誤摩化そうとするとき。たとえば引っ越しの見積もりを出してもらうのに、わざと他社の訪問時間を近づけて営業マンの人を焦らせようとするとき。たとえば… 

自分が得をするために、もしくは自分が手柄を得るために、そうした些細な小細工や誤摩化しは日常茶飯事で(私は)してしまっている。
我ながらせこいなぁと呆れ返るけれど、それでも、相手の利害が個人的なものでない限り、やっちゃっているんだなぁ。恥ずかしながら。

ただ、たとえそれに失敗したとしても、嫌がらせをしたりネット批判をしたりなんかはしない。だけどね、それが自分個人ではなく、大企業の中の1人としての交渉だったらどうなんだろう。
思うようにコトが進まなかった場合、どんな手を使うだろうか。ましてや社長からの圧力があり、その上にも更なる圧力があって、何が何でもコトを進めなければいけない状況だったら。 

 

 

結局、原発という泥沼は、考えれば考えるほど、知れば知るほど、単純に「賛成」「反対」で割り切れるものではない。だけどそれは「中立」がいいということではなく、自分の主張以外に、相手の言い分を聞くだけの“余白”を持ち合わせているかどうか、ということなんだと思う。推進せざるを得ない人達も、反対せざるを得ない人達も。

ただひとつ、自分事として考えてるわけでもない人が、原発に懐疑的な人を「反対派」とカテゴライズし、原発に誇りを持っている人を「推進派」にカテゴライズしてモノゴトを単純化したがる風潮に、私は強い違和感をもつ。

そうやってカテゴライズしてしまうこと自体が、お互いのコミュニケーションを阻む要員になっているんじゃないかと、どうしても思ってしまうから。

 

こうやって頭の中はぐるぐるぐるぐる回る。

まさに、日々、修行。

コミュニケーションというのは、本当に難しいし、疲れるね。

そして思う。
直接議論し尽くせずに、こうやってむしゃくしゃしながらブログに書きなぐっていること自体が、その表れなんだろうなぁ…。(だけどがんばって続けるぞー )