東北は、ヤマユリの季節。
南三陸から仙台に出て、さらに福島へ向かう高速道路沿いにも、ぼつりぼつりと白い花弁が開き誇っていた。
仙台でfacebookをチェックしたら、台湾の友達からメッセージが届いていた。
「陳(タン)くんが台南の海で溺れて行方不明らしいです。今も捜索中だって。」
そんなような内容。心臓がぎゅっと縮まった。
陳くんは、4月下旬に知人に紹介されて台湾の原発取材でお世話になった。日本語がペラペラで、わたしが今まで出会った外国人の中で最も、飛び抜けて日本人と日本のことを理解してくれている人だと思った。
台北の居酒屋で話を聞き、翌日には台南にある彼のシェアハウスにおじゃまして1晩泊めてもらった。
台南では、台北での姿とはうってかわって、スクーターに裸足姿で現れた。そのワイルドさにはさすがに驚いたけれど、都会の酸いも甘いも知った上で彼が選択した生き方に、イマドキといえばイマドキの、格好よさと力強さを感じた。
いつか、一緒に何か仕事ができたらいいな、とわたしは淡い期待を抱いた。
頭がぼーっとなったまま、バスから窓の外を眺めた。
ついさっき、南三陸で見送ってもらった佐藤区長のことを思い出した。
「無茶はすんなよ」と、別れ際に言われたな…。
昨日お世話になった寄木の高橋さんのことも思い出した。
電話をかけるたび、会うたびに、開口一番「変わりねえか?」と聞く。「はい、相変わらずです」と答えると、「そうかそうか、よかった」と嬉しそうに言う。
わたしは年に数回だけ彼らに会いに行くだけで、今はもう、震災のボランティアはしていない。彼らはそれぞれ、数百万、数千万の借金をして家業を再開している。その微々たるお手伝いをするという口実で、ただ会いに行くだけ。
そして結局、散々世話になった挙げ句にドタバタと慌ただしく帰ることになる。なのでわたしは、「逆に迷惑だっただろうなぁ…」とか「もっとお土産もっていけばよかったなぁ…」とか「せめて仕事の邪魔にはならなかったかなぁ…」とか、帰り際にはいつも反省する。
いくら「会いにきてくれるだけでいい」と言われていても、なかなかそうは割り切れない。 だって御飯をわんさか用意してくれたり、車であちこち連れていってくれたり、…わたしの想像以上に温かく迎えてくださるんだもの。今も今までも大した手伝いなどできていないのに。 しかも、(元)ボランティアの “お客さん” はわたし一人ではないだろうに。
そんなむずがゆさを感じながら、なんとなく甘えて今まできた。
そして今日。
ぼーっとしながら眺める風景に、2年半前の津波の映像が重なった。
ちょうど昨日の夕方、高台にある志津川高校のフェンス越しに、町とその奥に広がる海を眺めたばかりだった。
「そこに老人ホームがあって、高校生が助けに行っては何度も階段を上がったんだよな」
「そこから紐を投げたんやけどなぁ、届かんかったんだって」
佐藤区長からそんな話を改めて聞いた。
道ばたのあちこちには「波来の碑」がそっと建てられてあって、高橋さんも「ここまで来たっちゃ」「あの家も浸かったっちゃ」と、車を運転しながら何度も説明してくれた。
たった2年半前のことなのに、わたしはそうした事実を随分忘れてしまっていたことに気づいた。
知ったつもりになっていたけれど、事実、忘れていた。
目の前で人が、それも大事な人が死んでいくという体験の恐ろしさを想像した。
それは陳くんの姿と重ねて、想像された。
友達が、家族が、大事な人が、目の前でいなくなるということ。
波にのまれるということ。
手が届かないということ。
泣いても叫んでも、無駄だということ。
あの頃ボランティアに行ったたくさんの人が、そうした絶望感に想いをよせ現地に向かったはずだった。
わたしもその一人だったわけだけれど、根本的なことを、わたしは分かってなかったんだなぁと、今さらながら思い知る。
「無茶はすんな」「変わりはねえか?」「顔見せに来てくれるだけでいいから」
そうした言葉の意味と、重み。
自分が死ぬことよりも、他人が死ぬことの方がどれほど辛いか。
だから自分のいのちも、どれほど大切か。
だけど、そういうこと…つまり「いのちは大切だ」ということを、言葉で説明するのはとても難しい。伝えたと思っても伝わっていなかったり、分かったと思っても分かってなどいなかったり。
特に若い人に対しては、難しいなぁと思う。かつてのわたしがそうであったように、自分のいのちを大事だと思えない人は、とても、とてつもなく多いはずだから。
東京の友人がこの前、「普通の顔してんのに、リストカットの跡がある店員なんてザラにいるよ」と言っていた。 きっとそうなんだろうと思う。
どうしたらいいのか…。 じれったい。
被災地の風景が遅々として変わらないことに苛立ちを覚えるように、「いのちは大事だ」という当たり前のことをどうやって表現したらいいのか分からない自分にも、なんだか腹立たしさを感じる。
自分だって今日の今日まで腑に落ちて理解などしていなかったというのにね。
そういえば、こどもの教育とか、いじめ問題とか、この前の選挙でちゃんと争点になっていたんだっけ。
新しい問題にどんどん覆われて、その時々の問題はどんどん忘れ去られていく。
津波の被災地も、そうやって猛スピードで忘れられているんだよね。2年前からほとんど何も変わっていないのに。
その現実こそ、社会問題自体を消費している現代社会にこそ、ちゃんと違和感を持ち続けなきゃいけないなぁと思う。
佐藤区長たちの仮設住宅は、高台移転できるまであと3年もかかるらしい。
被災地に学ぶことは、きっと年々大きくなっていく。
…そして東京に戻り、陳くんの無事を祈りながら引っ越しの準備に追われ、一段落ついたところで恐る恐るfacebookを開いた。やはり友人から続報が届いていた。
「さっき、遺体が見つかったそうです」
再び頭痛が襲ってきた。
なんで、こうなってしまうんだろう。
大事ないのちも、大事にしてきたいのちも、少しも粗末になどしていないいのちも、なんでみんな、突然ふっと消えてしまうのか…
重たい頭を引きずるように台所へ行って、そうめんをつくった。
美味しくなんかないけれど、とりあえず喉に流し込んだ。
ぼーっと放心して、言葉のない空間をさまよった。
ありきたりだけれど、こうやって、いま生きていることの方が、確かに不思議なことだ。生きている者と生きている者が、時間を共有する瞬間瞬間も、本当はとても貴重なはずだ。
だからやっぱり、どんなに拙い表現しかできなくても、ちゃんと発信しつづけよう。
「自分のいのちも、生き方も、大事にしよう」ってこと。
今はそれしか、思い至る先が見当たらない。
陳くんのご冥福をお祈りいたします。
出会えたことに、心から感謝して。