2年ぶりに寝込んでいます。
・・・・・つらい。
頭痛と扁桃腺の腫れと咳とタンと悪寒と鼻水。
こういうときにも思い出すのは海外のことばかりで、そういえば前回風邪で寝込んだのはボルネオ島の奥地にある村、バリオでのことだったなぁと、頭を抱えながら懐かしんだりして。
あれは2008年の大晦日から2009年の元旦にかけてのことでした。
ちなみにマレーシアという国は、どうも私のルーツを感じさせるというか、なんとなく安心してしまうのですね。
それでフッと神経が緩んで風邪を引いてしまう。
死ぬかと思ったこともあります。
それもまたマレーシアでした。9年前、マレー本島のジャングルの中で。
あれはデング熱じゃないかと思われるほど、頭を金槌でかち割られたような鋭い痛みが2晩ほど続きましてね。
初めて、海外で死ぬのは寂しいなぁと思った程です。
それで、せっかくなので久しぶりにバリオ村の話を。
これが私の居候先というか、あつかましく言わせてもらえば実家みたいなところです。
ロングハウスというの。ボルネオ島のいくつもの先住民族に共通する伝統的家屋。
これが台所。
ダイニングの真ん中に簡素な囲炉裏があって、基本的にはそこで料理をします。
でも今はこれを無くしちゃって、2つのシンクに挟まれてある別の囲炉裏を使っているようです。
ちなみに台所のスタイルは家によって様々。これがスタンダードなのではありません。
で、こちらがリビングルームのような長い長い廊下です。
この左側にいくつもの寝室があって、全部で8家族分の人が生活できるようになっています。
Labang Longhouse というここの家は、そのほとんどを客室にしていますけど。
それでですね、私が不思議なルーツを感じてしまうという理由の1つは、彼らの伝統的デザインにあります。
これ。↓
ここのお父さんがデザイン好きなので、こうやって自分の書いた模様を切り絵みたいにして壁に立て掛けてるんです。
基本的にはこの模様もボルネオ島の多くの先住民族に共通するもの(というか、台湾やベトナム?やアイヌ民族にも共通するらしいです)で、これを見たとき、アッと思ったのであります。
昔々、幼い頃に何度も見た夢と一緒だ! と。
それはどちらかというと悪夢に近いというか、寝る前にこういうゴチャゴチャした模様が目蓋にバーッと迫ってきて眠れなかった、という体験なのですが。
・・・でも確かにこんな感じだったよなぁ。
今では怖くもなんともないんですけどね。
ただ不思議な感じがします。
私が全信頼を寄せているある人にいわせると、私の前世はシャーマンなんだそうです(笑)
遠い祖先がそっち系統だったのか、もしくは本当に前世の魂が、ボルネオ島のこの辺りで怪しい祈祷を行っていたのかもしれません。
・・・だったら今すぐ、このうっとおしい頭痛に自ら祈祷をかけて治したい。
時を経て、そのオリジナルの力も役に立たなくなっているのでしょうか。
→ http://www.shibu-cul.jp/index.php
オープンからずっと「はやぶさ」のドキュメンタリーを上映していたらしいのだが、ちょうど昨日からは施設オリジナルの宇宙に関するプログラムを上映するってんで、別のプラネタリウムに勤務している知人に誘われて行ったのだった。
ここ、普段は超満席でチケットが取れない程なんだって。
それで肝心の感想は、さすがに最新の造りになっているので、キレイでしたよ。
椅子はリクライニングになっていて倒れるし、適度な大きさのドームはアットホームな雰囲気でデートにも最適なのでは? って感じ。
プラネタリウムマニアの人たちは闇部分の暗さにこだわりがあるそうだけれど、その点でもなかなか美しい夜空でした。
ま、本物には敵わへんけどな(ほくそ笑み)。
都会で生まれ育った人たちは、こうしたプラネタリウムでしか星空を堪能できないんだろうなぁ、とつくづく思いましたですよ。可哀想に。
贅沢者の私は、10年ほど前にケニアの山中で見た満点の星空を独り懐かしんでいました。
あれは本当に、星が多すぎて痛々しいほどだった…。
今にも落ちてきて突き刺さるんじゃないかと思って、思わず目を瞑ってしまったくらいだからね。
そしてあの時は、ホテル(キャンプ場)に向かっていたマイクロバスが途中で壊れて、路頭に迷っていたときでもあった…。
あぁ懐かしや。
そして私は恐ろしい程の星空に背中を押されて、勇敢にも山勘をたよりにキャンプ場まで歩いたのです。1年前に同じ場所を訪れたことのあるのは私だけだったのでね、その記憶だけを頼りに、2人の日本人を後ろに従えて。
しかし奇跡的に辿り着いた先で、現地の人にこっぴどく怒られました。
「今夜は野生のゾウが移動してるんだ!万一遭遇してたら踏み殺されてるところだぞ!」
・・・・・そんなの知りまへんがな。
そんなこんな思い出に浸りながら見るプラネタリウムの人工星でした。
ちょうど今、六本木でも「星空の下を歩く」ギャラリー展示がされてる模様。
星空に癒されるのがブームなんですかね。
こういうところで、「まぁ、キレイね♥」などとうっとりできない自分がちょっと悲しくもありました。
↑ この本 、去年から結構人気なんですが、実は著者の宋美玄さんと2度ほどお会いしたことがあります。
セクシー系というより、すごくチャキチャキした、可愛らしい感じの女性です。
最近も週間現代に、どこやらの(忘れん坊なので忘れました)女優さんとの対談が載っていましたね。
それで彼女とは全然関係ないんですが、ここのところ長くて真面目な原稿を毎日毎日書きなぐっている私。悶々と頭を抱える日々です。
なんだけど、疲れて途中でぼーっとするでしょ。
するといつも、いっつも淫らなことが脳にパパーッと広がっちゃうんですよね。
困ったもんだ。
こういうのは現実逃避でしかないことは明らかなのだけれど、それにしても私の場合、日常生活でそっち方面に気をとられていることがいかに多いか・・・。
睡眠を除く全時間の7割くらいいくんとちゃうか。(それは多すぎか)
もういやんなっちゃう。
何かで読んだ。
忘れん坊なので詳細は忘れてしまっているが、とにかく人間はとてつもなく両極端なのだとか。だから真面目なことを言ったり書いたり考えたりしていた直後に不真面目な言動をしたって、人間科学的にはちっともおかしくない。
そうだそうだ!
・・・と、さて、そろそろ仕事に戻ることにしましょうかね。
ところで具体的にはどんな妄想をしてるのん?とは聞かないでくださいね。
何事も霧の中の方が美しく見えるってもんです。(なんのこっちゃ)
宋美玄さんによると、男女間で「イッた」ときの感じ方に違いはほとんどなく、唯一違うのは、男はイッた後に一定時間不感になるのに対し、女はいくらでもイキ続けられる、と。
怖いですね~、女の身体は。
私の妄想も、放っておくと切りがないので節度をもって対処しなければ・・・。
ということで今回はこの辺で。
私の寝起きの顔は我ながら素晴らしいのですが、ちょうど、ハッとする程いいものを見つけました。そうそう、まさにこんな↑感じ。
昔、友人に「なまはげ」と称されたくらいですから、実際にはもっと凄いのかもしれませんが…。
これをどこで見つけたかというと、福井県若狭町にある「若狭三方縄文博物館」。
別称「Doki Doki館」といいます。
ここ、中途半端な丘の上に煙突が何本も突き出ているような、よく分からない建物なんです。
何度かその前を通ったことはあるものの、いつも人影がないので大したことないだろう…と思っていた私が浅はかだった!と今回痛烈に思い知りました。
まず何より、ここの館長さん、なんと「日本仏教」や「日本古代史」や「スーパー歌舞伎」で有名な哲学者の梅原猛さんなのです!
それで、煙突だと思っていた奇妙な柱は、縄文時代にこの辺りに自生していたと思われるスギ林をイメージしたものだと分かりました。
で、入館一番にお目見えするのは、木肌の見えるコンクリートに囲まれて佇む、5700~3200年前の杉株。
何らかの原因で湿地に埋まったため、それほど永い期間、腐らずに残されたのだとか。
しかし驚くのは、立ち入り禁止の縄が張られているにも関わらず、その杉株に自由に触れてしまうということです。
まさに、パワースポット。
ちなみに館内の写真は許可を得て撮らせていただきました。
私としては、県民でありながら詳しく知らなかったことが非常に恥ずかしいのですが、この近くにある「鳥浜貝塚」は世界的に(少なくとも日本の歴史上)とてつもなく重要な遺跡だそうです。
それは「縄文時代はこうだっただろう」と考えられていた数々の常識を覆すほどのもので、青森県にある三内丸山遺跡の発掘調査にも大きな影響を与えたんだとか。
ちなみに、なぜ一般的な福井県民がそのことにあまりピンときてないかというと、鳥浜貝塚の発掘調査は50年前から30年間続いて、その後は再び川底に沈んでいるんですって。
今、川底にあるの。
当時の技術で掘れるもんだけ掘って、とりあえず博物館を造って、あとは将来またやれるときにやりましょう、ということなんですかね。
だから三内丸山遺跡みたいに派手じゃない。
・・・いかにも福井県民らしいというか、慎ましやかを通り越してPR下手すぎるだろう!と思わなくもないです(苦笑)
しかしとにかく中身は本物なの。
色んな発見がありました。
たとえばコレ↑。
土器の底に穴が開いてるんですが、これは死んだ赤子の骨を入れて埋めるためのものだったんですって。
それで、骨を入れた後にどこに置いたかというと、家の玄関に埋めるように置いてその上を母親がまたいで通ったんだとか。
そうすることで生命が再び母親の腹に宿ると信じられていたそうです、とスタッフの方が説明してくれました。
その場に一緒にいた知人は「つまりこの土器は子宮を表してるんですね!」と大興奮。
「そんな風にも想像できますね」とスタッフの人。
私はNHKで見たアマゾンのヤノマミ族を思い出していました。
これはウンチの化石。
説明文には、
『糞石の出土状況: 何千年も人が暮らした鳥浜ムラ。何千万個ものウンチがおとされたはずなのに、化石になったウンチはわずか。とてもラッキーなウンチたち。魚や貝に食べられもせずに埋もれたということは、彼らも動かない冷たい冬のウンチかな?そうだとすると、おー寒ぶ!』
…なんだかよく分かりませんが、ウンチが化石になるというのは考えただけでも凄いと思います。
しかも縄文人のものだし!
だけどやっぱり近寄ると臭いそうな気がして、及び腰で見入っていました(苦笑)
そこでまた、一緒にいた別の知人、というか先生である森環境教育事務所の森さんが一言。
「ウンチとウンコの違い、分かる?」
簡単にいえば、ウンチは柔らかくてウンコは硬いんだそうですが、これに関しては奥が深そうなのでまたの機会に講義してもらうことにしました。
シモの話ついでに、これは石棒ね。
男根が神聖なモノとして崇められたというのはよくある話ですが、そこで私はふと思いました。
…これって今でいう、バイブ?
まさか、高さ50センチ以上もある巨根を“使用”していたとは思いませんが、もしかしたら縄文の女たちは恐ろしく盛んだったかもしれません。(男衆も盛んだったでしょうから道具は必要ない可能性の方が高いと思いますけど。)
その女たちが、これは本当に使用していたモノとして「クシ」がありました。
なんと、漆塗りの技術が既にあったというのです!
これは凄い。
そして今流行りのファー付きブーツも発見!
これって、最近の若い女の子が履いてるやつでしょ。何て呼ばれてるのか知りませんけど。
ということで、「Doki Doki館」おススメです。
外には竪穴式住居もあって、申請すれば宿泊可能とのこと。
客が少ないのでデートにも最適そう・・・ということは、カップルで竪穴式住居に泊まって縄文の心に戻って野生的にア~レ~~~~(恥!)
ってのもアリですかね。ハハハ
それにしても、縄文時代の暮らしと風景を再現した模型を見ていて、無性に羨ましくなった次第。
自然を神と崇め、自分たちで必要な道具を作り、必要なときに必要なだけの食べ物を獲ってのんびり生きる暮らし…。
冬は寒かったでしょうけどね…。
少なくとも子どもが育つには最適な環境だろうなと思いました。はい。
今年、厄年でありながら最強のわたし。
去年の暮れからうすうす感じてはいたけれど、やっぱり、今年はキテいる。
大阪から快速と各停を乗り継いで、今日、福井まで帰ってきた。
一応の最寄り駅はJR丸岡駅なんだが、自宅まではそこから車で10分ほどかかる。しかし連絡するのが遅かったため、両親とも既に酒が入っていて迎えに行けないとのことだった。
しかたねーな。
と思ったものの、福井駅からバスに乗るのはやめて丸岡駅まで行った。
そして着いてからバス停の時刻表を眺めて、「あ、やっぱりもうない」ということになった。
行き当たりばったりな性格は、三十路を過ぎても治らないらしい。
ちょうど私と同じくバスの時刻表を覗き込んでいる人がいた。
「なんか遅れてるらしいんだよね~」
と言うので、「そうなんですか!最終のバスまだ来てないんですね!」と嬉しそうに答えたものの話はどうも噛み合ない。
なにやら、連れを迎えに来たのだが電車の到着が遅れている、ということでバスとは全然関係ないようだった。
感じのいい男の人だったので、家の近く(といっても歩いて10分はかかる)の国道まで乗せてもらうことにした。というか、「乗ってっか?」という死ぬほど有り難い申し出に、素直に従った。
彼の車というのは、除雪車だった。
それはそれは大きな除雪車がバス停のスペースに横付けしてあった。
どうやら、彼がバスの時刻表を眺めていたのは、停留所にバスが来ないかどうかをチェックするためらしかった。
連れが来るまでの間、車の中で話をすることに。
なんと、丸岡駅のすぐ近くにある岩崎工業株式会社というのは、除雪車の製造量が日本一なんだという。
日本全国で活躍している除雪車の9割くらいは岩崎さんとこのだよ、と彼は言った。
もちろん、北海道やら岩手やら秋田も含めて。
ちなみに彼は岩手の出身だった。連れは秋田の出身だという。
2人揃ったら、驚く程の東北弁でスッカリ話についていけなくなった。
肝心なのは彼らがなぜ除雪車を愛用しているかということなのだが、もちろんそれは私物ではなく、岩崎さんとこで製造された除雪車を全国各地の行政法人に納品する運送(運転)屋さんだったのだ。
この時期には連日のように電車で丸岡駅まで来て、新品の除雪車に乗って納品先まで行き、また電車に乗って丸岡駅に来るということだった。
「へえ~、そういう仕事があるんですね」
と言うと、除雪車のナンバープレートは国が発行するため、製造業者が直接入手して運転することはできないのだという。
更に「へえ~!」と驚いてしまった。
駅から国道までの約10分間、私にはよく理解できない2人の会話を、黙って微笑ましく聞いていた。
除雪車の運転席&助手席は2階建てバスをちょっとだけ低くしたくらいの高さで迫力がある。
会話の途中で、彼らは互いに「んだんだ」と頷いた。
福井弁なら「ほやほや」と言う。
他が理解できない私には、そこだけスポットライトが当てられたように際立って聞こえた。
今夜の納品先は名古屋だそうだ。
「気を付けて走ってくださいね!」とお礼を言って別れ、粉雪が舞うなか家路を急いだ。
古雑誌拾いのオッチャンを探して、8年ぶりに西成の商店街をウロつくこと約10分…。
意外と早く、その「場所」は見つかりました。
結構覚えてるもんだな~、と我ながら感心。
けれど何かが違う。
確かにこの辺のはずなんだけど、こんなところで古雑誌広げられるか?
と思ってスーパー玉出の店員さんに聞きました。
「ちょっと変なこと聞きますけど、ここの玉出、何年前からあるんですか?」
南米っぽい顔立ちの女性が、「5年くらいですかね」と答えてくれた。
やっぱり…。
ということは、あのオッチャンはこの場所を追い出されて、別の新天地を求めてどこやらへ行ってしまったんだな。
あぁ…、玉出が恨めしい…。
しかしそれにしても、通りを挟んで路地の奥まで伸びている商店街は、相も変わらずプ~ンと独特の香りを漂わせていました。
昼間から演歌のカラオケが聞こえてくる大衆居酒屋も当時のまま。
更に細い路地を入ると所狭しと長屋みたいな家が建ち並んでいて、ポツ、ポツ、とブロック毎にある風呂屋が今も繁盛しているようです。
そうか、家に風呂場がない地域では風呂屋が潰れずにやっていけるんだ。(当たり前だけど)
そして通りを歩く人や自転車でスイ~と通り抜けていく人たちの人相には、やはり、「人生舐めたらあかんでぇ」的な凄みが滲んでいます。
・・・・・二十歳そこそこで、ようこんなとこ来てたなぁ。
そう思いながらこっそりカメラを取りだして写真を撮っていたら、背後から「えぇ~い」という空恐ろしいドスの利いた声が。
ヒエ~!と飛び上がらんばかりに体を強ばらせて振り向くと、向かいの家の玄関からたまたま顔を覗かせた50代くらいのオッサンが、
「寒いのぉ~」
となぜか私に声をかけるのでした。
「寒いですねぇ~」
へへへと笑ってその場を立ち去りながら、怖いもの知らずだった過去の自分に「お前はなんちゅう奴や!アホとちがうか!」と突っ込みを入れている私でした。
あけましておめでとうございまっす☆
正月早々、今年一番のアジア旅に来ています。
場所は我らがニッポン!
・・・・・そら「旅」とちゃうやろ!(ひとり突っ込み→サブっ)
なんてことはない、ニッポン国の大阪です。
ここは私が大学~プータロー時代の6年間を過ごした土地なんですが、久しぶりに来てビックリしました。
うぅぅぅわ・・・・
むっちゃアジアや・・・・・・
久しぶりに来たというのは、大阪の中でも更にコア&濃厚な通天閣の辺りです。
大阪の下町を知る人なら誰もが頷けると思うのですが、大阪ほどアジアなところは他にない!のではないか。
もちろんニッポンの他の土地だって立派なアジアなんですけれど、大阪というのは人々の気質や雰囲気からして明らかに南方系ですね。フィリピンとかベトナムとか、あの辺り。
一番は、街を歩く人々の「顔」です。
も~う、なんて表現したらいいんでしょう。。。
こってり豚骨スープに七味とオイスターソースをちょろっと垂らした感じ?(そらマズいか)
いや、やはり何といってもお好み焼きソースをた~っぷりかけた上に鰹節と青のりと紅しょうがと天かすをてんこ盛りにしてマヨネーズをビャーッとぶっかけた感じでしょうか。(天かすは生地に混ぜるんですが)
・・・とにかく味わい深いのです。コクがある。
剥き出し感いっぱい。
単に「くどい」のとは違います。
一見すると怖いんですけどね、怒らせなければそんなこともありません。
それで、いろんな思い出が甦りました。
特にプータローの頃は写真の勉強をするのにお金が要ったので、早朝7時からショッピングビルの掃除バイトを掛け持ちしていました。天王寺にあるルシアス。
そこで毎朝あいさつするようになったオッチャンに、ある日フラフラと付いて行った。ら、オッチャンが色んなところから拾い集めてきた週刊誌を道ばたで売る手伝いを頼まれたんですね。店番を。
それがちょうど西成区のド真ん中でした。
(西成区に入る境界付近)
話はこっからです。
西成といえば日雇い労働者が集うエリアですが、上の写真がその境界ら辺です。西成はこっから右に広がっている。
そしてちょうどこの大通りに面して、やたらと安いビジネスホテルが乱立しているんです。
この辺も10年ほど前までは、観光客はもとより女性が一人でウロウロ歩くのも危なっかしかった(らしい)のですが、なんとそこが今、若い観光客に大人気の宿泊エリアになっているんです。
(ということで客層からすると「ビジネス」ホテルとは言えないと思うのですが…)
ちなみにココ↑が、今わたしが泊まっているホテル「来山」のフロント前。
いきなり並んでいる左側の棚には、潰れたレンタルビデオ屋からかっさらってきたような超年代物のビデオテープが揃っています。宿泊すれば3本まで無料で貸し出し可能とか。
それで気になる宿泊料は、1泊1300円~2300円という破格の値段!!
ちなみにちなみに、この人が「来山」のフロントマネージャーさん。
ええ顔されてるでしょ。
これぞ大阪のオッチャン!ってな感じで、威勢よすぎ愛想よすぎ(笑)で元気に迎えてくれます。
今夜は正月価格で2300円/泊だったところ、朝10時前に行ったにも関わらず、通常の2100円にまけてくれました(嬉)
ところで、昭和時代の古い建物をちょこっとキレイにしただけ、というのが破格ホテルなわけですが、そうしたところが人気な理由は以下の3つ!
「海外観光客の増加」と「インターネットの普及」と「不景気世代の価値観の違い」
だろうと私は推察しています。
マネージャーさん曰く、特に多いのは韓国人と台湾人で、金持ちしか来日しない中国人は少ないのだとか。
その他、館内では欧米人もよく見かけますし、日本人の若い女性もかなり頻繁に見かけます。
それはちょうど、格安の夜行バスが便数を大幅に増やし、サービスもどんどん良くなって若い女性客に大人気なのと同じ流れのように思います。
オンナは強いね~
(各部屋を清掃している5F廊下の様子)
部屋は3畳ほどしかない極狭なんですがね、まぁ、本とに寝るだけって割り切れば大丈夫です。
トイレとお風呂は共同。それも考え様によっちゃ、ユニットバスの中途半端なシャワーより大浴場の方が遥かに気持ちいい。「来山」なら更にサウナも付いているからお得です。
そして1Fにあるインターネットスペースでパソコンに向かっていた時のこと。
ネットが繋がらないという些細なことがきっかけで、宿泊客同士の会話が広がる広がる…。普段はタイに住んでいるという60歳すぎのオッサンやら、東京で社長さんをしているという常連客やら、まるでアジアの格安ドミトリーさながらに声をかけ、かけられる。
一体ここはどこやねん!
と腹の中で笑いながら、日本にココがあってよかったぁ…と、なんとも言えぬ嬉しさを噛みしめたのでした。
明日は西成ド真ん中に、古雑誌売りの店番をしていた場所を探しに行ってみようかな。
あのオッチャン、まだ元気にしてるんやろか…。
あけましておめでとうございます☆
今年は初っぱなから、こんな話題を。
知る人ぞ知る団鬼六さんですが、実はいま私、結構近いところでお仕事させていただいてます。
といってもSMショーに出たり小説の実験になったりしてるわけではなく…、たとえば上のエッセイ本の背表紙に載っている団鬼六さんのプローフィール写真とか、本文の一番最後に載っているポートレイト写真とか、そんなこんな撮影をさせていただいてるわけです。
それで、年の瀬も迫った先月28日に、その出版記念パーティがありました。
本来はペイペイ駆け出しの私なんかが出席できる場ではないんですが、色々と手違いもあって出席できちゃうことになりましたv
団鬼六さんはズバリSM小説界の巨匠ですが、そのビッグネイムとは裏腹に、ご本人は実に温厚で味わい深い、魅力的なおじさまです。
パーティに来られていた阿川佐和子さんも、雑誌の対談で知り合ってそのギャップに驚き、早速ファンになってしまったというから間違いありません!
ちなみに私が団鬼六さんの小説を初めて読んだのは一昨年で、「往きて還らず」という特攻隊の色事を描いた傑作でした。
つまり団流バリバリのSM小説から入ったのではなかったのが良かったんですね(笑)
「なんて上品な濡れシーンを描くんだ!」
ってのが第一印象ですから。
それで、今年の初詣。
関東の母代わりとして昔からお世話になっている知り合いの家が葛飾にありまして、そこで大晦日にすき焼きを頂きました。そして近くのお寺にお参りに行くことに。
「南蔵院」というお寺さんなんですが、そこの名物がなんと「しばられ地蔵」っていうんですと。
昔、縛り上げの刑か何かに遭うはずだった罪人に、お寺さんが「お地蔵さまに身代わりになっていただこう」と縄をかけたのが謂れだとか。
で、今では大勢の人がお地蔵さんに縄をかけて、自分の煩悩やら何やらから解き放たれるのだそうです。
境内を埋め尽くさんばかりに集まった人たちが一人ずつ縄をかけていく…のはいいんですが、心なしか、お地蔵さんの姿がやせ細ってみえました(苦笑)
ちなみに写真ではお地蔵さんの姿が見えてますが、また1年をかけて頭が見えなくなるほど縄がたまり、今年の大晦日に解かれて縄がどっさり焼かれるわけです。
当然、「しばられ地蔵」に感動した私の脳裏には、団小説のキリキリ締め上げられるSMシーンが鮮やかに思い描かれていたわけでして、あぁ…、年の初っぱなから淫媚な妄想に苛まれるなんて… と嬉しいやら恥ずかしいやら、しかし必ず幸運に恵まれるであろう根拠なき手応えを感じた次第です。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。m(_ _)m