アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

これからのこと

2013-07-22 | 2013年たわごと

来月早々、名古屋に引っ越すことにしました。

なので今は部屋の中が段ボールだらけ。

テレビのリモコンもそのうちのどれかに入れてしまったので、昨日の選挙は中継見れず。デモクラTVというインターネット番組を見ていたけれど、マニアックすぎてイマイチ面白くない… やっぱりテレビにはテレビの、ここ数十年で培ってきた「わかりやすくするためのノウハウ」が詰まっているんだなと改めて思いました。

正しいことを言えば支持が集まる、という単純な世の中ではないから、やっぱり、たくさんの人に伝わりやすくするための努力は必須なんだろうな。

そんな中で山本太郎さんが当選したことは、ある意味、引き潮に遭遇したような快感だった。エンタメの随を知る人が真面目一本で勝負するというのは、反発する人も多いだろうけれど、わたしはとても素晴らしいと思う。
真面目な域とエンタメの域を行き来すること、そのバランスをとること、それによって社会に揺さぶりをかけること、…そういうのが、特に今の日本社会では必要な気がします。テレビにおける討論番組とお笑い番組、ということではなく、もっと社会全般的に、もっと様々な分野で、もっと激しく、もっと真剣に。

 

そして今は、仙台に向かうバスの中。

半年ぶりの南三陸です。 

 

引っ越し準備を一端終わらせ、慌ただしく家を飛び出てきたせいで、なんだかぼーっと間が抜けた感じになっている。

名古屋に引っ越して、結局、わたしは何をするんだろう。

そんな今さらのことを考えたりしています。

フリーランスで食べていくというのは、東京に住んでいれば、また自分1人が生活する分には、そんなに難しいことではないんじゃないかな。…それが関東生活3年半の大雑把な感想です。
もちろん仕事を紹介してくださった恩師や、仕事を与えてくださった方々、運、ご縁、その他精神的に支えてくれた人達のお陰で、なんとか餓えることなく過ごすことができたのだけれど。

しかし改めてフリーランスという仕事を振り返ってみて、ようやく分かったことがある。

最初の頃によく言われた「テーマは何ですか?」「自分の得意分野をもった方がいいよ」という類いのアドバイスの意味。

結論からいえば、恐らくそうしたものを持たなければ、フリーの取材人というのは単に都合よくメディア(社会)に消費されるだけの存在にしかならないということ。
職能や営業能力に長けていれば、マルチであってもそれなりの稼ぎと自由な働き方を実現できている人はいるかもしれない。けれど、圧倒的多数のフリーライターやフリーカメラマンは、その都度、売り先の媒体に合わせて企画を考えたり、“売れるような”ネタを探したりしていると思う。…それがどんなに体力と精神力を消耗するか。

自由という自己責任(および孤独)の中で、「これ!」というテーマを自分で設定し、取材費を自分で捻出し、なんとか売れるカタチにするまでの長い時間をやり過ごす忍耐力たるや… よほどの信念がなければ難しいんじゃないかなと改めて思うのです。
少なくともそれが心地よくなるまでには、それなりの時間(もしくは経験)が要りますからね。

 

結局、今の自分に必要なのは「自分のフィールドをもつ」ことなんだろうな。

そのためには、再び回り道するのも大事かもしれない。
あぁ…常に回り道、回り道の人生だけれど、もともと極度に不器用な性格なんだからしょうがないねぇ。

そこで、名古屋ではフリーランスの仕事は一端やめて、NPO-Kids'AUの新規事業づくりに専念しようと思います。
具体的には、アジアツアーの企画と運営、そしてそのためのワークショップなど。 

初めてのことばかり(しかも団体にはカネがない!)でいささか不安だけれど、ここまできたらやるしかない。
わたしももう今年で34だからね。最後の自由奔放期だと思って、起業するつもりで(というか本当に起業するようなものなので)コトを成し遂げてやるぞ!と思っています。

 

ちなみに、「それで結局何を伝えたいの?」と聞かれれば、3年半前よりは少しクリアに、少し自信をもって答えられるようになりました。

「世界は、多様性に満ちあふれているということ。そのことを大事にしなきゃいけないということ。社会のためにも、個人のためにも。」

それをどう伝えるか。どう表現するか。
正しい(と思う)ことほど伝わりにくいし、当たり前のことほど実感するのは難しい。
だからこそ、その試行錯誤の中に自分は相変わらず佇んでいるのです。 

ツールはいろいろ獲得した。カメラもビデオもペンも…(ある程度は)。だから今度は、それらをどうディレクトし、更にどうプロデュースするかを学ぶ時なんだ。
そこで何かひと掴みの手応えが得られれば、きっとまたその先に道は開けてくるんじゃないか。きっと… 恐らく…。

 

憲法改正が大議論され、原発政策がひっくり返り、民主国家だと思っていた国で“本当の”民主主義が叫ばれる時代。
(そういえば)ロスト世代と呼ばれてきたわたしの世代は、今がちょうど働き盛り。これからの10年、20年をつくっていく、主力にならなきゃいけない世代のはずです。

だからというわけではないけれど、わたしの回りには、妙な焦りとジレンマを抱えている人が多いような気がする。自分にできることを真剣に考え、変わらない現実と向き合って試行錯誤している人達が、わたしの回りにも、知らないところにも、意外なほどたくさんいる。

一方で、情報インフラが整ったお陰でそうしたことを実感できたり、励まし合えたり、離れていても一緒に何かをやれたりするのはスゴいことだな…と、この10年間の劇的なIT進化にも感謝できる最後の世代でしょ。なかなかユニークな時代に生まれたなぁと、こうして何時間もバスに揺られているとふと思ったりします。

 

だからまたがんばろう…。

せっかく今の時代に生きているんだからね。

今日より明日が、今世より来世が、よりステキになるように。

より多くの人が笑顔になるように。自分も含めて…ね。

 


原発の取材で思うこと

2013-07-09 | 2013年たわごと

最近ずっと原発に絡んだ取材をしていて、なんともやるせない毎日が続いている。

2月に始めてから、かれこれ5ヶ月。

当初考えていた方向性とは大きく変わって、随分、地に足がついてきたような気はしているんだけれど…。

 

5ヶ月という期間は、これまで原発と直接向き合ってきた人達からすれば、ほんの一瞬の時間にすぎない。けれど、何が大変って、「反対!」の人達の声を聞きながら、「単純に反対できない」人達に寄り添うという、その中間路線を模索しているということ。

当初考えていたように、反対運動だけを追っかける取材だったら、こんな風な悩み方はしてないんだろうなと思う。

 

前回、取材先の福井県小浜市に行った時、あまりにいろいろなことを感じすぎたせいか、まるでドラッグを打ったかのように、急に全身の感覚が鋭くなってワーッと涙があふれて止まらなくなった。

風の音、木の葉が揺れるざわめき、におい、光、空気の色… そういったものに身体がわしづかみにされて、特に心臓が、縮み上がって震えていた。

あれは何だったんだろう、と今でも思う。

いろんな人が、いろんな思いを抱えて、それぞれに生きているという当たり前の事実が、どうしようもなく切なかった。

 

この5ヶ月間に悶々と揺れ動いた心の軌跡は、なかなか簡単に文字化できない。だって今も、未整理のまま揺れ動いている気持ちの一片が、まだ心臓の辺りでぶるぶる震えているんだもの。

だけど、そろそろちゃんとアウトプットしなくては。

これを自己満足で終わらせるのは、あまりにもったいないと確信できるようになったから。

 

それにしても、どうして原発なんてややこしいことを取材するようになったのか。化学や物理の難しい話は大嫌いで、しかも経済オンチ・政治オンチの自分が原発問題に手を出すなんて、ほとんど無謀な試みだと自分でも心底思うのに。

原発問題は避けて通れないなと腹をくくった理由は、必ずしも原発自体への関心や問題意識からではない。原発は放射能を出すから、とか、エネルギー問題だからとか経済問題だからとか、安全か危険か、とか、そういうことが問題の核心ではないと思っている。

たとえば原発以外でも、国策に対して地元の人が反対してきた(している)問題はたくさんある。沖縄の米軍基地だってそう、ダム建設だってそう、空港拡張だってそう、障害者に対する生活保障政策も、多分同じなんじゃないかな。

それらを推進してきた国や大企業のやり方がどうだったのか。そこに楯突いた一部の人達がどんな仕打ちを受け、世間にどんな風に見られてきたか。その人達の言い分を、たとえ最終的には退けたとしても、少しでも耳を傾けてきたかどうか。

その過程と姿勢は、社会問題といわれる日本のいろいろな問題に、どれも共通するんじゃないかと思う。
原発は、それが最も顕著で分かりやすい問題だという点で、また最も深刻な影響を及ぼすという点で、避けて通れないだろうと思ったわけです。 

 

原発問題は民主主義の問題だ、とよく聞く。

民主主義って何かといえば、民意をいかに反映させるか?ということ。民意が一番大事ってこと。
それって、システムの話じゃなく、コミュニケーションの話なんじゃないの。
顔の見えにくい集団(政府や大企業)が、いかに市井の人とコミュニケーションをするか。そのためにはどんなシステムが必要か。

そこには、多分、ゴールというものはない。
選挙でも何でも、システムができればオッケーということではなく、コミュニケーションという面倒なプロセスは、その都度、それをやる人達のモラルや熱意にかかってくるんじゃないかと思う。

だってコミュニケーションというのは、相手の話を聞こうとする姿勢がないと絶対に成立しないものだから。姿勢というのは、機械やシステムが示すものではなく、人が示すものだもの。

営業交渉だって、いくら相手を打ち負かそうと腹の中で思っていたって、まずは相手の言い分を聞き、妥協点を探そうと(せめて表向きには)するじゃないの。
ところが自分が最初から頑に出たら、相手もどんどん頑になっていく。

それが原発の場合、国や企業側が先に頑だったのか、それとも反対住民側が先だったのか…?
この間わたしが観察している限りでいえば、反対している人達はコミュニケーションこそを求めているように見える。「再稼働反対!」と一方的な訴えをしているように聞こえるけれど、少なくとも交渉の場では(国と交渉している人達は)、双方向の意見交換と歩み寄りを大事にしようとしているように見受けられる。

 

一方で自分に置き換えて、考える。

たとえば電気屋さんで商品を安くしてもらおうとするとき。たとえば間違って乗ってしまった電車で引き返してきたのに「ホームで迷ってました」と誤摩化そうとするとき。たとえば引っ越しの見積もりを出してもらうのに、わざと他社の訪問時間を近づけて営業マンの人を焦らせようとするとき。たとえば… 

自分が得をするために、もしくは自分が手柄を得るために、そうした些細な小細工や誤摩化しは日常茶飯事で(私は)してしまっている。
我ながらせこいなぁと呆れ返るけれど、それでも、相手の利害が個人的なものでない限り、やっちゃっているんだなぁ。恥ずかしながら。

ただ、たとえそれに失敗したとしても、嫌がらせをしたりネット批判をしたりなんかはしない。だけどね、それが自分個人ではなく、大企業の中の1人としての交渉だったらどうなんだろう。
思うようにコトが進まなかった場合、どんな手を使うだろうか。ましてや社長からの圧力があり、その上にも更なる圧力があって、何が何でもコトを進めなければいけない状況だったら。 

 

 

結局、原発という泥沼は、考えれば考えるほど、知れば知るほど、単純に「賛成」「反対」で割り切れるものではない。だけどそれは「中立」がいいということではなく、自分の主張以外に、相手の言い分を聞くだけの“余白”を持ち合わせているかどうか、ということなんだと思う。推進せざるを得ない人達も、反対せざるを得ない人達も。

ただひとつ、自分事として考えてるわけでもない人が、原発に懐疑的な人を「反対派」とカテゴライズし、原発に誇りを持っている人を「推進派」にカテゴライズしてモノゴトを単純化したがる風潮に、私は強い違和感をもつ。

そうやってカテゴライズしてしまうこと自体が、お互いのコミュニケーションを阻む要員になっているんじゃないかと、どうしても思ってしまうから。

 

こうやって頭の中はぐるぐるぐるぐる回る。

まさに、日々、修行。

コミュニケーションというのは、本当に難しいし、疲れるね。

そして思う。
直接議論し尽くせずに、こうやってむしゃくしゃしながらブログに書きなぐっていること自体が、その表れなんだろうなぁ…。(だけどがんばって続けるぞー )

 


原点

2013-06-01 | 2013年たわごと

今日、「なんで写真を始めたの?」って聞かれて、Kさんのことを思い出した。

あの頃わたしが撮っていた「のりさんとわたし」という作品を褒めてくれたのは、Kさんだけだった。

癌になって、亡くなってしまったけれど。

 

「君の写真に、惚れたんだよね」

そう言って、照れくさそうに横を向いた。

あれは名古屋から東京に向かう新幹線の中だった。

 

誰かに理解されよう、とか、これは価値あることだろうか、とか、ましてや賞を狙ってやろうとか、そういうことを考えてるうちは、きっとダメなんだろうと思う。

 

あの頃のわたしは、Kさんのその一言だけで、充分だった。

 

その後「のりさんとわたし」はCanon写真新世紀で佳作をとり、一応、日の目をみた。

 

自分は何をやりたいのか、悶々とする日が続いている。

軽い悶々も含めれば、かれこれ3~4年。いや、4~5年かも。

 

いまだ、見つけられずにいる。

 

わたしは臆病者で、中途半端で、求めてばかりの人間だと、「のりさんとわたし」をつくる過程でも、確か思い知ったはずだった。

そのことを、一連の作品の中で表現したんだった。そういえば。

 

そのためにわたしはヌードになり、カメラを自分に向けて、撮ったんだ。

セルフヌードが流行っていたこともあったけれど、自問自答した結果、やはりヌードの写真は外せなかった。

のりさんとわたしの葛藤の記録を残すことに、とにかく必至だったから。

 

いま。

わたしはのりさんのヘルパーを外れ、Kさんもいなくなって、それでも一応、社会人ぶって毎日を過ごしている。

カメラは続けているけれど、作品はつくっていない。

カメラは仕事の道具で、趣味や自己表現だとはあまり思っていない。

 

だけどふとKさんを思い出したら、また、何にもとらわれないで、自分の思うままに、やってみたくなった。

自信はないけれど、もしかしたら、また途中で自信が生まれてくるかもしれないし。

どうせ自由奔放に生きてるんだから、今さら怖がったって仕方ないんだし。

 

このまま心が無になっていったら、もっと、原点に戻れるような気がする。

 

Kさん、ありがとう。

わたしの中で生きていてくれて。

 

 

 

(「のりさんとわたし」より)


文章とセックスの深い関係

2013-01-10 | 2013年たわごと

今夜は眠れないので、最近思っていることを記そう。

「書く」ということは、セックスするのに似ているということについて。

 

写真とビデオとルポを全部やるようになって、尚更「書く」ことの難しさを実感するようになった。

もともと本を読まない人だから、文章はどちらかといえば苦手な方。ニュース記者をしていた時も、取材や撮影や編集に比べて、記事を書くのは一番下手だった。

東京に出てきた3年前から文章と真面目に向き合うようになり、小説も最後まで読めるようになった。それくらい最近のことだから、もともと頭に入っているボキャブラリーが少なく、文章表現の技もほとんど知らない。

ただ、その道のプロにいわせれば、音楽をやっていた人には独特のリズム感があるらしい。

つまり私は、鼻歌をうたうように、なんとなく心地よい旋律に合わせて言葉を連ねているだけ。あとはハッタリで無理矢理単語をねじ込んでいるに過ぎない。

 

でも、そんな私でもチョビチョビと成長はしているらしい。

それは昔書いた文章を読むとよく分かる。

 

…えらいマスターベーションやなぁ。

 

いやはや今にも、ァン、ァンと気色悪い吐息まで聞こえてきそうで恥ずかしくなる。

文章を書くのに慣れてない人は、概してコレ。

自慰行為が過ぎる。

 

他人の行為もよく見て、ある程度の経験を積んでくると、徐々に回りが見えてくる。

自分が気持ちよくなるより、相手を気持ちよくさせるにはどうしたらいいか。

 

まぁ、そのためにはテクニックも少しは必要でしょう。
でもテクニシャンの行為は、……想像しただけでもちょっと怖い。

だったら才能? つまり、ブツ?
いやぁ、でかけりゃいいってもんじゃありませんよ。

そしたら、愛情?
そうですねぇ、誠実さは必要です。何より、必要。

だけど見せかけの愛情はすぐにバレる。長続きしない。

文章も同じく、中途半端な気持ちでは魂が入っていないのがバレてしまう。
つまり優れた物書きは、きっと体力と精神力が凄まじいんだろうな。
そして燃え盛る激しい情熱を内に秘めているに違いない。

 

私の場合、写真やビデオの仕事が続くと、文章はしばらくご無沙汰になる。

するとどう、その間に、すっかり忘れてしまうのですよ。書き方を。

まさにセカンドバージン。

久しぶりに書かねばならなくなると、痛いのなんのって。

 

だからやっぱり、慣れというのも必要ですね。

適度に刺激しておかないと、感度も上がらない。

 

他にも似ている部分はいろいろあるのだけれど、今夜はこの辺にしておこう。 

 

わたし、マスベしてませんでしたか?

皆さんは大丈夫?

…まぁ、こっそりやってる分には構いませんけど。それも練習、練習。

 

ほとばしる情熱は、どんな形であれ、とにかく外に出してあげた方がいい。

これ、あくまで表現意欲のことですからね。