アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

HAPPY台東

2014-01-18 | 中国・台湾の旅

今、台湾にいます。福島リポを書きながら。 

で、ブログ用リポをまとめる前に、 台湾日記をアップしますね。
激しく感動した時は、「記録しなきゃ!」という衝動にかられちゃって。
電車の中で書いた日記です。 

 

旅をしている時に、わたしは結構、泣く。

特に電車やバスで移動しているとき。

急に感動と感謝がこみあげる。

感無量ってやつ。

 

たとえばもし今ここで死んでしまっても、何も悔いはないと思える。

むしろ歳をとって、旅ができなくなって、こうした感謝を忘れてしまってから死ぬよりは、今の方がずっと幸せなような気さえする。

死なないけどね。

この命は自分だけのものではないと、学んだから。

 

今朝は阿美族のおばさんが、1時間も一緒にバスを待ってくれた。

たまたまバス停を聞いただけなのに、言葉もロクに喋れない私に、そこまで付き合ってくれた。

しかも赤い都蘭産のジュースまでくれて!

おばさんは、バリオでよく見かけるネイチャーガイドの女性によく似ていた。

 

今までどれだけの人に世話になったことか。

数え切れないけれど、皆の顔はよく覚えている。

ブワーッと頭に思い浮かべると、それだけでまた泣けてくる。

幸せ者というのは、わたしのような人間のことをいうのだ、とさえ思う。

 

15年ぶりに行った台東で、台湾では珍しく客引きしていた若い女性のホステルに泊まることにした。

予定より時間ができたので、15年前にお世話になったお寺に行くことにした。

行ってもどうせ分からないだろうと思っていたけれど、曖昧な記憶を頼りに行ったら、そのお寺は、やはりそこにあった。

ここだ、間違いない、と、記憶がどんどん蘇って、また、泣けてきた。

街はすっかり変わって建物だらけになっていたけれど、寺は全くそのままだった。

階段を上がったところでカラオケしている人達がいて、その右手の階段を更に上がると、公園のテーブルで雑談しながらゲームにふけているおじさんたちがいた。左手の丘の上には建物が2つ。小さな食堂のよう。樹々に囲まれて鬱蒼としている。そして右奥にカラフルな本堂と塔。お参りしようと階段を駆け上がりながら、なぜか身震いがして鳥肌がたった。

中を覗くと、これまでに台湾の他の都市で見たどの像よりも、力があって美しい、何体もの神仏が居た。神なのか仏なのか分からないけれど、寺だから仏様なのかな。わたしは思わず膝をついて頭を下げ、15年ぶりにお目にかかれたことを感謝した。

帰りには更にブワーッと鳥肌がたって、心臓がスキップしているのが分かった。

 

あの時お世話になったおじいさんに会えるはずはないけれど、なんだか、会えたような気がした。

少なくとも私は台東に呼ばれ、導かれ、そして歓迎された。

 

 
(市場で魚を売っていたイイ感じのおじいさん)

 

市場で出会った麺屋さんの夫婦は、奥さんのお兄さんが京都にいるという言って、厚くもてなしてくれた。軒先に並べてあった麺を写真に撮りたくて、声をかけたことがきっかけだった。ただそれだけだったのに、お昼には美味しい拉麺屋さんに連れていってもらい、揚げネギの瓶を手土産に頂き、京都のお兄さんに何度も電話をかけて紹介してくれた。「お兄さんは日本語が上手だから」と。

その間、トータルでも2時間くらい。日本だったら「あり得ない」、急発展の関係に少々戸惑う。

戸惑うってところが日本人だなぁと、逆に認識したりする。

だけどやっぱり「あり得ない」ほど、心がぽかぽかしてるの。

有難いって漢字は当て字じゃない。

 

そうだ、有難いといえば、昨夜のライブも本当にラッキーだった。

翌日に音楽イベントがあると聞いて1泊延ばそうか、でも明日なら花蓮で ある日本人に会える、台東をとるか花蓮をとるか…ちょうど考えあぐねていた時に朗報が入った。

「今夜もライブがあるらしいよ」

しかも阿美族の若いユニットのライブ。君はラッキーだね、とホステルのオーナーが言った。そのホステルも、予約したはずの別のホステルが空いてなかったために、たまたまバスで知り合った女の子が連れて行ってくれたところだった。

 

行ってみて分かったのだけれど、都欄は台湾国内では知る人ぞ知るアートの街。

個性的な安宿がいくつもあって、小さな村にしては欧米人がやたら多い。

サーフィンに最適なビーチがあることが大きいのだろうけれど、それに加えて台湾の若いアーティストが面白いイベントを開いて人を呼んでいるみたい。山の上にある日本家屋は映画のロケ地になったようで、今はお洒落なカフェとギャラリーになっていた。どちらが先か分からないけれど。

 


(都欄にある大きな砂糖工場跡もアートスポットになっている)

 

今、日本の大学生や子どもを対象にしたアジアツアーをつくろうとしているわたし。

台湾には来たのはそのためで、自分の旅行というよりは仕事目的の意識が強い。
なんせもう参加者募集しちゃってるしね。

 

だけどこのタイミングで台東に来れたのは、間違いなくおじいさんに呼ばれたのだと思える。

わたしはあの時の自分に対し、幸せに生きるための小さな導きを与えたいのだ、きっと。

おじいさんと同じように、もしくはおじいさんに代わって。

 

ツアーに参加してくれる人達を昔の自分に重ねてみるのはおこがましいけれど、中にはよく似た生き辛さを抱えている子もいるかもしれない。

こどもだって、わたしがそうであったように、親の愛情に対する感度が低いせいで寂しい思いをしている子も中にはいるかもしれないし。

事実、今の日本は幸福度が低いと言われていることだし。

 

そのために、これからやるべきことは山盛りある。

何よりお客さん集めに力を入れなきゃいけない。

勉強もちゃんとしなきゃいけない。

やりたいことは増える一方で、頭と体が全然追いついていない。

でも、もし今世でやり切れなくても、来世にもち越せばいいや、とも思える。

…幸せだね、ほんとに。

 

さあ、そろそろ雑務の仕事をしよう。

カネ稼ぎをなくては旅を続けられないんだから。

そこは辛抱、辛抱。花蓮まであと1時間、空腹に堪えてがんばるのだ。

 


福島~それでも前を向く~リポ1

2014-01-03 | 日本の旅

去年11月から12月にかけて、3回福島県に取材に行きました。

その原稿を現在まとめているところなのですが、これがまた大量にあってなかなか上手くまとまらない…。

そこで、小出し先出し作戦ということで、少しずつこちらにアップしちゃいます。

福島の現状は、何千字という制限には収まらないもの。(しかも、より広く、少しでも多くの人に知ってもらいたいことばかり!)

ちなみにこういう別出しができちゃうのは、多分、(よくも悪くも)フリーランスの特権です。

 

とはいえ…、まずは手っ取り早く、取材直後にアップしたfacebook記事より転載しますね。^^;
(https://www.facebook.com/kanakijan)

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ふくしまキッズ☆ http://fukushima-kids.org/

 

about : 

福島県内在住のこどもたちを全国複数地域が受け入れ、保養や自然体験、生活体験などを提供する活動。

冬キャンプは、北海道2カ所・福島南部・横浜・静岡・愛媛の計6カ所です。

 

特徴(他団体との違い)は以下。

2011年当時から参加費を設定し、足りない分を支援金等でカバー。放射線からこどもたちを守るために、保護者と支援者(第三者)が一緒に取り組む活動であることを強調している。参加費は県外一律3万円。

・多団体で実行委員会を結成。受け入れ地の協力者も、団体から公民館、学生まで多岐にわたる。こどもたちは、「たくさん世話になる」ことで「感謝のきもち」が生まれるという。そのことは、帰った後のこどもたちに変化が顕著に現れると保護者さんの談。

・こどもだけで参加し、掃除、洗濯、調理などの生活を通して自立心を育むことも大きな目的。将来の福島を担っていける人材づくりを目指す。

・参加者は北から南まで全国の受け入れ先を選べる。(毎回同じところを選ぶことも可。人気の場所は選考あり)

・こどものメッセージを参加者全員が書き、受け入れ先に手渡す。そのことが福島の現状やこどもたちの現状を広く伝え、支援の輪を広げるもとに。

・応募人数が想定オーバーしても断らず、各受け入れ体制を必至で調整する。

・支援金の収支を徹底的に透明化し、保護者に説明。今年は支援金34,089,984円+参加費44,379,229円=収入約7500万円。支出は約4500万で、繰越金2600万円。(詳しくはHPhttp://fukushima-kids.org/2013年 予算概要/

・活動の目処を5年間とし、長期的には行政が継続するよう働きかけを行っている。民間支援が長期化することで、逆に「フクシマの子」が固定化する懸念も考慮。5年後のこどもたちの健康状態をみて継続を判断する見通し。

 

voice : 

昨日は福島市と郡山市で説明会。今日はいわき市で説明会を開いてます。

4人ほどの保護者の方にお話を聞いた結果を超簡単にご報告。

いろいろな不安はあるけれど、ふくしまキッズに参加することで不安が解消される。こどもを守るためとはいえ、親にできることには限界があるという不安。それを安心して任せられる存在があることが有難い。

最初は「避難のため」に参加させたけれど、今では「友達とのふれあい、コミュニケーション力をつけるため」という動機が大きくなっている。

もともと黙っちゃう性格だったのに、相手の話をちゃんと聞いて自分も意見も言えるようになった。こどもの成長を感じる。

こどものためにも有難いけれど、残される親にとっても有難い。普段は「草に触っちゃダメ」「××に行っちゃダメ」とピリピリしてしまうので、そうしたことからこどもも大人も解放される貴重な時間。

今は「外で遊ばない!」と厳しく言うことはなくなった(こどものストレスの影響が大きいため)けれど、心から大丈夫だと思っているわけではない。安心して遊ばせてあげられることがとても有難い。

お母さん同士は、顔の知れている近所の人ほど本音で話しにくいこともある。ママ会など小さなものはあるけれど、それらを繋げられる人は既に県外に避難しているので大きな輪にはなかなかならない。ふくしまキッズで知り合ったお母さん達といろいろな不安を話し合えることで、少しラクになれた。

 

vision : 

ふくしまキッズに参加できるこどもは小中学生。現在、その前(幼児期)やその後(高校生)も幅広くカバーし、継続して成長を見守れるように、県内の他団体と連携していく動きが出始めています。(福島こども力プロジェクト:https://www.facebook.com/fukushimakodomoryoku

あるいは、福島のこどもたちが日本を引っ張っていく未来も描けるのかも。

乞うご期待☆

 

2014年元旦@名古屋

2014-01-01 | 日本の旅

あけましておめでとうございます。

今年の目標は多々あれど…どれも切羽詰まっているので正月早々頭が痛い…。

ということで、精神を沈めようと書き初めをしました。

思うところあっていろいろ書いたのですが…

これはナイですよね。

「軽妙洒脱」と書きたかったんです。

絶妙な表現であか抜けているということ。

先日、この言葉を教えてもらって「(目指すのは)それダー!」と思って。

…なのに、1枚しかない半紙で堂々と漢字ミスをしたおバカさんなわたし。

今年も絶好調だゼ…と笑うしかない。

 

そして、さらに心を沈めるために神社巡りをしました。

ここは、家から徒歩7分にある水野神社。公園の横にありました。

さらに歩くこと10分。
若宮八幡神社は住宅街のど真ん中にありました。

しかし、なんだか良さげ~と思って50円お賽銭を入れた後に、こんな銅像を発見。

これが今年のスポンサー看板の後ろに隠れていたの。

うーん… わたしの好みではない。

歩みを進めること5分。
熊野神社も大きな公園の真横にありました。

お馬さんの神社なんですね。そりゃ人気のはずだ。

こんな粋な神様も。

あぁ、ここはステキだ。

そして「牧野町」を抜けて…

道路脇に小さな小さな神社を発見。お名前わすれちゃった。

こちらは厳島神社。
さぞかし素晴らしいのではと思って行ったら、掘建て小屋の隣でした…。
一応お堀があって、淀んだ水がデロ~ンと溜まっていましたです。

そして最後に、駅裏(新幹線側)の繁華街にある椿神社。

ここは、今のアパート探しでお世話になった不動産やさんの兄ちゃんが「あそこ、ビンビン感じるんすよ」とオススメしてくれたところ。

飲み屋に囲まれていながら、なんとか神聖さを保っている健気な神社です。

 

そんなこんなで、神社巡りをしている間に携帯が鳴りました。

南三陸町で養殖業をしているTさん家族から。

「忙しくて年賀状出せなかったから、直接電話したんだ」と元気なママの声。

近況を話した後、「でもなかなか思うようにはいかなくて…」と弱音を吐くと、
「そりゃそうだ、事業を興すってことは大変なことなんだよ!」と喝を入れられました。
「だからって早々に諦めたりしたら、何やってんだ?って怒るからな!」

 …そうですよね。 …被災したわけでもないのに、甘ったれるんじゃない!

そう。 もう2014年になったんだし。

 

やるべきことは山ほどある。

まずアジアツアーをつくること、そのお客さんづくりも。
別の団体とは、ジャーナルツーリズムというものを立ち上げていて、それも事務責任を負っている。
個人的にはアジアのおばあちゃんを訪ねるリポシリーズをやろうとしている。ライフワークとしての取材表現活動は、細々とでも続けなきゃ。
そしてそれらの足代を稼ぐために、テープ起こし等の仕事が待っている。有難い反面、ヒィヒィ言いながらやってるの。でも唯一の現金収入だから、頑張ってやらなきゃね。

もう34歳だし、「貧乏暇無し」はあと数年で卒業したい。

そのための2014年は、間違いなく大事な年になる。

がんばれ、自分。 

そうやって、世の30代(たまに20代の人も)の起業家は根性出して旗揚げしてるんだから。

 

もう…たまに更新したかと思えばすっかり自分応援ブログになってしまってスミマセン。

今月中にサハリンリポを寄稿したフリーペーパーが発行されるので、次はそれ、載せます。

継続するってのは難しいね。

そういえば「継続」って書き初めするの忘れちゃった。

 

今年は、無病息災で、多くの人にとって災いなき1年になりますように。

前向きに、前向きに、進みましょう。