今、台湾にいます。福島リポを書きながら。
で、ブログ用リポをまとめる前に、 台湾日記をアップしますね。
激しく感動した時は、「記録しなきゃ!」という衝動にかられちゃって。
電車の中で書いた日記です。
旅をしている時に、わたしは結構、泣く。
特に電車やバスで移動しているとき。
急に感動と感謝がこみあげる。
感無量ってやつ。
たとえばもし今ここで死んでしまっても、何も悔いはないと思える。
むしろ歳をとって、旅ができなくなって、こうした感謝を忘れてしまってから死ぬよりは、今の方がずっと幸せなような気さえする。
死なないけどね。
この命は自分だけのものではないと、学んだから。
今朝は阿美族のおばさんが、1時間も一緒にバスを待ってくれた。
たまたまバス停を聞いただけなのに、言葉もロクに喋れない私に、そこまで付き合ってくれた。
しかも赤い都蘭産のジュースまでくれて!
おばさんは、バリオでよく見かけるネイチャーガイドの女性によく似ていた。
今までどれだけの人に世話になったことか。
数え切れないけれど、皆の顔はよく覚えている。
ブワーッと頭に思い浮かべると、それだけでまた泣けてくる。
幸せ者というのは、わたしのような人間のことをいうのだ、とさえ思う。
15年ぶりに行った台東で、台湾では珍しく客引きしていた若い女性のホステルに泊まることにした。
予定より時間ができたので、15年前にお世話になったお寺に行くことにした。
行ってもどうせ分からないだろうと思っていたけれど、曖昧な記憶を頼りに行ったら、そのお寺は、やはりそこにあった。
ここだ、間違いない、と、記憶がどんどん蘇って、また、泣けてきた。
街はすっかり変わって建物だらけになっていたけれど、寺は全くそのままだった。
階段を上がったところでカラオケしている人達がいて、その右手の階段を更に上がると、公園のテーブルで雑談しながらゲームにふけているおじさんたちがいた。左手の丘の上には建物が2つ。小さな食堂のよう。樹々に囲まれて鬱蒼としている。そして右奥にカラフルな本堂と塔。お参りしようと階段を駆け上がりながら、なぜか身震いがして鳥肌がたった。
中を覗くと、これまでに台湾の他の都市で見たどの像よりも、力があって美しい、何体もの神仏が居た。神なのか仏なのか分からないけれど、寺だから仏様なのかな。わたしは思わず膝をついて頭を下げ、15年ぶりにお目にかかれたことを感謝した。
帰りには更にブワーッと鳥肌がたって、心臓がスキップしているのが分かった。
あの時お世話になったおじいさんに会えるはずはないけれど、なんだか、会えたような気がした。
少なくとも私は台東に呼ばれ、導かれ、そして歓迎された。
(市場で魚を売っていたイイ感じのおじいさん)
市場で出会った麺屋さんの夫婦は、奥さんのお兄さんが京都にいるという言って、厚くもてなしてくれた。軒先に並べてあった麺を写真に撮りたくて、声をかけたことがきっかけだった。ただそれだけだったのに、お昼には美味しい拉麺屋さんに連れていってもらい、揚げネギの瓶を手土産に頂き、京都のお兄さんに何度も電話をかけて紹介してくれた。「お兄さんは日本語が上手だから」と。
その間、トータルでも2時間くらい。日本だったら「あり得ない」、急発展の関係に少々戸惑う。
戸惑うってところが日本人だなぁと、逆に認識したりする。
だけどやっぱり「あり得ない」ほど、心がぽかぽかしてるの。
有難いって漢字は当て字じゃない。
そうだ、有難いといえば、昨夜のライブも本当にラッキーだった。
翌日に音楽イベントがあると聞いて1泊延ばそうか、でも明日なら花蓮で ある日本人に会える、台東をとるか花蓮をとるか…ちょうど考えあぐねていた時に朗報が入った。
「今夜もライブがあるらしいよ」
しかも阿美族の若いユニットのライブ。君はラッキーだね、とホステルのオーナーが言った。そのホステルも、予約したはずの別のホステルが空いてなかったために、たまたまバスで知り合った女の子が連れて行ってくれたところだった。
行ってみて分かったのだけれど、都欄は台湾国内では知る人ぞ知るアートの街。
個性的な安宿がいくつもあって、小さな村にしては欧米人がやたら多い。
サーフィンに最適なビーチがあることが大きいのだろうけれど、それに加えて台湾の若いアーティストが面白いイベントを開いて人を呼んでいるみたい。山の上にある日本家屋は映画のロケ地になったようで、今はお洒落なカフェとギャラリーになっていた。どちらが先か分からないけれど。
(都欄にある大きな砂糖工場跡もアートスポットになっている)
今、日本の大学生や子どもを対象にしたアジアツアーをつくろうとしているわたし。
台湾には来たのはそのためで、自分の旅行というよりは仕事目的の意識が強い。
なんせもう参加者募集しちゃってるしね。
だけどこのタイミングで台東に来れたのは、間違いなくおじいさんに呼ばれたのだと思える。
わたしはあの時の自分に対し、幸せに生きるための小さな導きを与えたいのだ、きっと。
おじいさんと同じように、もしくはおじいさんに代わって。
ツアーに参加してくれる人達を昔の自分に重ねてみるのはおこがましいけれど、中にはよく似た生き辛さを抱えている子もいるかもしれない。
こどもだって、わたしがそうであったように、親の愛情に対する感度が低いせいで寂しい思いをしている子も中にはいるかもしれないし。
事実、今の日本は幸福度が低いと言われていることだし。
そのために、これからやるべきことは山盛りある。
何よりお客さん集めに力を入れなきゃいけない。
勉強もちゃんとしなきゃいけない。
やりたいことは増える一方で、頭と体が全然追いついていない。
でも、もし今世でやり切れなくても、来世にもち越せばいいや、とも思える。
…幸せだね、ほんとに。
さあ、そろそろ雑務の仕事をしよう。
カネ稼ぎをなくては旅を続けられないんだから。
そこは辛抱、辛抱。花蓮まであと1時間、空腹に堪えてがんばるのだ。