今年3月、ベトナムからの帰りに、乗り換えのため降り立った北京空港での思い出(個人日記)です。
私の人生ナンバー10に入る、仰天の出来事でした。
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飛行機に乗り遅れた。
っていうか、置いてかれた。
アナウンスしろよ(怒)!と腹を立てながら空港スタッフを必至で探し、たらい回しにされた挙げ句にようやく辿り着いたカウンターで、チケットの変更料をしっかり請求された。
2万4千円。
しかも今日の便はもうないという。
明日ある3便も夜の1便以外、満席。
・・・本当か?とかなり疑うが、疑ったところでどうしようもない。
というのは、カウンターに現れたこけし頭の女があまりにキビキビと物を言うもんだから、反論するどころか私はしょぼくれる一方で、疲れも相まって疑う気力さえなくなってしまったのだ。
結局涙を飲んで、私は2万4千円をカードで支払い一晩待ちぼうけを喰うことになった。
で、これ以上無駄な金は使うまいと2千円だけ換金して、うち半分を国際電話に使い、残り半分のうちの5分の1程度の金で、今バーガーキングを食べたとこ。
そしたら左斜め前の席にいるカップルが、自分たちのイチャイチャぶりを、パソコンに付随しているレンズでビデオ撮影しているではないか。
そしてさらに彼らは、今さっき撮影した映像や、過去にベッドの上で撮影した二人のイチャイチャ映像を鑑賞し出す始末!
こいつらバカか、と呆れながらも、私の席からバッチリ見えてしまう液晶画面が、やはりどうしても気になってしまう。
こうやって自分たちのキスシーンをカメラに収め、レンズが向けられていることに興奮し、後からそのめでたい様子を眺めて再び濡れ合うってのは何とも悪趣味としか言いようがないな、と、顔を引きつらせながら私はチラ見を繰り返す。
全く気持ちわりぃことしてんじゃねえよ(怒)
一方、右斜め前の席ではいかにも中国人な雰囲気の親子がバーガーにかぶりついている。
小学校高学年らしい眼鏡をかけた息子は、首をインド人形みたく前後左右にクリクリ動かし、口の回りにマヨネーズを付け、定期的に眉をピクッと上げて目を不自然にしょぼつかせながら、やたら忙しなくポテトやバーガーを口に運んでいる。
あんなに目をしょぼつかせるのは勉強のしすぎなのか、脳みそがコンピューターのモーターみたいに常に回転して止められないのか、母親が何か諭すように言い聞かせている間も相変わらず首と肩をヒクヒクさせ、眉と目をピクつかせて真面目そうに話を聞いたり一人前に反論したりしている。
そして、ここはただのバーガーキングだというのに、母親は嬉しそうに立ち上がって未だマヨネーズを口元に付けたままの息子の丸顔をカメラに収め、代わって息子が母親の姿を収め・・・
中国というのは、不思議な発展の仕方をしているんだな、と私は思う。
左斜め前のカップルは、最後のキスを濃厚に味わい合った後、何もなかったかのようにスッと立ち上がり去っていった。
2人の素顔をついに一度も拝めなかったことを、私は少し悔しく感じていた。
そんなこんな観察日記を書いていたら、今度は私の真正面にあるテーブルで商談らしき話し合いをしていた男の一人が声をかけてきた。
「******」
どうやら私を中国人女子と間違っているらしい。
「中国語わかりません」
私は素っ気なく英語で答えた。
「へえ!どこから来たの?」
「日本から」
「へえ!!!てっきり中国人かと思ったよ。」
男は、そっちのテーブルに移っていい?話がしたい、と言った。
3人の男のうち1人は白人で、私がイチャつきカップルを観察していたときに何度か目が合い、なんだかヤだな、と思って目を逸らせていたのだった。
けれど3人ともがこっちのテーブルに移ってきそうな勢いになってしまった以上、ここは下手に逃げるわけにもいかない。
「いえ、私がそちらに移ります」
と言って、彼らの輪に加わった。
たっぷり脂肪ののったその白人は、南アフリカに住んでいるドイツ人だということが分かった。
あとの2人は中国人。仕事の取引先なんだという。
アフリカ好きの私は、早速南アフリカの話題に火を付けてしまった。
こうなったら最後。話は私の旅のことから経歴にまで飛び火し、大抵のオトコを面白がらせる格好の話題提供となってしまう。
私みたいな一風変わった小娘(しかもニホンジン)に、特に外国人のオトコは興味と好奇心を寄せてはばからない。
昼間、飛行機に乗り遅れる前に時間をつぶしていたスターバックスでも、隣りの席に座っていたアラブ系の男性と話が盛り上がってしまった。
もとはといえば、「すいません、そちらのテーブル少し離してもらえませんか?」と、私がパソコンに集中したいがために声をかけたのがきっかけだったのだけれど。
外国のビジネスマンと話をするのは楽しい。
そのアラブ系のおじさんは、想像通り石油関連の仕事人だった。
そしてそういう時に私は思い知らされる。
自分の勉強不足と、社会情勢に対する認識の甘さを。
南アフリカに住む白人+2人の中国人からは、アメリカによるTOYOTAのバッシングについて、日本人としてはどう思うのか?と問いただされてしまった。
とはいえ、オトコ達の本心は当然違うところにある。
「ところで今夜はどこに泊まるの?」
から始まり、
「決めてないなら、僕と同じホテルにしなよ。」
ということになる。
やっぱりそう来たか・・・と薄ら笑いを浮かべて、「結構です」と頑なに断った。
この脂肪に敷かれて眠れない夜を過ごすくらいなら、空港の硬い長椅子で震えながら寝た方がずっとマシだ。
おじさん方、楽しい時間をありがとう。
(聞き分けよく立ち去ってくれてありがとう。)
お陰で飛行機に置いていかれた悔しさを、少しだけ癒すことができました。
旅の醍醐味は、こうした「アクシデント」な「出会い」にこそあるのです。
この思い出深き北京空港に、8月3日、再び降り立ちます。
今では到着ロビーと出発ロビーの端から端までを、哀しくも熟知している私です。
(終)
見てください!!!
これ、7月1日のサラワク新聞(正確には「サラワク トリビューン紙」)です。
トップ写真で美しく(笑)ほほえんでいるのは・・・ワタシ。
実は先週まで、フィリピンとマレーシアに1ヶ月ほど行ってたんですが、そのうちのマレーシア・ボルネオ島で私の顔がローカル紙にババンっ!と掲載されました。
すごーい。
記事は英語なので(しかも写真に撮ったので文字が逆さま・・)読み辛いですが、要約すると「Bario(というジャングルの中にある村)でフードフェスティバルが今日から開催!」という内容です。
私の第2の故郷でもある Bario村で、5年前から始まった「食の祭典」に取材も兼ねて行ったんです。
それで、こっちが取材してるのに、取材(撮影)されたってわけ。
おかげで良い記念になりました。
ちなみに私の写真が掲載された背景には、主催者の一人が新聞社に写真をネット送信するときに、この写真ともう一枚を送った段階で通信エラーになり、他の写真が送れなかった、という事情があるんだそう。。。
そうか、私の微笑が特段選ばれたわけではないのですね・・・。
ということで、フェスティバルの詳細はまたの機会にして、まずは新聞掲載のご報告でした~(笑)
実に3ヶ月半も止まったままになっていました…。
忙しかったのもありますが、このgooブログが1年経ったのを機に「有料に切り替え」画面になってしまって、えー!お金払わないといけないのぉ~・・・と財布と相談すること3ヶ月。仕方なし、やはりブログ会社を変えようと思って久し振りにサイトを開けたところ、今度はなぜか元通り編集できるようになっていた・・・(なんじゃそりゃ!)ということなのです。
それで、本当によく分かりませんが、再び書き込んでいます。
上記の写真は、3月に無事終わりました「アジアの力展・最終」です。
魚志楼の二階座敷で、天井から布プリントを5枚程吊り下げて展示しました。
老舗の料理屋さんということもあって、色んな方が来てくださりました。
あれから早4ヶ月も経ってしまいましたが、みなさま本当にありがとうございました。m(_ _)m
そしてその後、今立のストリートギャラリー「みちくさ」に写真を運びまして、4月いっぱい展示しました。

ガラス張りの小さなギャラリーですが、紫外線対策のために相当な費用がかかってるんだそうですよ。
ここはフツーの展示ギャラリーと違って、道ゆく近所のお年寄りや子ども達が見てくれます。
いわば地域密着型のミニギャラリー。
私の今回のテーマは「子宮的アジアの再生」だったんですが、まぁ色んな書き込みがノートに記してありました。
すぐ近くの中学校に登下校する子ども達が、交換日記代わりに書いていった模様。
まぁ、この際なんでもいいよ。

私としては、特に夜になると電灯が布プリントの背後から漏れて、ガンジス川はぼや~っと神秘的に、反対側に展示した熱帯雨林からは木漏れ日が漏れるような美しさで、なかなか満足した次第です。
展示する環境で、同じ写真でもずいぶん違って見えるもんですね。
ちなみに、写真に囲まれるようにポツリと置いた「子宮」の作り物は、もっと透けて見えると思ったのに全く見えず、正直、イマイチでした(汗)
そんなこんなで、とりあえず、アジアの写真展示はひとまず終わりです。
さすがに9回も10回も持ち歩いたので、写真自体もボロボロ。よく頑張ってくれました。
私も、初回に比べ展示にも慣れましたし、気付いたこと、学んだこと、たくさんありました。
一言に、「やってよかった」という思いです。
本当に、支えてくださった多くの方々に感謝のキモチでいっぱい。。。 また機が熟したら、楽しいこと一緒にやりましょう♪