アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

またまた中途半端な報告

2011-03-24 | 災害ボラ活動
今日も一言のみ。

ボランティア派遣をしている東京事務局のこのバタバタ振りは、刻々と変化している現地(宮城県の被災地)を反映するように、センタ―設置から約1週間が経った今も忙殺を極めています。

てんでわやわや。。。

そして私は今日も、よく分からないブログ内容しか書くことができない・・・。

なので詳しくはこちらを。
http://www.ecotourism-center.jp/


大規模支援ではなく、小さな地域を復興・支援するということは、そういう所を発掘しないといけない訳で、それがどういうものかという具体的な想像は、私も全くできていません。
それは現場にいかないと分からないんだろうな。

後方支援に回っている私としては、現場を見れない残念さはあるにせよ、縁の下の力持ち気分で頑張っておる次第です。

明日は現場のスタッフ達が1週間ぶりに帰ってくる日。
全体会議が開かれて、今後の動きがつくられます。




「連携」の具現化に感動(中途半端版)

2011-03-23 | 災害ボラ活動

大変なことになっている。。。

あわわわわ


昨日はメディア関係で活発な社会活動をしている人たちが集まり、大きなミーティングを開いた。
で、今いるところは「RQ市民災害救援センタ―」と名前を変え、日本エコツーリズムセンタ―だけではなく、他団体や組織と広く連携しながら活動していくことが決定。そのPR方法を、プロフェッショナルな視点でどんどん発案、整理していくという場に居合わせることができた。

それが凄かったの。

「繋がる」とか「連携」とかいう言葉は、もうウンザリするほど叫ばれているけれど、なるほど、それはこういうことだったのね!という感じ。


・・・しかし今日はもう寝なければ明日カラダが持たないので、明日の夜にでもまた報告します。



今日も今日で、カオスな事務局で一人ヒイヒイと雑務をこなしていました。

全く、自分はもうちょっと仕事のできる人間だと思っていたのに・・・(ちょっと自嘲気味)
しかしそんな弱音を吐いている暇もないのだ。
できること、すべきことを、どんなに小さなことでも自ら探して動かないとココには居られない感じです。


取り急ぎ・・・中途半端ですいませんね、また明日書きます。
おやすみんこ

救援活動の応援を開始!!!

2011-03-20 | 災害ボラ活動



がんばれニッポン!ってことで、昨日から早速やっています。

日本エコツーリズムセンタ―は他のNPOやNGOとも連携して、「災害救援東京本部」という看板を掲げて活動していく予定・・・というか活動しているんですね。はい。

急に慣れない勤務体制(?)でボランティアに入り出しましたもんで、少々、脳の回路が混線してます。。。


そして事務所もまさに、カオス状態。 アジアです。

というのは、大々的に救援活動し始めて今日が2日目なので、やることがいっぱいあるの!すごくいっぱい!
たとえば、今日は続々と集まってくる救援物資の、仕分け作業のためのシステム(流れや方法)を構築しました。(これで明日以降は楽になるはず・・・)
昨日は続々と送られてくるボランティア登録等の申し込みメールに返信。(これもメールソフトに今日ようやく慣れたので明日からは楽なはず・・・)
明日は多分、広報の仕方とか情報の整理とか、そういうのをきちんとすることになるのかな、と思います。

いやはや、救援活動に参加するのって初めてなんですが、すごいね、このフロー感。流される感じ。





一番感じたのは今日最後の打合せでした。
仕分け作業は、同時に何がどこにどれだけあるということを把握しないといけないので、大きなホワイトボードや紙等に中身をいちいち書いていかなくちゃならないんですが、なんせ物品の種類が多いので、やればやるほど部屋が騒然となるんですね。蓋が閉じられない中途半端な段ボールも散乱するし。
それをどうしようか、ということを作業しながら随時相談、改善していたんですが、最後の打合せで皆が集まって話している内にそのシステムというのはどんどん出来上がっていきまして・・・。

その様子をリアルに説明しようと思うと時間かかるので止めますが、とにかく私は一言、
「日本人ってすごーい・・・」
と感嘆してしまいました(笑)

これが他のアジア諸国だったら、多分、延々と煩雑なままなんじゃないの。


誰がリーダーシップとるでもなく、皆が皆でまとめ上げていく(しかもほとんどが今日初めて会った人ばかり!)・・・すごいね~、ほんとに。
アフリカでも「日本人は強い、文句も言わずに黙々と歩くのは日本人だけ」と褒められたことを思い出します。

やはり、我々は逆境に強いね、相当。


明日も朝から事務所に行きま~す。
一昨日まで三年寝太郎な生活だったのに、ウソのように勤勉ヤロウになってしまった!

これも何かのお達しですな。

どうか丁寧な土葬を・・・

2011-03-18 | 災害ボラ活動
・遺体の扱いに自治体苦悩…火葬進まず、保冷困難
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000001-yom-soci


私が関わっている団体「Kids' AU(こどもたちのアジア連合)」の代表・村上さんから今朝電話があり、今後の救援活動について打合せをしました。
私自身は早速今日から、日本エコツーリズムセンタ―の東京事務局で雑務の補助の入ります。

それはそうと。

村上さんから「遺体の扱いが非人道的だ!大変だ!」という話を聞き、あまり実感できないまま「そうなんですかあ」と答えた後にネットを見ると上記の記事が。

うわ~ そら大変だ・・・

ということでリンクします。
「それより今生きてる人の救援が最優先なんじゃ?」と思われた方は読んでください。


今後の方向性としては、
☆日本エコツーリズムセンタ― → 孤立している地域を探し出し、救援体制をつくる
☆同事務所(市民災害救援本部) → 問合せ対応、ボランティア派遣、情報発信等
☆Kids' AU → アレルギーのある子どもへの食事支援(他団体の活動応援)
      → 孤児や難民化する子どもの長期受け入れ体制を整える
      → 亡くなった方々を弔うため、お坊さんの有志グループにお経を読んでもらい、その映像をネット配信する(現場は混乱を来しているため、思い付く限り、できる限りの供養をとの思いからです)


ちなみに、「土葬は衛生的でない」との知見には、私は疑問です。
初めて土葬を目の当たりにしたのはスリランカ、次いでマレーシアですが、土葬か火葬かということよりも、何よりきちんと弔いをすることが大事なんです。日本だってずーっと長い土葬の歴史があることなんだし。

それで、こんなところで不謹慎かもしれませんが、何年か前(といっても10代の頃)に「私が死んだら土葬にして」と父親に唐突に頼んだことを思い出しました。
父親は「そんなことしたら俺が警察に捕まる」とジョーダンのようなことを言っていましたが。


津波の苦しみを味わった何百人、何千人という方々が、ほんの少しだけでも眉間の皺を緩めて天に上がっていかれますように、今は祈ることしかできません。


情報が増えているのか、収集力のせいか

2011-03-17 | 災害ボラ活動
随分と整理されたニュースが流れるようになってきています。
もしくは、自分自身がようやく新しい情報を求める気になってきたせいでしょうか。

いずれにせよ、情報がここまで溢れ返っている時代に、必要なものを自らピックアップしていくのは結構な精神力が要るものだなあと改めて感じます。
そしてその気が起こらない“放心状態”ってのは、結構長く続いてしまうもんですね。。。


まず、救援物資の郵送について、「各自治体が集めて自衛隊が運ぶシステムを構築している」とのニュースを今日聞きました。
なるほど、確かに被災地以西でも運輸の混乱は既に深刻なのでしょう。
さすがシステム王国・ニッポンですね!素晴らしい。


その他は、恥ずかしながらニュースに激疎なので(テレビもないし…)、一般的にどういうニュースが既に「そんなの知ってるよ」レベルになっているか全く分からないのですが、以下、ネット上で見つけた海外に関するニュースを少しだけリンクしますね。ご参考までに。(あまり探し切れてなくてスミマセン)


・中国人研修生20人を助け…津波にのまれ不明の日本人に感動の嵐
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110317/chn11031718110006-n1.htm


・フィリピン=放射能デマで混乱
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000150-jij-int


・中国、日本人の冷静さを絶賛 「マナー世界一」の声も
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110312/chn11031219080002-n1.htm



欧米の大使館関係者は、こぞって地方や他国に避難しているようです。
旅行者/留学生などにも関東を離れるよう呼び掛けているそうで。

しかしコレ↑は今週始めに私の元にメールで流れて来た情報と同じで、コレによって同日私は放射能漏れの恐怖に陥ったわけなんですが、よくよく冷静に考えてみれば、もし事件が他国で起きたなら、その国の日本大使館も同じように緊急避難を広く呼び掛けるんだろうな、と。

なので今は、都内や神奈川県内で毎時測定されている放射線量の公表データをチェックして、外出しても大丈夫かどうかを判断しています。


それよりも、寒いっ。。。。。

3月半ばにこの寒さって、フツーなの????? と叫びたい。


自家発電、自給自足、…そういうのの重大さを身に染みて感じています。



ps.さっき、ネットに分かりやすい記事が掲載されたのでリンク載せま~す。
「勘」を貫けずに失態に向かう「菅」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/497365/

多言語ニュースはラジオから。

2011-03-16 | 災害ボラ活動
毎日、いろんな感情を味わいながら過ごしています。

日本が全体として、比較的パニックにならずに冷静な行動を呼び掛けあっている点が、海外で高く評価されていますね。
都内の混雑ぶりは凄まじいようですが、それでもバスの天井に登ったりする人は一人もいないし、地下道でも押し合いへし合いするのではなく、皆がゾロゾロと諦めモードでゆっくり流れているそうです。
こういうのはやはり、「観念」という仏教的な価値観が作用するのでしょうか。


もう少し、もう少し現地でハード面の復旧が進めば、ワーッとボランティアが駆けつけられるのだろうと、多くの人がそればかり、明日か明日かと待っているのでしょうね。そのパワーを思うと、無性に日本人でよかったな、と感じます。すごいね、この連帯感。


今さらですが、家ではずっとInter FMを聞いています。
今もまだ、全国放送になってるんじゃないかな。

震災以前からそうですが、Inter FMは多国語放送に力を入れているみたいで、通常の番組でも英語はバンバン、加えて中国語、韓国語、フィリピン語、ポルトガル語などで突然ニュースが流れたりします。
英語に関しては、日本語訳が曖昧だったりするから、本当にバイリンガルな感じ。もちろん日本語の割合いが圧倒的に大きいですが。

http://www.interfm.co.jp/

その多言語ニュースを聞いていると、意味は分からなくても穏やかな気持ちになる。。。私はただの暢気者でしょうか。
不安に駆られている外国籍の人たちが、ラジオに耳を澄ませている姿を思い浮かべています。


昨日は1日、放射能漏れに関して流れてきた裏情報に翻弄され、独りアワアワと焦っていました。
福島原発から都心は300キロ近く離れていますが、それでも、「実は都心も危険域」と言われると、焦る。ビビる。怖くなる。・・・見えない物質の恐怖がいかに大きいかを痛感しました。
あと、自分は思ってたほど肝が据わってないってこともね。

放射能漏れについてはアメリカ版ヤフーニュースの方が、ずっと大きく報道しています。
国策にも関係することだから、でしょうが、日本国内の放射能情報がどれも今イチ信頼できない(しかも分かりにくい)ので、難しい英語に顔をしかめながらアメリカのニュースに目を通しています。


しかしこういうことができるのも、電気があってこそ。

一昨日から私も節電のためにヒーターを切り、毛布を被ってパソコンしてます。


直接支援のお願い

2011-03-15 | 災害ボラ活動
地震と津波の直接被害に加え、放射能漏れが深刻ですね。。。

そんな中でも、民間による救援活動が少しずつ動き始めているようです。

私が関わっている団体等では、日本エコツーリズムセンタ―(アウトドア系)と、民医連(医療系)の方たちが既に現地入りし、何が必要か、支援体制をどう組めばよいか等、本格的な救援準備を進めている模様です。

以下、日本エコツーリズムセンタ―の呼び掛けを掲載しますので、もしご協力いただける場合は宜しくお願いいたします。

私自身は、今週末か来週に体制が整い次第、現地での救援活動に参加する心づもりです。



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(以下、日本エコツーリズムセンタ―のMLより)


エコセンでは、東京(西日暮里)事務所に災害救援東京本部を設置し、
モンベル仙台店(青葉通り店)に現地本部をおいて救援活動を始めています。

フタッフが救援チーム派遣前の確認などで福島に行ってきました。
以下、その際の広瀬からのレポートおよびご協力の呼びかけです。


食料などでは栃木以北のコンビニの棚は空っぽ、スーパーも空の棚が
目立ちました。
被害の状況は埼玉あたりから屋根が壊れている家があり、栃木からは
ブロック塀倒壊や屋根全壊など目立ちはじめていました。
困ったのはガソリンで、埼玉からすでに制限給油や閉店が出始め、
栃木からは開いている店には長蛇の列が出来て、それも福島などから
購入しに来る車も目立ちました。
現地では水、食料、ガソリンなどの燃料が切実に不足しています。
被災地以外での消費を抑えて、被災地に回るようにして行く必要があります。

陸域での家屋や土砂崩れなどの被害も深刻ですが、それよりも、
広域な沿岸部での津波による圧倒的な破壊のほうが桁外れの大きさです。
今回は国、県などによる避難所のカウントは2000程度ですが、
これはあらかじめ災害時の避難所とされた場所を集計している数字で、
実際には無数と言っていいほどの大小の避難している場所があります。
これらの把握も物資などの救援の手もまだ行きわたってはいません。

●モンベルアウトドア義援隊とエコセンの災害救援チームは連携して
 現地で活動していきます。
 基本的な作業は、アウトドア義援隊の主活動である被災者への寝袋や
 生活物資の配布などと、エコセン災害救援チームによる避難所での老人、
 こどものケアなどを含む生活支援全般を主任務にした活動をおこないます。
 エコセンではモンベル仙台店を本部として、周辺の避難所に活動拠点を
 増やしていく方針ですが、こうした各拠点で活動できるコーディネーター的
 人材を急募しています。
 なお、放射能の被爆や地震の再発等による危険性については、参加者に
 自己判断をお願いするとともに、被害や損害を受けた場合、エコセンは
 責任を一切負うことができませんので、あらかじめご了承ください。
 また今後の状況により、エコセンは現地での活動を中断する場合があります。

●災害救援活動を円滑にするために、エコセン@西日暮里事務局のある
 西日暮里の日能研ビルに「エコセン災害救援東京本部」を設置することに
 しました。さらに、(株)日能研の高木社長のご協力によって、今回の災害
 救援活動に関わる支援チームのために物資集積基地&地方から来る支援
 チーム(ボランティア)のためのスペースも確保できることになりました。

●日赤や一般の公的義援金は通常、被災自治体などへ寄付され、その後に
 自治体ごとの判断で支出されます。ボランティアセンターなどの直接的な
 救援活動に掛かる資金は、これらの義援金には関わらないために、独自の
 資金源が不可欠です。民間の専門団体による救援活動には多大な資金が必要で
 これらはすべて、チーム独自に災害救援基金を設けて、寄付を募ることになり
ます。
 直接、送金していただける方はぜひ、エコセン宛によろしくお願いします。

みずほ銀行 動坂支店 普通 1093812
エコセン災害救援基金
(エコセンサイガイキュウエンキキン)

● 物資についてですが、以下のものが現状必要です。
 少量でも送っていただける方はよろしくお願いします。

【ボランティア活動用】
 車両、ガソリン、ガソリンタンク、ミネラルウォーター、保存食料、文具、
 水ポリタン、ボランティア用テント、シュラフ、マット、自炊用具、
 ゴミ袋(現地のゴミゼロを目指してボランティアが使ったゴミは東京に
 持ち帰ります)
 ※これらの他、普段は使いたくないのですが、・使い捨てマスク・使い捨て
 カッパ・使い捨て手袋・使い捨て食器なども今回の災害ではとくに必要です。
 
【被災者用】
 紙おむつ、生理用品、ホッカイロ、粉ミルク、手軽に食べられる保存性のある
 食料、下着類など衣類、ゴミ袋
 ※物資はすべて小分けしてからダンボールに入れて、中身をマジックで
 大きく書いてください。

● エコセンでは、上記、カンパと物資の他に、救援ボランティアの
 申し込みをお願いしております。
 詳細は下記サイトをご確認ください。
http://www.ecotourism-center.jp/article.php/reliefe_01
ボランティアや物資の提供については、上記サイトの申込フォームを
ご利用くださいますようお願いいたします。
なお、上記以外の物資や大量発送の場合は、発送の前にご相談ください。

オッパイと太鼓で魂を揺すぶられた日

2011-03-07 | ~2012年まじめ系の日記

  

 リオのカーニバル、やってますね~☆

今が絶頂らしいやないですか。

上の映像は去年のものですが、YouTubeで適当に見つけたものをひとつ。

なんといっても、この溢れんばかりの “オッパイいっぱい” な圧迫感がたまりませんな。。
眺めているだけでキモチがいいというか、まるでトランポリンに乗ってるような気分になるのは私だけでしょうか。


ところで昨日、「世界舞踊祭」というものに行ってきました。
多摩川の土手で毎週、ポコポコとアフリカン太鼓の練習をしている女の子グループがいるんですが、今年に入ってから彼女たちとお知り合いになりましてね。
それで、誘われたの。「これに出るんです!!!」と。

彼女たちのステージの前に、カンボジア舞踊やらエチオピアンダンスやら、マレーシアの踊りやら色々ありました。
感想を述べるなら、特にエチオピアンダンスに励んでいたのは50を過ぎたおばさんグループだったんですが、それがもう、眼を見張るようなシュールさでしたね。
恐らく衣装は、アフリカのダボッとした服とターバンを真似てつくったんでしょうが、彼女たちが着るとまるでスーパー銭湯で渡されるリラクシング着に黄色いタオルを巻いてるみたいで… 写真を掲載できないのが残念です。(おばさん達には失礼ですが)


やはり、白い肌でできることには限界があるんじゃない?というか、ね。


それはおばさんに限らず、です。
最後にタヒチアンダンスのグループが出ていましたが、50人ほどの若い女性が腹回りを露出して腰をフリフリしてるんですけどね、「美しい」プロポーションと動きの女性は、私が勝手に審査したところ1人しかいなかった!(その女性というのも、日本人にしては随分地黒で肉付きのいい、いかにも健康そうな女の子でした)

その光景を眺めていると、まるでモヤシ炒めを食べているような、腹が膨れたんだか食べ足りてないんだかよく分からない、奇妙な気分になってきて途中でうなだれてしまいました。(そうはいっても‘今が食べ頃’に違いない若いダンサー達には失礼ですが)


ダンスというのは、やってる人が楽しけりゃいいんだけどね。


それで迎えた、アフリカン太鼓のステージ。
毎週のように練習を見ていたので、ある程度は想像できていたんですが、…ビックリしました。
迫力満点。
太くて厚い太鼓の響きもあって、会場全体が圧倒されているのが伝わってくるほどです。しかも彼女たちの顔が、もう言葉を超えて感動的なくらい満面の笑顔といいますか、あぁ、きっと彼女たちの目に映っているのは会場の暗闇ではなく、アフリカの草原とそこで踊り狂う現地の人たちなんだろうな、と想像される。その幸せ感が、彼女たちの笑顔ににじみ出ていました。

それもそのはず。
彼女たち(の一部)は、アフリカのタンザニアに何年間か住み着いて現地の太鼓指導者を自ら探し出し、村に居候しながら教えを乞うたという筋金入りなのです。
アフリカにずっぽり惚れ込んでいる。その魂が太鼓と共鳴し、太鼓を叩くことで遠いアフリカとも再び一体になれることに至上の喜びを得ている…まさにそういった感じなのです。


ここまで来ると、もはや肌の色なんて気にならなくなるのは言わずもがな。

やはり音楽は「魂」ですね。


私には、日本舞踊も含め、世界の踊りはまだ見せかけでしか踊れません。
「魂」がまだどこにも属していない。

だからこそ、彼女たちのようにアフリカを感じながら太鼓を叩く人たちや、健康的なオッパイを揺らしながらサンバを踊るブラジルの人たちに、ひどく、ひどく憧れる。
彼女たちを、本当に美しいと思う。


人間ってステキだな、と胸が熱くなった3月最初の週末でした☆