突然ですが、うちのばあちゃんの部屋、大公開です。
(ばあちゃん御免。。。)
なぜかというと、他に適当な写真がなかったから、なんですが、愛孫にそんなゲリラ行為をされたうちのばあちゃんも、つい先日、近くの老人ホームに引っ越してしまいました。
今はガランとしたこの部屋。
ばあちゃんが若かれし頃に描いたという、紫陽花の絵が寂しそうに壁を彩っています。
それで、引っ越した先でばあちゃんを励ました後、私は再び川崎に戻ってきたわけですが、いつものように格安バス(福井ー東京4500円!!)に乗ったために早朝6時半頃に横浜駅に着き、そしてまたいつものように憤慨したのであります。
・・・JRのヤロウ、エレベーターを造りやがれ(怒)!!!
眠た眼で朦朧とし、片手にバッグ、もう片手にコロコロ鞄を引いて駅まで行くのに、階段を上り下りすること4回。
回りには既に通勤の人がわんさといるというのに、エスカレータは7時まで運行しない(怒!)との表示。
・・・・・ふざけんな!
と心の中で何度叫んだことか。(口を突いて出てたかもしれません。)
横浜駅だけじゃない。新宿駅でも大阪駅でもどこでも、意外と階段しかない場所は多いのです。都会のくせに(怒)!!!
(しかもエレベーターがどこにあるのか分かりづらい!)
そしてこういう時、いつだって思い出すのは、障害者自立支援運動のために車椅子でアチコチ飛び回っていた友人のTさんです。去年、交通事故のために惜しくも亡くなってしまった彼は、私の大事なソウルメイト(魂が通っている友人)でした。
その彼が昔言っていたこと。
「街を造っているのが“強い”人間なんだから、弱者にとって不便なのは当たり前だよな。」
つまり階段を上れる人が駅を設計するから、階段しかないような駅の造りになるんだ、ってことです。そしてそれを承認する偉い人間もまた、足の丈夫な人なんでしょう。
そして今、私は思う。
・・・テメエら、重い荷物を独りで持って歩いたことねえのかよ(怒)!
駅をさっそうと歩く人の大半が上昇気流に乗ったサラリーマンだった頃には、もしかしたらそれで良かったのかもしれない。
だけど今は違う。
大きなお腹を抱えた妊婦も、杖をついた老人も、徐々に足腰が立たなくなってきた団塊族も、タクシーなんてとても乗れずに歩いて荷物を運ばざるを得ない若いフリーター達も、そして街に出て自分の人生を謳歌しようとしている多くの障害者たちも、困難を抱えた人たち皆が同じ駅を使うのです。
ふと見た先に、壁のように立ちはだかる階段を前に唖然としている欧米人のカップルがいました。
少し前に友人に聞いた話。ヨーロッパ(確かドイツだったか)では、どんなに小さな駅にも、歩行用のエスカレータ(階段じゃなくても荷物を置いて立ったまま進めるやつ)があるんだとか。
それが日本では階段にさえエスカレータがない(故障でもないのに止まってる)なんて、「アリエナイ・・・」と彼らは呆れたことでしょう。
・・・きっと街のそういうところに、その国全体の「価値観」が現れるんだな。
日本は、ひとつの視点からしかモノゴトを見られない、単眼的な社会なんだと改めて思い知らされます。
つまり、優しくない。
国の官僚もJRの幹部も、全部そろって今すぐ車椅子の生活になってみやがれコノヤロー(怒)!!!
・・と鼻息を荒げながら階段を上る三十路のオンナに、「荷物お持ちしましょうか?」などと声を掛けてくれる紳士は一人もいませんでした。(そらそうだ。ガクッ)