アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

お金のこと。その壱。

2012-04-15 | ~2012年まじめ系の日記
以前、書こうかなと思って書かなかったことのひとつ。
お金のことについて、考えながら綴ります。

    ♢ ♢ ♢

いわゆる途上国を旅すると、「日本人=金持ち」という見られ方を必ずする。
それは比較論でいえば間違いなく、航空チケットが払えている時点で、旅人が通常出会い得る市井の人々よりは自分の方が遥かに金を持っている。
「金持ち」だと思われることに対しては戸惑うけれど、それは事実なんだから受入れるしかない。

そうやって開き直って街を歩いていると、 “明らかに貧しそう“ な人たちが手を差し出しながら寄って来る。
私は私なりのルールを決めて、その時々の感情に任せて小銭を渡すことにしている。
たまたま感情が動かない時や、ポケットの小銭が少ない時は渡さない。
そもそも1人ずつに小銭を渡していては切りがないのだから、…だけど目の前にいる人を透明人間みたいに扱うのは嫌だから、その瞬間の自分の状況と善意の程度に従うと決めたのだ。

こういうのは正解なんてないから、自分で決めたらそれでいいの。 と思っている。

    ♢ ♢ ♢

だけど、“その国の中では特段貧しいわけじゃない人” と友達になった場合。
もしくは、“そんなに貧しそうには見えない人”とご縁あって友達になった場合。

「友達」なだけに、自分ルールが定まらない。
それぞれ信頼度も違うから尚さらのこと。

最初に頭を抱えたのは4~5年前だった。
フィリピン・セブ島で知り合った2児の母、キャサリンに、旦那の仕事が行き詰まったから数十万円貸してほしいと頼まれた。
アメリカ船の船員をしている旦那には、一度だけ会ったことがあった。とても朗らかで、船員の制服がよく似合うフィリピン風イケメン。彼は、キャサリンにも将来のために専門を身につけてほしいと考え、養育に加えて彼女を会計士の学校に通わせていた。
その一家がピンチなのだと言う。
「ほんとか?」と少々疑ってはみたものの、キャサリンとは、家に泊めてもらっては恋話なんかを語り合った仲。そう無下にもできない。

日本の友達にそのことを相談すると、「絶対に貸さない方がいい」と、99%の確立で忠告された。
まぁ、フツーそうだと思う。

悩んだ挙げ句、結局その時ギリギリ貸せる金額3万円ほどを、次に会った時に手渡した。
のだけれど、手渡した時の彼女の表情が 「ありがとう~(涙)」 といった感じではなく、感謝しているのかしていないのかさえ分からない態度だったために私は愕然としてしまい、深く深く後悔したのだった。
「カネだけ渡して感謝もされないって、どういうこと?」と肚を煮えたぐらせて。

数ヶ月後、傷跡となって残った負の思い出を、別のフィリピン人の友達に打ち明けた。
するとちょっと意外な反応が。

友「フィリピンでは、お金を貸すのは商売のひとつね。ちょっとお金持ってる人はみんなする。いい商売よ」
私「高利貸しってこと?私は返してもらってもないよ。返してくれると思ってないし」
友「でもフィリピン人は、絶対に恩を忘れない」
私「感謝もしてくれなかったよ、貸したとき」
友「言葉で言わなくても、フィリピン人は絶対に恩を忘れない。絶対、彼女は一生忘れないよ」

…そんなもんか、と思って私の怒りは少し緩和された。


「常識」というのはややこしい。
自分は常識にとらわれていないと思っていても、相手の反応が期待外れだったということは、つまり自分の常識を相手に押し付けていたことになる。
そして一方的に怒り、ガッカリし、非難してしまう。

そしてこういうのは、外国人とのトラブルに限らず、日本人同士でもよく起きていることなんだな、と最近思うようになった。男女の違い、世代の違い、育ちの違い、状況の違いによって、私たちの間にはズレがいくらでも存在する。
近い人との間でこそ、それが顕著になるのかもしれないし、ズレた時の摩擦が激しいとも言えると思う。

だからね、今となっては思うのです。

自分の常識を外してモノを考えられるようになるために、外国人とのお金のトラブルは良い訓練だなと。
まず「外国人」というズレは最も分かりやすいし、かつ「お金」というのは最もシリアスで、失敗した時に最高の教訓になるから。

だから外国人の友達に借金をせがまれても、安直に自分ルールを適用せず、その都度悩む方がいいのです。

ちなみにキャサリンとは今も facebook でつながっている。
ただ、あれ以来、一度も会ってはいない。
まだ心の傷が完治していないなら、ちゃんと話し合ってしこりを解消すべきだと思うのだけれど、なかなかねぇ。一度ヘソを曲げた感情はそう簡単には戻らないらしいのです。

これもまた教訓。
人間関係を豊かに、また円滑にするために、何事も犠牲を払いながら学んでいこう。。。m(_ _)m

「エコツーでアジアと繋がる」を考えるin琉球

2011-10-15 | ~2012年まじめ系の日記
先週(10月3~7日)はずっと、アジア6カ国の子どもと大人が集まる国際キャンプに参加していました。
今年で2回目の参加。で、今回のミッションは「活動紹介ビデオをつくること」だったので、終始ビデオカメラを持ってウロウロしていました。(なので写真が手元に全くないっ…ことに今さら気づいた次第。)

その詳細は、また後ほど。
(今月中に動画編集します)

そしてキャンプが終わってすぐ、疲れ果てた身体を引きずって向かった先は、沖縄でした。



国際キャンプを支えている各国の仲間(韓国/中国/モンゴル)と共に、別の会議に参加するため。

それは、CONE(自然体験活動推進協議会)全国フォーラムin琉球の中で行われたアジア分科会で、話し合った内容は、“遊びながら学ぶ” ことでアジアと繋がっていくためにはどうしたらいいだろう?…ということでした。


↑ 分科会の様子

この “遊びながら学ぶ” というのは、具体的にいえば「自然体験活動」とか「キャンプ」とか「エコツアー」とかなんだけど、なんだかイマイチ「バシっ」とくる言葉がないなぁ…と思うのは私だけでしょうか?
「自然体験活動」ってのが第一カタイというか、ナガイというか、確かに「自然」の中で「体験」する「活動」には違いないけれど、漢字6個もくっつけると見辛いんですけど…といつも思ってしまうんだよねぇ。(関係者の人には申し訳ありません。。)

それはともかく、「アジアとどう繋がっていくか?」ということに関していえば、いろいろな意見が出ました。

特に現実的なところでは…
・韓国の中学生は年間20時間以上のボランティア活動が義務づけられていて、その内容が進学や就職に大きく影響する。
→ そこで親たちは必至でより良いボランティア活動を探し、お金を出してでも子どもに参加させる。
→ 中身の充実したボランティア活動プログラムを企画すれば、韓国の子ども達を受入れられる。
→ たとえば沖縄だったら、海岸の清掃をしながらウミガメの産卵について学ぶ、とか。
→ 通訳には、韓国から来ている留学生とのツテを作って通訳ボランティアを募れないか?
などなど。

そして早速、沖縄で行われているエコツアーを垣間見るため、ヤンバルの森にレッツゴー。



案内人は、やんばるエコツーリズム研究所の中根さん。私もファンの一人であります。

ちなみに写真は、
「伊部岳には稀少生物のほとんどが棲んでいるほど貴重な自然が残っていますが、これはアメリカ軍による射撃演習が行われる当日に、住民が総出で山に登ってそれを阻止した結果によるものです」
…と、その記念碑を前に中根さんが説明しておられる様子。

伊部岳に棲む動植物たちは、そこがアメリカ軍の領土だったために開発から逃れられた一方で、射撃演習による焼失からは住民が体を張って守ったという深い深い歴史の賜物なのです。


↑ こちらは、やんばるくいな の保護センタ―。


↑ ウミガメが産卵する無人島までは、カヌーを漕いで行くのだそう。


↑ やんばるの森と海に囲まれた安田(あだ)集落では、見た事もない美しい蝶々をアチコチで見ることができる。


↑ 集落にあった郵便局。私が今までに見た郵便局の中で最小!


↑ お店は1軒だけ。「協同店」だけど、いわゆるCOOPではない。この店の前にあるコカコーラの自販機でジュースを買うと、いくらかの利益がやんばるくいなの保護に寄付される。


ところで、上記4人で数時間だけ名護市内を観光した時のこと。

運転も案内も「すごく親切」だけど「すごく適当」な地元タクシーの運ちゃんに、アジアの3人は大爆笑しながら口々に言っていた。
「運転しながら電話するの、本とは違反でしょ!?…全くモンゴルと一緒だよ!」
「こんなに適当なタクシー屋さん、韓国と同じだ~」
「中国もそうですよ!」

そんな沖縄が、私も大好き。

今度はゆっくり行きたいな~
(本とは住んじゃいたい勢いなんだけど…)

お導き

2011-08-23 | ~2012年まじめ系の日記

7月のこと。
実はアフリカに発つ前、「もうこんな働き方はやめよう」と思っていた。

大学を卒業して写真を学んだはいいけれど、写真で食っていく自信はなくて逃げ帰り、運良くテレビ局に潜り込んだはいいけれど、ちょっと取材が出来るようになったからといって、今度は自信過剰になって飛び出した。
あれから丸4年。

若気の至りがもたらしてくれたものは、それなりに大きい。

何よりたくさんの人に出会えたし、たくさんの涙と、感動と、愛情を得ることができた。

本当にたくさん。身に余るほど。


だけどね、「何のプロフェッショナルになるのか?」という根本的な自問は未だ未解決のまま。
そのことに、心底情けなくて嫌気がさす。
もし自分が雑巾だったなら、力の限りギューーーーーーーーッと絞り上げてポイって投げ捨ててやりたいくらい。


どこにも属すことなくフリーランスで仕事を得るってのは、そら、カンタンじゃない。
まず朝起きる理由を見つけなきゃいけないし、日中やることだって誰も指示してくれない。
自分を売り込むには膨大なエネルギーが要るんだし、ましてやそれをやり続けるには強靭な持久力が必要になる。

それで、「やっぱ無理だわ」と思って何度も諦めかけたんだよね。
フツーに就活するのが一番だわ、と思って。

そんな感情の波を繰り返している内に、最初はあったはずのポリシーみたいなものも、何だかよく分からなくなってくる。
「声なき人たちの声を拾いたい」とか
「人の暮らしや価値観の多様性を伝えたい」とか
「生きてることの美しさを表現したい」とか、
そんな感じのことを目指していたんだと思うけど、なんだかそれもチッポケに思えてきてね。

だって、そんなもの掲げたって実際問題、食えないじゃないか。
第一、漠然としすぎてるんだよ。テーマは何だ、テーマは。結局何がしたいんだオマエは?

…そんな自問自答は日常茶飯事で、そうやって無駄に脳みそを疲弊させている内に髪の毛が真っ白になってしまった。


だけど、それでも私の回りの人たちは、信じられないくらい温かく私を見守り、励ましてくれる。
それがいつも不思議で仕方ないのだけれど、とにかく彼/彼女たちのお陰で私の人生は、切れ切れの糸で何とか社会と繋がっていられている。

でもね、それもさすがにもう限界だな、と思ったわけ。7月に。

もう夢だポリシーだなんて青臭いこと言わずに、まずは稼いで、自分の土台を築いて、それから考える方がずっと広がりが出るんじゃないか? と。


しかしですね、こういう時にこそ、また「出会って」しまうんだなぁ。

その人は某会社の社長さんで、すごく簡単に説明するなら、映画やテレビの字幕スーパーを作る事業を全国展開している方。特に生活が厳しい独り親や障害者の人達に就労の機会を…と奮闘されている方だ。

で、詳しいことはさておき、その社長さんにはケニアに飛び立つ当日の午後にお会いし、多大な励ましをいただいて空港に直行したわけ。そして昨日、帰ってから書き上げた2つの原稿を携え、再び打合せに。
そしてそして有り難いことに、来年から連載執筆の機会をいただき、更に力強く励まされて帰宅したのであります!
 

あぁ…。


「出会いは必然」というけれど、…それはこれまでも何度となく経験してきたけれど、ここにきてまだ「必然的な出会い」を与えてくれた神様に、ほとほと頭が下がる。
本当に出会って良かったのか、実はそうでもないのか、という結果論なんかは問題じゃない。
こういうのは、結果はどうであれ、感謝して余りあると素直に受け入れればいいんだ。その時の自分がピンときたのであれば。

その社長さんが言っていた。

「出会いも必然だけど、今直面している苦労も全部必然なんだよね。結局は自分がそう仕向けているんだよ」

なるほどな、とストンと胸に落ちた。
私は私であるからこそ、たくさんの人に出会え、逆に(勝手に)苦い思いもしてるんだ。それは人間関係のトラブルも然り。恋愛も然り。誰もが、個人的に抱える多くの理由によって、幸せにもなれるし不幸にもなれる。だから苦しむべきは、きっと、そんな自分をどう受入れるか?ってとこなのかもしれないな。


もう少しがんばろうと、そして今は思えている。

バイトをしてでも内職をしてでも、旅することはやめないでおこう。


あとは神のみぞ知る!


オッパイと太鼓で魂を揺すぶられた日

2011-03-07 | ~2012年まじめ系の日記

  

 リオのカーニバル、やってますね~☆

今が絶頂らしいやないですか。

上の映像は去年のものですが、YouTubeで適当に見つけたものをひとつ。

なんといっても、この溢れんばかりの “オッパイいっぱい” な圧迫感がたまりませんな。。
眺めているだけでキモチがいいというか、まるでトランポリンに乗ってるような気分になるのは私だけでしょうか。


ところで昨日、「世界舞踊祭」というものに行ってきました。
多摩川の土手で毎週、ポコポコとアフリカン太鼓の練習をしている女の子グループがいるんですが、今年に入ってから彼女たちとお知り合いになりましてね。
それで、誘われたの。「これに出るんです!!!」と。

彼女たちのステージの前に、カンボジア舞踊やらエチオピアンダンスやら、マレーシアの踊りやら色々ありました。
感想を述べるなら、特にエチオピアンダンスに励んでいたのは50を過ぎたおばさんグループだったんですが、それがもう、眼を見張るようなシュールさでしたね。
恐らく衣装は、アフリカのダボッとした服とターバンを真似てつくったんでしょうが、彼女たちが着るとまるでスーパー銭湯で渡されるリラクシング着に黄色いタオルを巻いてるみたいで… 写真を掲載できないのが残念です。(おばさん達には失礼ですが)


やはり、白い肌でできることには限界があるんじゃない?というか、ね。


それはおばさんに限らず、です。
最後にタヒチアンダンスのグループが出ていましたが、50人ほどの若い女性が腹回りを露出して腰をフリフリしてるんですけどね、「美しい」プロポーションと動きの女性は、私が勝手に審査したところ1人しかいなかった!(その女性というのも、日本人にしては随分地黒で肉付きのいい、いかにも健康そうな女の子でした)

その光景を眺めていると、まるでモヤシ炒めを食べているような、腹が膨れたんだか食べ足りてないんだかよく分からない、奇妙な気分になってきて途中でうなだれてしまいました。(そうはいっても‘今が食べ頃’に違いない若いダンサー達には失礼ですが)


ダンスというのは、やってる人が楽しけりゃいいんだけどね。


それで迎えた、アフリカン太鼓のステージ。
毎週のように練習を見ていたので、ある程度は想像できていたんですが、…ビックリしました。
迫力満点。
太くて厚い太鼓の響きもあって、会場全体が圧倒されているのが伝わってくるほどです。しかも彼女たちの顔が、もう言葉を超えて感動的なくらい満面の笑顔といいますか、あぁ、きっと彼女たちの目に映っているのは会場の暗闇ではなく、アフリカの草原とそこで踊り狂う現地の人たちなんだろうな、と想像される。その幸せ感が、彼女たちの笑顔ににじみ出ていました。

それもそのはず。
彼女たち(の一部)は、アフリカのタンザニアに何年間か住み着いて現地の太鼓指導者を自ら探し出し、村に居候しながら教えを乞うたという筋金入りなのです。
アフリカにずっぽり惚れ込んでいる。その魂が太鼓と共鳴し、太鼓を叩くことで遠いアフリカとも再び一体になれることに至上の喜びを得ている…まさにそういった感じなのです。


ここまで来ると、もはや肌の色なんて気にならなくなるのは言わずもがな。

やはり音楽は「魂」ですね。


私には、日本舞踊も含め、世界の踊りはまだ見せかけでしか踊れません。
「魂」がまだどこにも属していない。

だからこそ、彼女たちのようにアフリカを感じながら太鼓を叩く人たちや、健康的なオッパイを揺らしながらサンバを踊るブラジルの人たちに、ひどく、ひどく憧れる。
彼女たちを、本当に美しいと思う。


人間ってステキだな、と胸が熱くなった3月最初の週末でした☆


怒りの朝。優しさのないニッポンよ、ファック!

2010-08-21 | ~2012年まじめ系の日記


突然ですが、うちのばあちゃんの部屋、大公開です。
(ばあちゃん御免。。。)

なぜかというと、他に適当な写真がなかったから、なんですが、愛孫にそんなゲリラ行為をされたうちのばあちゃんも、つい先日、近くの老人ホームに引っ越してしまいました。

今はガランとしたこの部屋。

ばあちゃんが若かれし頃に描いたという、紫陽花の絵が寂しそうに壁を彩っています。


それで、引っ越した先でばあちゃんを励ました後、私は再び川崎に戻ってきたわけですが、いつものように格安バス(福井ー東京4500円!!)に乗ったために早朝6時半頃に横浜駅に着き、そしてまたいつものように憤慨したのであります。


・・・JRのヤロウ、エレベーターを造りやがれ(怒)!!!


眠た眼で朦朧とし、片手にバッグ、もう片手にコロコロ鞄を引いて駅まで行くのに、階段を上り下りすること4回。
回りには既に通勤の人がわんさといるというのに、エスカレータは7時まで運行しない(怒!)との表示。

・・・・・ふざけんな!

と心の中で何度叫んだことか。(口を突いて出てたかもしれません。)
横浜駅だけじゃない。新宿駅でも大阪駅でもどこでも、意外と階段しかない場所は多いのです。都会のくせに(怒)!!!
(しかもエレベーターがどこにあるのか分かりづらい!)


そしてこういう時、いつだって思い出すのは、障害者自立支援運動のために車椅子でアチコチ飛び回っていた友人のTさんです。去年、交通事故のために惜しくも亡くなってしまった彼は、私の大事なソウルメイト(魂が通っている友人)でした。

その彼が昔言っていたこと。

「街を造っているのが“強い”人間なんだから、弱者にとって不便なのは当たり前だよな。」

つまり階段を上れる人が駅を設計するから、階段しかないような駅の造りになるんだ、ってことです。そしてそれを承認する偉い人間もまた、足の丈夫な人なんでしょう。


そして今、私は思う。

・・・テメエら、重い荷物を独りで持って歩いたことねえのかよ(怒)!


駅をさっそうと歩く人の大半が上昇気流に乗ったサラリーマンだった頃には、もしかしたらそれで良かったのかもしれない。
だけど今は違う。
大きなお腹を抱えた妊婦も、杖をついた老人も、徐々に足腰が立たなくなってきた団塊族も、タクシーなんてとても乗れずに歩いて荷物を運ばざるを得ない若いフリーター達も、そして街に出て自分の人生を謳歌しようとしている多くの障害者たちも、困難を抱えた人たち皆が同じ駅を使うのです。


ふと見た先に、壁のように立ちはだかる階段を前に唖然としている欧米人のカップルがいました。
少し前に友人に聞いた話。ヨーロッパ(確かドイツだったか)では、どんなに小さな駅にも、歩行用のエスカレータ(階段じゃなくても荷物を置いて立ったまま進めるやつ)があるんだとか。
それが日本では階段にさえエスカレータがない(故障でもないのに止まってる)なんて、「アリエナイ・・・」と彼らは呆れたことでしょう。

・・・きっと街のそういうところに、その国全体の「価値観」が現れるんだな。

日本は、ひとつの視点からしかモノゴトを見られない、単眼的な社会なんだと改めて思い知らされます。
つまり、優しくない。


国の官僚もJRの幹部も、全部そろって今すぐ車椅子の生活になってみやがれコノヤロー(怒)!!!

・・と鼻息を荒げながら階段を上る三十路のオンナに、「荷物お持ちしましょうか?」などと声を掛けてくれる紳士は一人もいませんでした。(そらそうだ。ガクッ)



映画「GATE」、観てください!

2009-08-05 | ~2012年まじめ系の日記
原爆の炎を持ち帰った僧侶が60年間絶やさずに保ち続け、60年後の2005年、原爆が世界で最初に実験されたアメリカのトリニティーサイト(実験場)に返された。僧侶たちの“足”によって。

そのドキュメンタリー映画は「GATE」という。

原爆が日本に向けて飛び立ったサンフランシスコから、25日間かけて僧侶たちの行脚は行われた。山を越え、砂漠をひたすら歩いて。


これは、反戦運動とか、そういう類いのものじゃない。

映画の最後に一人の僧侶が語る。

「戦争は、本当は核兵器の問題じゃない。私たち一人一人の心の中にあるんです。」


日本人として、是非、是非とも観てほしい。

お坊さんの話だけれど、いわゆる「平和」「反戦」を掲げた重めの映画じゃない。
私たちが知ってるようであまり知らない仏教のことも、なんとなく(意図的ではなく)知ることができるから。


公式サイトはこちら。 http://gate-movie.jp/


今週末8月6~9日には永平寺で上映され、9日には監督のお話も聞ける。
このMATT監督(アメリカ人)の話が、これまた良いのです。(日本語ぺらぺら)

本当に真っすぐ、真剣で、素朴で、情熱あふれる監督の姿に、映画のみならず心を打たれること間違いなし。


是非とも足をお運びください。



ウイグルで暴動・・・

2009-07-07 | ~2012年まじめ系の日記
中国のウイグル自治区にある「ウルムチ」で暴動・・とのこと。

http://www.asahi.com/international/update/0707/TKY200907070049.html


一人暮らしを始めてからというもの、テレビの線を遮断したまま放置してある我が家では、とてつもなくニュースに疎い生活をしています。
もちろん、新聞を買う財力もなく・・・。

唯一の情報源はインターネット。

で、そのニュースを先ほど知ったのです。


チベットの次はウイグルですか・・・。って感じ。

地図で調べてみると、ウイグル自治区はチベット自治区の北、モンゴルのすぐ近くに「ウルムチ」はあります。

やっぱり・・・。私がいつか行きたいと思っていた街だわ。


BBC でも大きく取り上げているこのニュース。
日本のテレビではどれくらい突っ込んで取材してるんだろうな。(なんせテレビを付けていないから分からない。)


そしてひと言。

・・・・・・中国、もうあかんで。

あんなでっかい共産国は、早くつぶれてしまった方がいい。
今に少数民族のみならず、マジョリティの漢民族の貧困層も暴動し始めるで・・・。


今日は七夕の日。

しかも今世紀では今年が最初で最後といわれるほど珍しいらしい、満月と七夕が重なっている。つまりそれは、「最強に願い事が叶う日」らしい。

どうか、国や権力に虐げられている世界中の人たちが、希望と誇りをもって生きられる日が1日も早くおとずれますように。

暴動を起こして散ってしまった大勢のウイグルの人達に、追悼の意を込めて。

雨が降らない地域へ祈りを・・・

2009-07-02 | ~2012年まじめ系の日記
最近、毎日のように電話をかけています。

おとついはケニア、
昨日はインド、
今日はスリランカ・・・。

スカイプ通話なので国内電話並みに安く、例えばインドだったら携帯にかけても(恐らく1分間につき)13円くらい。
ケニアだとちょっと高くて45円。携帯の場合です。

こっちからはインターネット通話でネット回線を使い、それぞれの国に到達してから電話回線に変わるというもの。
なので私自身は “パソコンに” 話しかけているわけです。

でも声もちゃんと聞こえるし、なんら支障ないですよ。電話同士と変わらんです。

ちなみにケニアの友達は、この前まではマサイマラ国立公園にいて、マサイ族やらサファリのライオンやらのすぐ近くで、私とスカイプ通話してました。

便利な世の中ですね~。


それで、そのケニアの友人が言ってたこと。

「今年は雨が降らない。」

らしいのです。

それで彼が一所懸命植えた作物は、ほぼ全滅・・・・・・。
なんとか少しだけある食糧で餓えをしのいでいるそうですが、次の雨が来るまでは種も植えられないらしく、しかも次の雨期は9月・・・だそうです。


それで次の日に電話をかけたインド。
ここでも同じようなことを聞きました。

「今年は雨がまだ降らない。」

通常、雨期は6月上旬から始まるそうですが、それがズルズルとずれ込んでいる模様。
多分7月から降るかな、と言っていましたが、農業している人たちはさぞかし困っていることでしょう。

ちなみに・・・

「今、何度くらいなの?」

と聞いたところ、

「46℃くらいかな。」


えーーーーーーーーーーーーーー・・・ あつっ。。。。


日本は梅雨だというのに、世界では雨乞いをしている人たちがたくさんいるんですね。。。

本当に、世界の気候が平常になって、今年もちゃんと雨が降ることを心から祈ります。
(そしてケニアの友達が心配です。。。)

ヤノマミ、観てください。

2009-04-12 | ~2012年まじめ系の日記
今夜放送されたNHKスペシャル「ヤノマミ」。
観られた方は、きっとびっくりされたことだろうと思う。

私は、幸運にもたまたま観た。

まず何より、このドキュメンタリーを制作したスタッフと、そしてNHKスペシャルとして放送してくれたプロデゥーサーに拍手を送りたい。

内容は南米アマゾンに生きる先住民族の話で、極めて生々しい。
輪をかけて、ナレーションが毒々しい。

ただ単純な“森での生活”とか、“狩り”とか、“部族の誇り”とか、そんなんじゃない。
この世に生まれて人間となり、もしくは人間になれずに天に返され、森を歩き、オトコやオンナになり、天とつながり、森に還る、そんな話だ。

“見たくない”と反射的に思ってしまう場面がいくつかある。
満腹時の夜9時代、虫や獣や胎盤のグログロした映像は正直キツい。

だけど、観てほしいと願う。
観そびれた人に、より多くの人に、このドキュメンタリーを観てほしい。

制作班が10年かけて交渉し、今回の長期滞在取材が実現したというだけあって、構成も編集も何もかもに魂がこめられている。
そして何より、「エコ」「エコ」と単に軽々しく環境問題を語る世の中の風潮に、ガツンと喝を入れてくれている。

自然と共に生きるということは、生半可なことじゃない。
人間というのは、生半可な存在じゃない。

そのことを、ずどーんと重く、深く、教えてくれる作品です。


再放送:4月15日(水)午前0:45~(14日深夜)NHK総合テレビ
http://www.nhk.or.jp/special/

アメリカ復活に乾杯

2008-11-05 | ~2012年まじめ系の日記
オバマさんがアメリカの大統領選を制した。
素直に、超うれしい。

彼の勝利演説や過去の演説などを聞けば聞く程、そして彼の価値観を知れば知る程、彼が超大国アメリカのリーダーに選ばれたことをうれしく思う。

っていうか、さっきNHKを見ながら泣いちゃったんだよね。

オバマさん、あんた本当に感動的なこと言ってくれるよ(涙)



地元福井県の一角にある小浜市でも、オバマ氏勝利に大盛り上がりで世界のメディアを面白がらせているようだけど、地元の人のインタビューでひと言もオバマ氏自身のことや政策云々といった正当なコメントがでてこない辺り、あぁ所詮田舎町なんだな・・・とガックリさせられる。

でもあのオバマグッズはちょっと欲しいかも。。



それにしても、アメリカ人はこれから自分の国を心から誇りに思うことだろうな。
それもまた羨ましく思う。

ブッシュ政権の失態のおかげでオバマ候補が圧勝できたのかもしれないことを考慮しても、それでも金や権力やいろんなものが渦巻く「選挙」であれだけの圧勝を成し得たというのは、もう素晴らしいのひと言しかない。
しかも資金集めから何まで草の根的にやってきたっていうじゃない。
こりゃフツウの(私の友達レベルの)アメリカの人たちは、よほどオバマ候補を応援していたと思うよ。多分だけど。



世界のいろんな問題に、すぐ絶望的になってしまう私。
彼が勝利演説の中で再び強調した「We can do」という言葉が、私の胸を強く打った。

「106歳の黒人女性が、今日私たちと同じように投票に行きました。私は彼女が生きてきたその100年という年月のことを想いました。彼女が奴隷として連れてこられた100年前には、黒人に投票権はなく、白人のいいなりになるしか術はありませんでした。当時まさか彼女たちが投票できるなんて考えもできなかったことが、今現実になっているのです。」

確かにそうだ。
私たちは、少しずつ社会を変えることができる。
事実、社会は少しずつ、変わっている。ほんの少しずつかもしれないけれど。


オバマ氏が言うように、強い者も弱い者も、社会のマジョリティもマイノリティも、皆が希望をもって生きられるような世界になってほしいと願う。


そうしたアメリカの大きなビジョンが、日本の政治にもどんどん影響してくれればいいな。
どうせ日本が描くビジョンなんて 蚊 みたいなもんなんだから。(っていうか他国に示せるような未来のビジョンなんてあんのかな。)

その点では、今までアメリカと仲良しこよしでよかったね、って感じだね。




以下、アメリカ本土での選挙当日の様子が比較的よく分かる映像です。
the REAL NEWSより。
(→視聴期間を過ぎたのか、アクセス不能になったみたいです。)

日本ではあまり教えてもらえない英語発音のコツ

2008-05-09 | ~2012年まじめ系の日記
再び、英会話について一言。

日本人が苦手とする代表的な発音は、「L」「R」ですね。
しかし、これだけマスターしても、ダメみたい。


英語の発音に尽力すること10年目にして、初めて指摘されたこと。
は、「N」と「NG」の使い分け・・・なのです。


つまり「N」は「ン」で、「NG」は「ン(グ)」みたいな感じなんだけども、日本人の私にしちゃ、どっちだっていいだろーーーーー!!!!!(怒)

っていう細かい話なわけです。


しかし、この「ン」に厳しいマレーシア人にとってはとんでもないことで、きちんと発音するまで許してくれないわけ。
例えばこんな感じ。
私「Children.」
友「What?」
私「Children!」
友「What??」
私「Child!!!」
友「Ohhhhh, children!!!!!, not children!」
私「What???」
友「Children.」
私「Children.」
友「No, children!」
私「Children!!」
友「Noooooo 」


想像していただけるでしょうか・・・。超イラつくこの会話。
長年英会話に手こずってきた挙げ句にこの様です。

つまり何が違うのかというと、単なる「N」の発音は、歯切れを良くしないといけないわけです。「チルドレ~ン」と言っちゃいけない。
物理的には、「チルドレン」の「ン」と言った瞬間に舌を上の歯の後ろ側にくっつければいい(「M」と「N」の違いを表すときによく使われる舌使い)んですが、舌筋の弱い日本人にはこれがなかなか難しい。ついつい舌を浮かせてしまうわけです。

それでどうなるかというと、「ン」という発音を“のど”でつくる。
これが「NG」に当たるんですね。

つまり「Children」が「Childreng」になっちゃうってこと。


・・・・・別にそれくらいいいじゃん!!!

って思うんだけどね、ダメみたい。(涙)


ということで、私の当面の課題はこの「ン」なのであります。
はぁ。。。。。

けど多分これを完全マスターすれば、また新たな境地が開けるはず!!!
そう信じて、しばらくの間耐えるしかないですな。



ちなみに最近身につけた発音の技がもうひとつあります。
「T」とか「ST」とかの無声音。
多分これは、日本人にとっては相当ややこしいと思う。。。

無声音だから“発音”とは違うんでしょうが、意外にとっても重要なんですよ。これが。全体の“聞こえ”が全く違ってくる。つまり英語が“上手く”聞こえるわけです。(自画自賛かもしれないけどね;)

コツとしては、「思い切って息をのむ」というか、「恥ずかしがらない」ことが一番です。母音のない音を出すっていうのは、慣れないとなかなか恥ずかしいもんだからね。

どうして私が(多分それなりに)できるようになったのかはよく分からないのですが、恐らく、歯と歯の間から「ツ」とか「チ」とか「トゥ」とかいう音を吐き出す練習をすると効果的かと。。。

これも日本語では書けない音なので、なんともコツを掴むまでは難しいです。
けど、これは本当に、おススメよ。頑張ってみる価値はある。
なんていうか、英語を話すのが気持ちよくなるっていうか。。。



未だ相手の話していることが聞きとれず、自分の言いたいこともスムーズに言えずに苦しんでいる私ですが、何事もまずは形が大事。
なので、とりあえずは自分の発音に自己陶酔できればオッケーなのです。


そして私は思う。
やっぱり私は「英語」が好きなんですわ。あの流れるような言葉の響きが。
それはとても「ダンス」に似ていて、ただただ “あんなに踊れたら気持ちいいだろうな~” という憧れが、稽古を続ける原動力となる。
・・・そして実際、できるようになればなるほど、本当に “気持ちいい” んです。どっちも。

世界にはいろんな言葉があるけれど、今のところ私にとって “気持ちよさそう” な言葉は英語だけ。スペイン語もなかなか気持ちよさそうだけどね、英語の快楽を我がものにしてから取り組もう。。。


何がいいたいか?というと、つまり「上達する」ための一番のコツは、「憧れ続けること」。
別に英語くらい上手に話せなくても本当はいいんだけど、やっぱりスムーズな英語で交わす会話(もしくは会話している自分)に憧れるから頑張るの。
・・・そしてそれは、きっと何でも一緒。
強く憧れられる人ほど上達できる。

人生一回きりだからね。
あきらめないで、なりたい自分になろう。



農家と写真家の共通点。

2008-02-23 | ~2012年まじめ系の日記
今、あわら市にある直売所のホームページづくりをやってまして、ちょくちょく農家さんのところに取材にいきます。

で、すっごく思うの。

農家って、スゲー。


今では少しずつ変わってきているようですが、数年前までは、農家っていえば「汚い」「辛い」のマイナスイメージ。私が農学部に行くって言い出したときも、親戚そろって反対されました。

私が無知で浅はかなだけかもしれないけれど、農家のマイナスイメージに加えて、「農業くらい誰でもできる」っていうようなイメージが、私たちの意識の中に少なからずある気がする。・・・私の中には、ありました。

だって、種植えれば勝手に生えてくるじゃない?


いや何言ってんだ、それを育てること、量をこなすことがどんなに大変で重労働か!
ーーーそれは分かってまんがな。確かに種を植えただけじゃ~食っていけねえ。だけどそういうのは肉体労働の辛さだろうよ。仕事やってりゃ皆おんなじさ。

ってことは何かい?昔から農民の位が低かったのは、誰にでもできるからってことかい?
ーーーそんなの知らねえよ。だけど確かに農民の位が低かったことが、潜在的な農業のイメージをつくってるってのはあり得るな。


そんな自問自答が今にも聞こえてきそうです。


まぁ、それはともかく、農家さんの話を聞いていると感心させられることがたっくさんある。・・・きっとどの職業でも同じなのかもしれないですが、農業に関しては特に “知っていると思っていたのに無知だった!”というような驚きが無数にあるのです。

例えばこんなこと。
夏になると畑にゴロゴロしているスイカは、苗をかんぴょうの苗に挿し木して植えられます。この挿し木の技術はもちろん、両方の苗づくりの段階で土の温度管理を間違えば、その年のスイカは一発でアウト。収量や良い品質は見込めません。

またサツマイモの農家さんで聞いた話では、新しい品種を育ててみる場合、土との相性が合うまでに3年ほどはかかるそうで、その土地の土質や水はけに合わせた肥料のやり方、水のやり方、その他もろもろを試行錯誤しながら慣らしていくそうです。


言われてみれば納得・・・の話でも、そういった類いの感心をするたびに、毎回「農業って難しいんだなぁ」としみじみ思うわけです。

恐らく、大工とか漁とか、見るからに “難しそう”で “プロフェッショナル”な仕事ではなく、あまりに身近で体験してみやすい仕事内容なだけに、そうした新鮮な感動を味わえてしまうんでしょう。やってみたけりゃいつでもできる、わけですから。


でね、浅はかな私はまた思うわけです。

・・・「写真」と似てるな。


写真は今や、サルでも撮れる時代。右の人差し指を動かすだけですから。
だけど本当はそんなもんじゃないんです。
シャッターを切る一瞬のタイミング、事前の環境設定、被写体との関係づくり、瞬間的なカメラ操作、感覚、感性、判断力・・・。挙げ出したら切りがない。


「農業」と比べたら、「写真」なんてのは到底浅い仕事なのかもしれませんが、それでも私は声を大にして言いたい!

農家と写真家は、もっとステータスが高くていいんじゃないかあ???


“誰にでもできる” けれど “誰にでもはできない” 仕事。
一部の成功者を除いては、どっちも地味で、今やお金にならない仕事です。(どっちも設備投資が高いしね。)
ちなみにヨーロッパではアーティストへの社会的尊敬がとても高いと聞いたことがあるし、、、その辺の価値観が、日本でももっともっと改善されていけばいいなぁと思うのです。
農業だって、もっともーーーーっと尊敬されていい職業だよ、絶対。


とはいってもなかなか難しいね。
潜在意識ってのは、そう簡単には変わらない。自分も含めてね。

だからこそ私ゃ~やるよ。
「写真」で「農業」のステータスを上げてみせる!!!

・・・・・かぁっこいいなぁ~。さすがだね。(自分で言うな!)


こうやって自画自賛しながらやんないと、やってられないからね。
きっとこれも “共通項” なんだろうなぁ。。。



農家と写真家の共通点。

2008-02-23 | ~2012年まじめ系の日記
今、あわら市にある直売所のホームページづくりをやってまして、ちょくちょく農家さんのところに取材にいきます。

で、すっごく思うの。

農家って、スゲー。


今では少しずつ変わってきているようですが、数年前までは、農家っていえば「汚い」「辛い」のマイナスイメージ。私が農学部に行くって言い出したときも、親戚そろって反対されました。

私が無知で浅はかなだけかもしれないけれど、農家のマイナスイメージに加えて、「農業くらい誰でもできる」っていうようなイメージが、私たちの意識の中に少なからずある気がする。・・・私の中には、ありました。

だって、種植えれば勝手に生えてくるじゃない?


いや何言ってんだ、それを育てること、量をこなすことがどんなに大変で重労働か!
ーーーそれは分かってまんがな。確かに種を植えただけじゃ~食っていけねえ。だけどそういうのは肉体労働の辛さだろうよ。仕事やってりゃ皆おんなじさ。

ってことは何かい?昔から農民の位が低かったのは、誰にでもできるからってことかい?
ーーーそんなの知らねえよ。だけど確かに農民の位が低かったことが、潜在的な農業のイメージをつくってるってのはあり得るな。


そんな自問自答が今にも聞こえてきそうです。


まぁ、それはともかく、農家さんの話を聞いていると感心させられることがたっくさんある。・・・きっとどの職業でも同じなのかもしれないですが、農業に関しては特に “知っていると思っていたのに無知だった!”というような驚きが無数にあるのです。

例えばこんなこと。
夏になると畑にゴロゴロしているスイカは、苗をかんぴょうの苗に挿し木して植えられます。この挿し木の技術はもちろん、両方の苗づくりの段階で土の温度管理を間違えば、その年のスイカは一発でアウト。収量や良い品質は見込めません。

またサツマイモの農家さんで聞いた話では、新しい品種を育ててみる場合、土との相性が合うまでに3年ほどはかかるそうで、その土地の土質や水はけに合わせた肥料のやり方、水のやり方、その他もろもろを試行錯誤しながら慣らしていくそうです。


言われてみれば納得・・・の話でも、そういった類いの感心をするたびに、毎回「農業って難しいんだなぁ」としみじみ思うわけです。

恐らく、大工とか漁とか、見るからに “難しそう”で “プロフェッショナル”な仕事ではなく、あまりに身近で体験してみやすい仕事内容なだけに、そうした新鮮な感動を味わえてしまうんでしょう。やってみたけりゃいつでもできる、わけですから。


でね、浅はかな私はまた思うわけです。

・・・「写真」と似てるな。


写真は今や、サルでも撮れる時代。右の人差し指を動かすだけですから。
だけど本当はそんなもんじゃないんです。
シャッターを切る一瞬のタイミング、事前の環境設定、被写体との関係づくり、瞬間的なカメラ操作、感覚、感性、判断力・・・。挙げ出したら切りがない。


「農業」と比べたら、「写真」なんてのは到底浅い仕事なのかもしれませんが、それでも私は声を大にして言いたい!

農家と写真家は、もっとステータスが高くていいんじゃないかあ???


“誰にでもできる” けれど “誰にでもはできない” 仕事。
一部の成功者を除いては、どっちも地味で、今やお金にならない仕事です。(どっちも設備投資が高いしね。)
ちなみにヨーロッパではアーティストへの社会的尊敬がとても高いと聞いたことがあるし、、、その辺の価値観が、日本でももっともっと改善されていけばいいなぁと思うのです。
農業だって、もっともーーーーっと尊敬されていい職業だよ、絶対。


とはいってもなかなか難しいね。
潜在意識ってのは、そう簡単には変わらない。自分も含めてね。

だからこそ私ゃ~やるよ。
「写真」で「農業」のステータスを上げてみせる!!!

・・・・・かぁっこいいなぁ~。さすがだね。(自分で言うな!)


こうやって自画自賛しながらやんないと、やってられないからね。
きっとこれも “共通項” なんだろうなぁ。。。



若気の至りがもたらしてくれたもの。

2008-01-21 | ~2012年まじめ系の日記
今日、ついにやっちゃった! という出来事が。


遡れば早8年程前、1ヶ月の留学にイギリスに行ったときのこと。私はスペイン人のある男性に恋をした。名前はイスマエルという。
彼はとっても強引でかつとってもチャーミングでかつとってもスマートで・・・、更に母国での仕事は弁護士という女泣かせな男だった。

そんな彼と喜怒哀楽いろんな感情をぶつけ合った、ウブな女子大生にとっては忘れるに忘れられない初春の思い出は、それから5年半後の夏、再び現実として甦ることとなったのだった。

今度はスペインで、再会したのである。


そこでの思い出話はあまり美しくないので伏せておくことにして・・・、とにかく私が滞在した約1週間、彼は仕事の合間を縫っては私のために時間を割いてくれた。

場所は首都・マドリード。
首都にも関わらず決して東京みたいにせせこましくはなく、緑あふれる公園や美術館がデーンと構える街の大通りを、老若男女がゆったりと歩いてゆく。。。


旅に出ると、まるで光がフィルムに焼き付くように、はっきりくっきりと脳裏に残される光景に出会うことがあるが、マドリードでのそれは意外にもこんな一コマだった。

『イスマエルが、彼のオンボロ(高級なのかもしれないが、すこぶる汚い)乗用車を運転していたとき、赤信号で止まった隙に窓を開けて、突然、隣に停車していた運転手に声をかけ道を聞いた』その時の映像だ。


“なんちゅう社交性だ・・・。” 
私は唖然とした。
しかし聞かれた相手も特に驚く様子はなく、極フツウに対処している。
この国では、これがフツウなのか???


私は無性にうらやましかった。
一体日本では、隣の車の運転手に道を聞くなんてことを軽々しくできる人がどれくらいいるだろうか・・・。もし私がするとしたら、むちゃくちゃ勇気が要るような気がする。。。お辞儀してみても気づかれんやろうしな・・・。
そんなことを頭の中でグルグル考えながら、カラッと陽気なスペイン人の国民性や彼自身の社交性に、ますます心を奪われていったのだった。。。



と、ここまでが前談。

それで何を“やっちゃった” のかといえば、それをやっちゃったのですよ。ついに今日。
つまり、あれからずーっと私の心の一部を巣食っていた『隣の運転手への声かけ』に挑戦する日がやってきたのです!


私は道に迷っていた。場所は石川県加賀市。

「すみませ~ん! あ、ごめんなさい、あの、8号線ってどっち行ったらいいんですか?」

乗っていたのは40代程の母親と、オシャレそうな女子高生の娘だった。

「あ、じゃあ今行きますんで、付いてきて下さい。」


なに!?・・・なんて親切なっ!!!
母親は意外にも、隣で窓越しに口をパクつかせている怪しげな女を嫌煙することなく窓を開けてくれ、しかも先導を買って出てくれたのである。


夜、右も左も分からない人気のない道路で焦っていたせいだろう。今まで何度か挑戦しようとしては挫折していた私だが、特になんら緊張することなく、ついに難題を克服することに成功したのだった。
これぞ満足どうだ見てみろ!スペイン!!ってなもんだ。(なぜか急にライバル視。。)


それにしても、親切に私を先導してくれた母親こそ日本の鏡である。
これこそ世界に誇る大和魂! サービス精神世界一!と称賛したい。
お母様、本当にありがとうございました。
イスマエルには次いつ再会できるか分かりませんが、できた暁には、日本の自慢話をタンっと聞かせてやりますよ!今度こそ!!

環境ワークショップで風邪悪化

2008-01-19 | ~2012年まじめ系の日記
むっちゃ風邪引いた。。。。

熱・・・何度か測ってはいないけど、優に39℃はあったはず。

むっちゃ辛い 辛い 辛~いっ(涙)


と、そんなことは言っていられない今の状況が何より辛いのだが、風邪が発症した3日前から、石川県金沢市で環境教育講座のアシスタントをしている。金沢で2日間。今日と明日は同じく石川県の小松市。

私も、全く至らないにも関わらず、プログラムの一部にあるワークショップを担当させてもらったものの、マスク+のど飴+パブロンを持って何とか進行役をこなしている始末。

ちなみに内容は「どの分野がどれくらいCO2を排出しているか、ランキングしてみる」というもので、エネルギー転換/家庭/乗用車/産業/廃棄物/・・・など9種類の分野別に手作りバッグを用意。中に重りを入れてそれぞれ排出量の違いが体験的に分かるようにし、グループでランキングを付けるというもの。

ブログなので答えを書いてしまうと、1位は産業で9位は鉄道なのだが、その差は約49倍なのね。・・・ということは、重りも49倍の差を付けなきゃいけないという訳。

金沢では本を重り代わりにしたのだが、小松ではバッグに砂を入れよう!と今朝海岸に。そこで意外にも丸石がゴロゴロあるのを発見して急遽、石を使うことにした。
ひとつめのバッグに一個、ふたつめには2個、みっつめには4個(1を基準にした相対的な差を示す)・・・、そして2位の「家庭」分野には16個の石。

・・・・・ここまできて自分のバカさ加減がようやく見えてくる。


49個の石 重たっ!!
しかも私は故意的に大きめのものを選んで入れていたのだ。直径10cm以上の。

そうしてしばし海岸で石を無言の対話をし、その量と重さから手作りバッグにはもはや入り切らず、寒空の下、頭痛をも吹き飛ばす北陸の風に吹かれ、こんなんだから風邪を引くんだ・・・きっと。


そんな、根性で集めた石のワークショップが明日開かれる。
メイン講師の坂本均氏は一言。

なんで石にしたの?砂って言ったのに。」

・・・いいんです。
ワタシの頭は石みたいに硬いんです。ただ、明日それが痛みと共に割れ砕かれないことだけを願っています。。。。。