アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

「世界とこどもの写真展」プレ開催

2015-01-31 | 2015年たわごと

連載気分だった工場日和がすっかり中断状態になってしまい、これではただの愚痴&怒りブログじゃないか…と心から反省中。

ですが、とにかく目の回る忙しさだったことは確かで、今日ようやく、それが一段落しました。

 

何に駆けずり回っていたかというと、例の写真展。大阪の某小学校で、一昨日からはじまりました。

 

 

展示したのは、A1サイズ8枚と、A4サイズ約100枚。

なんせ学校の廊下(しかも靴箱の上!)なので、悩みに悩んだ結果、白い段ボールで一面を覆い、壁をつくることにしました。

パネルは途中で落ちてこないように、強力な両面テープでガッツリ貼り付け。

これで再使用できないことが決定。。。したわけであります。^^;
(A1パネルはさすがに再使用しないとお金が続かないので、ピン留めorイーゼルにしました)

 

この制作過程で、考えたこと数知れず。

 

そもそも私はなぜここまでガンバルのか…、ということについて。

それは、時間的資金的支出を考えると、とても今の自分が敢行すべきことではないからです。

 

深層心理的な理由は幾つかあるものの、恐らくメインの原動力は2つなのかな、と考え至りました。

ひとつは危機感。

こども(あるいは若者)の殺人事件や自死が頻発していたり、ヘイトスピーチ等で信じられない言葉が公然と発せられていたりする昨今、なんだか日本中がストレスに覆われて、こどもや外国人や障がい者など弱い立場の人たちが真っ先に“やられて”いるような気が(私は)しています。

それは温暖化問題に似ていて、比較的条件の良い地域ではその影響の深刻さは感じられにくい。大きな被害が出るのは大抵、もともと気候条件が厳しい乾燥地帯や洪水地帯、つまり途上国です。 
それがどんどん進んでいって後戻りできなくなった頃に、 他人事だった問題が自分事となって日本でもニュースに取り上げられるようになる。そしてそれまでひっそりと苦しんできた人たちは、その根本的原因が議論されることもなく単なる過去の災いとなってしまう。

すっごく漠然としてますが、そんなイメージです。

それが当たっているかどうかは分からないけれど、自分がそう感じてしまっている以上は何かアクションを起こさなければ気が済まず、その努力なしにただ暗いニュースを読んで未来を嘆くほど無責任なことってないんじゃないか、と思ってしまっているの。

…なんてクソマジメな愛国精神なんでしょう。

 

もうひとつは、ご縁です。

この小学校の校長先生が掲げる教育方針にあまりに激しく共感して、つまるところ、惚れてしまったというわけ。
…そうなると、ミツグ君になってしまうのです。私。

展示作業中に校長先生は何度も様子を見にきてくださり、その度に「うわっ!すごいなぁ~」と感嘆の声を上げてくれました。その大阪人らしい反応がまた嬉しくて、本当にやってよかったなぁ…としみじみ。

教育方針とは一般に「多文化教育」と呼ばれるもので、特に外国ルーツのこどもが多い地域や学校では欠かせない「異文化コミュニケーション」や「相互理解」の土台となるものです。

易しい言葉でいえば、「自分に自信をもって、かつ自分と同じように他人も大事にできるようになること」…かな。

そのためには自分の地域のこと(自文化)と、その他の地域のこと(他文化)を知る機会が必要なのだと校長先生は言うのです。まさにそう、そうなんですよ。自分を知るためには外を見ることが大切で、外を知るためには自分を見ることが大切ということ。
私が何百万円もかけて世界を駆けずり回り、ようやく気づいた核心です。

 

だから、その一助となるなら何でもします!…というのが正直な心境。

同じポリシーをもつ人たちの協力で、最も素直で多感な時期のこどもたちに向けて自分の思いを表現できるなんて、それほど有り難く、かつ効果的なアクションは他にないっすよ。。。と思うわけです。

 

 

展示写真に囲まれた保健室の先生がおっしゃいました。

「写真に囲まれてると、なんだかすっごく気分がいいわ。もうずーっと置いといてくださいって感じです」

 

それぞれの国に、私たちと同じように笑ったり泣いたりしている人たちがいるということ。

ただそれだけのことを私は伝えたいんだろうなぁと、展示した写真群を眺めながら思いました。

 

これは人間讃歌。

 

この愛が、いろいろな思いを抱えて生きているこどもたちに、少しでも届きますように。

 


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