予期せぬ旅・・・とは、つまりこういうこと。
“なんだか危なさそうだから今回はやめておこう。。。”
そう思って旅のルートから外した国が 「インドネシア」 だった。
マレーシアのサラワク州からサバ州に北上し、更に飛行機を乗り継いで西海岸から東海岸へ移動する。そこには Tawau(タワウ)という港町があって、インドネシア行きの船に乗り継ぐことができる。
向かうは、カリマンタン。インドネシアでも田舎中の田舎に値する。
コトの始まりは、Barioで出会った John Trawe という男性だった。
『ボルネオ―カリマンタン島に点在する少数民族の村々に、エコツーリズムを導入・推進する』というのが彼のプロジェクトで、そうした僻地に観光客を呼び込むことで、少数民族が抱えている経済的な問題や人口減少の問題など、様々な困難を改善するのが目的だという。
スローガンは『Peoples of the Heart of Borneo』。
ボルネオの心臓に当たる人たち―。
このプロジェクトのちょうど調査時期に私は運良く居合わせることができた、という訳だ。
と、そんなわけで村巡回の旅は始まった。
TAWAU に到着してまず驚いたこと。
・・・行き交う人々の「顔」だ。
いや、皆がそうなわけではない。けれど、たまに見かける人の顔ぶれが 、つまり“原始的” なのである。
横にでっかい鼻、色黒な肌、深く刻まれたしわ・・・・・。生物か歴史の教科書に出てきそうなその顔立ちに、私は失礼ながら目を丸くして(しかも恐らくちょっとにやけ顔で)まじまじと見入っていた。
ところ変わればこんなにも人相が変わるものか・・・。
TAWAUはまだマレーシア内だが、商売に来るインドネシア人も相当に多く、特に港の近くはまさに “混沌” とした活気があふれていた。
ところで、日本人がインドネシアを訪れるには、観光ビザを取得しなければならない。
日本から直接渡航するなら旅行代理店に頼むか大使館に申請すればよいのだが、外国からインドネシア入りする場合には、滞在国にあるインドネシア大使館(または領事館など)でビザを申請する必要がある。インターネットでは「インドネシアのビザは空港で取得可能」との情報が載っているが、どこから何で国境を越えるかによって状況は変わってしまう。
私の場合、TAWAU港でチケットを買う際にビザの提示を求められ、インドネシア人らしい若い男に、タクシーで5分ほどのところにあるビザ発行所に連れて行かれた。(彼は英語はほとんど通じず、Johnが交渉してくれたおかげで信頼できるに至ったが、私一人だったら果たしてどうなっていたことだか・・・。)
発行所の人の話では、他の地域からカリマンタンに入る際には、コタキナバル(サバ州の州都)またはクチン(サラワク州の州都)でビザ申請をしないといけないらしい。
そしていよいよ、国境超えの高速船に。
出国手続きを済ませ混雑する人ごみを抜けると、小型船がひしめき合う船着き場が目の前に広がる。色の黒い、やせた感じの男たちが、いかにも重そうなかばんや段ボールを2つも3つも肩にかついで、次々と船に乗り込んでは別の荷物を運び出している。
ここでは「荷物運び」がひとつの職業みたいなもので、客を乗せたタクシーやバスや船の到着を待ち構えていた男たちが扉が開くと同時にどっと押し寄せてきて、何だかよく分からないうちに何人ものそうした男に取り囲まれてしまう。しかも彼らは、一体どこからそのエネルギーが湧き出るのか不思議なほど威勢がよく、細い足腰に似合わず馬力たっぷりに軽々と荷物を持ち上げるのだった。
私みたいな外国人にとって、それは確かに “怖い” 感じがする。
何をしゃべっているのか分からないし、金目のものを狙われているような気がするし、第一「荷物を持ってやるから金を払え」というのは全くの有り難迷惑だ。
けれど、そういう状況に身を置いて、彼らの表情を観察し、自分が裕福そうな外国人であることを認識し、また彼らの “有り難迷惑な” 商売のやり方に慣れてくると、まぁ、それはそれでご苦労さんだな、と思えてくる。
このエネルギーが別の仕事に活かされれば、国の発展も容易に成し得れそうなものなのに・・・。
そんなことも、ふと考えたりする。
私はぼうしを深々とかぶり、背筋をピンと張りながら足早にJohnの後を追った。
が、後ろを振り返ればなんと、Dr.Rogerがデジカメで写真を撮っているじゃないか!
・・・・・え!いいの!?
ということで、“危ないかもしれない” と様子を伺っていた私だが、細心の注意を払うことを念頭に、カメラを持って船の周りをぶらつくことにした。
出会ったのは、人で溢れ返る港の風景と穏やかな海、そして船の裏側でのんびりと出港を待つ船員たちだった。
「日本人か? 何? 独身なのか? ちょうどコイツらも募集中なんだよ、ガハハ。」
年配の船員がやってきて、私の周りにいた若い船員たちをからかう。
専門学校を出たばかりだという20代前半の若い船員たちは、英語は通じないものの、皆ほがらかな笑顔で私を迎え入れてくれていた。
「日本は、あれだな、ス・・マ・・」
「・・・相撲?」
「そう、スモー!こうやるんだよ、ガハハハハ。」
相撲取りの真似をする陽気なおじさんの姿にどっと笑い声があがる。
「インドネシアもいいところだよ。カリマンタンの他にも、ジャワもスマトラも全部インドネシアだ。バリには日本人もいっぱいるしね。」
こうして、硬くなっていた私の心はホッと息を吹き返す。
どんなに危険そうな地域にも私たちと同じようにそれぞれの生活を営んでいる人々がいて、どんなに怖そうな人でも話をしてみなければ分からない温かさやユーモアを内に秘めている。
それを再認識するために「旅」をするのだ、といっても過言じゃない。
人に出会い、温かさに触れ、いつの間にかガチガチに固まっていた自分の固定観念や偏見が崩れ落ちる瞬間こそ、「旅」の醍醐味を味わえるのだ。
・・・そのためには、ちょっとした勇気が必要だけれど。
TAWAU港を出た高速船は、カリマンタンのTARAKAN(タラカン)という島に到着した。
寄ってたかる荷物持ち志願者の群れをくぐり抜けて、入国審査を無事済ませ、ホテルにチェックインし、近くの通りをぶらぶらと歩いた。
立ち寄った食堂でナシゴレンを頼む。
インドネシアといえばナシゴレン、くらいしか私には分からない。
「TAWAUから直接着たのね?だったらいいわ。NUNUKAN(ヌヌカン)を経由するととっても危険だから、かばんを常に抱きかかえてお金は靴の中に入れておかなきゃいけないのよ。気をつけてね。」
軒先にある調理場から、中国系らしい若い夫婦が片言の英語を一所懸命たぐりよせながら教えてくれた。
近くでは2人の娘が遊んでいる。
私はなんだかホッとした気持ちになって、注文したナシゴレンを一気にペロリと平らげた。
良き出会いと紙一重にある旅の危険―。
それでも、ピンと背筋を張りつつ「出会い」を求め続けることだと思う。
もしくはその判断力と柔軟性を鍛えるのが、「旅」なのかもしれない。
・・・いつか、もっとちゃんとインドネシアを旅しよう。
テロやら鳥インフルエンザやら良くないニュースが多い国ではあるけれど、代わりに私の心にへばりついた「偏見」という名のでっかい鱗を、爽快なまでにすっきり剥ぎ落としてくれそうな気がするから。
それにしてもナシゴレン、美味しかったなー。