アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

祝☆ 雨上がりの虹

2011-08-30 | ~2012年たわごと
今日は、祝うべき日だ。

もうかれこれ丸4カ月、悶々と、文字通り悶々と頭を抱えてきた。
全くの「曇天」。時々「どしゃ降り」だった。

随分と時間がかかったな。エネルギーも相当要った。
たった一段、階段を上がるだけのことなのに。


これほど誰かに心を砕かれたことはないけれど、お陰で強くなることができたよ、と今なら言える。

私は誰かに依存するのではなく、自棄になるのでもなく、我慢するのでもない生き方を、これからちゃんと歩んでいくんだ。


大丈夫。

それによって誰かを傷つけたりはしないから。
昔みたいに、ただ自分本意に勝手な行動をとるのとは違う。

私は誰かをちゃんと突き放す優しさを、身につけないといけない。
誰かに寄りかかったり、寄りかからなかったりできる自由さを、手に入れなきゃいけないんだ。


神様はニクいな、と思う。
この程度の境地に至らしめるために、じゅくじゅくと膿が垂れ流れるような生臭い経験をさせるんだから。

それは私の成長が遅い、ということの裏返しでもあるけれど、それはそれで仕方ない。
マイペースでしか生きられないもんね。
まだ30代前半だし。青くて当然。


心がふっと軽くなったお祝いに、今夜はカップ焼きそばを食べます。

キャベツを別に炒めて添えようか、とも思ったけれど、面倒だからやめる。


私は前を向いている。

私にはまだ先がある。


あぁ。


本当に、今日はお祝いの日だ。


麗しのヘナ髪

2011-08-27 | 旅テク

初めてヘナを使ったのは、確か3年半ほど前。
「頭痛が治る」と母親に勧められ、JR丸岡駅の前にある小さな美容院でやってもらった。

確か7000円以上はしたはず。

で、こんなの続かない…と思って本場インドで探したの。
正確には、スリランカ~インドをぶらぶらしていた頃、地元の人や美容室の人に尋ねて手当たり次第に購入して回ったのです。



それがコレ ↑ 。
ちなみに真ん中ちょい左の「Bigen」は、どうやら日本製「ビゲン」の元祖のようで、ヘナではない。これはフィリピンでもケニアでもどこにでも売っていて、一箱、確か200円くらいじゃなかったかな。

ここ2年間ほど使い続けているのは、一番右の怪しいインド人のやつ。
一袋100円ほどで、スリランカなら大抵スーパーマーケットに置いてある。
(下のブルーの女性版は、このまえケニアに行ったときに、グリーン版の代わりに買ったもの。同じくインド製)


数年前から若白髪が大量発生して困っている私にとって、髪染めにかかる費用をどう抑えるか?は一大関心事なのです。

かといって、日本で市販されている790円くらいのリキット白髪染めは頭皮に合わない。
確かに手軽でラクだけど、時間待ちの時にチクチクするし、その後も抜け毛が増えるような気がする。
だから、日本製の安物白髪染めは買わないって決めたの。


そういう訳で、安物ヘナ愛用者に転身したのだけれど、先日、今度はインドフェスの会場で新たなヘナに出会った。



これはインド好きの日本人が売っていたもので、1500円/200g(左の銀袋)というから、私の愛用品に比べれば高級ヘナということになる。
聞けば、知り合いのヘナ畑で、ヘナの葉っぱのみを摘み取った100%ピュアなヘナ粉だという。美容院で使っているものともそん色なく、トリートメント効果バツグンとのこと。
それで聞いてみた。

「私、ずっとヘナ使っているんですが、ひとつだけ気に食わないことがありまして…」
「なんでしょう?」
「粉を水で混ぜる時に、見えない粒子が飛び散って床や壁に付くんですが、気づかずにいるとそこが染みになっちゃって取れないんです」
「はぁ…」
「そんなことはないですか?」
「多少は飛び散りますが、洗えば取れますよ」
「本当に?」
「ツメできゅっきゅっとやれば取れます」
「ってことは、やっぱり私のが安物だからでしょうか」
「う~ん、でも取れないってことはケミカルな成分が入ってますね」

そこで、本物とはどないや?と思い、試しに買ってみることに。



色が違う部分は「インディゴ」の粉(こちらも100%オーガニックらしい)で、ヘナだけでは黒くならないためにインディゴを混ぜて染めるのだそう。
本当はヘナで染めた後にインディゴで再度染める(時間で色調整する)のが正しいらしいが、怠慢な私は「最初から混ぜてしまえぃ!」ということで、インディゴの割合で色調整することに。



そして、水で溶かしてペイスト状に…↑。

ここで驚きの “違い” を発見した。

①とっても水に溶けやすい。 
 スーッと水を吸い込む感じ。安物は水を弾いてなかなか混じり合わないのに。

②なんと、粘りがある! 
 まるで山芋をたっぷり入れたお好み焼きの生地みたいに。

③ところどころ “ダマ” はできるが、潰しても粉が吹き出さない。

④髪にスーッとなじんで、時間が経ってもカピカピに固まらない。
 安物は固まった部分が粉状化して、髪を触る度に飛び散ることがある。


それらの違いにイチイチ感動しながら、頭に塗りたぐること数十分…。

ぷわ~んと抹茶のような草のにおいが、染み込む…染み込む…




そして待つこと40分。(これはいつも適当です)


その間、暇だったので、私の身の回りにあるインド製品を撮影しました。



↑ これはシャンプー。愛用している「Vatika」は、特に真ん中のブラックオリーブ入りがお気に入り。


↑ 歯みがき粉。奥の「Colgateハーバル風味」はアメリカ製なので中国でも売っている。(日本にもハーバル版あるんかな。)手前のやつはインド製。すっごく良かったのだけれど、また現地に行かなければ買えない。


↑ 石鹸。右はサンダルウッド入りソープ。左は“女性の大事なところを洗う用”のソープらしい。(パッケージに惹かれて買ってしまった…@ケニア but インド製)


↑ 確かこれもインドのどこやらで買ったゾウ石鹸。下手な彫刻がかわいくて。


これら「シャンプー」「歯みがき粉」「石鹸」の3点セットは、海外に行った時に必ず買い溜めることにしている。現地産のものがあれば現地産のものを。なければインド産のものを。(それでも、どこに行っても意外とアメリカ産ばかりで、地元産を見つけるのは容易ではない)

動機は「日本のより安いから」なんだけれど、使ってる内に、逆に日本製のものを毛嫌いするようになってしまってね。
多分、日本のは匂いがキツいんだろうな、と思う。アメリカ産も然り。
ナチュラルそうなやつは値が張るんだしね。


…そうこうしている間に時間が経ったので洗うことに。

そして乾かして鏡を見、「ギョエッ」と叫んだ。

  赤いやないか…!!!


どうやらインディゴが足りなかったらしい。
そうか、ヘナだけでは本当に染まらないんだ。
これが「自然」の色なんだ…。





明日はインディゴだけを染め足そう。。。

インド好きの兄ちゃん曰く、「ヘナ髪になれば、インディゴだけでも大丈夫ですよ」。


すでに草くさい私。

もしかしたら、草食系男子とやらにはモテるのか…しらね。


お導き

2011-08-23 | ~2012年まじめ系の日記

7月のこと。
実はアフリカに発つ前、「もうこんな働き方はやめよう」と思っていた。

大学を卒業して写真を学んだはいいけれど、写真で食っていく自信はなくて逃げ帰り、運良くテレビ局に潜り込んだはいいけれど、ちょっと取材が出来るようになったからといって、今度は自信過剰になって飛び出した。
あれから丸4年。

若気の至りがもたらしてくれたものは、それなりに大きい。

何よりたくさんの人に出会えたし、たくさんの涙と、感動と、愛情を得ることができた。

本当にたくさん。身に余るほど。


だけどね、「何のプロフェッショナルになるのか?」という根本的な自問は未だ未解決のまま。
そのことに、心底情けなくて嫌気がさす。
もし自分が雑巾だったなら、力の限りギューーーーーーーーッと絞り上げてポイって投げ捨ててやりたいくらい。


どこにも属すことなくフリーランスで仕事を得るってのは、そら、カンタンじゃない。
まず朝起きる理由を見つけなきゃいけないし、日中やることだって誰も指示してくれない。
自分を売り込むには膨大なエネルギーが要るんだし、ましてやそれをやり続けるには強靭な持久力が必要になる。

それで、「やっぱ無理だわ」と思って何度も諦めかけたんだよね。
フツーに就活するのが一番だわ、と思って。

そんな感情の波を繰り返している内に、最初はあったはずのポリシーみたいなものも、何だかよく分からなくなってくる。
「声なき人たちの声を拾いたい」とか
「人の暮らしや価値観の多様性を伝えたい」とか
「生きてることの美しさを表現したい」とか、
そんな感じのことを目指していたんだと思うけど、なんだかそれもチッポケに思えてきてね。

だって、そんなもの掲げたって実際問題、食えないじゃないか。
第一、漠然としすぎてるんだよ。テーマは何だ、テーマは。結局何がしたいんだオマエは?

…そんな自問自答は日常茶飯事で、そうやって無駄に脳みそを疲弊させている内に髪の毛が真っ白になってしまった。


だけど、それでも私の回りの人たちは、信じられないくらい温かく私を見守り、励ましてくれる。
それがいつも不思議で仕方ないのだけれど、とにかく彼/彼女たちのお陰で私の人生は、切れ切れの糸で何とか社会と繋がっていられている。

でもね、それもさすがにもう限界だな、と思ったわけ。7月に。

もう夢だポリシーだなんて青臭いこと言わずに、まずは稼いで、自分の土台を築いて、それから考える方がずっと広がりが出るんじゃないか? と。


しかしですね、こういう時にこそ、また「出会って」しまうんだなぁ。

その人は某会社の社長さんで、すごく簡単に説明するなら、映画やテレビの字幕スーパーを作る事業を全国展開している方。特に生活が厳しい独り親や障害者の人達に就労の機会を…と奮闘されている方だ。

で、詳しいことはさておき、その社長さんにはケニアに飛び立つ当日の午後にお会いし、多大な励ましをいただいて空港に直行したわけ。そして昨日、帰ってから書き上げた2つの原稿を携え、再び打合せに。
そしてそして有り難いことに、来年から連載執筆の機会をいただき、更に力強く励まされて帰宅したのであります!
 

あぁ…。


「出会いは必然」というけれど、…それはこれまでも何度となく経験してきたけれど、ここにきてまだ「必然的な出会い」を与えてくれた神様に、ほとほと頭が下がる。
本当に出会って良かったのか、実はそうでもないのか、という結果論なんかは問題じゃない。
こういうのは、結果はどうであれ、感謝して余りあると素直に受け入れればいいんだ。その時の自分がピンときたのであれば。

その社長さんが言っていた。

「出会いも必然だけど、今直面している苦労も全部必然なんだよね。結局は自分がそう仕向けているんだよ」

なるほどな、とストンと胸に落ちた。
私は私であるからこそ、たくさんの人に出会え、逆に(勝手に)苦い思いもしてるんだ。それは人間関係のトラブルも然り。恋愛も然り。誰もが、個人的に抱える多くの理由によって、幸せにもなれるし不幸にもなれる。だから苦しむべきは、きっと、そんな自分をどう受入れるか?ってとこなのかもしれないな。


もう少しがんばろうと、そして今は思えている。

バイトをしてでも内職をしてでも、旅することはやめないでおこう。


あとは神のみぞ知る!


多分、カミングアウト

2011-08-22 | ~2012年たわごと
わたしは自己分析症。

またひとつ、分かったことがある。


自分はセックス依存症の気があるんじゃないかと疑っていたけれど、どうやらそうではないらしい。

『「家族」という名の孤独』(斉藤学・著)という本を読んで、なるほどと思った。

これは「抱擁される欲求」らしい。それもひどく乳幼児的な。単に”抱っこされたい”欲求。


こういうのって、みんな知ってるんだろうか。
本を読んだ時は、ガーンと脳みそをぶち抜かれたような衝撃を受けたのだけど、しばらく経って冷静に考えてみると、「あぁ、そういう人ってよくいるよね」で済む話のような気もしてくる。

その本によると。

『(引用文を指して)要するに、一見成熟した異性愛に見えるものが、実は乳幼児的な”抱擁される欲求“のスリカエであったと述べられているのである。
 この欲求のスリカエというのが、嗜癖というものの一つの特徴であると私は考えている。スリカエられた欲求は、それが満たされても真の充足をもたらさない。それどころか、かえって渇望をひどくするので、スリカエ行動は昂進する。
 セックス嗜癖が、実は「抱っこされる安心感」という欲求のスリカエであったりすると、セックスそのものは真の充足をもたらさず、かえって次のセックスへの欲求を昂進させてしまうことになる。こうしてニンフォマニア(女性淫乱症)的な繰り返し行動が生まれる、あるいは、こうした行動の乱発を恐れて性的な関係からかたくなに身を引くことになる。』


多分、性産業に関わっている人達の中には、そういう闇を抱えている人がたくさんいるんだろうな、と想像する。
逆にそうした闇をやたらリアルに想像できてしまうからこそ、今までもアンダーグラウンドな女の人たちに少なからず興味を抱いてきたんだな、と知る。

言い訳をするならば、「私はまだ軽症だ」「淫乱ではない」「理性はある」と主張したいところではあるけれど、ここまで書いたなら今さら読んだ人にどう思われようと構わない、という気もする。

私が淫乱か淫乱でないかなんて、そんなことはどうでもいいの。


「抱っこされたい欲求」というものの辛さ、寂しさ、耐え難さは、背負ってしまった者にしかきっと分からないということ。
たとえば心臓にぽっかり穴が空いているような、スースーした感じ。
肩から背中にかけての皮膚の内側が、カスカスに乾いたスポンジみたいに軋む感覚。
喉の辺りから見えない腕がにょきにょき生えて、自分の肩や首筋や両腕や背中を抱き締めてくれる、そんな妄想。

それはとても切実で、痛々しいのだけれど、他人にはなかなか言えない(それが恋人だったとしても)恥ずかしさと後ろめたさを伴っている。

どうして恥ずかしいのだろう。どうして恋人にさえも言えないのだろう。…と考えて、ハッと思い付いた。

「抱っこされたい欲求」は明らかに「小さい頃に抱っこされなかったから」生じているのだけれど、そもそも「抱っこされなかった」のには訳があって、それは必ずしも親のせいだけじゃないんじゃないか? ってこと。
つまり、もともと自分の性格が「甘え下手」で「怖がり」で「傷つきやすい」かつ「見栄っ張り」だから、ってのも大きいように思える。そこに、甘えられなかった状況や環境、腕を振り払われた経験などなど不運が重なって、ますます「甘えちゃいけない」と思い込むようになったんじゃないか。


…そんな自己分析を昨日の夜から悶々としているわけ。

暇人だね、わたしゃ。


それで、思う。

子どもは、小さい内に何度も何度も、イヤってくらい抱き締めてやらないといけない。

だけど抱き締められずに育ってしまった大人はどうするか。
どうしたらこの甘ったれた虚しい欲求を克服できるのだろうか。

うーん…



答えは、もう少し足掻かなければ見つかりそうにない。

ちなみに「甘えることを学ぶ」というのは、簡単そうで決して簡単ではない。
安易にその解決をパートナーに委ねれば、今度は精神的に依存しすぎてドツボにハマる。それはちょっと、経験済みなの。

多分もう少し時間をかければ、足掻く過程で克服されていくんだろうな。
誰かとてつもなく愛してくれる人に頼るのではなく、逆に自棄になって淫乱の道に進むのでもなく…。


がんばれ、自分。

ちゃんと自分の足で立つんだ!


サルサ☆再び

2011-08-20 | ~2012年ふまじめ系の日記
(これは、初めて携帯から投稿しています)

超久しぶりにサルサに行った。
もう、かれこれ2年ぶり?3年ぶり? いや、4年ぶりちゃうか?

特にトーキョーでは、なんだか怖くて行けなかったの。どこがイイかも分かんないし。

でも今日、ついにその壁は崩された。
友人が銀座にあるサルサバーに連れてってくれて。10組も躍ればぶつかり合う程の、小さな小さなバーなんだけれど。

やっぱり、サルサはいいね。

いろんなことを思い出した。
福井でよく行ってたパーティの風景、よく一緒に躍った人の腰つき、肩の高さ、手ざわり感、あと、躍りながら眺めていた仲間たちの横顔…とかね。

それで、最初はビビっていたトーキョーのサルサシーンだけれど、初めて行ったにも関わらず、あっという間に声を掛けてもらってクルクル舞う結果となりました。

トーキョーの人たちは凄いねぇ。
人見知りってのがあんまりないんだな。


幸い、女子が少なめだったせいもあるかもしれない。とにかく私と友人は2時間ぶっ続けで躍り倒し、汗だくになって「運動」をした。


帰り道、久々に高揚した私はかねてより思っていたことを彼女に話してみた。

「それにしても、やっぱりサルサって健全なセックスよね」

すると彼女も
「そうそう!昔そういうこと聞いた時は、なに?と思ったけど、今はすごい分かるわぁ~」
と言う。さらに
「すっごく息の合う人と躍った時なんか、絶対キモチいいだろうなぁ~と思っちゃうもんね」
「リズム感がね」
「合うってことだもんね」

そんな下世話な女子トークで盛り上がるのも、これまた久しぶりで嬉しさがこみあげる。

サルサはやっぱり、いいもんだ。

ちなみに、一度カラダが覚えたことというのは驚くほど深く染み込んでいるようで、最初はバチャータさえマトモに躍れずショックを受けたけれど、最後には自然とカラダが動いてノリノリだった。
これはきっと、記憶した細胞の数に比例する…ような気がする。つまり脳細胞だけじゃなく、全身の細胞に記憶させたからなかなか忘れないんだよ、サルサは。(ピアノを10年やって止めた時は、意外にも早く忘れちゃったもんね)


いわんや、サルサの効能=欲求不満の解消/ダイエット/肩こり解消/友達づくり/反射神経アップ/楽観主義の促進/全身細胞の活性化/その他


相当スッキリしたハナキン(古い?)でした☆

また行こうっと♪


追記:ちなみに「セックス」の定義は「魂の交換」ですからね。マイ辞書によると。

オバマのばあちゃん

2011-08-17 | アフリカの旅
実は、7月下旬に1週間ほどケニアに行ってました。
2年半ぶり。


(ここ↑はキスムという街。ナイロビからバスで7時間分、北西に行ったところ。)

ケニアは、もうかれこれ4回目ですが、この季節に行くのは初めて。
で、雨期と乾期があるっていっても赤道直下なんだからぁ~ と薄着しか持っていかなかったら、えらい鳥肌立てることになっちゃいました。

…っていっても、たかが知れてるけどね。
夜がちょっと肌寒い程度です。

今回は、まぁいろいろと思惑があって行ったのですが、とにかく1週間の内のほとんどを過ごしたキスムという街から、憧れのビクトリア湖を眺めることができました。



随分前に「ダーウィンの悪夢」という映画を観て以来、行ってみたくてね。
外来魚のナイルパーチが周辺漁村の生活を崩したんだっていう、ドキュメンタリー。

それがこの魚くんです。↓


(ヨーロッパに大量に輸出されているらしい。食べたことないけど。)


他に「憧れの」が叶ったといえば、オバマのばあちゃんに会えたこと!でした。



これ↑は、ばあちゃんが住んでいるコゲロという村(キスムからバスとバイクで1~2時間)にある「ホワイトハウス」なんだそう。
村のメイン道路を右に曲がると、いきなり現れてビックリする。
確かに「ホワイト」「ハウス」だから…。

ここはどうやら民営(民家?)らしいのだけれど、ケニアの一般の家はこんなんじゃないから、多分、98%「ホワイトハウス」のつもりで建てたんだろうと思われる。。。今はまだ工事中で、いつ頃オープンするのかなぁ♪と好奇心いっぱいに通り過ぎる。と…



今度は「オバマ博物館」らしき建物が。

これは2年前に友人に聞いていて、「オープンしたら教えてね!」と強く念押していたのだが、痺れを切らして来てみると(というかたまたま来れちゃったところ)、まだ工事中でオープンはしていないらしい。
米国内でのオバマ人気の低迷が原因か!? …ということではないと思うのだけれど。

ちなみに「オバマ博物館」は「(ケニア)国営」らしい。
本当かどうか知らないけれど。




で、肝心の「ばあちゃん」はこちら ↑ ね。
非常に微妙な顔をしているのは、毎日毎日たくさんの来客があるために疲れ切っているため。1日少なくとも10人、多い時では50人以上もの人が、朝から晩まで彼女に会いに来るんですって。

毎日。

もうすぐ3年間。

ちなみにちなみに、通常はアポを取らないと会わせてもらえないところ、私は友人の尽力もあってノーアポで面会することが許されました。ニホンジンってのが効いたのかも。

というのは、彼女は、来客が絶え間なく来るようになってからというもの、孤児支援団体を立ち上げて募金を呼び掛けるようになったんですって。そこに応えてくれるのが、ニホンジン ナンバーワン!ってわけ。

…「ナンバーワン」かどうかはさておき、「日本人はいい人」であるらしいのです。

つまり彼女はとっても賢い、と私は思う。
実際の金の使い道は知り様がないけれど、(通訳してくれた)私の友人の言葉を信じるならば、彼女は地域のリーダー的存在であり、コゲロ以外の地域でも元々かなり名の知れた存在で、自分の土地を大学の農業試験用に提供したりもしているのだとか。
そこにきて連日の来客でしょ。消耗される時間と体力を考えれば、このシチュエーションを社会活動に利用しない手はない!…と考えるのは至って妥当だと私は思うのです。(それでも貧乏旅行者の私は一銭も払わず退散してしまったのですが…^^;)

誤解なきよう加えておけば、彼女への面会は無料。
募金を強要されることもありません。彼女は淡々と、自分が行っている活動を話すのみ。なので募金を促されるかどうかは、意外と通訳者によるのかもしれないね。

代わりに、今回はノーアポで通してもらったので、セキュリティの兄ちゃんに100KSh(100円弱)のチップを払いました。
ばあちゃん家のガードマン(門番)は、ケニア政府が無料で配置させてるんですって。さすがだぁ。。。


そんなこんなで、あっという間のケニア。
最後は「キベラ」という100万人規模のスラム街で、ビデオ撮影をしました。



別の友人がやっているNGOのプロモ用に。
今から(はもう遅いので明日から)編集作業にかかりま~す。

こちらの話はまた今度。
おやすみなさいっ☆

終戦記念と独立記念

2011-08-16 | ~2012年たわごと

年々、人見知りが激しくなっている。

そんなことを感じた昨日。



代々木公園で、インドフェスとアフリカフェスが同時開催されているというので行ってみた。
関東に移り棲んでもう1年半になるというのに、その間、どれだけ引きこもっていたかを実感する。すっかり出不精になってしまったなぁ。

というのは、今さらながら、「トーキョーってスゲー」とビックリしている自分がいるから。
たとえばヒトの多さ、観光客の多さ、若者のファッション、新しいものと古いものとの幅、なんかに。

トーキョーは、本とに何でもアリなんだね。





それで、インドフェスとアフリカフェスは、「名前分けなくていいんじゃね?」と思うほど近くで(というか同じ場所で)ごちゃまぜになって開かれていた。一応、向かって右側がアフリカ、左がインド、で、その間にタイやトルコやベトナムやペルーのブースなんかが並んでいる。
「これならワールドフェスって言っちゃえば?」と、心の中でつぶやく私。



(こちらはアフリカ側。屋台の前で太鼓が始まった模様…)


(こっちはインド側のステージ。Ashok Pandeyというタンブラー奏者が来日して盛り上がった)


(Ashok Pandeyその人。と、ミーハーぶるワタシ)


そのステージ上で、Ashok Pandey氏が声高々に主張していた。

「明日はインドの独立記念日です!」

すると会場に散らばるインド人達から歓声が上がる。
へえ~、そうなんだ、と私は思う。


今朝、目覚めてラジオを付けたら、男性のパーソナリティが話していた。

「今日は終戦記念日ですね~」

あ、そういえば、と再び私は思う。
すっかり忘れていた。母国の最も記念すべき日を。

「独立記念日」と「終戦記念日」。
どちらも「戦から開放された日」ではあるけれど、あまりにもニュアンスが違うなぁ。

ちなみにインドの独立は1946年。
日本の終戦が1945年だから、その後の年月はほとんど変わらないのか。


フェスの帰り際、代々木公園の入口付近で、モヒカン頭の集団が陽気にブギウギダンスやらフォークダンスを躍っていた。
外国人の観光客はしきりに彼らと写真を撮りたがり、日本人の暇そうな人たちも、遠巻きにその微笑ましい様子を鑑賞していた。

「負けた」という重苦しい歴史は、いつ頃まで日本を縛るだろう。
右翼的な考え方は大嫌いだけれど、それでも、もうちょっと違う捉え方はできないものか…と考え込んでしまう。

私やモヒカンの人たちがヨボヨボになる頃には、「俺らは平和だぜー、サンキュー!」と8月15日に叫べるようになるのかな。インド人が誇らし気に拳を掲げるように。


リニューアルしました。

2011-08-13 | お知らせ
震災から5ヶ月かぁ…。
 と、改めて思っている今日。


ブログを始めたのが08年、このブログは09年から、実は2つ同時並行で書いていたんですが、ついにやり切れなくなったので一つにまとめることにしました。

…といっても、どちらもこの5ヶ月間はロクに更新していなかったからね。


それで、カテゴリー欄を変えて、それぞれのブログ記事をジャンル別に放り込んだのだけど、日付けは過去のものなので「最近の記事」にはほとんど出ていません。
お時間ある方は、カテゴリー別に適当に流し読みしてくださいませ。

ちなみに、文体が違うからチャンポンな感じになってる…のはお見逃しを。


それにしても、仕事とプライベートのバランスを取るのは難しい。
「書く」ということに関しては尚さら。

だけど今が、過渡期で脱皮期に違いないんだ。きっと。

…と思って、リニューアルしてみたの。


こっちは完全プライベートね。リポートはやめます。


そしてこれからも試行錯誤は続く。