アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

確定申告と還付申告

2014-12-11 | 2014年たわごと

少し前、名古屋市から住民税の納付督促状がきた。

6万円ちょっと。

何それ、そんなの無理だし。

と思って電話してみると、取引先から申告された去年の支払い額がそのまま所得となっているからだという。

「8月くらいに経費を申告していただくようおハガキ出したんですが、返信がなかったもので経費ゼロということになりました。」

 

…それって自業自得っていう宣告?

 

それにしても無理なものは無理なので、今からでも去年の確定申告をさせてください、とお願いした。

そして平成25年度分のレシートを引っ張りだし、その準備が始まった。

 

私は一度も正社員になったことがないので、「自営業」という扱いで毎年毎年確定申告をしなきゃいけない。

申告するほどの所得はないのだけど、収入からは源泉徴収10%が引かれているので、確定申告するとそれが返ってくるという大きなメリットを享受するための申告。いくら貧乏だといっても年収100万円以上はないと生きていけないので、そうすると還付金は10万円以上になるから大きいもんね。

 

そんで、昔、税務署に行って直接指導してもらいながら申告した時、「過去5年間はさかのぼって申告できるんだよ」と教えてもらった。

 

なんだ、だったらまとめてやった方が効率的じゃん!

 

と思い、それからというもの、すっかり溜め癖がついてしまった。

つまり確定申告を毎年怠って、もうダメだ!となってから税務署に駆け込むという非常に嫌な納税申告者になったというわけ。

 

けれど名古屋に引っ越してからは、「所得を申告してください」というハガキがやたらと来る。

税務署からではなく、区役所から。

 

それを見る度、なによ5年くらい待ってよ…と心の中でぼやいて、ポイっとしていた。

 

本と、これで社会人なんていえない。行政の方々にしてみたら最低野郎この上ない。

恐らくそれで(というわけでもないだろうけど)今回の6万円措置が下されたのだった。

 

早速、レシートを机いっぱいに広げて仕分け&計算をした。

そして申告書を書く前に、念のため「5年間猶予」についてネットで調べてみた。すると。

 

確定申告書を提出する義務のない人でも、給与等から源泉徴収された所得税額や予定納税をした所得税額が年間の所得金額について計算した所得税額よりも多いときは、確定申告をすることによって、納め過ぎの所得税が還付されます。この申告を還付申告といいます。
 還付申告書は、確定申告期間とは関係なく、その年の翌年1月1日から5年間提出することができますが、なるべくお早めに提出してください。』by国税庁

 

ということで、そうか、私がしていたのは「還付申告」だったんだ、ということが(今さら)分かった。

青色か白色か、ということも毎回分からなくなるので税務署の人に言われるがまま記入していたのだけど、「青色は帳簿をつけなきゃいけなくて大変」とか「青色申告は確定申告時期の1ヶ月を過ぎると延滞料がかかる」という旨のネット情報を読むと、どう考えても私に青色は無理、と推測される。

そもそも5年猶予の還付申告は白色だけなのかどうかは、ネットで探した範囲ではよく分からない。なので明日、税務署に行って直接聞いてみましょ。

そしてもし青色もOKだったら、来年の青色デビューを検討しよう…かしら…と思わなくもない。
別に5年猶予をその条件にする理由はない(というかすべきではない)のだけど、なんとなく、遅れても救われる感があるから。

 

ちなみに、フリーランスで働く人が急増しているせいか、確定申告について易しく教えてくれるウェブサイトはいろいろある。

私が検索した中で一番分かりやすいと思ったのはこちら。

http://ascii.jp/elem/000/000/853/853647/

フリーランスのための「はじめての確定申告」対策会議。

 

ほんっと、数字嫌い・計算嫌い・マニュアル嫌いの3拍子が揃っている私には、全く理解不能な確定申告なのです。
フリーソフトを使ってみても意味不明でお手上げでしたから…。

 

だけど6万円宣告を避けるためには、とりあえず去年の分を申告しなきゃいけない。

同時に心を入れ替えて、ちゃんと社会人だと胸を張れるようになろう…。

 

サラリーマンの人がうらやましいのは、安定した給与よりも、ボーナスよりも、むしろこういう煩わしさに翻弄されなくて済む点よね、と思う。

(…だけど過去のレシートを見返すのも、そこに付随したいろいろな思い出に浸れるという点でなかなか感慨深いものですよ) 

 


派遣の旅に出た

2014-12-10 | 日本の旅

はじめての派遣、はじめての工場、はじめての単純作業…は、思いのほか楽しく、しかし思った通り、しんどかった。

でも今日の帰り、ブラジル人同僚に「立ちっぱなしでつらい!」と愚痴ったら、「当たり前ね!座ったら仕事にならないよ」と全うな返答をいただいたので、これ以上不満を垂らすのはやめようと心に誓った。

 

今日の作業チームは4人。

私を含む日本人が2人、ブラジル人が2人。に工場の職員が1人ついていた。

昨日は同じ作業を日本人2人とフィリピン人1人の計3人でやったのだけど、私以外の2人は早速辞めてしまったらしく、残る私が今日の新メンバーを率いる形になった。

やることは、パチンコ台の裏面にあたるプラスチック台づくり。

大枠の台に小さなプラスチック細工を取り付けたり、スチール板をビスで止めたり、それを梱包したりといったことを流れ作業でやる。私たちのチームは工場1階でそれを黙々と続け、2階では、別の作業チームがパチンコ台の表を飾るピンピカピンな部品づくりをやっているようだった。

 

工場には、私が属する派遣会社以外に、2つか3つの派遣会社から数人ずつが集められていた。

なので中には日本人も交じっていて、数でいうと劣勢なのだけれど、それなりに多様性の一翼を担っていた。

まぁ、多様性といってもブラジル人が最多で、次がフィリピン人、そして日本人という感じ。人種の比率は工場によって違うらしく、また、派遣会社によっても“何人が強い”というのがあるみたい。ブラジル人が多い私の派遣会社はブラジル人のAさんが送迎&申し送り役で朝礼に参加していたが、フィリピン人を多く連れてきている別の派遣会社は、いかにもフィリピンパブが好きそうな日本人男性が送迎係だった。


それで、仕事の中身はともかく、私はできるだけお友達をつくりたいなぁ~という下心で、何気に話しかけてみたり、輪の隅っこにいてみたりした。が、まぁそんな簡単に仲良くなれるわけはないので、長期戦を見込んで、あまり詮索しないように心がけています。

なんだけど。
昨日一緒になった日本人の派遣さんは、「ここ、なんか外人さんばっかやなぁ!」と目を丸くして、「何人なの?へぇ~可愛いなぁ。うらやましいわぁ!」などと積極攻撃に出てるやないですか。わぁぁぁぁぁ…と思って横で聞いていると、質問攻めにあっていたフィリピン人の子がスマホを出してきて子どもの写真を見せてくれたり、「夜はパブで働いてるね」なんて打ち明けてくれちゃったりもして、すげぇ…などと私は内心感心していた次第。

 

けれど基本的には、フィリピン人はフィリピン人同士、ブラジル人はブラジル人同士で輪をつくる。

休憩の時も、仕事の時も。

なので輪外の人には何を話しているのかサッパリ分からず、ちょっとやそっとの勇気では入っていけない。

しかも仕事中は全員がロボットになったみたいに真面目一筋になり、一言も喋らなければ表情も変えないというノンコミュニケーションぶり。いくら「私語はつつしみましょう」と貼紙がしてあるからといって、ロボットじゃないんだからさぁ…と言いたくなる。

 

でも、仕方ないのかなぁ。

彼らは恐らく社員が話す言葉自体を理解しているのではなく、その場の雰囲気とか、視覚的な情報で自分がどう動くべきかを判断しているんじゃないかと思うのです。

というのは、社員が説明する言葉遣いの難しいこと!

たとえば「最後はここを黙視して」とか、初めて仕事に来た外国人に「モクシ」なんて通じるんだろうか…?と私は一人でハラハラするばかり。大事なこと言ってんのに、通じてるような気がしないのは私だけか…?って。(しかも喋るの早いし!)

 

それでも彼らは、(たとえ日本語がたどたどしい人でも)ちゃんと言われた通りに動いているから驚いてしまう。

喋れないだけで聞けば分かる、ってことなのかしら。

だったら、むしろ日本人に対するのと同じように接する方が、フェアで良いということ…?

 

今日の帰り、フィリピン人のJちゃんが言った。

「別の工場はまた全然違うよ。ここはオジサンの社員が多いけど、若い人が多いところはもうちょっとイイ!」

 

そうか。

これから工場比較ができるようになったら、何か見えてくるものがあるかもしれないな。

 

ちなみに派遣バイトの時給は、人種や会社に関わらず950円のようだった。(これまた積極派の日本人派遣さん情報)

そこで派生する(もしくは一般的に派生しそうな)感情もまた、リアルに感じることができて感慨深い限り。

 

とにかく、しばらくがんばってみよう。

仕事はハードだけど、内容はそれなりに面白いし。社員さんも親切だし。

 

…そんな風に良きスタートを切れた、冬晴れの2日間でしたとさ。
(それにしても工場はめっちゃ寒かった!暖房意味無し!) 

 


はじめての派遣体験

2014-12-08 | 2014年たわごと

また可笑しなことになってきた。

今日行った先は、ほぼ外国人専用の派遣会社。

そこからパチンコ台の製造工場に派遣されることになった。

 

親しくしている日系ブラジル人の友人が紹介してくれたのだけど、彼女が教えてくれたのはその派遣会社の人の携帯電話で、私は思わず「ブローカーじゃないよね?」と聞いてしまったくらい、最初は怪しんでいた。

それで1人になったら絶対に電話できない、と思い、彼女のいる前で電話した。

「あの、牧野と申しますが、バイトの紹介をしていただきたくで電話しました。…日本人でも働けますか?」

「はい、大丈夫ですよ。では面接をしますので10時に◯◯駅に来て下さい」

「…え? いつの?」

 

そんな会話の末、私は今日の朝10時に◯◯駅に降り立ったのです。

 

20分ほど待たされて、ようやく迎えの車が来た。

「よろしくお願いします」

と言って助手席に乗り込んだら、どこからかガタイのいい黒人さんが現れ、後部ドアを開けて乗り込んできた。

「あぁ、面接のお迎え、2人まとめてだったんですね…」

とその場の状況をすばやく理解。

運転手は日系ブラジル人のおじさんで、早速3カ国のインターナショナルな雰囲気に。

 

ブラジルおじさんと少し話し、彼が電話に出ている隙に黒人さんに挨拶した。

ウガンダ人で、日本歴は6年。

ガタイはでかいが顔は柔和で、日本人に負けず劣らずシャイそうな紳士に見えた。

 

そして派遣会社の事務所に到着。

室内はなかなか広く、入ってすぐに面接スペース、奥に事務スペース、間にしっかりとパーテーションが置かれている。

ブラジル人らしき男性が2人ほど手前と奥を行き来していて、私たちはそこに割り込むような形で別々のテーブルに着いた。

「これを書いて下さい」

と出された紙にプロフィールを記入していく。

名前、住所、連絡先、国籍、ビザの種類、既婚か未婚か、免許の有無、保険の有無、等々。

 

そのうちパーテーションの奥で、「ジャーナリスタ」とかなんとかという単語が聞こえた。

やばい…。

さっき運転手のおじさんに、普段はジャーナリストみたいなことをやっています、と言ってしまったんだ。

潜入取材だと思われたらどうしよう…。

 

用紙記入が終わった頃、私を担当してくれるらしいブラジル人の男性がやってきて、仕事内容などを説明し始めた。その時もう一人のブラジル人男性が来て、説明の輪の中に。と、更にもう一人オヤジ風の男性が来て、「え、どこに住んでんの?」などとブラジル人男性に聞きながら輪に加わった。

…え、何ですかこのシチュエーション?

ブラジル人男性2人はオヤジ風男性に席を譲り、そのうち私たちは2人きりになった。

その人こそが、どうやら社長らしかった。

ちなみに社長さんは日本人。名刺をいただき、はじめてその派遣会社の名前を知った。

 

「君、それで、今までどんな仕事してきたの?」

「取材をしたり、インタビューをしたり、ですね。つまりライターです。」

「だったらこういう仕事、できるかなぁ」

「…できませんかね?」

「こんな単純な作業、本当にできる?」

「いや、やったことがないので、できるかどうか分かりませんが…」

「営業の経験とかないの?」

「営業はないんです」

「君には、こういう仕事より、もっと知的な仕事の方がいいんじゃないかなぁ」

「いえ…、なんでも経験ですから…」

 

そんなこんなで、社長さんは“いいカモが来た”といわんばかりに、私を営業に回したがった。今は社長自らが営業に回っているが、最近は紹介が増えたためにそれほど飛び込みはないのだ、と。

「…でも私、仕事の内容よりもむしろ時間に制限がありまして…」

たとえば来週は月火しかダメ、再来週は月水しかダメ、と例をあげると、社長さんは「あぁ~それは無理だなあ」と一転して、「言っちゃ悪いけどね、君のような我がままをきいてくれるところは、基本的にないよ」とバッサリ言い捨てた。

 

わがまま、ねぇ…。

 

社長は私担当のブラジル人Aさんに向きを変えて「A君、どうだい?」と聞く。

A君「いえ、大高なら大丈夫です」とキリッと返答。

…おぅ、捨てる神ありゃ拾う神あり。

 

その大高にあるという工場は、時給950円で8時間労働、エアコン完備と好条件だそうだ。

社長はあっさり「そうか」と言って、給与の話や仕事内容について話を進め始めた。

外国人の派遣会社というと、私の偏見では悪質業者なイメージがモワモワっとしていたのだが、目の前にいる社長さんは実に明るく気さくな人で、社員らしきブラジル人たちにも親切そうだった。

「仕事先はいろいろあるけどね、中には上司になる人が厳しかったり、汚い言葉を使ったりするところもある。けどこちらはあまり文句もいえんからね。そんな時はその現場を辞めて、別のところに行ってもらってるんですよ」

 

ということで、次は早速ネジ締めの練習をしましょう、ということに。

上から電動ドライバーがぶら下がった台の前に立ち、Aさんが見本を見せてくれた。

なんだ、簡単じゃん。

と思ってやってみると、ネジが小さくてAさんのようにはいかない。

「右手はこう、左手のネジはこうやって持って」とAさんの指導が入る。

「右手はあまり動かさない。ネジは常に次のものを用意して…」どんどん指導される。

「僕のをもう一回見てください」…だんだん容赦なくなってくる。

 

単純作業って、難しいかも…。

 

頭ではどうやればいいか(完璧に)分かるのに、なかなかその通りにはいかないもどかしさ。

特に左手でネジを次々と出していくのが、滑ってしまったりネジが逆さになってしまったりで上手くいかない。

「あぁーん…」とか「いぃー!」とか「むずー!」とか、要らぬ声が事務所に響く。

 

「じゃあ、10本を30秒でやってみましょうか」

AさんがiPhoneのストップウォッチを出してきた。

ついにそうきたか…、と勇んで臨む。

1回目35秒、2回目33秒、3回目34秒、4回目43秒、5回目56秒。

一端焦り出すとどんどん手は滑り、集中力も欠けてモタモタしてしまう。

それに比べてAさんは、スタートから余裕のヨッチャンで26秒だった。

…すごい。

 

帰り道、ウガンダ人の彼と名古屋駅まで一緒になった。彼が派遣される先はパチンコ工場ではなく、車の部品工場になる予定らしい。

電車の中で「僕もあれ、やったことあるよ」とおもむろに彼が言うので、「そうなの。難しいね」と返すと、「左手をこうしたらいいんだよ」と左手の動きをやって見せてくれた。きっと不器用な私の姿を隣で見ていて、自分もアドバイスしたくなったんだろう。

「そうそう、頭では分かってるのよ…」と私は笑って、軽く溜め息をついた。

「明日が心配。」

「大丈夫だよ。だけど工場では、こうやってラインに並んで次々とネジを打っていくんだ。だから1人がもたついたら後ろまでずっと止まってしまうんだよ」

「えぇ!そうなの!」

 

明日は7時20分集合、8時15分開始。

一体どうなることやら。

 

また報告します。

 


着ることは、生きること?

2014-12-08 | アフリカの旅

コンゴ共和国の紳士「サプール」を紹介する番組を観た。

NHKオンデマンド:http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2014059592SC000/index.html?capid=sns003

 

月収2~3万円の暮らしをしている普通の男たちが、週末になるとブランドもののスーツに身を包んで通りを闊歩する。こどもたちはそれを憧れの眼差しで眺め、大人たちは自分の町のヒーローとして賞賛する。
服にかけるお金は収入の3~5割。それでも「これは文化だから」と家族も誇らし気に見守る。

そんな内容。

 

感動的な言葉がいくつもあった。

「サプールは暗闇を照らす明かりのような存在」

「着飾ることで品位が身に付き、心も豊かになる」

「着飾っている時は幸福感がある。頭の中から馬鹿げた考えがなくなる。悪いことをしたり、誰かを罵ったり、無礼なことをしなくなる」

「金持ちの家に生まれなくても、楽しみは自分で見出せる」

「サプールは平和主義を貫く者。服こそが己を主張する武器である」

「人から見られていることを意識して、常に前を向くこと。美しい所作があってこそ、人を惹き付けられる」

「サプールは、相手がライバルであっても尊敬しなければならない。それは自分も尊敬される存在でなければならないということ」

「サプールが怯えたり悲しがったりしてはいけない。自分を信じて、不安がらず、男として勇敢な振る舞いをすること」

「着飾るとは、誇りをもつこと」

 

そして最も感動的なシーンは、一番弟子がサプールデビューする日にスーツを買ってあげる師匠の言葉。

3年間無償で服のコーディネイトや紳士の心得を教え、デビューの日には4万円もするジャケットを身銭を叩いて買い与える師匠に、「なんでそこまでするんですか?」と尋ねる漫才師の大地洋輔さんに、こんな言葉が返ってきた。

「そこから、この国の将来が生まれると思うんだ。この国には若者が必要なんだよ」

 

…もうそれだけでも充分ジーンとくるのだけど、大地さんは更に尋ねる。「どうしてそこまでできるのか?」と。そしてこの返答。

「それが美学なんだよ。愛情であり、平和なんだ」

「愛情があるなら、大人はいい習慣やいい行いを見せてあげるべきなんだ」

「いい服はいい習慣を生み、それで人はまた成長できるんだ」

 

もう、ガツーンって感じだった。

 

サプールという文化は、こどもや青年たちの憧れをつくり、人としてのモラルを教え、町のヒーローとなって人々の誇りを高めている。そしてそれを担う男たちは、全て自費でまかなうばかりか持ち出しで後継者を育て、文化という名の平和を未来につないでいるんだ。

そしてその土台にあるのは、愛情なのだという。

 

本来なら、彼らの役割は政治家であるはずなんだろうなぁ、と画面を見ながら思った。

1960年に独立したばかりのコンゴではきっとまだそれが難しい。

だけど日本だったら、本来の政治家はそういう町のヒーローであるべきなんじゃないかって。

 

ちなみにサプールという文化は、フランス植民地時代にヨーロッパ服の気品と清潔感に憧れたコンゴの人々が、独自の色彩を加えて楽しむようになったのが始まりだという。

「好きな色を選ぶことで自由を表現している」と、自らもサプールだという経済大臣は言う。

 

アフリカの、根本的なたくましさと遊び心が、愛おしい。

 

番組の中で、こどもたちが大地さんのコメントを嬉しそうにリピートしているのが微笑ましかった。

「全然ダメだったよ!」「これはヤバい!」

 

…そうやってすぐに真似できちゃうんだぁ。すごいなぁ~。

 

日本も和洋折衷をつくり出すのが上手だといわれる(もしくはそう思っている)けれど、それを誇りに変えるところまではなかなか難しい。

「愛国」ということすら、教科書で政府見解を教え込む、なんて意味不明な方法でしか高められない現状ですから。

 

そしてはたと思う。

私も、週末くらいはお洒落して出かけてみようかしら…。

ジャージにトレーナーでコンビニ行って1日終わり、とか、コンゴの男性が見たら零点なんだろうなぁ…自分。

深く反省して、上記の言葉リストを見直した。

 

「いい服はいい習慣を生み、それで人はまた成長できるんだ」

 

…重い。…重すぎるぞ、今の私には。

 


インターネット放送局を計画しています。

2014-12-06 | お知らせ

今日の朝日新聞の社説を読んで、泣きそうになった。

教育改革の各政党の方針について。

 

自民党は「愛国心」やら「日本人のアイデンティティ」を植え付けるために、教科書に政府方針を明記させたり、道徳教育を強化する。スーパーグローバル大学なんてのもつくって、「世界で勝つ」教育もしていくんだという。

民主党は少人数学級や高校無償化。

社民党は給付型奨学金。

維新は「多様な教育提供者の競い合い」なんだそう。

 

朝日はどれもイマイチと批判した上で、「多種多様な価値観の人々と対話する力が肝要だ」という。

逆にその視点がどの政党にも欠けていることにビックリしてしまう。

 

 ♦ ♦ ♦

 

来年の春、名古屋にインターネット放送局をつくろうと企んでいて、その準備をぼちぼち進めているところ。

助成金に2つ応募して、それを機に行政やら市民団体やらキーパーソンに相談に回った。

発信するのは「日本に住む外国人の多様な視点」。

ざっくりいうと、社会の柔軟性を高めるために、“多様な”人たちの見える化をしよう、というものです。

 

それは行政用語でいうと「多文化共生」という。

けれど現状は外国人支援に偏っていると私個人的には思っていて、「言葉の壁にお困りの外国人のために日本語教室を開きます」とか「こどもたちの学習支援をします」というものが圧倒的に多い。

それはそれでとっっっっても大事なのだけれど、「支援する・されるの関係」と「共生」というのはちょっと違うような気がしてならないの。

もっとこう、フツウになれないのかな。…と。

 

たとえば一緒に買い物している日本人と外国人のペアがもっと街中にいていいし、飲み屋ではいろんな訛りの日本語で政治や経済を熱く語ってる多国籍なグループがあってもいい。

ビジネスの関係じゃなくて、フツウの友達付き合いでそういう国際化が進めば、日本にいる外国人はもっと住みやすくなると思う。そして日本人も、「閉塞感」とか言われるものがぶっ飛んで、元気になるんじゃないの?と思う。

そういうのが「共生」なんじゃないかな、と思うわけです。

 

それで。

まずは私の身の回りにいるラブリーな外国人のお友達に、自ら発信してもらえる場をつくろうと思った次第。「場」というのは、「メディア」ということ。

彼らが、日本人にインタビューされるんじゃなく、むしろ気になる(もしくは不可解な)日本人にインタビューするようなメディア。

まだ具体的な構想は途中段階ですが、スタンスとしてはそんな感じ。

それをいかにプロデュースして、どんな風にすれば面白くなるだろうか…と、ここ数ヶ月ずっと考えている。そして徐々に頭の中は整理され、そろそろテスト収録してみましょうか、というところまでやってきた。

 

そこで今日はブラジル学校に遊びに行き、番組司会者として絶対適任!と私が勝手に目星をつけていたブラジル人のジュリちゃんに、「アナウンサーやってみない?」とスカウトしたのであります。

結果、「え~、恥ずかしいよ~」と最初は躊躇されたものの、最終的には快諾をもらって一件落着☆ホッと胸をなでおろしました。

 

彼女、すごいんですよ。ラテンなノリが。(ラテン人だから当たり前なんだけど)

 

今はアナ雪の物まねを頼まれて練習しているんだといい、自宅の台所で撮ったというリハーサル動画を見せてくれた。これがまた面白くて大爆笑。

その後はブラジル学校の修了証書授与式の撮影大会となり、飛んだり跳ねたりを繰り返して「最高に嬉しい一瞬」をカメラに収めていました。

もう…こんなにラブリーな子を放っておくのはもったいなさすぎますから。

 

ちなみに、インターネット放送局の企画は「Project DiVE」とネーミングしました。

未知の世界に飛び込もう!…という思いを込めて。

自分の知らない世界にこそ、驚きと発見と深い感動があるのです。

 


(ジュリちゃん喜ぶの図)

 


次につながるケニア

2014-12-06 | アフリカの旅

昨夜(というか今朝)は、うっかりブログのことを忘れて寝てしまいました。

ので、次の夜が来るまでに書けばオッケーというルールに切り替えることに。 はは。

 

昨日書こうと思っていたのはケニアのこと、ちょっと時間がないので写真メインでいきます。

 

右で背中を掻いているのが私で、左で掻いているのが当時通訳をしてくれたウィルソン君。

もうかれこれ15年前のこと。

この時同時に背中が痒くなったのが縁だったのか、未だに交友が続いています。

 

(当時のケニア中部。今も一緒ですが。)

(ここで植林教育をするエコツアーに参加したのでした。)

(うお…写真がでかい。けど載せちゃおう。。。おいしそうだから。ハチミツというより蜂の巣を食す)

(こどもたちは元気に水汲みしていました。)

 

その数年後にいきなりウィルソンからメールがきて、「元気か?」ということで交信が復活し9年後ぶりの再開を果たしたら…

立派なパパになっていました。

当初通訳だったと思っていたのは私の間違いで、現地NGO代表の秘書みたいな立場だったそう。

それを辞めて、この時は既に自分で会社を興し、社長の座についていました。
通信鉄塔の環境アセスメントをする会社なんだって。

 

その翌々年、再びケニアを訪れた私に彼は言いました。

「選挙に出ようと思うんだけど、どう思う?」

ケニアでは選挙の度に暴動が起きて命がけ、汚職も多いし、大変そうなイメージ。

私はちょっと考えて、言いました。

「政治家になっても今の志を忘れないなら、応援するわ」

 

あれから3年。

今、彼は国会議員としてケニア国内外を飛び回り、田舎の学校を訪問したとか環境対策を視察に行ったとか、こまめにfacebookで報告しています。

その姿を見て、15年という時間の長さとその貴重さを思い知らされている私。

 

はぁ…。

 

つい先日、出張でペルーにいるという彼とfacebookでチャットしました。

3年前に一度相談された「地元のサッカークラブにユニフォームを寄贈してもらえないだろうか?」という話が、今も未解決のままなのだそう。

「そうね、すぐにお金は集まらないし、スポンサー探すのも至難の業だけど、とりあえずできることを考えてみる」

と答えて、「できれば来年の夏に一緒に何かをしよう」と目標を立てました。

 

来年の夏なってすぐ来ちゃうよ…と思うのだけど、再来年だと遅いというから仕方ない。

なんだか試されているようで、ドキドキします。

 

まぁ、ポシャったからといって非難するような人ではないので安心ですが。

 

こういう友情は、心底うれしいもんです。

たとえ私の価値が「日本人」というだけだったとしても、そこに何かひと欠片の可能性があって、それを「日本人」である私なら手が届くかもしれないというのなら。


次会う時のために、英語の勉強がんばろうっと。

前回は(私の英語力不足で)できなかった政治の話も、 ちゃんとできるようになりたいなぁ。

ハードル高っ…

 


女性器論

2014-12-05 | 2014年たわごと

すみません、今夜もfbの使い回しで。

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ちょうど今日、ヒューマン・ライツ・ウォッチから「国連が処女検査を非難」というメルマガが届いて、「処女検査」というものを公然とやっている国々が中東や北アフリカに幾つもあると知った。インドネシアでも、女性が警官になる時に「処女検査」が行われるらしい。

処女検査って…なに? と思い、いつもはスルーしてしまうメルマガを珍しくちゃんと読んだのだけど、やはりイマイチ分からない。

処女かどうかを検査して、どうしようっていうのか?

イスラム教の教えに従えば、夫以外の人とやっちゃいけません、ということで罰則があるみたいだが、だったら夫(もしくは夫となる人)が個人的に調べればいいじゃないか、と思う。

そもそも処女膜というものが本当にあるのかどうか、少なくとも私は自分で確認したことがない。
少女を強姦したら、プチッと音を立てて膜が弾けるとでもいうのかしら。
強姦男はその音に欲情をかきたてられるってことなのかしら。

国連は『人権を侵害しかつ尊厳を損なう「処女検査」あるいは「二本指検査」(一部の国でいまだ処女性を確認するのに用いられている)について、「何ら科学的根拠がない」と結論づけた。』らしいのだけど、科学的根拠がないどころか、本当に全く意味がない行為だとしか思えないのは、わたしが女だから?…とますます混乱する。

ちなみに「二本指検査」というのは、部屋の中で裸にされて(恐らく男性検査官に)指を二本突っ込まれるという、この上なく荒々しいものらしい。しかもインドネシアでそれをされた女性の証言によると、それは部屋のドアさえまともに閉まらない場所で、人目に晒されながら受ける屈辱的なものなんですって。

それを知って、
「処女検査がない国に生まれて、よかったぁ~」と、内心ホッと胸を撫で下ろしてしまった自分。

処女膜がそんなに神聖なら、ダヴィンチ像の女版をつくって、黄金の処女膜を輝かせればいいのよ、とまぢで思う。

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のだけど、日本のマスコミ的に今日話題になったのはこちらでした。

「ろくでなし子さんと北原みのりさん逮捕」のニュース。

 女性の性器をかたどった「アート作品」が「わいせつ物公然陳列」ということで逮捕されたとのこと。
 

一体どんな作品だったんだろうと思ってググったら、出てくる出てくる…。
 
すごいんだねぇ~この人。
 
 
まず「デコまん」というのは、自分の膣の型をとって石膏の造形物をつくり、自由にデコレーションすること。
「まんボート」というのはそれを船にしたもので、ちょっと歪なカヌーみたいに漕げるもの。
「まんこちゃん」というのはピンク色の膣キャラクターで、いろんなグッズも揃っている。
 
それでまたこのろくでなし子さんが可愛い顔してるから、まんこグッズがまるでキティちゃんみたいに見えるのが面白い。
 
でもやってることは「まんことあそぼう!よいこの科学まん個展」とか「まん中3Dスキャン」とか、…いやぁ…すごいっすねぇ~としか言いようのない表現活動で。
 
 
私的には、ここまでやったら、確かにアートだね、と思う。
彼女は明らかに世の中の価値観を問うているんだし、ある意味命をかけて女というものを探求しているもの。
 
 
だけど…。
 
それにしてもこの「まんこ」というネーミングは、どうにかならないだろうか。
 
いつだったか、フィリピン人の友人たちと一緒に鍾乳洞に行った時、膣の形をした岩があって皆でゲラゲラ笑いながら写真を撮った。
そこで「日本語では何て言うんだ?」と聞かれて、私は言葉に詰まってしまった。
 
…人前で、「まんこ」なんて言えない。
 
私は結局「ま」とも言えなくて、「恥ずかしいから言わない!」と逃げたら「おいおい、今さら恥ずかしい年齢でもないだろ?」と茶化されてしまった。
 
そう、「まんこ」って口に出すのは勇気がいるのよ。
 
 
これこそが、ろくでなし子さんが訴えたいことなんだろうなぁと推察する。
私たちは知らず知らずのうちに「女性器について語るのは忌まわしいこと」とか「いやらしいこと」と刷り込まれているんだ。
比較的おおっぴらな私でさえそうなんだから、一般的にはものすごくタブーなはず。
 
 
だけど本当は…少なくとも私の場合は、少しだけ気になっている。
他の人の、アソコ。
男子が自分のと他人のとを比べたがる程ではないけれど、女子だって、人によって形も大きさも何もかも違うらしいじゃないですか。
 
だから、ろくでなし子さんの3Dまんこ作品がいろんな人の分まで揃えて陳列されているとしたら、かなり見てみたいと思う。
 
こんな私を「変態」と呼ぶ人がいたら、どうぞ大きな声で呼んでくださいと言いたい。
どんな立派な爽やか君にだって下心があるように、どんなに清爽でキレイ系の女子だって、家に帰ったら大股開いてうんちしてたりするの。
現実なんて、そんなもん。
 
 
さて夜も更けてきました。
そろそろ帰ってまんこ洗おう。
 
…って、それは言ったら(書いても)アカンやろう!
 
どこまで変態晒すねん!
 
 
と急に大阪時代の血が騒いだりして。
 
女性解放を目指しながら、女としてのモラルとはどの辺までなのか、線引きするのは難しいところですね。
 
 
おやすみなさい。
 

歯は抜いちゃいけません。

2014-12-04 | 2014年たわごと

あぁ…またこんな時間(3am)になってしまったので、今夜はちょんぼします。

以前書いたfacebookの投稿から拝借。

先月行った、福井駅前の歯医者の話です。

 

ちなみに元凶は名古屋にある近所の歯医者。

虫歯の治療を2回してもらったものの、どんどん悪化して冷や粥しか食べられなくなったために、母に泣きついて“絶対に確実な”医者にみてもらった、というわけ。

それで度肝を抜かれる体験をしました。

 ♦ ♦ ♦

すごい歯医者でした…。おかん行き付けの。
まず最初に言われたこと「歯磨きなんかするから虫歯になるんや!」

…は? と思ったものの質問する間もなく「歯科医療の現実」を語られ、怒濤の院長節を聞きながら治療が始まった。
医療と治療は違う、今の保険制度を続けているうちは歯科医療は発達しない、腕がなくなったら障害者手帳がもらえるのに歯がなくなっても障害者になれないのはなぜか、等々。

そうこうしているうちに、私の歯は治療した部分にまだ虫歯が残っていて、かつ塗るべき薬を塗っていなかったことが
レントゲンによって判明。やっぱりヤブだったんだ…ということで、目の前にいる一風変わった院長先生の話に信憑性が感じられてきました…。

で、結局、歯の神経は既に死んでいたのでインプラントみたいなことをしてもらい、2時間半の大がかりな治療に。
だけど最初から最後まで手鏡を持たされ、時々自分の口の中を一緒に見て解説してくれたのですごくよくわかりました。

これほど歯を大事にするの、アメリカでは普通なんだって。

院長先生いわく、アメリカでは歯科医になるのに4年の医科+4年の歯科で計8年勉強し、その間に300人の研修治療をしなければ開業できないらしい。だから歯科医は外科医に次ぐ高地位なんですって。
それくらい歯は大事、歯科医は技術者、ってことですよね。
日本では歯をなめすぎだ…っていうかなめすぎてました…。反省~。

ちなみに腐った歯の神経は、腐ったハクサイのような強烈な悪臭がしました。

いやはや。

この院長さん、75歳で全部自分の歯だそうです。
しかも夏ミカンを皮ごと食べられるくらい、頑丈らしい。

「で、歯磨きはどうしたらいいんですか?」と最後に聞いたら、「歯間ブラシを使うか、歯みがき粉をつけずにブラッシングすること」とのこと。その心は、もともと唾液には殺菌作用があるから唾液を歯間に行き渡らせることが大事というのと、歯みがき粉で磨くと表面のコーティングがなくなってしまうから、ということらしいです。

…何はともあれ、歯は大事にしましょう。。。ほんと、病の元だから。

 ♦ ♦ ♦

ということで、一件落着となったのですが、その院長先生の個性が本当にものすごくて忘れられない。

何が忘れられないかというと、「昔の人は暇さえあればセックスしてた」とか「こどもが多すぎるから出来の悪いのは全部殺してた」とか「だから各地に地蔵さんがいっぱいあるんや」とか言って、挙げ句の果てに「あんたは何人こどもおるんや?」と言うから手でゼロってやったら「なんでや?人生楽しまなあかんぞ。ほれ、気持ちええぞぉ~」とかなんとか、エロ話を顔の真上でされるわけです。
こっちは治療受けてるから、可笑しくてもまともに笑えず、目も開けられない状況。

これって、変よね?

 

今月もまた、院長先生に会えるのが楽しみです。

 


「ガンバロー!ガンバロー!ガンバロー!」

2014-12-03 | 2014年たわごと

今日もまた、「ひたすら」の日だった。

選挙チラシの証紙貼り。

今日から衆院選挙が始まったわけだけれど、立候補者の顔がドデーンと載っているいわゆる選挙チラシは、選管から配布される証紙が貼ってないと配布してはいけないことになっている。

それは立候補の届け出日に配布されるので、つまり選挙初日に全てのチラシに貼って配る、ということになる。

 

それで、それを1枚1枚貼り付けるためのボランティアというのが、何十人も必要になる。

 

私が人足に駆り出されたところでは、10万枚のチラシを新聞折り込みに入れて配布するということだった。

で、それをひたすらやったというわけ。

 

選挙事務所の取材はテレビ時代に何度か経験があったけれど、事務所の1要員になって何時間もその場にいたのは初めてだった。

それで思ったの。

選挙というのは、不思議なものだなぁ~って。

 

まず、ものすごく選挙に長けた何人かの男の人たちがその場を仕切る。

業界でいえば政界ということになるのかな。聞けば、現職議員さんや議員事務所の人たちらしい。

みんな同じ雰囲気なのがまず不思議。

 

次にボランティアのおじちゃん、おばちゃん達は、見るからに近所の人たち。もしくは親戚の人たち。

私はおばちゃん達とは別の場所で作業していたので最もホットな雰囲気は味わっていないのだけど、部分的に眺めていた限りでは、ある種の遠足みたいな感じで、ちょっと楽しそうだった。
なんだか、いいなあ。

 

それはそうと、印紙貼りの前に、私は続々と集まってくる支援者の駐車場案内を担当した。

そこで道路脇に突っ立っていたら、「せっかくだから手振ってくれる?」と言われ、手振りマネキン係に。

白い軍手をはめ、通り過ぎる運転手めがけてひたすら手を振ること1時間半。

はじめは間抜けなヒッチハイカーの気分でやるせなかったが、次第に手振りのコツが掴めてきた。

腕はピンとのばし、手首の左右運動にゆだねるのが一番疲れず、かつ美しいみたい。

顔はやや笑顔で。あまり笑いすぎるのも気持ち悪いだろうと思うから。

 

そして20人くらいのドライバーをゲット。つまり手を振り返してくれ、私も個別笑顔で応答した。

 

私は数年前に八丈島でうぐいす嬢のアルバイトをしたことを思い出した。

あの時も軍手をはめて一心不乱に手を振り、見知らぬ人と一瞬一瞬のコミュニケーションをとったんだった。

選挙を手伝うというのは、ノッテくれば意外と楽しいもんです。

 

つい先日、台湾でも地方一斉選挙が行われ、現政権の国民党が大敗した。

決して少なくない数の若者たちが、今年の春に起きた学生運動に触発され「政治を変えよう」と動いたらしい。

本当に、今アジアで一番熱いのは台湾ではないかとさえ思う。

いいなぁ、すごいなぁ。

 

今回の衆院選は全くなんでいきなり選挙なのか訳が分からないが、これがもし台湾だったら、「こうなったらこれを好機に変えよう!」とばかりに盛り上がるんだろうか。

 

ロスジェネ世代の私は、もうそんな言い訳なんか通用しなくなっているにも関わらず、やはりロスジェネ感を引きずったままだ。

政治の仕組みや市民運動なんかに、なんとも言えないけだるさを感じている。

こういうのも、台湾に何年か住んでみたら変わるだろうか。

 

それでも選挙には行かなきゃね。

夜、一緒にご飯を食べた大学生のNにも「とにかく絶対に行きなさい!」と半ば脅迫的に促した。

 

選挙を手伝う人たちは、ある人は自分の職をかけて、ある人は恩義のため、ある人は国政へのパイプを確保するため、またある人は政治に対する信念を貫くために、今日からの12日間を必死にガンバル。

私は、とにかく自民党のひとり勝ちになったら嫌だなぁと、それは強烈に思うもののイマイチ台湾の若者みたいに熱くはなれず、生木がプスプスと燃え損なっているみたいな気分だ。

熱くなれるって、いいなぁ…なんてことを思う。

 


(選挙事務所の横の畑はすばらしかった)


(これが印紙。チラシの右下にひっそりとある)


気づき。

2014-12-01 | 2014年たわごと

朝7時出発、7時半集合、9時~21時まで12時間労働の1日。

今日やったのは某イベントの撤収作業で、私はひたすら床を吹いたり、ひたすらホウキ掛けをしていた。

お陰で足はパンパン、手には豆ができたくらい。

 

全くサステナブルな働き方ができていない私は、ついに生活が苦しくなって今年9月からバイトを始めた。

バイトなんて、実に11年ぶり。

今まで、母に「フリーター」と言われる度に「フリーランス」と語尾強調で訂正してきたのに、それもできなくなってしまった。
ほんの些細なプライドもどきが、35の誕生日を前に、あっけなく崩れたのだった。

 

しかし何はともあれ、イベント設営&撤収というこのバイトは、翌週の空き日をメールで申告するだけで、月に何日働いても(もしくは何ヶ月に1度しか働かなくても)自由というお気軽さ。

しかも、「いらっしゃいませ!」とか作り笑顔で言わなくてもいいし、無理してスーツを来たりハイヒールを履いたりすることもない。

守るべきルールといえば、作業中にヘルメットを被ることくらい。

朝は家を出発する時間(事前申告制)に電話までかけてきてくれて、寝坊していないかを確認してくれる。

 

それで、初日こそ泣きそうになったものの、それなりに仕事内容には慣れて、体力も少しずつついてきた。

とはいえ思い切り体育会系なので女子は少なく、10~20人に1人くらい。

でも逆に気を遣ってくれるので、女子用の仕事を与えてくれることが多いのは本当にラッキー♪

と甘えさせてもらっている。

 

で、慣れてくると単調な仕事なのでいろいろ考えるようになる。

今日は、好みの男性について考えた。

 

ちょうど現場には、別の下請け会社スタッフも合わせて30人くらいの男性がいた。

そのうち、初めて見る人は25人くらい。

ほとんど知らない男の子ばかり、それも20代から40代前半くらいの、若いの揃いだった。

 

自分は比較的出会いの数が多いと思ってきたけれど、それだけたくさんの男の顔を見比べる機会は、恐らく今回が初めてだった。

別に顔なんか見比べなくたっていいんだけど、今日は、その中にイケメンがいたのです。

顔立ちがやたら整った、やや南国顔のイケメンが。

それで急に疑問が沸いたのだ。

 

カッコイイの基準って、なんだろう…。

 

バイト先での私は超地味なので、特に用がない限り、誰とも何も話さない。

なので個人情報はおろか、各人の性格さえ全く分からない。ということは、カッコイイかどうかは100%顔で判断していることになる。それも無意識に。

 

私は一人一人、カテゴライズしていった。

アリ/ナシ/ややアリ/ややナシの4段階。

当初イケメンだと思った南国顔の彼は、当然アリと思ったけれど笑顔がイマイチだったのでややアリに。

顔が整っているわけではないけれどお洒落でいい感じの人、顔はいいのになんとなく感じが悪い人、特徴という特徴が何もなくて判断に困る人、顔よりもお腹に視線がいってしまう人、など本当に様々いるが、アリの人は直感的にすぐピピピとマークできるし、ナシの人も即効で判断が下されて手っ取り早い。ややアリとややナシは結局どっちでもよくて、ぼやっと「普通」というカテゴリーに分類されていった。

 

ここまでで充分、私は嫌なオンナだと承知しているが、これほど勝手にオトコを分類するにあたっては、同時に「自分は彼らの目にどう分類されているか」を意識せざるを得ないわけで。

 

私は明らかに、99.9%の男子たちにとって「ナシ」の存在だった。

そんなのは敏感に察知できる。

誰も私なんかに興味のキの字も持っていない。

だって休憩時にトイレに行ったら、前髪は白髪ハゲが目立っているわ、服装はダサダサのおばさんファッションだわ、顔も蒼白で手入れなし、髪型もボサボサで寝起きのまま…というのが明らかだったもの。

家出る前に鏡見てこいよ、と自分で突っ込むくらいババア化したオンナに寄ってくるオトコなんてのは、せいぜい50を過ぎた寂しがり屋のオヤジくらい。(それでこれまた私がオヤジ好きだから、その地位に安住してしまうのも問題なのです)

…そういうことを、オトコをカテゴライズすると同時に痛烈に認識するわけです。

 

なので自分のことは置いといて。

私は考えた。

 

「アリ」とカテゴライズするオトコの特徴は何か。つまり自分はどんな人が好みなのか。

1、色気がある

2、適当な感じがする(寛容そうである)

3、社交的でオープン

 

うーん、まさに。

 

「ナシ」はというと、

1、いらちな感じがする(心が狭そう)

2、もさっとしていて特徴がない

3、衛生的でない

 

それは見事に顔立ちに関係なく、たとえばナンバー3に入るほど整った顔の某君は、私的には「絶対ナシ」だった。

 

なるほど、自分の好みってそういうところなのね、と深く納得。

それと同時に、絶対に譲れないほどの好み3原則が、外見だけでほぼ判断できてしまうという事実に驚いた。

 

っていうことは、私も一端「ナシ」に分類されたら、ほぼ挽回不能になるかもしれないってことじゃん。

がーん、それは悲しい。

なぜなら、私はスルメタイプだと自負していて、見た目は悪いけど味わい深いわよ、というのを売りにしている(ような気がする)から。

 

だけど意中になった人がスルメに目もくれない人だったらどうするのよ…と私は初めて(というかようやく)見た目も大事なことに気がついた。

 

…そして再度鏡を見て、ガクッ。

 

帰り道、終わり時間が早まったお陰で閉店時間に間に合ったので、ユニクロに立ち寄って服を買った。

せめてもの、償いに。

 

人生にはカネがかかる。

生きるということは、磨くってことだ。

中だけじゃなく、外もちゃんと。念入りに。

 

あーあ。

 


(今日の現場のトイレ。「荷物置きにお使いください」という手編みカゴに感動~)


自嘲

2014-12-01 | 2014年たわごと

11月が終わった…。

 

このひと月、何をやっていたんだろう…。

 

空白の1ヶ月…だったような気がしてならない。

 

ついに若年性ナントカか。

 

おとんにアルツハイマーの気配、で、うちの家系はやばいらしいということが判明した。

 

実に笑えない。

 

思い当たることがいろいろあるから。

 

そうそう、昨日も街で見かけた「不朽」という看板の漢字が読めなくて、どうしよう…と思った。

 

小学1年から中学3年まで、国語の成績は常に5だったのに。

 

何かがおかしい。

 

寝過ぎなのだろうか。

 

 

明日はまた小遣い稼ぎのバイト。朝から晩まで12時間労働です。

 

こんなことでは、ダメだ。

 


(気分を上げるために、この前ご馳走になったひつまぶし。激ウマだった。@犬山)