
セイヨウフウチョウソウ(風蝶草). 撮影日:2014/09/03 場所:記憶に無し
1930(昭和05) 章子42歳
昨日は、春月の自殺などで章子は狂乱状態になり、
戒仙住職は、止む無く章子を精神病院に入院させた
神経の発作が間遠になり退院した時、戒仙から結婚のことを切り出した
そして「パパのいいように」と章子は答える
戒仙は「早速新聞に通告する 細君譲渡事件より大きな騒ぎになるからな
今に見てろ」と言う
戒仙と章子の婚姻記事が報道され、寺内外で大騒ぎとなった
が、戒仙は居座り続け、ついには本山も沈黙してしまう
1931(昭和06) 章子43歳
章子は、精神の安定を取り戻したことで2か月ほどで退院
しかし鬱々とした日々を過ごし、1月に西国観音巡礼に出かける
厳冬期に巡礼に出る人はいない、なのに戒仙は止めようともしない・・・
なぜ?と寂聴は訝しんでいるものの、二人の心中は誰にもはかり難い
章子は歌誌「遠つびと」に、巡礼の様子を「巡礼記」と題して連載した
寂聴が載せた「巡礼記」をもとに章子の足取りを辿ってみる
今日は、聚光院から出発、琵琶湖周辺、奈良までの旅
以下、「巡礼記」の日付を追って、章子の想い、句・歌などを要約する
(寺の名前をクリックすると該当場所のG-map が表示される)
1月21日
聚光院を出発
1月23日
1月27日
1月28日
2月12日
聚光院へ戻る 3日間居て再出発
2月15日
体調思わしくなく伏見の宮本家へ電車で行く
宮本あさのは郡是の会社にいた時の友達 ここで3日間逗留
2月20日
2月21日
三室戸寺に向かう時の歌
「死なば死ね生きなば生きよ苦しともほとけの旅よ病みても歩まな」
「玉の緒のたえなむとせし命をばここにつなぎてまた歩むなり」
3月11日
三室戸寺の頃から風邪で発熱、その自分を励まし、叱りつけながら一歩一歩進んでいたため時間がかかったらしい
初瀬の長谷寺へ向かう時の歌
「たふるればたふるるまでと杖笠にいのちまかせてなほゆかむとす」
「ばったりと杖笠なげて身をなげて幾日幾夜疲れ寝にけむ」
「疲れはて道はこばぬにまた今日もくれ辿りたりいづこにか寝む」
ここでは「長い蛇腹のような階(きざはし)を上り下りし、
七日七夜観音の御足の許で読経三昧に暮らした」と書いている
3月17日
満願を果たした夜の句歌
「死ぬもよしここは大和路花の下」
「春ながら病めば枯野の旅さむし」
「一束の線香もはやたきつくし」
「耳にとめてきいておかなむ待ちわびし鶯の音を死出のおもひに」
「ただひとり野べに死なむとおもひきや父と母とにめでられし身の」
「心より思ふ人さえなき身とていまはいとはじ死よつれてゆけ」
「死ぬとても今はいとはぬこの身なり長谷はなつかし土になるとも」
病気もよくならず「死」に憑かれた時期だったのだろう
巡礼中の章子は戒仙からお金を送って来たり、都度便りも交わしていた
この時も戒仙からの便りと金が届き、章子は気を取り直す
倒れるまで巡礼を続けたいと決意するが、身体は思うように動かない
もう少し暖かくなるまで待って巡礼の旅を続けよう
章子は土地の百姓家の部屋を借り、自炊しながら初瀬で暮らすことにした
まだ残っているが、長くなったので続きは明日に回そう
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]