遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~林芙美子その2「幼少期」

2023年09月09日 | 読書
タマスダレ 撮影日:2014/09/10 撮影場所:某団地の庭



林 芙美子1903(明治36)-1951(昭和26)  作家 母・林キク

1903(明治36) 以下、フミ子は芙美子と表記
母キクと父宮田麻太郎 が下関への旅の途中、門司で芙美子が生まれる。
麻太郎は先に下関に向かい、下関の質流れ品を売る店で働く。


(キク一家が間借りしていた門司のペンキ屋の2階階段から転げ落ち、
産気づいて芙美子を産んだ、ということが書かれている。)

下関の林芙美子生誕碑(G-map) いまさら看板は下ろせない?
(芙美子自身はこの地で生まれたと思って、「放浪記」にもそう書いた。 
しかし、放浪記は芙美子が亡くなるまで何度も描き直されている、
後年、母キクの口から事実を聞いてからは下関と書いたと思われる。
また、芙美子の本籍は出生の地ではなく、鹿児島のキクの生家

1904(明治37) 芙美子1歳(以下、年齢のみ)
麻太郎は質流れ品を売ることを任され。軍人屋という店を出す。
日露戦争が始まり、出撃基地の下関では軍人向けの品が飛ぶように売れる。
麻太郎はキクと芙美子を呼び寄せ一家を構えた。

1907(明治40) 3歳
麻太郎は、石炭景気で賑わう若松市本町に移店し、長崎、熊本に支店を出す。
キクと芙美子もこの頃は裕福な暮らしをすることが出来た


1910(明治43) 7歳
麻太郎が芸者を家に入れる。
怒ったキクは芙美子を連れ、軍人屋番頭の沢井喜三郎と駆落ち、長崎へ行く。
芙美子は長崎市勝山尋常小学校へ入学。

1911(明治44) 8歳
喜三郎は、下関で古着商を営んで生活が安定し、フミと芙美子を呼び寄せる
芙美子、下関市名池尋常小学校へ転校する

1914(大正03) 11歳
喜三郎の店が倒産、両親が揃って行商に出る。
芙美子は鹿児島の祖母の家(母フミの生家)に預けられた。


以下、この頃の芙美子の暮らしぶりを伝える資料から要約記述する
鹿児島市山下小学校5年に編入される。
学校のつまらなさを知っている芙美子は学校へ行かない。
学校へ行かないなら、自分の食い扶持は稼げ、と祖母は女中替わりに使う。
芙美子は反発するが、料理仕事は好きだったので従う。
それを知ったフミは鹿児島に行き、芙美子を連れ戻し行商に連れ歩いた。」

1916(大正05) 13歳
一家は広島県尾道市に転居する。
芙美子は、第二尾道尋常小学校5年に編入される。 

(尾道に住んでいた頃の住居跡が林芙美子記念館になっていますが、
Webサイトに私好みが無いので探索を続けます)

1917(大正06) 14歳
教師・小林正雄が芙美子の文学や絵の才能を見出し、女学校進学を勧める 。
芙美子は、因島から忠海中学校に通学する岡野軍一と親しくなる。(初恋?)

1918(大正07) 15歳
教師の指導の下に猛勉強した芙美子は、尾道市立高等女学校に合格する。

今日はここまで。続きは次回。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]