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タマスダレ 撮影日:2014/09/10 撮影場所:某団地の庭
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林 芙美子1903(明治36)-1951(昭和26) 作家 母・林キク
1903(明治36) 以下、フミ子は芙美子と表記
母キクと父宮田麻太郎 が下関への旅の途中、門司で芙美子が生まれる。
麻太郎は先に下関に向かい、下関の質流れ品を売る店で働く。
(キク一家が間借りしていた門司のペンキ屋の2階階段から転げ落ち、
産気づいて芙美子を産んだ、ということが書かれている。)
下関の林芙美子生誕碑(G-map) いまさら看板は下ろせない?
(芙美子自身はこの地で生まれたと思って、「放浪記」にもそう書いた。
しかし、放浪記は芙美子が亡くなるまで何度も描き直されている、
後年、母キクの口から事実を聞いてからは下関と書いたと思われる。
また、芙美子の本籍は出生の地ではなく、鹿児島のキクの生家)
1904(明治37) 芙美子1歳(以下、年齢のみ)
麻太郎は質流れ品を売ることを任され。軍人屋という店を出す。
日露戦争が始まり、出撃基地の下関では軍人向けの品が飛ぶように売れる。
麻太郎はキクと芙美子を呼び寄せ一家を構えた。
1907(明治40) 3歳
麻太郎は、石炭景気で賑わう若松市本町に移店し、長崎、熊本に支店を出す。
キクと芙美子もこの頃は裕福な暮らしをすることが出来た
キクと芙美子もこの頃は裕福な暮らしをすることが出来た
1910(明治43) 7歳
麻太郎が芸者を家に入れる。
怒ったキクは芙美子を連れ、軍人屋番頭の沢井喜三郎と駆落ち、長崎へ行く。
芙美子は長崎市勝山尋常小学校へ入学。
1911(明治44) 8歳
喜三郎は、下関で古着商を営んで生活が安定し、フミと芙美子を呼び寄せる
芙美子、下関市名池尋常小学校へ転校する
1914(大正03) 11歳
喜三郎の店が倒産、両親が揃って行商に出る。
芙美子は鹿児島の祖母の家(母フミの生家)に預けられた。
以下、この頃の芙美子の暮らしぶりを伝える資料から要約記述する
「鹿児島市山下小学校5年に編入される。
学校のつまらなさを知っている芙美子は学校へ行かない。
学校へ行かないなら、自分の食い扶持は稼げ、と祖母は女中替わりに使う。
芙美子は反発するが、料理仕事は好きだったので従う。
それを知ったフミは鹿児島に行き、芙美子を連れ戻し行商に連れ歩いた。」
1916(大正05) 13歳
一家は広島県尾道市に転居する。
芙美子は、第二尾道尋常小学校5年に編入される。
(尾道に住んでいた頃の住居跡が林芙美子記念館になっていますが、
Webサイトに私好みが無いので探索を続けます)
1917(大正06) 14歳
教師・小林正雄が芙美子の文学や絵の才能を見出し、女学校進学を勧める 。
芙美子は、因島から忠海中学校に通学する岡野軍一と親しくなる。(初恋?)
1918(大正07) 15歳
教師の指導の下に猛勉強した芙美子は、尾道市立高等女学校に合格する。
教師の指導の下に猛勉強した芙美子は、尾道市立高等女学校に合格する。
今日はここまで。続きは次回。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]