遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~江口章子・その17「流浪の旅13~足跡を辿る・西国観音巡礼(続)

2023年09月02日 | 読書


巡礼マップ(G-map)へのリンク(摂津の中山寺を加えた)

1931(昭和06) 章子43歳
4月XX日
章子は初瀬(長谷寺の地)を去り大阪・妙中寺へ向かう~日は不詳
4月13日
大阪から章子はこの日付で戒仙宛てに手紙を出す
心身の不安定さが表われていた 戒仙は放っておけないと大阪に行く
二人一緒に摂津・中山寺に詣で、その札所で2~3日滞在
ここで章子の長い巡礼は打ち切られたのだろう、と寂聴は書いている
10月初め
 章子の神経症状が悪化、再び京大精神科にひと月ほど入院
 聚光院に戻った章子は面会を禁じられ、友達への手紙に嘆きを綴る
「いつまでこんなつまらない生活が続くのか
 私は小鳥の如く生きるのが自分の命だと思う
 今の寺院の生活は憂鬱なだけで、厭離すべきものになっている」

1932(昭和07) 章子44歳
 「この年の章子の消息は不明、おそらくは聚光院の奥の部屋で、
戒仙の庇護を受けながら療養していたのではないか」と寂聴は書いている
他の資料でも調べたが、たしかにこの年、年譜の空白が目につく

1933(昭和08) 章子45歳
6月 茶道千家の法要が菩提寺の聚光院で行われる
聚光院本堂・中庭?・沙羅双樹(どちらか?)・章子の部屋(右長屋の中?) 
大檀家の重要な法要、戒仙は章子に院奥の部屋から出ぬよう言い聞かせた
本堂で厳かに進む中、突然、事件は起きる・・・何かが庭に飛出して来た!
法要が行われている部屋からも庭は見える 何者か?
章子だった! 着物姿の彼女は、庭に植えた沙羅双樹の根元へ走り寄る
そして、章子は素っ裸になると座禅を始めた!
戒仙は章子を部屋に引きずり込むが、法要は大混乱に陥った
(適宜、脚色して書いていますが、内容は寂聴本と相違ありません)

翌日、戒仙は大徳寺管長と千家宗匠に進退伺を出す
が、二人とも「病気が為したことだろう」と受理しなかった
戒仙は章子を京大病院精神科に入院させた(2か月後に退院)

【閑話休題】
 ここで章子の精神の病について触れておこう
 「45歳、更年期による精神の乱れという解釈もあるが、
もっと以前から章子の肉体に忍び込んだ病魔が脳の奥に潜み
章子の心身ともに蝕んでいったのではないか」と寂聴は書いている

寂聴より年代の新しい史料には、京大の診断名が書いてあるものもある
「病名:突発性痴呆症~今でいう認知症」
(この診断は、章子が巡礼から戻った直後の入院時のもの)

今なら「若年性アルツハイマー」という診断名もある(私の実体験)
何とも判断できない問題だが、
寂聴説の「以前からの肉体の病魔が脳奥にまで進み・・・」は気になるところ

遺伝性も考えられるが、江口家の系譜にその形跡は見られない
肉体的には、最初の結婚で夫から性病感染、子供を産めなくなった
性病も脳に異常を齎す原因の一つだけれど(私の実体験)

あと、肉体の病魔で思い出したのが白秋とのこと
葛飾の紫煙草舎、売れない白秋との困窮生活が章子の身体を蝕んだ
章子の性格は本来明るく屈託がない 派手好きな一面、貧乏にもめげない

その健気なさに惹かれたからこそ、章子の足跡を辿っているワケ
彼女のことを調べていても、章子の悪口を殆ど聞いたことが無い
迷惑をかけられた、と言っているのは足フェチ爺こと谷崎くらいだ

章子は白秋のことをずーっと気にかけているが、彼のほうはどうか?
白秋は、小田原での章子の駆落ちで、調べもせず即、離婚した
嫉妬深くて自己チュー、詩で名や本が売れればいい、信念など無い

【閑話休題】が本題より長くなった
2度目の入院から戻った後・・・は章子は京都から蓼科に飛ぶ
ここから章子の本気の人生が始まるのだが、続きは明日に
それでは明日またお会いしましょう

[Rosey]