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巡礼マップ(G-map)へのリンク(摂津の中山寺を加えた)
1931(昭和06) 章子43歳
4月XX日
章子は初瀬(長谷寺の地)を去り大阪・妙中寺へ向かう~日は不詳
4月13日
大阪から章子はこの日付で戒仙宛てに手紙を出す
心身の不安定さが表われていた 戒仙は放っておけないと大阪に行く
二人一緒に摂津・中山寺に詣で、その札所で2~3日滞在
ここで章子の長い巡礼は打ち切られたのだろう、と寂聴は書いている
10月初め
章子の神経症状が悪化、再び京大精神科にひと月ほど入院
聚光院に戻った章子は面会を禁じられ、友達への手紙に嘆きを綴る
「いつまでこんなつまらない生活が続くのか
私は小鳥の如く生きるのが自分の命だと思う
今の寺院の生活は憂鬱なだけで、厭離すべきものになっている」
1932(昭和07) 章子44歳
「この年の章子の消息は不明、おそらくは聚光院の奥の部屋で、
戒仙の庇護を受けながら療養していたのではないか」と寂聴は書いている
他の資料でも調べたが、たしかにこの年、年譜の空白が目につく
1933(昭和08) 章子45歳
6月 茶道千家の法要が菩提寺の聚光院で行われる
聚光院~本堂・中庭?・沙羅双樹(どちらか?)・章子の部屋(右長屋の中?)
大檀家の重要な法要、戒仙は章子に院奥の部屋から出ぬよう言い聞かせた
本堂で厳かに進む中、突然、事件は起きる・・・何かが庭に飛出して来た!
法要が行われている部屋からも庭は見える 何者か?
章子だった! 着物姿の彼女は、庭に植えた沙羅双樹の根元へ走り寄る
そして、章子は素っ裸になると座禅を始めた!
戒仙は章子を部屋に引きずり込むが、法要は大混乱に陥った
(適宜、脚色して書いていますが、内容は寂聴本と相違ありません)
翌日、戒仙は大徳寺管長と千家宗匠に進退伺を出す
が、二人とも「病気が為したことだろう」と受理しなかった
戒仙は章子を京大病院精神科に入院させた(2か月後に退院)
【閑話休題】
ここで章子の精神の病について触れておこう
「45歳、更年期による精神の乱れという解釈もあるが、
もっと以前から章子の肉体に忍び込んだ病魔が脳の奥に潜み
章子の心身ともに蝕んでいったのではないか」と寂聴は書いている
寂聴より年代の新しい史料には、京大の診断名が書いてあるものもある
「病名:突発性痴呆症~今でいう認知症」
(この診断は、章子が巡礼から戻った直後の入院時のもの)
今なら「若年性アルツハイマー」という診断名もある(私の実体験)
何とも判断できない問題だが、
寂聴説の「以前からの肉体の病魔が脳奥にまで進み・・・」は気になるところ
遺伝性も考えられるが、江口家の系譜にその形跡は見られない
肉体的には、最初の結婚で夫から性病感染、子供を産めなくなった
性病も脳に異常を齎す原因の一つだけれど(私の実体験)
あと、肉体の病魔で思い出したのが白秋とのこと
葛飾の紫煙草舎、売れない白秋との困窮生活が章子の身体を蝕んだ
章子の性格は本来明るく屈託がない 派手好きな一面、貧乏にもめげない
その健気なさに惹かれたからこそ、章子の足跡を辿っているワケ
彼女のことを調べていても、章子の悪口を殆ど聞いたことが無い
迷惑をかけられた、と言っているのは足フェチ爺こと谷崎くらいだ
章子は白秋のことをずーっと気にかけているが、彼のほうはどうか?
白秋は、小田原での章子の駆落ちで、調べもせず即、離婚した
嫉妬深くて自己チュー、詩で名や本が売れればいい、信念など無い
【閑話休題】が本題より長くなった
2度目の入院から戻った後・・・は章子は京都から蓼科に飛ぶ
ここから章子の本気の人生が始まるのだが、続きは明日に
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]