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手塚緑敏『芙美子像』
1932(昭和07) 29歳
6月中旬
芙美子はほぼ7か月ぶりに日本へ帰って来る 神戸港で緑敏が出迎えてくれたパリでの暮らしを何日も緑敏に語り続ける
緑敏は芙美子を「先生」と呼び 自分はマネージャー役に徹する
秘書・書生・編集者対応・講演や取材の日程調整など全て緑敏が引受けた
当時、二人が住んでいたのは下落合の借家
芙美子は仕事に専念できる部屋がある家に住みたい、と緑敏に提案する
できれば母と養父も呼び寄せて一緒に暮らすことも芙美子の望みだ
探すのは、緑敏の役目
彼は時おり近くを流れる明正寺川の近くに絵を描きに行っていた
そこには知り合いの画家たちも集まっている
いい家があったらと紹介してくれ、と彼らにも頼んでおく
8月
間もなく今の家から東のすぐ近い場所に2階建ての西洋館が見つかった
芙美子は緑敏と見に行き、一目で気に入って即決、移り住んだ
以後、上落合に土地を購入、自分たちの家を建てるまで、9年間そこに住んだ
さて、ここで手塚緑敏のことを調べておく
彼の本業は画家 生まれは信州・・・のどこか?
調べたが不明 のち1944(昭和19)に、戦災を避けて信州へ疎開している
その時の疎開先は上林温泉・角間温泉とある
信州には私も多少の土地勘がある ふ~ん湯田中辺りが出身なのかな・・・
長野駅から須坂・小布施・信州中野を通り湯田中が終点
林温泉・角間温泉ともに志賀高原の麓の温泉町だ
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いらっしゃい!
画家だから美術館に情報は無いか?
美術館の数は信州が全国一だそうだ その多くは安曇野に集中する
しつこく調べたが空振り 彼の年譜すら無い!
もっとも緑敏は、絵の才能も芙美子が上と思っていたようだ
が、彼には薔薇育ての特技があった
「彼が育てたバラじゃないと描く気がしない」とは梅原龍三郎の遺した言葉
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「薔薇」梅原龍三郎
緑敏の絵が無いと可哀想だ
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手塚緑敏『下落合風景』
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手塚緑敏『信州の風景』
今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]