芙美子と実父・宮田麻太郎
1931(昭和06) 28歳
多くの人気女流作家がヨーロッパの地への旅行経験があった
自分も絶対に行きたい、と芙美子は思う
衝動的に事を運ぶことの多い芙美子だが、この時は入念に準備をした
パリの旅行記を読む、パリ在住経験のある人を訪ねて話を聴く、
中・露・独・英・仏語をにわか勉強する・・・等々
2年くらい滞在するつもりなので、問題は費用だ
夫・緑敏と二人で行けるほどの蓄えは無いので、単身で行く
旅先から原稿を書いて送れば資金は何とかなりそうだ
海路で行くのが安全だが、陸路の満・中・露経由で行く方が費用が安い
前年、中国までは行った経験があるので大丈夫だろう
11月 列車で東京を出て下関へ、船で釜山に渡り満州へ
以下、翌1932(昭和07)年6月に日本へ戻るまでの主な旅程は次の通り
長春→ハルピン→マンジュウリ(露満国境)→オムスク→モスコー→パリ→
モンモランシィ→フォンテンブロー→バルビゾオン→ロンドン→マルセイユ→
ナポリ→コロンボ→シンガポール→上海
独芙美子は生まれながらの放浪者・・・つい応援したくなる
毎日のように記録を残し、寄稿もする それがみんな面白い
青空文庫に「シベリヤの三等列車」がある ぜひ読まれることをお薦めする
片言のヘンなロシア語を操って面白がらせたり
持込んだ道具や材料で料理を作ったり 乗客の誰彼なく振るまったり・・・
芙美子の持つ天性の資質がよく表れている
6信のあともモスコー(モスクワ)へと旅は続く
ロシア革命後のロシアの社会や人々の冷静な観察も芙美子は忘れない
革命が全ての人々に平和と豊かな暮らしをもたらしたのではない・・と
明日はパリに着く
その夜に 芙美子はそれまでの出費を日別に細かく書き出す
合計 下関からパリまで約三百七十九円二十五銭
二週間の汽車の旅 案外楽だった とも書いている
11月23日
パリに到着、某新聞特派員が手配してくれたキッチン付きホテルに滞在する
以下、「下駄で歩いたパリ」:婦人サロン1932(昭和07)年2月号掲載 より引用
(いつものように私流超要約記述引用)
”初めの1週はめちゃくちゃ眠ってしまった
部屋の形が凸型で歩きにくい 少し稼いだら四角い部屋に移りたい
家具付きだが 洋服ダンスはチャチ 2脚ある椅子は座ると足がぶらんこ
笑い転げるにはいい椅子だ 笑い転げて死にたい時はこの椅子に限る
壁紙が紅色の花模様 ここで病気になったら悲惨だ
2週目 私はめっちゃくっちゃに街を歩いた
歩きながら、当度な歩いている人間の不幸さを哀れに思う”
芙美子 パリの古書店の前で
今日はここまで 次回は「下駄で歩くパリ」
できれば心ときめかす美男の話も・・・
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]