あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 2021年(令和3)年度 2

2021-05-29 15:42:41 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会
あすか塾 2021年(令和3)年度 2

【野木メソッドによる鑑賞・批評の基準】
◎ 高次な抒情の中にドッキリ・ハッキリ・スッキリと自己を表現したい。
○ドッキリ=自分らしい発見感動のことで、日々の生活の中で四季折々に出会う自然や人事など、すべてのものに敏感に反応する素直な心。(感性の力)
○ハッキリ=余分な言葉を省き、単純化した句のことで、のびのびと自由に自己の表現が出来ている俳句。(知性の力)
○スッキリ=季語や切字の働きを最大限に生かした定型の句で、表現は簡素に、心情内容は深い俳句。(意志・悟性の力)
◎ 鑑賞・批評の方法
鑑賞する句の「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」に注目して。

 ※ 以下ドッキリを「ド」、ハッキリを「ハ」、スッキリを「ス」と略記。


         ※     ※      ※

1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」7月)

◎ 野木桃花主宰句(「みどりの日」より・「あすか」2021年6月号)

みどりの日ときめきの森へ扉開く
友の背を軽く払うてえごの花
藪深く黙を深めて今年竹
近江路へふつふつ旅愁夕焼て

【鑑賞例】
 一句目、心象の具象化表現の句ですね。「扉」はこころの扉を表していますが、何もかもが開放的になってきた春の雰囲気の表現になっていますね。二句目、「軽く払ろうて」という言葉で親しみと慈しみが表現されています。そこで句意がいったん切れて、季語の「えごの花」を下五に置く事で、枝先に白い小鈴のような五弁花が群れ咲くさまに繋げて詩情豊かに締めくくられています。三句目、「黙を深めて」の「黙」は深刻な悩みごとの様ではなく、この後すくすくと伸びる前の、力をためているような生命力の「黙」の表現ですね。四句目、「ふつふつ旅愁」の擬態語と旅心を結びつけた表現が斬新ですね。俳人の多くが魅了される近江路への思いなら、なおさらで、下五の「夕焼て」も効いていますね。

〇 武良竜彦の四月詠

西行の死後のしら雲弥生尽
傷みし帆広げて船がゆく晩春

【自解(参考)】
 一句目、すべてを捨てて漂泊の旅に出た歌人として、伝説的なエピソードが多い西行ですが、そういうことからも無縁の流れる「しら雲」のように旅に生き、旅に死にたかったのでは、という想いを詠みました。西行が死にたいと歌に詠んだ如月の翌月、つまり弥生の終りに。二句目、マストや帆は傷だらけになりつつも、まだ航海を続ける人間の命の喩として詠んだつもりです。 

2 「あすか塾」30  2021年7月 

⑴ 野木メソッド「ド」「ハ」「ス」による合評会

〇「あすかの会」会員の作品から (「あすか」6月号)  

人恋しマスクに隠す春愁                              大木典子
「ド」誰にも告げられぬ心の愁いを、時節柄の「マスク」で詠みましたね。
「ハ」マスクという、他から自分を隔絶するもので、その疎外感を強調した表現ですね。
「ス」隔絶されることで余計に募る想いを巧に表現しました。

さくら散り蕊降り今年の宴了ふ                           大本 尚
「ド」花見は宴ですが、この句は桜の開花と落化こそが一つの宴であり、それが終わったな、という感慨の句ですね。
「ハ」花びらが散るさまだけではなく、蕊が降るところまで見届けている表現ですね。「散り」「降り」の繰り返しでリズム感が生まれています。
「ス」終わりを完了の「了」にしたのも効果的ですね。

沖を見るだけの鎮魂花の冷え                            奥村安代
「ド」災害の犠牲者に対して何もできない自分、という内省的な想いの表現ですね。
「ハ」鎮魂の思いの「形」の表現には手を合わせる合掌、天を仰ぐ祈りなどあることを前提とした表現ですね。私はただ「沖を見るだけ」だったいう表現に切なさが滲みます。
「ス」下五の「花の冷え」がその心象にぴったりです。

せせらぎの水音集めて蝌蚪の池                           金井玲子
「ド」きれいな小川の流れを感じさせる表現ですね。
「ハ」「集めて」という擬人化した表現ですが、「集めて」いるのは自然の力ですね。
「ス」結びは「池」ですが流れに繋がる流水のある池ですね。「蝌蚪」の生命感に繋がります。

陸奥に空ある限り揚雲雀                             鴫原さき子
「ド」大胆な省略表現が詩情を豊にしている句ですね。
「ハ」地は壊滅的に被災しても「空ある限り」という中七までの句意で切れて、上昇感のある「揚雲雀」で結んでいます。
「ス」散文のように完結しなくても、その思いに読者は共振します。

差向ふ暮し幾とせ春ともし                             白石文男
「ド」誰と誰がと言わなくても老夫婦の姿が見える表現ですね。
「ハ」「差向ふ」という近距離感のある「場」から、「暮し幾とせ」という時間の積み重ねへの転換が効果的ですね。
「ス」下五の「春ともし」のひらがな書きの柔らかさで、心温まる景に収斂されています。

春夕焼縁どる峰の新たなり                             宮坂市子
「ド」古いものこそ常に新しく、変わらないからこそ日々同じ景はない、という感慨の句ですね。
「ハ」歴史ある土地に根差す暮らしを包むのは、変わらない自然の姿です。だが見慣れた峰の夕焼の色合いは、一度として同じ景はなく変化に富んでいます。
「ス」そのことを下五で「新たなり」と言い切った表現が効果的ですね。

久々にメモ取る手帳日脚伸ぶ                            須貝一青
「ド」上五の「久々に」でこれまで、心に余裕がなかったことが表現されています。
「ハ」中七の「メモ取る」で俳句手帳かもしれないと推測されます。
「ス」下五の季語の春の到来を感じさせる語で、屋外の視野が開けます。直な語順の展開で、平凡な景が、平凡ゆえの貴重なひとときに変わります。

連結の貨車大揺れに山笑ふ                            村田ひと
「ド」貨車の連結は大音響を伴い、目が覚めるような表現です。
「ハ」作者の性別を超越したような視座にも爽快感があり、力強い表現ですね。
「ス」その音響感が「山笑ふ」の季語に相応しいですね。

冴返る骨董市の欠け茶碗                              石坂晴夫
「ド」屋外で行われている骨董市の寒気が伝わる表現ですね。
「ハ」「欠け茶碗」へのズームアップが効果的ですね。
「ス」春さき、暖かくなりかけたかと思うとまた寒さが戻ってきて、より冴え冴えとしたものを感じるのが「冴え返る」ですね。欠け茶碗の尖った角に寒気を感じます。

つちふるやゴビの砂漠のもの混じる                        稲塚のりを
「ド」土埃といっしょに視野が砂漠まで広がる表現ですね。
「ハ」「ゴビの」「砂漠の」と、噛みしめるような語調ですが、逆に心は外に広がってゆきます。
「ス」ゴビ砂漠から飛来した黄砂が関東平野の春ホコリと、混ざりあうという表現が効果的ですね。

五線譜を飛びだす音符揚雲雀                            近藤悦子
「ド」大胆な空想表現ですが、沸き上がるような高揚感がありますね。
「ハ」空想なのに音符の形状が想像されて、不思議なリアリティを生み出しています。
「ス」下五の揚雲雀からの発想ですが、それを語順的に逆転させて効果を上げていますね。

〇「風韻集」6月号作品から 

水温むたゆたふ帯のひつじ雲                            大澤游子
「ド」寒気の緊張がほぐれてゆくような季節感を詠んだ句ですね。
「ハ」それを「ひつじ雲」の帯状に「たゆたふ」さまで表現しました。ひらがな書きが効果的ですね。
「ス」地の水温む、と春の空の雲を共鳴させて句に広がりがありますね。

鳥帰る入江の波の乱れなし                             加藤 健
「ド」季節のめぐりの規則正しさへの感慨の句ですね。
「ハ」「入江の波の乱れなし」という言い切りが効果的ですね。
「ス」穏やかな春の海の景が浮かびます。

雪解けの重き道のり郵便車                            坂本美千子
「ド」雪解けの時節のぬかるみ感を表現した句ですね。
「ハ」それを定期的に運行する「郵便車」にしたのが効果的ですね。
「ス」ぬかるみ、と言わず、「重き道のり」と表現に詩情がありますね。

前山の一本だけの花盛り                              摂待信子
「ド」おそらく一本だけの早咲桜に対する感慨の句でしょうね。
「ハ」「前山の」で指呼の間にある山で、いつも眺めている山であることが解ります。
「ス」全山、桜という景ではなく、一本だけ桜が混じる里山ふうの雑木林が近くにある暮らしの一コマですね。

たかんなや見つけ上手な小学生                          服部一燈子
「ド」子供たちが筍掘りをするような暮らしを感じる句ですね。
「ハ」慣れないと芽を出したばかりの「たかんな」を発見するのはなかなか難しいものですね。
「ス」それを得意とする学童がいる景として表現したのが効果的ですね。
       
口中に言葉あたため竹の秋                            本多やすな
「ド」周囲とは違う想いを抱いて「口中に言葉あたため」ている自分の、言葉にならない思いの表現の句でしょうか。
「ハ」広葉樹一般とは真逆の季節のめぐりを持つ「竹の秋」との取り合わせが効果的ですね。
「ス」筍に栄養分を費やすために、竹が春に葉を黄変させることを晩春の季語で「竹の秋」といい、竹落葉は初夏の季語になります。

海鳴りの身に迫り来て春の闇                           丸笠芙美子
「ド」夜のしじまの中で、一際、海鳴りという自然の音を身近に感じている表現ですね。
「ハ」「聞こえ来る」とか「音がする」ではなく「身に迫り来て」と引き寄せた表現が効果的ですね。
「ス」作者が下五の「春の闇」に特別な思いを込めていることが伝わります。

天国の父降りて来よ翁草                              三須民恵
「ド」願望を命令形で強く表現した表現ですね。
「ハ」その強調が作者の思慕する思いをいっそう強めていますね。
「ス」「翁草」の名の由来は、実が長い白毛状になって老人の白髪に似ることからですね。釣鐘形の赤紫色の六弁花も全体が白毛に覆われています。花が能楽の「善界」で天狗の被る赤熊(しゃぐま)に似ていることから「善界草」ともいいます。薬用にもなる花ですね。それを亡き父への思慕の表現に寄り添わせました。

天空に濯ぎて白き花辛夷                              柳沢初子
「ド」爽やかな春の空気感を白い花辛夷で表現した句ですね。
「ハ」まるで清らかな水で洗い清めるように「濯ぎて」としたのが効果的ですね。
「ス」上五も「青空に」という近すぎる言葉を避けて、広がりのある「天空に」としたのも効果的ですね。

行間に詩樹間に余る花こぶし                            矢野忠男
「ド」すぐれた詩が「行間」に豊かな詩情を滲ませていることを喩として表現した句ですね。
「ハ」清楚な「花こぶし」が「樹間に余る」と表現して春の空気感を表現しました。
「ス」「行間」「樹間」という対句的な対比表現が効果的ですね。

発破師に仕出しの届く麦湯かな                         山尾かづひろ
「ド」爆破などを伴う荒々しい工事現場のお昼の、ほっとするような一ときを表現した句ですね。 
「ハ」下五を「麦湯」という季語で閉めているのが効果的ですね。
「ス」「発破師」正しくは「発破技士 」は、労働安全衛生法 に規定された免許(国家資格)の一つで、免許試験に合格して、 都道府県労働局長から免許を交付されます。採石現場や建設現場などで発破を行う際に穿孔、装填、結線、点火、または不発の際の残薬点検と処理などの業務に従事することができる資格を持つ人のことです。その火薬の匂いのする現場とお昼の「仕出し」の取り合わせが斬新ですね。

ルオーの絵に出会ひてからか春愁                          渡辺秀雄
「ド」ちょっとした切っ掛けで、内なる愁いが始まることを表現した句ですね。
「ハ」前衛的でインパクトのある画風に作者は特別な思いを抱いたようです。
「ス」「ジョルジュ・ルオー」は、フォーヴィスム(写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現)に分類される十九~二十世紀のフランスの画家で、「画壇」や「流派」とは一線を画し、ひたすら自己の芸術を追求した画家。売春婦やピエロや道化者たちを表現し、一方でキリストの肖像画やその他の精神的象徴を崇拝するように描いた。掲句は自分の「春愁」をその絵画世界を喩として表現しました。

蕗味噌や味それぞれの句合宿                           磯部のり子
「ド」十人十色の俳句の内容の違いの面白さを「蕗味噌」の味わいに引き付けて表現した句ですね。
「ハ」「蕗味噌」はまだ開ききらない蕗の薹を摘んで湯がくか油でいためて刻み、味噌や酒、みりん、砂糖などで調味したもの。ほろ苦さに味わいがあります。新型コロナウイルス感染症の終息しない今、こういう「合宿」が行えることの愉しさまで伝わる表現です。
「ス」「蕗味噌」は地方や家々で作り方が違っているものです。その味わいの差を作風の違いに引き付けて表現しましたね。

ペン立てに尖る鉛筆地虫出づ                           伊藤ユキ子  
「ド」砥ぎたての鉛筆の芯の先のように、新たな創作に向かう心の表現の句ですね。
「ハ」新たな季節の始まりでもある季語の「地虫出づ」も効果的ですね。
「ス」鉛筆がペン立てで先を尖らせて待機している景に、ある決意を感じますね。ワープロではなく、手書き派の俳人らしい景ですね。

冴返る森切り刻むチェーンソー                           稲葉晶子
「ド」木の伐採の音を自然破壊のように聞いている表現の句ですね。
「ハ」上五の「冴え返る」で、そこに底冷えのするものを感じ取っていることも伝わります。
「ス」「切り刻む」にその暴力的な破壊力が感じられますね。

⑵ 要点を的確に一言で寸評する練習  ☆同人句「あすか集」6月号作品から 

時刻む秒針既に春の音                               杉崎弘明
寸評 小さな時計の秒針の、音の変化に春の気配を感じ取っている句ですね。

潦ひかりて春の雨静か                               鈴木 稔
寸評 小さな水溜り、ということは、周りは全部土か道路ならアスファルトですね。そこだけ光を宿している景に、静かな春の雨を添えたのがいいですね。
 
この黄砂ジンギスカンの大地より                         砂川ハルエ
寸評 黄砂の発生地点を歴史上の人物がいた大地と表現して距離と時間を表現した句てすね。

砂吐きて待つはかなしき浅利かな                          滝浦幹一
寸評 食べ物になる生物にとってその「待ち時間」は死と向かう時間だという感慨を詠んだ句ですね。

啓蟄や地下の駅から人溢れ                            忠内眞須美
寸評 季語の「啓蟄」は虫が地中から這い出してくることに由来します。それを地下鉄から地上に上がる人間の営みへと広げた表現ですね。その転化が効果的ですね。
 
縁台に子猫みつける昼下り                            立川多恵子
寸評 午後のちょっとした発見と、小動物のふれあいのひと時。心なごむ句ですね。
 
今年こそ等間隔で菊の苗                             千田アヤメ
寸評 園芸に慣れず、例年は苗植えが下手だったことが推測されてユーモラスな句ですね。

切株の上で踊る児山笑う                             西島しず子
寸評 児童が乗って踊れるくらいですから、結構大きな切株のようです。そこを踊り場にしてしまう児のはじけるような笑顔まで浮かぶ句ですね。下五の「山笑う」が効いています。

水切りの波紋は五つ春の川                            乗松トシ子
寸評 自分が投げた石かもしれませんが、たぶん近しい児童が投げたのでしょう。五つの同心円の波紋ができるように投げるのは、案外難しいものです。それを見守っている作者の眼差しを感じる句ですね。

この道も花びら敷いて歓迎す                            浜野 杏
寸評 両脇に花が植えてある道が、花咲く春を歓迎しているようだという感慨の句ですね。
 
空を吹き野を吹き青田の風となる                          星 瑞枝
寸評 「空を吹き野を吹き」のリフレインと、空から野、そして最後は田への視点移動で春風と春田を表現した句ですね。

神の池独り占めして残る鴨                             曲尾初生
寸評 「神の池」と呼んで大切にされているその土地の池がある。昔の地方にはそんな場所が必ずありました。その伝統を残している所の句だということが解ります。「独り占めして」が効いていますね。

暖かや排水溝に稚魚生る                              増田綾子
寸評 こんな小さくて狭い「排水溝」に、小さな命が生まれているという発見と感慨の句ですね。

しやぼん玉愛犬の背に漂ひぬ                            増田 伸
寸評 「しやぼん玉」といえば、その地点が上への動きを予想してしまいますが、掲句は「愛犬の背」に留まらせました。楽し気な雰囲気と愛犬に注ぐ優しい眼差しも感じる句ですね。

落ちてなお青空仰ぐ紅椿                             緑川みどり
寸評 擬人法が効果的な句ですね。落ち椿に対する、ふつうの感じ方を逆転する表現が斬新ですね。

夏めきて両手にあまる日差しかな                          村山 誠
寸評 初夏に向かうたっぷりとした明るい光量を「両手にあまる」と、効果的に表現した句ですね。

白蝶は空の青さをまだ知らず                           安蔵けい子
寸評 下五の「まだ知らず」で、生まれたての命の初々しさを効果的に表現した句ですね。

連凧のひとひらづつを風に置く                           飯塚昭子
寸評 「ひとひらづつを」が効果的ですね。丁寧で繊細な心の在り方を感じさせる句ですね。

下駄箱に不安を脱いで入学す                            内城邦彦
寸評 こんなふうに新入生たちの、不安に揺れる心を表現できた句は、ほかにないでしょう。

春を待つ研ぎし農具の光かな                            大谷 巖
寸評 春を待っているのは人ですが、人が研いだ「農具の光」と転換した表現が効果的ですね。

ふらここを漕げば心は無限大                            小澤民枝
寸評 ブランコは吊り点を中心に往復の有限運動をするものですが、それを漕いでいる「心は無限大」と言い切った表現が効果的ですね。

初蝶来朝の日差しをきらめかせ                           金子きよ
寸評 初蝶を主語にした擬人化表現が効果的ですね。春の日差しのきらめきを感じる句ですね。

たんぽぽや総身に浴ぶる陽の温み                          城戸妙子
寸評 「陽の温み」を浴びているのは人ですが、たんぽぽといっしょに日差しを浴びている場の、暖かな空気感まで表現されていますね。

用水にゆったり流れ花筏                              斉藤 勲
寸評 「用水」は古くは江戸時代の農業灌漑事業で造成された歴史的起源を持つ、大きい川の支流になっていることが多い川ですね。その両岸は桜並木になっていることも多いですね。「ゆったり」が「花筏」の流れの様だけでなく、用水の歴史的な時間まで表現されているようです。

リハビリや金魚は朱く回転す                          佐々木千恵子
寸評 自分はリハビリに取り組んでいる身なのでしょう。小さな金魚たちの機敏な動きに目を奪われて、飽かず眺めているようです。あんなふうに動けるようになりたい・・という心まで伝わります。 

※      ※


1 今月の鑑賞・批評の参考 6月

◎ 野木桃花主宰句(「影法師」より・「あすか」2021年5月号)
思ひ出は横顔ばかり古都の春
影法師連れて野毛坂花の坂
北山の杉を磨きて緑雨かな

【鑑賞例】
 一句目、亡き人への想いの句だと鑑賞しました。現在のまだ真新しい「記憶」ではなく、思い出と化して、日に日に「横顔」のように遠くなりゆくことへの哀感が滲みます。
 二句目、野毛坂は横浜市の中区・西区の坂道で、敷き詰められた石畳が創り出す波紋状の模様が美しい坂道。横浜市民には野毛山動物園へ至る坂道としても親しまれています。石畳が野毛山公園に沿って緩やかにカーブしながら続いてゆく姿は横浜らしい歴史風情のある味わい深い景観でした。しかし、平成時代の終りにアスファルト舗装に改修されてしまいました。掲句にはその情緒の余韻の残る風情が感じられますね。
三句目、北山杉は京都市北部から産するブランド杉。磨き丸太として室町時代から茶室や数寄屋に重用されました。現代では高級建築材として床柱などに用いられています。掲句は下五の「緑雨かな」で、北山に植わっている杉の景ともとれますが、以上の由来から自宅の床柱を磨いている様子と解することもできます。すると和風建築の歴史ある古民家的な佇まいが感じられますね。余談ですが私は一句目の句と合わせて、川端康成の『古都』という小説を思い出しました。幼い頃、別れ別れになっていた美しい双子の姉妹が成人した後に出会い、交流を深めていく中で、北山杉の山中でいっしょに落雷を避けるシーンが印象的でした。一卵性双生児の姉妹の交わりがたい運命を古都、京都の風土を交えて描いています。

〇 武良竜彦の三月詠(参考)
悲しみの根を踏みしめて陸奥残雪
我に余生富士に残雪の光あり
廃船は永遠に海向き鳥曇

【自解】
 一句目、東日本大震災の被災地の十年目の春に黙祷を捧げた句です。二句目、残雪でも輝く富士の光を、自分の余生の力にもらいました。三句目、人生の比喩句で一線を退いても未だ…という余韻を表現しました。

2 「あすか塾」29  2021年6月 


⑴ 野木メソッド「ド」「ハ」「ス」による合評会


〇「あすかの会」会員の作品から (「あすか」5月号)  
つぶやきはマスクの中に鳥曇                            大木典子

「ド」人との触れ合いが制限される時勢の閉塞感の句ですね。
「ハ」独り言の「つぶやき」を、更にマスクで遮断されている表現が効果的ですね。
「ス」下五に置いた「鳥曇」で、鳥も飛び立つ季節の変り目だというのに、という想いが強調されていますね。

恋猫に乱され闇の匂ひけり                             大本 尚
「ド」恋猫たちのけたたましい声で、春の闇に匂いたつような濃密さを感じている句ですね。
「ハ」「乱され闇の」を中七にして、下五を「匂ひけり」としたことが効果的ですね。
「ス」普通なら「喧しいなあ」という音への反応で終わるところを、生きものたちの息遣いを「闇の匂」にしたのが効果的ですね。

鳥語聴く光あふるる春障子                             奥村安代
「ド」障子に春の光と鳥たちの声が乱反射しているような明るい句ですね。
「ハ」屋外で直接、鳥の声を聴いているのではなく、「春障子」を隔てた描写が効果的ですね。
「ス」囀りを人声のように聴いているような「鳥語」という言葉で効果を上げていますね。

寒禽や空の深みへ声放つ                              金井玲子
「ド」冬鳥のよく透る声への感慨の句ですね。
「ハ」「空の深みへ」でよく晴れて澄んだ冬空へと、音響的な奥ゆきを表現しました。
「ス」「寒禽」とは、冬に訪れる渡り鳥だけではなく、留鳥、漂鳥、そして種類を問わず目にする小さめの冬鳥です。だから甲高いくっきりとした輪郭の響で、どこにいても聞こえてくる声ですね。

手を振らぬさよならもあり鳥雲に                         鴫原さき子
「ド」再会することない永訣の悼みの感慨の句ですね。
「ハ」「手を振らぬ」と表現したことで、読者にどんな別れなのかという想いに誘う効果がありますね。
「ス」渡り鳥が去る「鳥曇に」の季語が余韻を深めていますね。

初蝶や影を重しと置き去りに                            白石文男
「ド」初蝶の軽やかさの感慨の句ですね。
「ハ」質量のない筈の影を「重い」と、対照的に表現したのが効果的ですね。
「ス」下五の「置き去りに」で、その直後の飛翔感を鮮やかに表現しました。

細石玉と拾ひて涸れ川原                              宮坂市子
「ド」何もない寂しい冬の川原で輝くものを発見したときめきの句ですね。
「ハ」なんでもない「細石」を「玉(ぎょく)=宝石」のように拾ったという表現が効果的ですね。
「ス」日々の中の、ちょっとした発見に心を動かす感受性が生きていますね。

裏庭の水仙呱呱の声あげる                             須貝一青
「ド」水仙のそよぎに、生まれたての嬰児のような「声」を幻聴したような感慨の句ですね。
「ハ」実際にはしていない音を作者が想像していることを示して、その感慨を表現しました。
「ス」呱呱の「呱(こ)」は赤ん坊の泣く声のこと。つまり水仙の姿を生まれたての嬰児のような眼差しで観ている作者の心まで伝わります。

花の冷虎の剥製傷二つ                              村田ひとみ
「ド」命を剥製にして飾ることへの違和感を詠んだ句ですね。
「ハ」「花の冷」という季語と「傷二つ」という具象表現に違和感を凝縮して効果を上げていますね。
「ス」博物館などではなく家庭内に飾っている人がいます。その「文化」にも違和感を感じているようですね。

狐火に野良猫戯れ墓域かな                             石坂晴夫
「ド」墓域の雰囲気を巧に表現した句ですね。
「ハ」野良猫が狐火と戯れている景としたのが効果的ですね。
「ス」「狐火」は火の気のないところに提灯または松明のような怪火が一列になって現れ、ついたり消えたり、一度消えた火が別の場所に現れたりするもので、正体を突き止めに行っても必ず途中で消えてしまうそうです。また、現れる時期は春から秋にかけてで、特に蒸し暑い夏、どんよりとして天気の変わり目に現れやすいそうです。この句は墓域の雰囲気として表現しました。

耕しの二人は夫婦影重ね                             稲塚のりを
「ド」春耕のほのぼのした景を詠んだ句ですね。
「ハ」下五の「影重ね」で夫婦の仲睦まじさを表現したのが効果的ですね。
「ス」農業界で高齢化が問題になっているようです。このような心温まる光景が失われて欲しくないですね。

桜東風コーラスの声はづれさす                           近藤悦子
「ド」コーラスの音程が微妙に狂ったことを桜東風のせいにしたというユーモラスな句ですね。
「ハ」自分もコーラスの一員なら「音を外した」というところですが、それを東風を主語にして「はづれさす」と言う使役表現にしたのが効果的ですね。
「ス」「東風」は冬型の西高東低の気圧配置が崩れ、太平洋から大陸へ吹く温かい風で、雪を解かし、梅の花を咲かせますが、ときに、強風となって時化を呼ぶ風でもあります。その強さをコーラスの音程の狂いで表現したのが効果的ですね。

〇「風韻集」5月号作品から 

春寒やペンのつまづく日記帳                            稲葉晶子
「ド」「つまづく」でペンの動きだけでなく作者の心の表現をしている句ですね。
「ハ」心が淀んだのは、何か書きあぐねるようなことがあったのだなと推測される句ですね。
「ス」寒暖の乱れを含む季語の「春寒」で効果を上げていますね。

渓谷の瀬音耀ふ猫柳                                大澤游子
「ド」「輝く」より深い趣のある「耀ふ」という言葉で春の光を詠んだ句ですね。
「ハ」「渓谷の瀬音」という音と「猫柳」の銀色を「耀ふ」で効果を上げましたね。
「ス」「耀ふ」という言葉は「輝く」より光に柔らかさや移ろいを感じる言葉ですね。

それぞれに声を捨てゆく春の鳥                           加藤 健
「ド」作者がある一か所にして「春の鳥」の声に耳を傾けている句ですね。
「ハ」「捨てゆく」で、作者がそこに置き去りにされているような動的な表現になりましたね。
「ス」「それぞれに」で多種の鳥たちの声を楽しく聴いている作者の姿が浮かびます。

道草のことには触れず蕗の薹                           坂本美千子
「ド」「道草」という言葉に含まれる微妙な気持ちを詠んだ句ですね。
「ハ」ちょっとした所用か、あるいは必要不可欠の「道草」だったのかもしれませんが、そのことを話題にする雰囲気ではなかったか、自分でそのことを人には言うまいと決めていたか、さまざまな思いが込められていることが伝わります。
「ス」下五の「蕗の薹」という季語が、作者の気持ちを自然に向けて開かせてくれているような効果がありますね。

春陽さす雑木林の影淡し                              摂待信子
「ド」春の明るい日差しの中の、新芽の萌えてきた雑木林の柔らかな光を詠んだ句ですね。
「ハ」「影淡し」という言葉で雑木林全体とその周りの景まで見える効果をあげていますね。
「ス」生活の場近くにそのような林のある環境での暮らしまで見えます。

ふらここの童の靴は輝けり                            服部一燈子
「ド」子供の小さく可愛らしい靴へのズームアップ表現が見事ですね。
「ハ」上五の「ふらここ」でスイング感を出した後に靴へのズームが効果的ですね。
「ス」「ふらここ」で「や」など入れて切らないで、「童の靴は」と続けたのが効果的ですね。
             
幸せを吹きこんでいる紙風船                           本多やすな
「ド」溢れる幸せ感を噛みしめているような句ですね。
「ハ」敢えてそう表現していることに、作者の意志を感じる句ですね。
「ス」紙風船という頼りなげな器であることに注目すれば、幸せの願いのささやかさも感じる句ですね。

たをやかな吐息をつれて春の雪                          丸笠芙美子
「ド」春の雪はすぐ解けてしまいます。冬に逆戻りした感じではない、あら、まだ雪が降ったというような感慨ですね。
「ハ」その雪が「たをやかな吐息」をつれてきたという表現が効果的ですね。
「ス」「たをやか」とは動作や雰囲気などがしやなかで美しかったり、やさしい雰囲気であったりすることを表現する言葉ですね。それを「吐息」の表現としたのが効果的ですね。

花筏自由な形喜ぶ目                                三須民恵
「ド」水面に浮かぶ花筏の形の変化を楽しんでいる句ですね。
「ハ」自分が楽しんでいることを「喜ぶ目」として、形の変化を効果的な表現しました。
「ス」花筏が風、水流の加減で形を変えることに絞った表現が効果的ですね。

争うて鴨の散らせる水の綺羅                            柳沢初子
「ド」鴨同士の争いの声に振り向いたが、鴨の動きで飛び散る水しぶきの美しさの方をクローズアップした句ですね。
「ハ」水しぶきと言わず、「水の綺羅」としたのが煌めきを感じて効果的ですね。
「ス」人間にはなんということのない「争い」かもしれないが、鴨同士には深刻な争いかもしれません。その争いで傍に美的光景が生じていることを合わせて詠んで、少し複雑な思いの表現にもなっていますね。

園児等の黄色い桜ふくらんで                            矢野忠男
「ド」園児たちが見上げる、ふくらみ始めた桜。この二つの成長の取り合わせの感慨の句ですね。
「ハ」「園児等の」の「の」で軽く切れて、園庭の広い空間が取り込まれている表現ですね。
「ス」成長盛りの園児と、これから咲こうとしている桜の蕾。人と自然の息吹の表現ですね。

金属の骨體中に花冷えぬ                            山尾かづひろ
「ド」「花冷え」の季節の中で、当事者にしか解らない身体感覚が表現されていますね。
「ハ」骨の字がつく「體」という言葉で、その身体感覚が強調されています。
「ス」人それぞれの感慨で桜を見ているのだということに気付かされます。

朝刊を四角に読みて冬ごもり                            渡辺秀雄
「ド」外出自粛中、自宅で新聞紙をテーブルいっぱいに広げて読む解放感の句ですね。
「ハ」普段は通勤途上で折り曲げた新聞を読んでいるのだということも伝わります。
「ス」「四角に畳み」と言わず「四角に読みて」としたのが効果的ですね。

掃き出しの光透きたる春ぼこり                          磯部のり子
「ド」掃き出したほこりにも春らしさを感じている句ですね。
「ハ」窓が外に面しているか、庭に面した廊下のある部屋に差し込む春の日差しを感じますね。
「ス」「掃き出しの光透きたる」という上五中七の言葉運びがとても効果的ですね。

不揃いの羅漢百体木の根明く                           伊藤ユキ子  
「ド」大樹の根元に鎮座する羅漢像たちにも春の気配を感じている句ですね。
「ハ」「不揃い」で、多様な羅漢像の景が浮かびます。それを下五の季語が春色に包んでいます。
「ス」「羅漢」は「阿羅漢 (arhatの音写)」 の略称。供養と尊敬を受けるに値する人の意。剃髪、袈裟を着た僧形に表わされます。羅漢の彫像では京都南禅寺の十六羅漢像、東京羅漢寺の羅漢像が有名。この句は「百体」とあるので羅漢像を見ての俳句でしょう。

⑵ 要点を的確に一言で寸評する練習  ☆同人句「あすか集」5月号作品から 

料峭や妻ほつそりと退院す                             鈴木 稔

寸評 春とは名のみの寒さの残る中で退院する愛妻への眼差しがやさしいですね。

幼児には幼児のリュック春日和                           滝浦幹一
寸評 小さく可愛らしいリュックが小さい背中で揺れているのが見えます。

歩かねば春の風には出合えない                           立澤 楓
寸評 引きこもっていては、春は来ないよ、と言われているような気がしました。 

花の影盲導犬の鼻の先                              丹羽口憲夫
寸評 花の下で立ち止まり匂を堪能しているご主人に寄り添う、盲導犬の姿が浮かびます。
 
月おぼろ標準木の吐息かな                            乗松トシ子
寸評 開花宣言などの基準に定められた桜の木。その勤めを果たしていることに思いを寄せた句ですね。

紅さしておかめ桜の我を呼ぶ                            浜野 杏
寸評 カンヒザクラとマメザクラを交配した淡い紅色の一重咲きの桜。ソメイヨシノより早くに開花し花が下を向いているのが特徴。「紅さして」と「我を呼ぶ」で挟んだ表現が効果的ですね。

流氷の接岸の報地球の命                              林 和子
寸評 北半球のダイナミックな流氷を「地球の命」と詠んで、感動的ですね。

地球に帰る君三月の別れ雨                             幕田涼代
寸評 小惑星探査から地球に帰還して任務を果たした探査機を優しい地球の雨が労っているようです。

飾られて雛の口元ほころびぬ                            増田綾子
寸評 作者の笑みが雛にもうつったようです。

いぬふぐりここにも小さき青空                          緑川みどり
寸評 地に青空を発見した眼差しがやさしいですね。

鳥曇監視カメラの目と眼合ふ                            望月都子
寸評 季節が巡って去る鳥という自然の現象を感慨深く見上げているのを、人工的な監視カメラが・・・。鮮やかに現代を切り取りました。

根分けして予定のメモを一つ消す                          吉野糸子
寸評 季節のめぐりを肌で感じて、丁寧に生きている姿勢を感じる句ですね。



「あすか塾」2021年5月

1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」5月用・「あすか」誌7月号掲載予定分)

◎ 野木桃花主宰句(「鳥帰る」より・「あすか」2021年4月号)
たつぷりと日差したくはへ蝌蚪の紐
蝌蚪の棲む共生の水学校田
こんな日は灯を恋しがる享保雛
動くものこれはひじき藻渡し船

【鑑賞例】
 一句目、「蝌蚪の紐」は孵化を待つオタマジャクシの卵ですね。「日差したくはへ」は命の力の蓄積の表現ですね。二句目、一句目と同じ題材ですがこの句はわたしたちと生きものが「共有する命の水」に焦点を当てた表現ですね。三句目、「日」と「灯」、時間の流れの中の今日という日に置かれた歴史ある享保雛が、今という時の中に灯る光を恋しがっているという味わい深い句ですね。四句目、渡し船から見える海の底の方が黒く、岩かと思っていたら揺れている。「そうか、ひじきが群生していたのか」という臨場感のある発見と感慨の句ですね。自分と船とひじきが共振しています。

〇 武良竜彦の2月詠(参考)
白泉忌明日を語らぬ虹が立つ
銃創を語らぬ父あり兜太の忌

【自解】
一句目、渡辺白泉が詠んだ戦争、だれも明るい未来のことを想像もできませんでした。令和の今、私たちは天空に橋を架ける虹のように未来を語ることができているでしょうか。二句目、父の脛と腕に銃創があったことを憶えています。その銃創について父は「鉄砲の弾の突き抜けた跡ばい」という以上のことを語ろうとしませんでした。兜太忌に改めてその心の瑕の深さを噛みしめました。

2 「あすか塾」28   2021年5月 

⑴ 野木メソッド「ド」「ハ」「ス」による合評会

①「あすかの会」会員の作品から (「あすか」4月号)                   

喪の人を訪ふや雨水の昼下がり                           大木典子
「ド」「雨水」の季節、まるで雨までもが喪中の見舞いに来ているようだともとれる句ですね。
「ハ」「訪ふや」で、自分ではなく何かが、と暗示しているかのようです。
「ス」同時にこの「や」は問いの疑問形と感嘆の表現を兼ねていますね。「昼下がり」もいいですね。

満ちてくる日差しの中にある余寒                          大本 尚
「ド」「余寒」が暖かい日差しのぬくもりの中にこそある、ということを発見している感慨句ですね。
「ハ」「日差し」が潮のように「満ちて来る」と、体感に表現されています。
「ス」季節の移り変わりを、体感的な温度の表現で実存的に表現しました。

裸木に濾過されてをり胸の内                            奥村安代
「ド」裸木の枝の密度に濾過器の作用を感じている句ですね。しかも濾されているのは自分の心ですね。
「ハ」裸木の枝の先に見える切れ切れの空に、自分の心を投影した表現ですね。
「ス」胸の内に持て余す思いの詩情豊かな表現ですね。

冷たさも甘さなりけり寒の水                            金井玲子
「ド」日本の伝統文化的慣習を踏まえ、「寒の水」の神秘的な力を「甘さ」という言葉で表現しました。
「ハ」この句の「なりけり」はそう言い伝えられてきたものですよ、という感嘆の表現ですね。
「ス」晩冬の季語「寒水・寒九の水」は冷たさ極まった神秘的な力があり、飲むと身体に良いとされ、特に寒中九日目の水(寒九の水)は効能があるといわれています。その水で餅を搗いたり、酒を造ったり、布を晒したりされました。掲句はそれを踏まえていますね。

少年の目をして独楽の回りけり                          鴫原さき子
「ド」独楽の回転が安定して静止しているように見えるとき、同心円の模様が目のように見える様を、「少年の目」のようだと感受した句ですね。
「ハ」独楽は人間に「回されて」いるのですが、この句はまるで独楽が自分で「回って」いるように表現しました。
「ス」合評会では独楽を回している大人が、そのとき、少年の目に戻っているという句だという評がありました。それも素敵な読みですね。

笏落とす癖の治らぬ古雛                              白石文男
「ド」古雛を擬人化して、「笏」を落とすのが「雛の癖」とユーモラスに表現しました。
「ハ」本当は古くなって「笏」が安定せず落ちるようになってしまったのでしょう。
「ス」擬人化して表現した作者の眼差しのやさしさを感じる句ですね。

注連作母の手擦れの鯨尺                              宮坂市子
「ド」存命かもしれませんが、句の雰囲気では亡き母の形見の「鯨尺」を使って、注連縄の寸法を測っていると想像させる表現ですね。あるいは「注連作」で句は切れているので、注連縄を計っているのではなく、注連縄づくりの季節に裁縫をしている景とも読めます。
「ハ」「手擦れ」と簡潔に表現することで、永く愛用されたことも表現されています。
「ス」鯨尺は古来,和裁用に使われてきた物差しで、かつては鯨の髭でつくられたことに由来するといわれています。一尺は曲尺 (かねじゃく) の一尺二寸五分に相当し、三七・八八㎝。計量法により一九五九年以降は製造・販売・使用が禁止されていました。今は認められています。掲句はその昔から使われていたもので、旧家の歴史性を感じますね。

一片の雲も許さず寒の空                              須貝一青
「ド」冬空の雲一つない快晴を感慨深く表現しました。
「ハ」冬の寒気を擬人化して「許さず」とした表現が効果的ですね。
「ス」寒気には何か「きっぱり」とした切れのようなものを感じます。それが表現されていますね。

後ろから肩包まるる春の風                            村田ひとみ
「ド」春の気配を全身が包み込まれる体感に引き付けて表現しました。
「ハ」「後ろから肩包まるる」は母親が子供をやさしく抱くときのしぐさを想起させますね。
「ス」匂、温度の変化などに注意を向けて、今を噛みしめて生きていることも感じさせます。

渓谷の流れ途切れず去年今年                            石坂晴夫
「ド」去年今年を貫くもの、不変の「渓谷の流れ」で表現しました。
「ハ」人の世の目まぐるしさへと対比させた表現ですね。
「ス」俳人は常に人間を自然の中において捉える感性の持ち主です。そのことも感じます。

長男が先頭を行く春北風                             稲塚のりを
「ド」春先の強い北風の中に兄弟愛を置いた表現ですね。
「ハ」自発的に兄が弟や妹を庇っている様子が浮かびます。
「ス」「絆」は標語的に言うものではなく、この俳句のようにその実(じつ)こそ、ですね。

寒磴に一歩踏み出す宮詣                              近藤悦子
「ド」初詣でしょうか。何か決意のようなものを感じさせる表現ですね。
「ハ」上五によく「寒磴」という言葉を置きました。様子と心根まで見える表現になっています。
「ス」磴(とう)は石坂、石段、石橋のことですが、この句では神社の初詣ですから石段でしょうね。
  
② 野木メソッド「ド」「ハ」「ス」による合評会 (続き) 

◎「風韻集」作品から

吾妻嶺の噴煙直と木の根明く                           伊藤ユキ子  
「ド」「直と」ですから無風で縦に真直ぐ噴煙が上がっているのでしょう。「木の根明く」地にも春の気配が「直と」響き合っていますね。
「ハ」垂直に上がる噴煙と、水平に伸びる「木の根」のイメージの対比表現が効果的ですね。
「ス」吾妻嶺の不変のさまを感じて日々を暮らしている人の視座をかんじますね、

ふくろふの一声闇を動かしぬ                            稲葉晶子
「ド」闇を切り裂くような声の、猛禽類の野生味を感じる句ですね。
「ハ」闇の中で狩りをする梟は羽音すら立てません。これは狩りの後の声でしょう。
「ス」その静寂、その静寂を破る声を「闇を動かす」と効果的に表現しました。

あらたまの駅伝風押し風に乗る                           大澤游子
「ド」枕詞「あらたまの」は普通「年」「春」など時候の言葉にかけて使います。それを「駅伝」という特別感のある行事に使いました。「風押し風に乗る」のリズムが効果的ですね。
「ハ」「あらたまの」の語源には、磨いてない原石、これから真価を発揮することを期待されるものという意味も含みます。ランナーたちへの期待感も包み込む枕詞を効果的に使いました。
「ス」和歌の枕言葉は、短い俳句ではあまり使われません。掲句はまさに「あらたま」というに相応しい景に使い成功していますね。

魁の膨らむ間合ひ春立てり                             加藤 健
「ド」「間合ひ」が剣道などの緊張感のある空気を感じさせて効果的ですね。
「ハ」春を待つ植物たちの冬芽の膨らみを「魁」の一字で表現したもの効果的ですね。
「ス」目にはしかと見えない自然の空気感を普段の呼吸で感じて生きている姿勢を感じさせます。

旧家なる床下に井戸注連飾る                           坂本美千子
「ド」水道という近代設備が普及するまで民家には井戸がありました。そういう由緒のある旧家の正月模様を詠みました。
「ハ」「旧家なる」と古語的に表現して、厳粛な正月の空気感が表現されました。
「ス」「床下に」で、もう使われなくなって久しいという時間の層まで感じます。

さきがけて日溜まる処福寿草                            摂待信子
「ド」日当たりがいい所だからと言えば、理屈の説明になるところを、俳句的に「さきがけて日溜まる処」と効果的に表現ました。
「ハ」「日溜まる処」も、日差しの「暖」から地の温の「温」へと深まる表現になっています。
「ス」「さきがけて」としたことで、他の所はまだ寒々としていることも感じます。

浸し種いだきてをりし命かな                           服部一燈子
「ド」命を抱いているというのは、理屈や説明を超えた共感の表現ですね。
「ハ」「浸し種」は晩春の季語で普通は「種かし/種浸ける/種浸け/種ふせる/籾つける」と動詞形ですが、この句は名詞形で切れる上五に置いて深みのある表現にしていますね。苗代に蒔く籾種を、俵やかますにいれたまま発芽を促すため二週間程水に浸す、稲作の中でも大切な作業なのです。
「ス」命を「ながめて」いるのではなく、深く共振している心を感じます。
                
猫柳うすき夕日に友を待つ                            本多やす
「ド」川辺で友との待ち合わせの約束をしたのでしょうか。「うすき夕日」で少し不安げですが、上五の猫柳の銀色のふわふわした感覚に癒されてもいるようです。
「ハ」どちらとも言い難い、微妙に揺れる心情を感じます。
「ス」猫柳は初春の季語で、水辺に自生して、早春、葉が出る前に銀鼠色の毛におおわれた三~四センチ程の花穂を上向きにつけます。やわらかく、ふっくらとした感じが春を実感させます。

春を待つ絶えて久しきたよりかな                         丸笠芙美子
「ド」春が来たからといって、途絶えた便りが必ず来るという保証はありませんが、春待つ気持ちでそれをまだ待ち望んでいる自分の心を噛みしめている句ですね。
「ハ」「絶えて久しき」でかなりの時間の経過が表現されています。
「ス」「たより」とひらがな書きなので、書状の便りではなく吉報としての報せだと読めますね。

小さき川春の調べを橋に置く                            三須民恵
「ド」下五の「調べを橋に置く」が発見的で創造的な表現ですね。
「ハ」「春の川小さき調べを橋に聞く」と散文的に説明した場合と比べると、その詩情の違いが際立つはずです。
「ス」音を視覚的に造形表現したことで、春の気配が可視化されました。

よみがへる父の抑揚歌かるた                            柳沢初子
「ド」どんな抑揚だったのかと想像させられる表現で、作者の父に対する思慕の念も伝わります。
「ハ」父が読み上げ、母子が絵札取りをしている仲睦まじい家族の姿も浮かびます。
「ス」プロのアナウンサーのような美声でない方が、味わい深く、思い出を彩るでしょう。

鳥総松見知らぬ人の遠会釈                             矢野忠男
「ド」実際に「鳥総松」を門松の後に差している景と解してもいいですが、門松自身が珍しくなっていますので、その伝統的な慣習の「心」を上五に置いて詠んだものと解してもいいですね。
「ハ」「見知らぬ」「遠」と、二重の距離感を表現しつつ、本来日本人はそんなふうに礼節を重んじてきたのだよ、という思いが込められているようです。
「ス」「鳥総松」は新年の季語で、松納めで門松を取り払った後に、松の枝を一本折って挿しておく風習のことです。元々、樵夫が大樹を切り倒した後に、山神を祭るため梢の枝を一本切り株に挿したことに由来するそうです。下五の「遠会釈」の、行きずりの人にも敬意を払う日本人の美しい慣習と響き合いますね。

遠山の影の濃淡百千鳥                            山尾かづひろ
「ド」日差しも弱く曇天が多かった冬から、明るい春の日差しに変化して、遠望する山々の陰影が濃くなったことの実感を詠んだ句ですね。
「ハ」下五の百千鳥の囀りから、より春らしい活力が感じられる表現ですね。
「ス」百千鳥は三春の季語で、いろいろな鳥がひとところに来て囀っているさま、また恋の相手を求めて鳴き交わすさまのことで、春の躍動感を持つ言葉です。この季語の語感にも注目すると、山々の陰影が濃くなることに込めた作者の思いが、より深く伝わります。

濡れタオル吊せる居間に年送る                           渡辺秀雄
「ド」気温が低いと洗濯したものが渇かず、部屋干しが多くなります。その年末の実感を詠んだ句ですね。
「ハ」大掃除のやり残しなど、何かとタオル類を使うことが多かったことまで伝わりますね。
「ス」「年送る」は「行く年」の子季語ですが、押し詰まった年末の忙しい日々の束の間に、過ぎ去ったその年を振り返るというのが本意の季語ですね。この句はそれを「濡れタオル吊せるまま」という景を切り取って象徴的に詠みました。

指先のクリーム多め寒に入る                           磯部のり子
「ド」空気の乾燥する冬期の空気感を指先のクリームの量で繊細に表現しましたね。
「ハ」「多め」で切って、「寒に入る」下五に季語を置くことで余情が生まれました。
「ス」「指先の」と、指のクローズアップから入っているのが効果的ですね。

⑵ 要点を的確に一言で寸評する練習  ☆ 同人句「あすか集」作品から 

紅椿少し癖ある雨戸繰る                            佐々木千恵子
 寸評 雨戸の経年劣化による歪みを詠んで、繰り返す暮らしの厚みを表現していますね。

正月や時を刻まぬ古時計                              杉崎弘明
 寸評 止まったままの古時計の表現で我が家の歴史を慈しんでいる心が伝わりますね。

戸に小さき工事現場の注連飾り                          砂川ハルエ
 寸評 工事現場の簡易の管理棟の戸でしょう。丁寧な仕事をしている人の心意気が伝わります。
 
びつしりと似たる建売春の雪                            滝浦幹
 寸評 小さな林とか藪、または空き地など変化のあった景色が、見分けのつかない単調な景色に変わってしまったことへの感慨が伝わります。

福は内だけ言う父の鬼やらい                            立澤 楓
 寸評 鬼は外とは言わない父の、心根の優しさが伝わります。作者の眼差しも。

春耕や農婦こまめに石をすて                           千田アヤメ
 寸評 普段から日々を丁寧に噛みしめて生きている人の仕草を切り取りました。

条幅の十七文字や筆始め                             西島しず子
 寸評 「条幅」は画仙紙の半切にかかれた書画を軸物にしたものですね。自分が書初として俳句を書いたものか、俳人か名筆の掛け軸を手本にして書こうとしている正月の雰囲気が伝わります。 

麦を踏む大地遥かに貨物船                            丹羽口憲夫
 寸評 「遥かに」で貨物船が往来する湾を遠望できる高台の畑の広々とした雰囲気が伝わります。
 
リス跳ねて芽立ての枝のよく撓ふ                         乗松トシ子
 寸評 三浦半島で増殖中の台湾リスの姿でしょうか。春に向けてしなやかさを増す植物の力を感じます。
 
「ふじさーん」と春風運ぶ子らの声                         浜野 杏
 寸評 近しい、または親しい人を呼ぶような声で和みますね。
 
初鏡おすまし顔の母に会う                             林 和子
 寸評 誤読かもしれませんが、初鏡に映っているのはお化粧した自分でしょうか。そこに母の面影を見ていると解しました。

春風に幟煽れる音の波                               星 瑞枝
 寸評 下五を「音の波」として春風までが波形を成しているような様を表現しました。 

如月や時計の鳩は眠るまま                            増田 綾子
 寸評 先の杉崎弘明さんの句と同様、その家の歴史性の重みを感じる句ですね。 

新しき竹の手水や初詣                              緑川みどり
 寸評 神社の手水などの施設は同じものが永年使われて古びていて当たり前になってします。それが新品に交換されていた、という何か幸運の先触れのような感覚が伝わります。

父の忌や納屋に傾く炭俵                             村上チヨ子
 寸評 「納屋に傾く」で、敬慕する父の記憶を見事に表現しました。「納屋に鎮座の炭俵」では重すぎますし、「納屋に残せし炭俵」では哀感が強まってしまいます。絶妙な表現ですね。

一椀の白粥春の立ちにけり                             村山 誠
 寸評 粥はいまや健康食となっていますが、昔は病中または病あがりのためのものでした。その昔ながらの雰囲気を纏う「一椀の白粥」に、しみじみと春を迎えている心が表現されています。

庭石と引き立て合うて福寿草                            吉野糸子
 寸評 日の射す庭石の傍に咲いた福寿草。互いに「引き立てあっている」と感受する心の柔らかさが伝わります。

白魚漁羽化するごとく帆引き船                          安蔵けい子
 寸評 帆船の帆が開くさまを「羽化するごとく」と生命感溢れる表現で詠みました。「白魚漁」の景に相応しい表現ですね。

グータッチ冬囲解く庭師の手                            阿波 椿
 寸評 複数人いる庭師たち同士の「グータッチ」なのかもしれませんが、冬囲いを解かれた樹の幹に、手袋のまま庭師がしている仕草にも感じられ、共に歓びあっているようにも見えます。

まん丸の実になりたくて梅香る                           小澤民枝
 寸評 春待つ心の浮き立つような感じをみごとに表現しました。「なりたくて」という擬人化表現に微笑ましさ、可愛らしさが感じられますね。



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