ダイアナ元妃のメモめぐりチャールズ皇太子が事情聴取受けたと英報道
1997年に仏パリで起きた自動車事故で亡くなったダイアナ元妃が、「夫(チャールズ皇太子)が私が車の事故を起こすよう計画している」と自らの死を予言するかのようなメモを生前書き残していたことで、皇太子が事情聴取を受けていたことが明らかになった。
英ロンドン警視庁のジョン・スティーブンス元警視総監が、英デイリー・メール紙にこのメモ書きをもとにチャールズ皇太子に事情を聴いていたことを明かしたもの。
ダイアナ元妃は、恋人で老舗高級百貨店ハロッズを経営するモハメド・アルファイド氏の息子ドディ・アルフレッドさんとともに乗っていた車がパパラッチに追いかけられ、逃げる途中にアルマ橋のトンネルの柱に衝突する事故で亡くなった。
事故直後から他殺説が浮上するなど、陰謀論が根強くささやかれている。
同紙によると、問題のメモはダイアナ元妃がチャールズ皇太子と離婚する前年の95年に書いた手書きのメモだといい、「(ウィリアム王子とヘンリー王子の乳母)ティギーと結婚する道を確実にするため、ブレーキの故障と深刻な頭部外傷を計画している。私の命が危険」などと記されていたという。
ダイアナ元妃が息子たちの乳母と夫の浮気を疑っていたことがうかがえるだけでなく、「(2005年に再婚した)カミラ(現夫人)はおとりに過ぎない」などとも書かれており、複数の女性の存在に元妃が悩んでいたことも分かる。
ロンドン警視庁は04年から死因を巡る陰謀論について調査しており、スティーブンス氏によるとその一環としてメモをもとに皇太子にも話を聞いたという。
同氏によると皇太子は礼儀正しく、捜査に協力的だったというが、「メディアで報じられるまでメモの存在は知らなかった」と語り、メモを書いた理由に心当たりはないと自身の関与は否定。
結局のところメモの真相を知ることはできなかったと語っている。 英ロンドンの高等法院は08年にダイアナ元妃の死因を究明する審問で、運転手の飲酒とパパラッチの追跡による事故で亡くなったとする評決を下している。
(ロサンゼルス=千歳香奈子)
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消防隊員が聞いた、ダイアナ妃の最期の言葉
グザビエ・グルムロン消防士長が、1997年8月に亡くなったダイアナ妃の最期の言葉について語った (アンゴラ、1997年1月16日) photo : Abaca
交通事故に遭ったダイアナ妃を救助しようとした消防士長のグザビエ・グルムロンが、6月21日、デイリー・メールの取材に応じ、ハートの女王の最期の瞬間について語った。
写真で振り返る、ダイアナ妃と最愛の二人の息子との美しき思い出
1997年8月31日午前0時20分。. パパラッチに追われたダイアナ妃とドディ・アルファイドのメルセデスが、パリのアルマ橋トンネルの柱に衝突。
アルファイドが即死したのに対し、ダイアナ妃は重傷を負った。 ダイアナ・スペンサーの60歳の誕生日を前に、デイリー・メールは、ウィリアム王子とハリー王子の母親の最期の瞬間を目撃した人々にインタビューを行った。
その中には、消防士長のグザビエ・グルムロンや医師のフレデリック・マイエーズも含まれており、悲劇の夜を振り返った。
医師のマイエーズは、消防隊員のグルムロンより先に事故現場に到着した。
事故車の後部座席にいたダイアナ妃を発見したのは、誕生日パーティからの帰り道。ダイアナ妃の「顔に大きな傷はなかった」という。
「出血はしていませんでしたが、意識はほとんどなく、呼吸も苦しそうでした」と医師は振り返る。 「私は、彼女の呼吸を楽にしようと試みました。しかしかなり厳しい状況だった。私は一人だったし、機材もほとんどなかった。私が到着してから数分の間、彼女は元気そうだったが、事故は非常に激しく、このような状況では重度の内臓損傷が予想されます」。
フレデリック・マイエーズは救急外来に連絡した。彼はその時まだ、手当している人物がダイアナ妃だとは気づいていなかった。
「私は彼女をなだめようとした」
その直後、消防隊員のグザビエ・グルムロンが現場に到着した。
最初に彼が目にしたのは、王女のボディーガードであるトレバー・リース・ジョーンズで、彼もまた負傷していた。
「彼はとても興奮していて、振り返ろうとし、英語でブツブツとつぶやいていた」とデイリー・メールに語っている。
「何を言っているのかわかりませんでしたが、直ちに彼を手当てするようチームに指示しました」 さらにグザビエ・グルムロンは、ドディ・アルファイドの蘇生を試みたが、かなわなかった。
そして、フレデリック・マイエーズと一緒にいたダイアナ妃を見つけた。
グルムロンは、ダイアナ妃の最期の言葉をこう振り返る。「彼女は英語で、『Oh my God, what's happened? (おお、神さま。何が起こったの?)』と言っていました。
私はその言葉を理解したので、彼女をなだめようと、彼女の手を握りました。その後、他の隊員に彼女を引き継いだ。たった2、3分の出来事でした」。
肩以外には、ダイアナの身体に大きな傷はないように見えた。 「しかし、目に見えるものだけを信じてはいけないのです」と、マイエーズ同様、グルムロンも断言する。事態は、それどころではなかった。
ダイアナ妃の心臓は、救急医が到着した直後に一度停止する。心臓が再び動き出すと、パリ13区にあるピティエ・サルペトリエール病院に搬送された。
亡くなったのは午前2時30分頃。その後、イギリスとフランスは、彼らが愛した王女へのオマージュを何度も繰り返し続けた。
text : Chloe Friedmann 1 (madame.lefigaro.fr)
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