10/26(水) 22:04配信

「ザ・クラウン」でダイアナ妃を演じるエリザベス・デビッキ。(サンドリンガム、2022年2月13日)photography: Abaca
ダイアナ妃の死、ウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃の恋、カミラ王妃とチャールズ3世の結婚......最終シーズンの内容を一足先にチェック。
11月9日に配信開始するシーズン5は以前からいろいろ話題になってきた。最終章となるシーズン6はそれ以上に「騒がしい」ことになるかもしれない。少なくとも、国王チャールズ3世役のドミニク・ウェストは、オンラインマガジンの「デッドライン」にそう語った。
シーズン6の公開は2023年末以降となるはずだが、この最終シーズンではダイアナ妃が1997年8月に交通事故で亡くなったことが大きくクローズアップされる。そしてそれを快く思っていない人たちもいる。
ダイアナ妃の死
まずは制作チームから。「パリに戻ってダイアナ妃が亡くなる前の数日間や数時間をドラマに仕立てるなんて、全く気乗りしない」と、10月16日の「ザ・サン」紙に「ザ・クラウン」の制作スタッフのひとりは語り、「このシーズンで取りあげるいくつかのシーンは今でもあまりにも生々しく衝撃的で、一線を越えてしまったようにも思う」と続けた。
「細心の注意を払って真実を複層的に」
一方、ネットフリックス側では、アルマ橋トンネルでの「事故の瞬間」はドラマで再現しないことを明言している。エリザベス・デビッキは10月18日の「エンターテインエント・ウィークリー」誌に、ドラマ製作者のピーター・モーガン以下「スタッフ全員」がこの事件を「細心の注意を払って真実を重層的に」扱うために「できる限りのことをしている」と語った。
「批判されたことがトラウマに」
脚本も担当している製作者のピーター・モーガンはあれこれ批判されて「ますます嫌な気分に」なっているようだ。
ある匿名の関係者は「デイリー・メール」紙に対し、次のように語った。
「正直、これまでのシーズンの方が書きやすい。と言うのも、記録が山ほど残っているし、起きた出来事に対するコンセンサスが取れているからだ。人々の心を傷つけることなく、話を合成できる」 ピーター・モーガンはシーズン5を最終章にすることも考えていたが、考えを改めた。
出来事をもっと詳細に描く必要があると考えたからだ。しかしながらシーズン6より先には「進まない」だろう。彼と親しい関係者は「もう十分に不愉快な思いをしているからね」と語る。「彼にとっては批判されたことがトラウマになっている。センセーショナリズムに走ったわけでも(中略)王室の評判をおとしめようとしたわけでもないのに」
エリザベス・デビッキ、スペインへ
シーズン6は1990年代半ばから2000年代初頭までをカバーすることになる。撮影風景の写真がすでにタブロイド紙に出回っている。
ダイアナ妃を演じるエリザベス・デビッキは、10月22日のバルセロナの撮影現場で、ダイアナ妃が亡くなった晩に着ていたグレーのスーツ姿でいるところをキャッチされた。
また、彼女が赤いドレスに白いパンプスを履き、プレティーンの息子ふたり、ハリー(ウィル・パウエル)とウィリアム(ルーファス・カンパ)に囲まれている写真が、9月末の「デイリー・メール」紙に載った。
若手俳優デビューのチャンス
もっとも次のハリー王子役はまだ見つかっていない。ネットフリックスでは9月27日、ティーン時代の王子役を募集しはじめた。キャスティングは難航しており、16歳から20歳ならば未経験者にもチャンスはある。
若き日のウィリアム皇太子役を射止めたエド・マクベイや、キャサリン皇太子妃役に選ばれたメグ・ベラミーのどちらもスクリーンでの演技経験はなく、今回の役でデビューする。
この他、イメルダ・スタウントンがエリザベス女王役、ジョナサン・プライスがフィリップ王配役、ドミニク・ウェストがチャールズ3世役を引き継いだ。
キャサリン皇太子妃とウィリアム皇太子の恋
ダイアナ妃の死に加えて、シーズン6では、ウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃の恋のなれそめが描かれる。
ふたりの出会いは2003年9月、スコットランドのセント・アンドリュース大学だった。また、2002年の女王の在位50周年ゴールデン・ジュビリーや、同年のクイーン・マザーやマーガレット王女の死も取り上げられる可能性がある。
さらには1997年から2007年まで英国首相を務めたトニー・ブレアと女王の関係に焦点が当てられるようだ。
論議を呼んだ結婚
「ザ・サン」紙によればこうした一連のエピゾードの締めくくりとして、あるシーンが登場する。それは2000年初頭に起きた数々のドラマチックな出来事のどれかではない。
製作者が選んだのは議論を呼んだ2005年のチャールズ皇太子とカミラ・パーカー・ボウルズの結婚式だ。
「これはささやかながら重要な変更点だ。この出来事は新しい時代、すなわちチャールズ、ハリー、ウィリアムの王子たちが中心となる時代の幕開けを示すからだ」とある匿名の関係者は「ザ・サン」紙に語った。
「ウィンザー家ではチャールズとカミラの結婚式が混乱の時代の終焉、新しい時代のはじまりとみなされている」
サセックス公爵夫妻の旅路
シーズン6では2020年に起きた「メグジット」は取りあげない、とピーター・モーガンは2020年8月、「ザ・ハリウッド・リポーター」誌に語った。
「何でも時間が経ったもののほうがずっと面白い。メーガン夫人とハリー王子は旅路のまっただなかで、この旅がふたりに何をもたらすのか、どのように終わるのか分からない」と言うと、「ふたりの幸せを願っているが、自分としてはせめてあと20年は経った出来事を書く方がずっと楽だね(中略)」と続けた。
シーズン6がどうなるかを知るには幸いなことにそれほど長く待つ必要はない。
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Culture 2019.03.13
大人気のドラマシリーズ「ザ・クラウン」では、奔放な女性として描かれているエリザベス女王の妹、マーガレット王女。これに対して王女の息子は、「母親を根っからのパーティー好きの」として描いているのは我慢ならないと、反論キャンペーンを開始した。この機会にマーガレット王女の人となりを振り返ってみよう。

ドイツを訪れたマーガレット王女。(1959年1月11日)photo:Getty Images
「社交界の花形というのは母の一面でしかありません」――からかいの種にされ、マーガレット王女のイメージが傷つけられているとして、長男のデイヴィッド・アームストロング=ジョーンズ(第2代スノードン伯爵、57歳)は近々、伝記を上梓する。
その中でスノードン伯爵は、Netflixのドラマシリーズ「ザ・クラウン」でヴァネッサ・カービーが演じるマーガレット王女のイメージに対して反論を展開する構えだ。
「“権威ある”書物でもコメディドラマでも、母はたいていパーティにしか興味のない”ソーシャライツ”として描かれてしまう」と、スノードン伯爵は「デイリーメイル」紙に打ち明けている。アンソニー・アームストロング=ジョーンズ(初代スノードン伯爵)とマーガレット王女を両親に持つ伯爵の願いは、真実をきちんと伝えること。母親が芸術に対して一身を捧げたこと、女王のそばで数々の公的な任務を果たしたことなどを強調していくつもりだという。

左から未来の女王エリザベス2世、マーガレット王女、母エリザベス。マーガレット王女が生まれた年。(1930年)photo:Getty Images
バッキンガムの“野生児”。
実際のところ、エリザベス女王の妹は幼い頃すでに、バッキンガム宮殿の“野生児”と呼ばれていた。「リリベ(エリザベス2世のニックネーム)は石橋を叩いて渡る慎重派でした」と、元家庭教師のマリオン・クロフォードは回想記『The Little Princesses』(邦題:王女物語 エリザベス女王の少女時代)の中で語っている。
「それに対して、マーガレットはとにかく何でも実行というタイプでしたし、これからもそれは変わらないでしょう」。王室専属の元家庭教師クロフォードは、少女時代のマーガレットのことを「頭の回転の早い子」だったが、ときに周囲を「とても困らせることもあった」と回想している。
1930年8月21日にグラームス城で生まれたマーガレット王女。王家の子女がスコットランドで誕生したのは、英国王室の歴史では300年ぶりのことだった。
17歳の時、大の仲良しの姉エリザベスとフィリップ王配との結婚式でブライズメイドを務めたマーガレット王女は、生涯を通して女王の心強い支援者であり続けた。しかし、テオ・アロンソンが著書『Princess Margaret: A Biography(伝記:マーガレット王女)』の中で「最後の真の王女」と呼んでいるように、彼女は慣習に囚われない型破りな女性でもあった。
パーティ三昧。
事実、社交パーティは長い間、国王ジョージ6世の次女の独擅場だった。「彼女は現代という時代に生き、しかも公的な立場にありながら、人々が王女に期待するイメージを維持する能力を持った人でした」と、ドキュメンタリーシリーズ「Princess Margaret: The Rebel Royal(マーガレット王女:反逆の王族)」のプロデューサー、クリス・グランルンドはそう語る。
「ザ・クラウン」シーズン1の第8話では、バッキンガム宮殿の専属秘書官の意見を無視して、マーガレット王女がただのセレモニーをカクテルパーティにしてしまうエピソードが描かれている。
退廃的な生活スタイルで名を馳せた王女。王女が出席したパーティには、ミック・ジャガー、ブリジット・バルドー、ビートルズらが同席している。エリザベス2世はイングランドのウィンザー城や、スコットランドのバルモラル城で過ごすことが多いが、マーガレット王女はというと、イタリア、トルコ、カリブ海の島へヴァカンスに出かけては、パパラッチの格好の標的となっている。
“野生児”らしい屈託のなさは大人になっても変わらず、英国女王の厳格さとの対照が際立つようになる。こうした時期に、いつか妹に主役の座を奪われるのではないかという懸念がエリザベス女王の心に芽生えたとも言われている。

ラオール・ウォルシュ監督の映画『艦長ホレーショ』のプレミアに出席するマーガレット王女。(イギリス・ロンドン、1951年4月12日)photo:Getty Images
ハリウッドを敵に回す。
イギリスやフランスの上流階級との付き合いでは満足できなくなったマーガレット王女。1965年にはハリウッドに逗留し、かの地の名士たちと親交を深めている。
当時、王女は35歳。ジュリー・アンドリュース、ポール・ニューマン、ジュディ・ガーランドら、ハリウッドのスターたちとの出会いを重ねる。しかし王女ゆえの尊大さが仇となり、ハリウッドでは敵を作ることになってしまう。
ハリウッド滞在中のエピソードとして、グレース・ケリー(『裏窓』)に向かって「映画スターらしくないわね」と言い放ったとか、エリザベス・テイラー(『クレオパトラ』)の婚約指輪を見て、「これがその有名なダイヤモンド? 大きすぎるわ! まったく品のないこと!」と声を上げたといった逸話がある。
王女が明け方までパーティに興じたり、二日酔いの朝を迎えたり、その言動がゴシップ誌に大見出しで報じられるたびに、イギリスの外交官たちは戦々恐々となった。そして、1970年代には王女のアメリカ訪問は取り上げられてしまう。
一方、王女は恋愛でも王室の近代化に貢献した。「マーガレットが恋に落ちた相手は、年の離れた子持ちの男性でした」とクリス・グランルンドは語る。
「王女が貴族階級出身ではない男と結婚するなど、当時では考えられないことでした」。その男性こそ、ピーター・タウンゼント。王女は14歳の時に当時父に侍従として仕えていた彼と知り合い、22歳の時、英国空軍のベテランパイロットになっていた彼と激しい恋に落ちた。
禁断の恋。
「彼女は並みはずれた、強烈な美しさを持った少女でした。その美しさは、彼女の小さな繊細な顔に凝縮されていました。紫がかった青い大きな瞳、ふっくらした脆そうな唇、桃のような肌がとりわけ印象的でした」とピーター・タウンゼントは語ったという。
「彼女は腹がよじれるほど相手を大笑いさせることもあれば、深く心を打つようなことを言ったりもしました」。ただし、ひとつだけ問題があった。当時、第二次世界大戦の英雄である彼は、離婚経験者で、男児ふたりを持つ父親だったのだ。
世間はマーガレットとピーターの結婚を支持したものの、ウィンストン・チャーチル首相や閣僚たちは難色を示す。1年前の1953年に戴冠したばかりの女王エリザベス2世はこの結婚を認める決断をするが、結婚はマーガレットが25歳になってからというのがその条件だった。
ところが2年後にマーガレットは、愛する男を諦めるか、王室の一員としての特権を捨てるかというジレンマに直面する。ふたりの恋は1955年に終わりを迎える。

婚約者の「ト二ー」ことアンソニ―・アームストロング=ジョーンズとポーズを取るマーガレット王女。(イギリス・ウィンザー、1960年2月28日)photo:Getty Images
波乱に満ちた結婚。
この出来事の後、マーガレット王女は生涯結婚しないと誓う。だが1960年5月6日、浮気男ビリー・ウォレスとの交際の後、王女は最終的に胡散臭い写真家のアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚する。
後にスノードン伯爵の名で知られるようになる写真家と王女との結婚式、それをテレビで鑑賞した視聴者は約3億人に上った。ふたりの間には、1961年11月3日に息子デイヴィッド、1964年5月1日に娘サラが誕生。しかし子どもが生まれても、夫婦の間には波風が絶えなかった。
間もなく王女夫婦の話題が世間を騒がし始める。当時、スノードン伯爵は妻のプライベートな表情を捉えたポートレイトを数多く撮影しており、その中には入浴中の王女のヌード写真も含まれていた。1962年に撮影されたもので、ティアラを被ってポーズを取る王女の姿が写されている。
その後、アンソニ―は女優のジャッキー・チャン、次いでモデルのジーナ・ワードと愛人関係を結ぶ。一方の王女は別荘を所有するムスティーク島の海岸で、恋人のロディ・ルウェリンとくつろぐ姿が目撃される。
45歳の王女とこの28歳の庭師は、共通の友人を介してスコットランドのエジンバラにあるカフェ・ロワイヤルで出会っている。ふたりの関係は再びゴシップ紙の格好のネタとなった。王室内部でさまざまな変化が起きていることは、いまや誰の目にも明らかだった。
ロックな王女。
1978年、マーガレット王女とスノードン伯爵は離婚する。庭師のロディはミュージシャンとしてアルバムを発表するが商業的に失敗に終わり、その後、タチアナ・ソスキンなる女性と1981年に結婚している。
20年後も、マーガレット王女はひたすらロックなライフスタイルを貫いている。Amazon Primeで配信されているドキュメンタリー「Princess Margaret: Her Real Life Story(マーガレット王女:その本当の生活)」によると、健康上の問題を抱えていたにもかかわらず、亡くなるまでタバコを吸い続けたらしい(1日に60本吸ったという)。
2002年2月9日、王女は心臓発作で倒れ、ロンドンにあるエドワード7世病院のベッドで71歳の生涯を終えた。16年後にまさか、アメリカの庶民出身の人気女優がハリー王子とウィンザー城で絢爛豪華な結婚式を挙げることになろうとは思ってもいなかっただろう。
写真で見るマーガレット王女の歩み。

愛犬のコーギーと『The Children of the New Forest』を読むマーガレット。ウィンザー城にて。(1940年6月22日)photo:Getty Images

大英帝国の子ども達に向けた演説を録音する、マーガレット王女と姉のエリザベス。(イギリス・ロンドン、1940年10月10日)photo:Getty Images

ウィンザー城の庭で自転車に乗ってポーズを取るマーガレット王女とエリザベス。(1942年4月4日)photo:Getty Images

軍の制服を纏って。(イギリス・ロンドン、撮影日不明)photo:Getty Images

ウィンザー城で『アラジンと魔法のランプ』を演じる。(1943年)photo:Getty Images

左からマーガレット王女、国王ジョージ6世、エリザベス王妃、そしてイギリス王位継承者ことエリザベス2世。(イギリス・ロンドン、1947年)photo:Getty Images

レスター・スクエアの映画館「エンパイア」で開かれたプレミアに出席するマーガレット王女、エリザベス皇太后、エジンバラ公爵。(イギリス・ロンドン、1948年11月30日)photo:Getty Images

左からエリザベス2世、フィリップ王配、マーガレット王女、エリザベス皇太后。英国女王戴冠式の後、玉座の間で一緒にポーズ。(イギリス・ロンドン、1953年6月3日)photo:Getty Images

ロンドンで開催された展示会の開会式でフォークダンスに参加するマーガレット王女。(1955年5月12日)photo:Getty Images

2児の父で離婚歴のあるイギリス空軍の戦闘機パイロット、ピーター・タウンゼントとしばらく交際したマーガレット王女だが、ふたりの恋は実らなかった。(イギリス・バドミントン、1960年4月22日)photo:Getty Images

マーガレット王女と写真家アンソニー・アームストロング=ジョーンズとの結婚式。(イギリス・ロンドン、1960年5月6日)photo:Getty Images

挙式後、バッキンガム宮殿の公式写真家らによって撮影されたカップルの写真。(イギリス・ロンドン、1960年5月6日)photo:Getty Images

1961年11月3日、マーガレット王女に息子のデイヴィッドが誕生。(イギリス・ロンドン、1961年11月30日)photo:Getty Images

水上スキーのレッスンを受けるマーガレット王女。(イギリス・ウィンダーミア湖、1963年4月29日)photo:Getty Images

アテネのアクロポリスを訪問するスノードン伯爵とマーガレット王女。(イギリス・ロンドン、1963年9月18日)photo:Getty Images

ジェットセッターの友人を多く持つマーガレット王女。ショーン・コネリー(中央)と妻のダイアン・シレント(左)とも知り合いだ。(イギリス・ロンドン、1965年2月15日)photo:Getty Images

人気絶頂のザ・ビートルズのメンバーと。(イギリス・ロンドン、1965年7月29日)photo:Getty Images

イギリスやフランスの上流階級との付き合いに飽きたマーガレット王女は、1965年にハリウッドに滞在し、かの地の名士たちと親交を深める。(アメリカ・サンフランシスコ、1965年11月9日)photo:Getty Images

息子デイヴィッドと娘のサラと。(イギリス・ロンドン、1967年)photo:Getty Images

ミュージカル『アプローズ』のプレミア公演に出席するローレン・バコール(左)とマーガレット王女。(イギリス・ロンドン、1972年11月8日)photo:Getty Images

マーガレット王女、アンソニー・アームストロング=ジョーンズ、ふたりの子どもデイヴィッドとサラ。(イギリス・ロンドン、1974年)photo:Getty Images

マーガレット王女と同席するザ・ローリング・ストーンズのフロントマン、ミック・ジャガー。(フランス・マルティニーク島、1976年12月8日)photo:Getty Images

ロディ・ルウェリン(左)は1975年から1979年まで、マーガレット王女の愛人だった。(イギリス・ロンドン、1978年2月27日)photo:Getty Images

保守党の議員ニコラ・ソームズの結婚式に招待されたマーガレット王女(手前右)。ダイアナ妃(左)と皇太后(右奥)と。(イギリス・ロンドン、1981年6月4日)photo:Getty Images

バッキンガム宮殿のバルコニーで、当時ヨーク公爵夫人のセーラ・ファーガソン(左)と並び立つマーガレット王女。(イギリス・ロンドン、1986年6月14日)photo:Getty Images

女王演説が行われるイギリス議会開会式にて。(イギリス・ロンドン、1987年6月25日)photo:Getty Images

軍事セレモニーに出席するマーガレット王女(中央)。並んで歩くのはチャールズ皇太子、ウィリアムズ王子、ハリー王子。(イギリス・ロンドン、1989年6月29日)photo:Getty Images
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texte:Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)
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