☆1月11日。。松の内(7日、「七草粥」食べました・・・)も終わり、小正月(15日、「小豆粥」食べます・・・)はまだですが・・・、
☆ロウバイの花が、見頃となった、安土町常楽寺の沙沙貴神社では、本日、お正月飾り(締め飾り)や旧い御神符などを焼納する左義長(どんと焼き)がありました。
☆以前は、「小正月」の1月15日に開催されていましたが、近年は、15日より前の日曜日もしくは「成人の日」(第2月曜日)となりました。
☆個人的には、高価な「締め飾り」などは、もっと長い間(1月末迄とか・・・)、飾っておきたい気がします。
☆楼門の南側、表参道の大松明を奉火する場所で、午前8時から10時までの間に、氏子の皆さんが、自ら持参し、焼納しておられました。
☆ところで、1月10日(日曜日)の京都新聞・滋賀版に「沙沙貴神社」の解説記事が掲載されていました。
(下のですが、「グー・ブログ」では、何故か写真が横向きになります)
☆滋賀県文化財保護課の福吉さんの解説ですが、よく読むと、私がこれまで、ず~っと疑問に思っていたことが解明されました
☆それによりますと・・・、沙沙貴神社は、とても由緒ある神社ですが、創建年代は不明です。
☆現存する楼門は18世紀中頃の建物と思われる。
☆東西の廻廊は、1833(天保4)年に建てられたと考えられる。
☆1844年に火災があり、「本殿」・「権殿」・「拝殿」が焼失した。
☆その後、丸亀藩主・京極高朗により、「権殿」は1846(弘化3)年に仮殿として建設された。
☆「中門」は1847年、「本殿」・「拝殿」は1848年に再建された。
☆「透塀」は形式手法から江戸末期と考えられる。・・・という事です。
☆以上は他の解説でも述べられていますが、これとは別に「後に述べる事」を参考に、「どんと」の後、本殿に参拝しました
☆写真の奥、立派な社が「本殿」です。手前の塀が「透塀」。
☆透塀の左の門が「中門」です。(この立派な門が子供の頃から?でした。その奥には「石」があるだけ・・・。)
☆それが、新聞解説で「目から鱗」でした。
☆それは・・・、「中門」は元は「本殿」正面にあり、透塀とつながって建っていたが、1955(昭和30)年に本殿正面に「幣殿」(これは、滋賀県指定文化財で無い)を新築した時に、現在の場所に移築された・・・と云う事です。
☆それで、「ようわからん、中途半端な場所に、こんな立派な門が建ってたんや」
☆ですから、門の両脇の袖塀の「柄」が透塀と同じ「柄」なんやね~。
☆そのへんのところ、次回、参拝される方は、ご注目下さい。本日これまで。
☆ロウバイの花が、見頃となった、安土町常楽寺の沙沙貴神社では、本日、お正月飾り(締め飾り)や旧い御神符などを焼納する左義長(どんと焼き)がありました。
☆以前は、「小正月」の1月15日に開催されていましたが、近年は、15日より前の日曜日もしくは「成人の日」(第2月曜日)となりました。
☆個人的には、高価な「締め飾り」などは、もっと長い間(1月末迄とか・・・)、飾っておきたい気がします。
☆楼門の南側、表参道の大松明を奉火する場所で、午前8時から10時までの間に、氏子の皆さんが、自ら持参し、焼納しておられました。
☆ところで、1月10日(日曜日)の京都新聞・滋賀版に「沙沙貴神社」の解説記事が掲載されていました。
(下のですが、「グー・ブログ」では、何故か写真が横向きになります)
☆滋賀県文化財保護課の福吉さんの解説ですが、よく読むと、私がこれまで、ず~っと疑問に思っていたことが解明されました
☆それによりますと・・・、沙沙貴神社は、とても由緒ある神社ですが、創建年代は不明です。
☆現存する楼門は18世紀中頃の建物と思われる。
☆東西の廻廊は、1833(天保4)年に建てられたと考えられる。
☆1844年に火災があり、「本殿」・「権殿」・「拝殿」が焼失した。
☆その後、丸亀藩主・京極高朗により、「権殿」は1846(弘化3)年に仮殿として建設された。
☆「中門」は1847年、「本殿」・「拝殿」は1848年に再建された。
☆「透塀」は形式手法から江戸末期と考えられる。・・・という事です。
☆以上は他の解説でも述べられていますが、これとは別に「後に述べる事」を参考に、「どんと」の後、本殿に参拝しました
☆写真の奥、立派な社が「本殿」です。手前の塀が「透塀」。
☆透塀の左の門が「中門」です。(この立派な門が子供の頃から?でした。その奥には「石」があるだけ・・・。)
☆それが、新聞解説で「目から鱗」でした。
☆それは・・・、「中門」は元は「本殿」正面にあり、透塀とつながって建っていたが、1955(昭和30)年に本殿正面に「幣殿」(これは、滋賀県指定文化財で無い)を新築した時に、現在の場所に移築された・・・と云う事です。
☆それで、「ようわからん、中途半端な場所に、こんな立派な門が建ってたんや」
☆ですから、門の両脇の袖塀の「柄」が透塀と同じ「柄」なんやね~。
☆そのへんのところ、次回、参拝される方は、ご注目下さい。本日これまで。
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