行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

やっと母のもとへ。

2009年11月11日 22時56分24秒 | 日記

冷たい雨が、綺麗に紅く色づいた葉を散らしちゃっています。

母の施設の支払日を迎えて今日は、母のところへ行きました。
午前中には、この雨のために、ちょっとコインランドリーまで大物を乾かしに出て、通る街路樹に数分だけ携帯カメラを向けました。



クリックしていただくと、雨粒のプラスした写真が出ます。^^

 

母は、ベットで眠っているようでした。
前回の母の様子も、食事をすると気分が悪くなり、食欲がすすまない。
あれから、随分顔を見ていなかった私は、食欲が出たろうか・・と心配。
母の顔の傍で声を掛けた。

「眠ってるのぉ~?」
母は、顔半分を布団で覆っていたのをよけて、
「あれぇ~、良く来たねぇ。眠っていないよ。」と、嬉しそうな顔を見せてくれた。
ホールで、何やら音楽がかかっているのに、母が行こうとしないのは、もの凄く具合が悪いのかと内心思ったものが、すーっと楽になりました。
母を車椅子に乗せ替えて、ホールに連れ出しました。
音楽は、演歌のようなもので、それはただのBGMで、スタッフの方達と風船をボールに見立てて、リハビリのようなものをしているところでした。

んん・・・
そういえば、事務所で支払いを済ませた後に、いただいた講演会のチラシに、
「医療・介護による研究発表」というのがあった。
そのためなのかな~。。

母も数分、風船を打つ・・・というよりは、顔の前で払う、感じなことをしました。

しかし、それもつかの間。
深い息遣いになり、くたびれた様子になりました。
口で息をし、深く回数の少ない呼吸を繰り返していました。
そんなこんなで15時のおやつの時間。各ユニットに戻りお茶の配布を待つ。

「今日、来てくれるとは思って居なかった・・・」
なんて言う。
出されたお茶100mlに1口つけただけ、プリンのようなものは、食べさせたけどほんの少しでもう要らない・・・。

「私ね・・ダメで・・・」
絞るような声で、自分の体の状態を私に説明しようとする。
その言葉が出てこなくなっては、口を閉ざす。
私は、ゆっくり聞く耳を持ちながら、母が言いたい言葉を幾つか出して話をすすめる。
「今日は、雨が降っているね。お前が帰ったあと、死んだら会えないままだね。」
これだけの言葉を聞き取るのに、数分かかる。
そんなことはない。まだまだ元気になるんだよ。
食欲が出て、食べられるようになったら、また元気になれるんだから!
と、幼い子に言い聞かせるように話した。

そして、私も今頑張っていることがあるから、一緒に頑張ろうって言ったら、
「うん。頑張るょ。お前の成功を祈りながら、そしたら、私も元気が回ってくる。」
と、やる気を見せてくれました。
それは、私の前だけで見せた精一杯なんだと思う。

咽喉が渇いて、唇がつっぱっている。
さっき飲めなかった分量だけの、冷たい水を貰った。
水分制限がある母に、今日のスタッフの青年は氷を1つ入れてくれた。
その冷たさに気持ちの良さそうな顔をした。焼け石に水程度で、潤うはずもなく・・・

スタッフに食事のこと、説明を聞くと、どうしても途中で食欲がなくなる。
最低のエネルギーを摂取するための、飲みやすい特定食品を出しているがそれも、全部飲むには、苦労しているらしい。

人口透析から心肥大は、仕方のない余病。
爆弾を抱えているようで、いつどうなってもおかしくないと診断されたのは今年の春3月。
母の傍に行くには私の命も強くしていないと、それが母に伝わってしまう。
母を見て私が元気を失くしてはいけない。
母の前では、決して弱気になってはいけない。
無理やりでも、笑っていなくちゃ。

今日、母は、雨の中暗くならないうちに帰っても良いと言ってくれた。
その言葉に甘えて、義父の夕飯までには帰ってきた。

 

ときどき・・

隣に青年になった息子がいると、頭を撫でてあげたくなる。
なにをどうしたという訳でもないのに、無償に息子が愛おしく感じるときがある。

私は、娘であって、母であって。
その中で生きているんだなぁ・・。
なんてね。