このごたごたした中で、フトアゴヒゲトカゲのTちゃんが、今年2度目の産卵の兆候が出ていました。
昨年も今ごろ、立ち産卵をしてびっくりしました。
2度目は楽なのだろうかと、想像していましたが、本当に良い子で、夕べ全てが終わり、部屋も元通りになった夜に産卵しました。
人が出たり入ったりする音を聞きながら、誰も来てくれない部屋でただ、出たい出たいとかりかりしていました。
Tちゃんに関わる時間が無いなんて今まで長くても丸1日でした。
それが5日間も・・・・
偉かったね。。とさっき温浴をしました。
待っていましたとばかりに、42℃ほどのお湯に浸かりながらごくごくと飲みました。。
そしてコオロギも、たくさん食べました~^^
これで今年も産卵を終えてのんびりした生活になると思います。。ねぇ、Tちゃん。。
こちらは、四十九日の日取りも昨日決めてきました。
死亡届け後、埋葬完了の届けを役場にし、諸々の手続きをしました。
またこれがこまごまとあるもので。。
主人の戸籍抄本を取るにあたり本籍地までいかなければならなくなったり。
私のラパンの車検を変更してもらったことで、納車も昨日の夕方に。
最低の線でお願いしたつもりでも、車検が通らないからと言われれば仕方のないこと。
痛い出費が待っているぅ。。
今日は、午後から、厚生年金事務所へ主人と2人で行きます。
義父が微々たる金額でも厚生年金を貰っていたようです。そちらへ死亡したことを申請に行きます。
父の十三回忌の気持ちもめちゃくちゃでしたよ。
妹と旦那様は義父の枕元にお見舞いを持ってきてくれて、告別式だけに来ると言ってました。
父のお墓参りに行くからと。
ああいう席での血の濃い順とこれから新たに親戚になった方たち。。
作り上げるものが出てくる私たち夫婦の年代なのですね。。
話はちょっと戻ります。
町では30年前にタイムカプセル行事をしたそうで、それが丁度今年2月でした。
開封の大イベントが開催されました。
その通知が我が家にもあったのです。
主人があちこちに顔を出しているから呼ばれたのだろうと思っていましたが、義父から主人宛に手紙があると。
もうそういうことに、恐怖を感じる主人。
当日行くこともしない。
やがて郵便で我が家にその30年の時を超えて届きました。
なのにっ。それも開封しない主人。
そんなこんなしているうちに、こうなってしまった義父。
主人の弟夫婦と、妹さんが残ってくれた時に、今まだ荼毘する前に父親の気持ちを知っておくことが大事じゃないのか。
今じゃなくちゃ後悔するぞという一致した意見で開封。その手も震える有様。
弟さんがその手紙を私たち5人の前で読み上げてくれました。
30年前。
それはまさしく私たちが結婚した翌年の2月でした。
妹さんの自筆でした。
すっかり忘れていたと言ってました。
その中身は、当時私と主人の結婚には1つ問題というかひっかかるものが有りました。
そのことをオブラートに包んだように書いてありました。
また、ここに家を建てること、人に笑われずしていけというものでした。
その手紙で一瞬にして義父の子供たちは、繋がりましたね。。
親子ほど強いものはないです。
私がここにきて25年。義父がひっかかるものに何も問題が起こらないように精一杯努めてきた自分は、やはりただの嫁でした。
自分が今、息子にお嫁さんが来てくれる年。
願うことは、義父と同じです。
そうやって繰り返していくものです。
でも、私は、葬儀でお坊さんが、
「この桜の咲く季節に・・・・」と法話を始めたときは、
そうだよ、平成15年のこの春に父と私たち姉妹はお別れしたんだよ。
今年は13回忌だよ、なんで合わせるんだよ・・・・
と、違う涙を堪えました。